魔法使いの青少年 19
© 2019 sasori_bi 軍人の隊列の尾が見えなくなって、ようやく集まっていた人が散り始めた頃、ユージオはおもむろに言った。
「行くか」
「? 帰るのか?」
尋ねられて、ユージオは首を横に振る。
「あんたも来い」
クランカイトを伴って、家の裏手の人目につかない場所に来ると、周囲を窺って無人であることを確認する。中等学校を卒業したとはいえ、学生の身分で勝手に魔法を使うことはやはり後ろめたい。
そう思いながら魔法陣を開いた。
「……何をする気だ?」
「黙ってろ」
冷たく言い捨てると、ブツブツと小声で手順を確認する。真剣そのものの様子を見て、クランカイトは口を挟むべきでないと判断したか、口を閉ざした。
ユージオは神経を尖らせ、呪詛のように小声でひたすら手順を呟きながら慎重に魔法陣を展開する。
「……同時に構築して展開する、空間の隔絶から接続へ変転、安定させ陣を収束、座標を固定して――」
やはり魔法はいまいち自信がない。緊張で身体が強張っているのが自分でもわかる。
頭の中で緻密に陣を組み上げながら、身の丈より大きく展開した魔法陣を変換していく。丸い陣の中、水のように波打っていた表面は、ゆっくりと収まって鏡のようにユージオたちの姿を映し出した。
――ひとまず成功のようだ。
後ろからクランカイトが覗き込んできた。
「これ、転移魔法か」
空間を歪ませた陣の中は、別の場所に続いている。
クランカイトが覚えているかどうかは怪しいが、誘拐事件の中でガレシア軍が使っているのを見たことがある。実際、王都まで戻るのに転移の魔法を通ってきたのだが、日常の中ではほとんど目にすることのない魔法だ。興味があったので、クランカイトが手合わせに夢中になっている一方で、フローレインの護衛に来ていた軍人たちにそれとなく聞いて回っていた。
「軍人の中には使えるのがいるっていうから。護衛で来てた軍人、手当たり次第に聞いてたら、本当にいた」
教えを請えば、暇だったのか意外と快く応じてくれた。習得するまで少し時間は掛かったし、始めは空間が繋がらなかったり、どうにか繋がっても突飛な場所に飛ばされたりと散々だったが、おかげで使い物になる程度にはなった。
「だが、断崖に続いていない保証はない」
「うわ、通りたくねえ」
抜けた瞬間、崖の端から真っ逆さまという可能性もなくはない。想定した座標に続いているはずだが、絶対とは言い切れない。
「だから、先に頭から突っ込んで、足場があることを確認してから――」
駄目なら頭を引っ込めればいい。
そう言い掛けたユージオは、途中で羽音に遮られて言葉を切った。肩にずしりと慣れた重みが圧し掛かってくる。
「ネヴィン」
屋根に止まっていたネヴィンが降りてきて、ユージオの肩に止まったのだ。呼び掛けるとガアと一声だみ声で鳴いて返事をする。自分の名前であるとの認識はあるようだ。
てっきりフローレインを追い掛けていくのではと思っていたが、彼女には飽きるほど別れを告げられていたせいか、意外に大人しく屋敷に残っていたようだ。
だが、急に降りてきたのは一体どういうわけか。そう思いながら、ユージオはネヴィンの頭を指先で撫でる。
「腹でも減ったのか?」
「でもこいつ、レインが発つ前に、なんか食わせて貰ってたような――」
バサ、と音を立てて羽を広げたネヴィンが飛び立った。
重々しく何度か羽ばたきをしたかと思えば、そのまま上空ではなく前へ向かって飛んで行って、吸い込まれるように転移の魔法陣の中に姿を消してしまう。
ユージオとクランカイトは呆然と陣を眺めた。
「……行っちまったぞ」
「お……追い掛ける、か」
いくら方向感覚に優れたカラスといえど、突然どこともわからない場所に放り出されてしまっては、自慢の感覚が役に立つかわからない。
クランカイトが恐る恐る陣の中に入っていく。それを見ても自分の目で確かめないと気が済まず、ユージオは一度頭を突っ込んで向こうの足場を確認してから、恐る恐る足を踏み入れた。
一歩の距離で陣を抜けると、開けた景色の場所に出る。先に着いたクランカイトが、眼下の景色に不思議そうな声を上げた。
「どこだ、ここ?」
「森神の祠のそば。……で間違いない」
ユージオは陣を解くと、後ろの木陰に隠れ建つ小さな祠を一瞥する。森神というのか正しいか、またはこの森そのものというべきか。それを祀る祠だ。森一帯を見通せる、切り立つ崖の上に建っている。目的の場所にきちんと繋がったようだ。
