魔法使いの青少年 16

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 風呂から上がったのか、寝巻姿で部屋に入ってきたフローレインが、怪訝そうに扉の方を振り返る。

「なんかユージオがすごい勢いで飛び出してきて、客間借りるって言ってたんだけど、なに? カイトなんか意地悪でも言った?」

 怪訝な顔で問われるが、クランカイトも納得がいかないという顔をした。

「言ってない。何でもかんでもすぐ俺が悪いと思うのは偏見ってもんだぞ」

 フローレインはますます訝しそうに「日頃の行いだと思う」と言いながら、抱えていた桶を机に置いた。てっきり風呂桶かと思ったのだが、中からは机に置いた拍子に氷の音が鳴る。
 クランカイトは窓際から離れてフローレインの方へと向かう。机に置かれた桶の中身を気にしながら尋ねた。

「何持ってきたんだ」
「でっへへー。せっかくユージオもいるしと思って、貰って来た」

 フローレインは上機嫌で、桶の中から一本の瓶を取り出した。

「じゃん。ブドウ酒!」

 中には赤い液体が、明かりに透けて見えている。

「いいのか。母さんに断ったのか?」
「うん。宮に入ったら、どうせ好きに飲めなくなるから。今のうちにってお願いしたら、出してくれたよ。チーズとかも」

 ブリード教の戒律で、十五にならなければ酒場に入ることも許されないし、飲酒についても同じだ。家でこっそり飲む分には、単に良心の問題で咎めもないだろうが、十五にならないクランカイトたちはまだ口にしたことがない。ユージオも同様で、まして礼拝堂ではこの先も、特別な祭祀以外で口にすることもないだろう。
 フローレインは上機嫌で脚付きグラスを三つ並べた。クランカイトは桶に入っていたブドウ酒の瓶を持ち上げる。赤と白がそれぞれ一本ずつ。白い瓶の栓を外してみると、甘い香りがする。

「甘いな。貴腐果酒、か?」
「よくわかるね。そうらしいよ。赤い方は……早飲み? 渋くないやつ出してくれたって言ってたけど」

 こういう匂いがするのだなと思いながら、クランカイトは瓶の栓を戻した。桶の氷水に再び浸し、グラスの一つを手に取る。

「後でユージオ呼んで来てくれ。俺が行ったら出て来ないかもしれないし」
「何でまた。やっぱり意地悪言ったんだ」
「だから言ってない。……言わせただけだ。ほとんど無理やりな」

 言いながら、赤い瓶の中身をグラスに注ぎ入れ、物珍しい思いで掲げて眺める。
 明かりに透かせば、重々しい暗色が、澄んだ紅色に変わる。当たり前だが、こんなにまじまじと見るのは初めてだ。クランカイトは何とはなしにグラスをかざして見上げていた。
 目を丸くしたフローレインが、恐る恐るというようにその横顔を見る。

「……ま、まさかおめでとう案件だったりする?」

 ほとんど半分ほど疑いながらの問い掛けに、クランカイトはだらしなく椅子に座って、一瞥もくれないまま答える。

「お前が色々考えている時に色ボケかましてる兄貴がめでたいってんなら、そうかもな」
「!! やっぱりそうなんだ!? えっ本当に、ユージオ、カイトのこと好きだって言った!? 間違いない!?」
「……何だ、その反応」
「祝い酒! 乾杯だ!」

 うきうきと上機嫌でグラスを手に取ると、霜がついて硝子が曇るほど、器を魔法でキンと冷やす。
 舞い上がるついでに軽々しく振るった魔法に、フローレインは一瞬『やってしまった』という顔をしたが、すぐに笑顔でごまかした。

「……いやさ。私が宮に行くまでには何とかならないかなー、って思ったりしたから。そしたら急でびっくりしたけど」

 人の心配とは余裕だな、という嫌味の一つも返そうかとも考えたが、クランカイトは口を噤んだ。まるで身辺整理か何かのようだと思って笑えもしない。――フローレインの気がかりを残すのも、それはそれで思うところではなかったが。

「カイトと付き合わない理由、解消した?」

 フローレインは明朗に尋ねてくる。クランカイトは視線だけでフローレインを振り返った。
 解消したかというと、実際問題、解消してはいないのだが――かといっていつまでもこのままでは埒が明かないのは確かだった。

「そんなもん、どうにでもする」
「カイトが言うと本当にやりそうなのがね。すごいっていうか、笑えるっていうか」

 フローレインは上機嫌でつまみの用意をしている。桶の上にあったカゴの中に、チーズや塩漬けの豚、さまざまな木の実などが入っているようだ。それらをナイフで切り分けて、楊枝を刺している。
 だが、ふとその手を止めたフローレインは、顔を上げる。

「まさか私が心配してたから? とか」

 冗談めかした問い掛けに、クランカイトはゆるりと目を伏せた。

「自意識過剰って知ってるか。いつまでもそのままってわけにいかないからな。お前も腹くくったんだし、いい加減、引き延ばすのも止めようかと」
「言い方ー。……あ、そうだ。ちょっと待ってて」

 布巾で手を拭うと、フローレインはそう言い残して足早に部屋を出て行った。
 首を傾げていると、間もなく布張りの宝石箱を持ったフローレインが戻ってきて、机に箱を置く。おもむろにごそごそとその中身を漁り出した。

