魔法使いの青少年 13
© 2019 sasori_bi 外部との行き来が可能な、火が掲げられた礼拝堂の拝殿。そこへ繋がる渡り廊下は、この時間には鍵が掛けられて居住区内から行くことができなくなっている。そのため、庭から出て裏門の格子を乗り越え、ユージオは外へと出た。
礼拝堂の門限を越えた街に出るのは、アステリア家の外泊を許された時など、数えるほどしかない。
昼間は雑多に人が行き交う街が、夜にはそのほとんどが露店や酒場に集まる、酔った大人たちに一転していた。談笑し合う声や、言い争う声。普段なら物珍しく眺めて回ったかも知れないが、今はそんなことも眼中に入らなかった。酔いの混じった独特の喧騒の中を、ユージオは駆け足に通り過ぎる。
住宅地の中の、ひと際大きなアステリア邸。
飛びこむようにして訪れたその場所で、奉公人伝いに呼ばれてきたのは、問題の渦中にいるフローレインだった。
息を切らしたユージオの顔を見て、驚いたように目を丸くしている。礼拝堂の門限が過ぎていることをわかっているのだろう。
「どうしたの、ユージオ!」
そんなフローレインの肩を掴み、ユージオは憔悴も露わな形相で詰め寄る。
「どうしたもこうしたも、あんた聖宮の……!」
と、ユージオは慌てて口を噤んだ。声が大きかった。アステリア家の敷地内とはいえ、誰が聞いているかもわからない。
続く言葉はこそこそとひそめられる。
「……巫女になるの承諾したって」
「えーそれ、誰に聞いたの? 早いなあ」
「偶然……その、司祭の話を立ち聞き、して……」
偶然というか、これから悪事を働こうとしていた矢先に重なった偶発的な事故だが、盗み聞きしたことには変わりない。どうしても言葉を濁すユージオに、幸いフローレインは気付かなかった。
いっそ拍子抜けするほどけろりとした様子に、ユージオは怪訝な顔をする。
「それでそんなに大慌てで来てくれたの? 門限は?」
「……ぶっちぎってきた」
「どさくさで何やってる!?」
フローレインは目を剥き、慌ててユージオを招くように扉から下がる。
「ああもう、驚かせてくれる。でもユージオ、意外にそういうトコあったわ。……とりあえず中入ってよ。こんな時間だし、泊まっていって」
「そんなことより……」
「そんなことじゃないって! ユージオすっごく怒られちゃうじゃん!?」
語気も荒く詰め寄って来られ、ユージオは怯みながら渋々頷いた。心配して押し掛けてきたつもりが、思いがけず平気そうな様子の上、さらに逆に気遣われる始末だ。困惑でいまいち事態が掴めない。
フローレインはユージオを中に通すと、玄関の扉を閉める。
「とりあえずうちから礼拝堂に外泊の連絡すればいい? うちだったら、礼拝堂も文句言わないよね」
「……ありがたくも寄進があるからな」
「そうそう、なんかそうなんだってね。ユージオ怒られたら嫌だし、連絡しておくよ」
面倒を掛けて申し訳なく思いながら、ユージオはしおらしく頷く。
歩き出すフローレインの後についていると、彼女は堪えきれないというように笑い出した。
「でも嬉しいよ」
「?」
フローレインは照れくさそうに頬を掻きながら苦笑する。
「ユージオとカイトって、いっつも二人で楽しそうだから。何だかんだ私のことも気に掛けてくれてるのはわかるけど。……でもちょっと、私もしかして邪魔者かなとか思うこともあって」
「そんなわけ」
いつも除け者にせざるを得ないような会話をしているユージオは、気まずい顔で言葉を詰まらせる。不要な危険から遠ざけたいと思っていただけの行動が、フローレイン当人にはそんな心配をさせていた。それを改めて知って、後ろめたさに言葉は濁る。
フローレインはしかし、喜色も露わに破顔する。
「でも、私のことで門限破って来てくれて、よくないけど嬉しいね。私の心配してくれたんだよね。ありがとう」
「……レイン」
「走って疲れたよね。お茶入れるから、書斎に行ってて。待っててよ」
台所の方へ曲がっていくフローレインに言われ、残されたユージオは慣れたアステリア邸の書斎へと向かった。