「えーっと、確かこの中に……あった。ねえ金と白銀……カイト金色だし、金にしよ」
「何の話だ」
「ゆーびきーりげーんまん、っと。でーきた」

 上機嫌に歌いながら、手に持ったものに魔法を掛ける。数秒もかからずに終わったかと思えば、駆け寄ってきてフローレインが手を差し出してきた。

「はいカイト手、出して。利き手じゃない方」

 クランカイトは怪訝な顔をしながら左手を出す。すると、フローレインはその指にぐいと何かを押し込んだ。
 フローレインの手が離れると、金色に光るものが指に残る。

「指輪?」

 小指に嵌められたのは、金の指輪だった。クランカイトはしげしげとそれを眺める。
 滑らかな金の指輪は、模様もなければ石もない簡素なものだった。だが、歪みも傷もまったくない。きっかり同じ幅で、縁も均一な厚みで取れている。
 指にぴったりの寸法だったが、フローレインはこんな指輪など持っていただろうか。仮にそうでも、クランカイトの指に合うのはどういうわけか。

「呪いの指輪か」
「馬鹿言わないでよ。誕生日に貰った、金の首飾り! ……だったんだけど、今いじくって指輪にした。こっちはユージオの分だから、つけたげて」

 金の首飾りを魔法で鋳直して、この場で作った指輪のようだ。クランカイトの髪が金色だからと、素材は金を選んだらしい。握らされたもう一つの指輪も、クランカイトと同じく簡素な金の指輪だった。こちらは小さな石が一つ嵌め込まれている。もともと一つだけ石のついた首飾りだったのだろう。

「大事なもんをお前、よくも躊躇なく」
「そう、大事なもので作った指輪なんだから。大事にしてよ」

 誕生日に贈られた首飾りを、平気で潰してしまったフローレインに呆れたが、すかさず返ってきた言葉に面食らう。そう言われては乱暴に扱うこともできない。

「こういうのつけておけば、いい人できたんだなって周りで察してくれるだろうし。これで私も晴れて疑いの目から解放されるし」

 そうフローレインは簡単に言うが、飾り気がないように見えて、精緻な魔法の操作が必要になる。それを一瞬で作り上げるとは、本当に見事なものだ。

「お前、本当に魔法だと器用だよな」
「上手? 錺職人にもなれそう?」

 冗談めかしたフローレインの言葉に、クランカイトは目を細めた。

「……なれるな」

 そんな未来をフローレインが選べないことをわかっていても、クランカイトは本心からそう答えてみせる。フローレインはその賞賛を聞くと満足そうに笑った。

「これで私に約束して。私の大事な幼馴染なんだから、大事にするって」
「言われるまでもなく、ずっとそうだろ。で、こっちの一つは?」
「『私の体の弱い兄さんをお願いしていく』ね」
「言っとく」

 要らない心配をと笑いながら、クランカイトは指先で金の指輪を弾く。真上に上がったそれは、くるくると回りながら過たずクランカイトの手のひらの中に落ちて、すっぽりと収まった。

 クランカイトはそれきり口を噤んで、グラスの中に入っていた赤いブドウ酒を口に含む。
 美しい色から想像したような、噎せるほど濃い味はない。口の中でブドウの香りが広がる。それと同時に、つんとしたアルコールの匂いが鼻腔を擽った。不思議な味だ。

「……甘くない」

 果汁の飲み物に慣れた舌には、ブドウ酒の甘みのなさが不思議に感じるほどだ。フローレインは冷やしたグラスの温度を確かめながら尋ねてくる。

「そうなの? 美味しい?」
「口に入れた香りがいい……のが美味しいといえば、そうか」
「何それ。っていうか、まだ乾杯してないのに飲まないでよー」

 文句を言いながら、つまみの用意を済ませたフローレインは、ユージオを呼びに部屋を出て行った。
 フローレインが確かめていたグラスは、常温に馴染んで冷え過ぎず、ほどよく冷たい適温になっていた。立ち上がったクランカイトは、その器にそれぞれ赤いブドウ酒を注いでいく。片方はほんの一口だけにした。フローレインには白いブドウ酒の方がいいだろうが、かといってまったく飲まないというのも面白くないだろう。乾杯するのに一口だけあればいい。

 フローレインに引っ張って来られたユージオは、渋々という顔をしている。クランカイトはそれを笑いながら、それぞれグラスを手渡した。基本的に礼拝堂の中で酒を戒められているユージオは、ブドウ酒を見てわずかに困惑した様子だったが、好奇心が勝ったようだ。思いのほか大人しくグラスを取った。

 フローレインとユージオと三人、椅子に座って顔を見合わせる。

「何に乾杯する? 両想い記念?」
「死んでも嫌だ」
「じゃあ、レインの幸福を祈って」

 クランカイトの言葉に、フローレインは目を丸くする。

「私?」
「そうだな。……それがいい」

 ユージオも同意しながらゆるりと笑う。気恥ずかしそうなフローレインも、しかしこの時は突っぱねることもなかった。

「この先、ブドウ酒飲むたびに思い出しそう」

 そうくすくすと冗談めかしながら、フローレインはグラスを掲げた。クランカイトとユージオもそれに倣う。打ち合わせたグラスは、キンと冷たく音を響かせた。

「「「乾杯」」」

 干した酒杯は、眩暈がしそうに濃密なアルコールの匂いがした。
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