二人分の飲み物と菓子を用意して書斎にやってきたフローレインは、椅子に掛けるなり開口一番、先ほどの本題を口に出した。
「先生に言われて……私、聖宮? ってところに行こうかなって思ってる」
今日聞かされたばかりにしては、ずいぶんとフローレインの様子は落ち着いたものだった。
ユージオは忌々しい気持ちで飲みさしの茶器を置いた。そんなに早く結論を出すなどと、余計な話を吹き込まれたとしか思えない。そう疑っていた。
「何を言われた」
「そんな怖い顔しなくて大丈夫だって。脅されたりしてないし」
フローレインは苦笑しながらひらひらと手を振る。だが、ユージオはどうしても司祭の口から出たフローレインの言葉が気がかりだった。
ユージオのような礼拝堂に住む孤児たちが、より不自由なく生活できるようになるなら。そう司祭は口にしていたが、それが本当ならフローレインの意思などではない。
「保護できなかった子供がどうとか、そういうのはレインが気にするようなことじゃない。ただの向こうの都合だ」
「あっ違う違う、ユージオ誤解してるよ! 私、べつにそんな、誰かのためとか立派なこと考えて聖宮に行くことにしたんじゃなくて!」
ユージオや、見も知らない子供のことを盾に、礼拝堂はフローレインに早々の決断を迫ったのでは。カラスの雛すら見殺しにできないような女の子の良心に付け込んで、本意でない答えを無理強いしたのでは。
そう思っていたユージオに気付いたか、フローレインは慌てたように首を横に振った。が、その笑顔はすぐに自信なさげに微かに曇る。
「……いや、どうなんだろう。一応、自分で決めたつもりなんだけど。なんか色々話は聞いたから、どうしても切り離せないとこはあるかもだけどさ」
正直なフローレインの言葉に、ユージオは少しばかりほっと胸を撫で下ろす思いだった。彼女が自身の本心を押し殺し、強制されているわけではなさそうだ。それを知って、怒りも少し収まっていく。
フローレインの瞳は、どこか遠い場所を見ていた。金色と水色。不思議と左右で違った色は、どこか憂いを帯びているようにも見える。それはどうも、選択を迫られたせいとは少し違っているようにも見えた。
「私さ、ただ魔力がすごいってだけで、特別に努力したとか他に特技があるとかじゃないじゃん。魔法取ったら本当に、普通に普通。何も優秀じゃない」
魔法を抜けば、ただの非力な少女だ。だが、フローレインの考えはそれと少し違っているらしい。
そうと知りながらもユージオは冷静に反論する。
「充分すごいことだ。卑屈になる理由がない。立派な才能だろう」
ユージオの慰めのような言葉に、フローレインはどこか沈んだ面持ちで首を横に振った。
「ううん。私は本当に、みんながすごいって言ってくれる魔法なんて、全然努力や勉強をしたわけじゃない。何となくでやってるだけ。それを才能だって今ユージオ言ってくれたけど、才能だけなんだと思う」
「何が悪いんだ」
「悪いとは思ってないけど」
諦観混じりのその表情に、ユージオは初めて彼女の引け目を感じ取った。
持って生まれた天賦の才。それだけで周囲に一目置かれる。それはフローレインにとって、周囲を欺いているようで後ろめたかったのではないだろうか。
フローレイン本人に言わせれば、努力もしていない。勉強をしたわけでもない。それなのに、地道に努力や勉強をしてきた人たちを優に凌ぐ、優れた魔法の使い手であり続けることになった。何も悪いことではない。けれど、フローレインにとってそれは、ズルをしているような気持ちだったのではないか。
そんな想像は、あながち間違いではなかったのだろう。フローレインは憂鬱顔で苦く笑う。
「カイトとユージオは、才能もあったのかも知れないけど、ちゃんと努力……努力っていうか、当たり前みたいで気付きにくいけど、ちゃんと自分の才能を磨いてる。才能と努力、両方持ってて、何でもできて、周りに認められてる。私は、魔法は才能だけ。勉強は努力だけ。どっちも周りに認められるほどすごくなれない」
「レインはわかってない」
そうかも知れない、と同意するフローレインの表情は、やはりどこか納得し切れていない。
「でも私からはそう見えてて、二人のことすごいなっていつも思った。それと一緒に必ず、私にはできないとも思ってた。卑屈じゃなくて、事実としてさ」
「どうしてそう、レインが俺たちを特別視する?」
「昔から、憧れてたからかな。二人のこと」
初耳だ。思いがけないフローレインの言葉に、ユージオは目を丸くして言葉を詰まらせる。
いつも同じ場所にいて、肩を並べていると思っていた。それは、少しは守らなければならないと、過保護にはしていたかも知れない。それでも皆、同じ年齢として遜色なく育ったはずだ。だが、フローレイン当人にとって、自分たちは同等ではなく、上の存在として見ていたという。
「だから私、カイトの役目を奪って、それが自分に務まるなんて、どうしても思えない。カイトを押し退けてまで相応しいなんてこと絶対にない。だから、どうしてもそうしたいなんて言えなくて」
「?」
ユージオはフローレインの脈絡のない話に、首を傾げる。クランカイトを押し退けて。一体何の話か聞いたこともないし、一つだけある可能性には思い至ったものの、どうしてフローレインがそんなことを考えるのかというと、理由がわからない。だから、ユージオはそれを思い違いとして切り捨てた。
フローレインの話は淡々と続く。
「聖宮は、私っていうか、私の魔力が必要な場所って聞いた。この魔力を活かせる場所だって」
そう司祭に言われたのだろう。ユージオは否定しなかった。間違ってはいない。ただ――それほど単純な話ではないだけで。
「家族と離れることになる。二度と会えないかも知れない」
「うん。それも聞いた。けど私は結局この家に残れないから、いつかどこかに行かなくちゃいけない。だからって、誰かと結婚するとかも全然、想像できないんだ」
「この年なら普通のことだ」
「うん。でも私にはもう、少し早いけど決めなきゃいけない時期が来ちゃったんだって、そういう巡り合わせだったんだって思うことにした。だから聖宮の話を聞いて、私はこの先どうしようかなって、改めて考えたんだ」
「…………」
運命。あるいは、司祭の言葉を借りるなら神の思し召し。そういうものだとフローレインは考えることにしたのだろう。彼女がそういうものに縋った考えをするなど、今まで知らなかった一面だった。
「私じゃなくちゃいけない場所なんて、そうあるものじゃないから。私は私なりに、私の持ってる才能が必要な場所に行くべきじゃないかって」
司祭の言葉は本当だったようだ。フローレインは自分の意思で聖宮に行くことを決めた。そう言っていた通り、フローレインは司祭の話をきっかけに、自分で自分の将来に対して真摯に考えたのだろう。
――けれど、そこに無理が見えるような気がするのは、きっと気のせいではない。
「私に来て欲しいって言ってくれる場所があるなら、行くべきじゃないかって思った。学校もさ、卒業した後でいいって先生言ってくれたし。そりゃ、そうすれば皆にいいことがあるっていうのも、全然考えなかったわけじゃないけど。でも……自分で決めたつもり」
「それでいいのか。自分の将来のこと、諦めるのか」
「諦めとかじゃないよ。私は、私じゃないといけない場所を断るほど、特別に夢があるわけでもない。結婚したい人がいるわけでもない。だから、今しなくちゃいけない選択肢の中で、一番いいと思って選んだつもり」
と、困ったような笑顔に顔を崩して、フローレインは力ない声でぽつりと続けた。
「でもちょっと自信ないのも本当だから……ユージオが応援してくれるなら、心強いんだけどな」
虚勢の崩れたフローレインの本心が垣間見え、ユージオは小さく息を吐いた。
一番不安なのは、周りではなくフローレイン本人だ。それをこの上、不安を煽るようなことばかり言って苦しめる必要はどこにもない。
思えば昔から、こうと決めたら譲らなかった。ユージオを貶める級友に対し、友達は自分で選ぶと啖呵を切るような少女だった。ネヴィンの時も同じく、クランカイトとユージオが止めても聞かなかった。
変なところで強情で、人を楽しませるのが好きな、明るい気性。周囲に熱を振り撒きながら燦然と輝く炎のようだ。フローレインは自身を普通だと言うが、ユージオにとってはその絶えない笑顔が心の支えだった。
きっと今回も、決めたことと譲ることはしないのだろう。そう思ったユージオはやむなく折れた。
「……わかった。レインが自分で考えて決めたっていうんなら、反対はしない」
諦観混じりに苦く笑うと、フローレインは少しばかりほっとしたように強張った表情を緩めた。口元を綻ばせて「ありがとう」と言う彼女に、ユージオはしかし、すぐに笑みを消した。
「でも忘れないでくれ」
「?」
その明るさが曇るようなことがあるのなら、きっとユージオはフローレイン自身の決めたことであっても、許せないと思うだろう。
「俺はレインの味方だから。……苦しくて、どうしても逃げたいと思ったら、きっと力になる」
「ユージオ」
「死にたいくらい辛いことなんて、絶対に我慢しなくていい。出世だってしなくていい。レインが元気でいることだけが、俺にとっては何より価値のあることだ」
きっとたくさん辛いことがある場所だ。家族も味方もいない場所に一人放り込まれて、傷つくことの方が多いだろう。自由も、楽しいこともない。
そんな場所で孤独に苦しんで、死を望むほど追い詰められて、それでも踏み止まらなければならないほど価値のある場所などない。――逃げてきたとしても、笑って生きていてくれれば、ただそれだけでいい。
フローレインは泣き出しそうにくしゃりと顔を歪める。それでも笑って、震える声でぽつりと呟いた。
「……ありがとう。本当に、私……それだけ心配してくれるひとがいて、幸せ者だ」
「気付くのが遅い」
割って入った声に、ユージオとフローレインは顔を上げる。
書斎に入ってきたクランカイトが立っていた。湯浴みを済ませてきたのか、濡れた髪を拭いながら、片眉を上げて怪訝そうにユージオを見る。
「聞いたんだな。礼拝堂ってのは意外と口が軽いのか?」
「……偶々、立ち聞きして」
視線を逸らすユージオを胡乱げな目つきで眺めた後、クランカイトはどかりと椅子に掛けた。脚を組んで嘆息混じりに話を続ける。
「聞いての通りだ。聖宮なんぞに行くってよ。大した物好きだ」
「好きで行くのとはちょっと違うんだけど!」
「じゃあ止めちまえ」
「止めないってば! ユージオ、カイトこんなこと言うんだよー、すっごい感じ悪いー」
臆面もなく言い放つクランカイトに、ユージオは苦い顔をする。
本当ならユージオも自分の思うに従ってそう言ってやりたいところだが、実際に止められるかというと無理だろう。クランカイトは単に無理難題を突き付けて怒らせて、フローレインの気を紛らわせているのかも知れない。
そう思うと僅かながら笑みが零れた。この二人はこんな時でも普段通りだ。
と、クランカイトは緑色の瞳でちらとユージオを見る。
「ま、俺もユージオと同じだ」
「何?」
「逃げたきゃ、連れて逃げてやる。いつでも。聖宮の中から、国の外まででもな」
どうやら先ほどのやり取りを聞いていたようだ。
なあ、と尋ねてくるクランカイトに、ユージオもまた頷く。王のものである聖宮の巫女。それを連れ去るということは、反逆罪に相当する罪になる可能性も考えられる。アステリア家が取り潰される可能性も。それでもフローレインの命と秤にかけて、迷わず二人はフローレインを選ぶだろう。
フローレインはぱっと明るい顔をした。
「それって、海の外?」
「海を越えなきゃ、国の外に出られねえだろ」
「えー海の外なんて、見たこともないなあ。それはそれで楽しそうで心揺れるなー。なんて」
フローレインは冗談めかして上機嫌に笑う。その纏う空気は、普段の陽気なそれに戻っていた。
ゆるりと瞑目する。続く言葉には溢れるほどの感謝が込められていた。
「ありがとう。私もう……その言葉だけですごく心強いよ」
だってカイトたち、ほんとにやれそうだし、と。
可笑しそうに付け足されたフローレインの言葉に、ユージオとクランカイトは冗談の欠片すら含まない瞳を見交わした。
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