「祠って、崖の上の祠か」
「見ろ。馬車が見える」
森の中を貫く道の方向を、ユージオは指さした。木々に遮られて見づらいが、指の先ほど小さい荷台と、その周りを囲む人の群れが見える。
「いいのか。泣かなくて」
「レインと同じだ。何を言っていいかわかんねえ。それに、……悪い。今生の別れって言うものが、正直よくわかってない」
「いい。当たり前だ」
謝られる必要もない。死に別れるわけでもないのに、二度と会えないということに実感が持てない。その気持ちは実のところユージオも同じだった。
ただ、遠巻きに馬車が走るのを何とはなしに眺めた。少しは現実味を帯びるものかと思ったが、やはりわからない。無言でぼんやりと車を目で追うだけになる。
木の上にはネヴィンが留まったまま、同じく馬車の方向をじっと見ていた。ユージオはふとネヴィンを見上げて呟く。
「わかるのか。レインが乗ってるの」
「一丁前に見送りのつもりなのかもな」
「どうだかな。カラスの考えることは、よくわからない」
確かに、とクランカイトは笑み混じりに呟いて、そのまま上空を見上げた。
重く雲のかかる、鉛色の空だった。クランカイトは翠色の瞳でじっと空を見ている。
「それにしても、こんなに天気が悪いのは珍しい」
「言われてみれば。……森の中にいる時は、天気のいいことが多かったな。風も……木が遮るからか、そう強くなくて。こんなに風が強いのは、崖だからか?」
「実際、強いかもな。せっかくの門出にこれじゃ、無念だろう」
「まあ、まだ雨が降っていないだけマシだと思うが……」
つられるように空を見上げていたユージオは、先に視線を落としたクランカイトの「いや」という言葉を聞いて、クランカイトの横顔を見た。
クランカイトは怪訝な顔をしていた。馬車がいた方を指さして、じっとそちらに視線を注ぐ。
「降ってる。あそこだけ不自然に」
「?」
どういう意味かとユージオも目を凝らす。曇っているせいかどことなく薄暗くて、視界が不明瞭だ。木も邪魔ではっきりとは見えない。
しかし、しばらくその方向を凝視して、木々の隙間からちらりと小さな人影を見つけたユージオは、信じられない思いで目を剥いた。
「――レイン!?」
なぜか馬車から飛び出したフローレインが、走って森の中を引き返していた。
馬車や軍人たちは追って来ていない。局地的な激しい雨がここからでもわかる。あれに視界を遮られて、身動きが取れないのだろうか。
だが、フローレインがなぜ逃げているのかがわからない。クランカイトが勢いよくユージオを振り返る。
「転移は。できないか?」
「む、無理。動揺で心が穏やかじゃないから絶対失敗する」
「ああでも、ちんたら歩いて降りるのもまどろっこしいな」
そう呟くなり、クランカイトはいきなりユージオの身体に腕を回し、肩に担いだ。
そう軽いものではないはずなのに、荷物か何かのようにあっけなく担がれて、ユージオは声もなく固まってしまう。がっしりと回された腕は力強く、暴れても振り解けそうにないほどだった。同じ年でこうも差がつくものかと、ほとほと落胆するほどだ。
だがそのために、クランカイトの「行くぞ」という言葉に嫌な予期を抱いたのは、遅く。
「待っ――」
静止する間もなく、クランカイトはユージオを担いだまま勢いよく断崖の端から踏み切った。もちろん、遥か下方に木々が生えているだけで、足場もなければ、落下傘もつけていない。言うまでもないが、命綱も同様だ。
全身を襲う、ふわりとした浮遊感。重力の枷から解かれる絶望的な恐怖。恐ろしさに声も出ない、というのを、身を持ってユージオは思い知った。声もなく硬直し、力いっぱいクランカイトにしがみ付いていた。風を受けながら落ちている。あっという間に眼前には一面の木々が迫り来る。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
――叩き付けられる覚悟など、したくもない。
目を瞑って身を竦めるユージオの耳に、クランカイトの憎らしいほど冷静な声が届いた。
「……『万象に従い“最善なる天則の神”が神意を令す。転輪し、具現しろ』」
落下の先に魔法陣が展開する。と同時に、下から吹き上げてくるような激しい風が身体に当たり、落下の勢いががくんと弱まる。
吹き上げる風に支えられながら、クランカイトはふわりと地面に降り立った。しがみ付いていたユージオも、ずるずると崩れ落ちるようにして地面にへたり込む。せめて前もって一言欲しかった。何の心構えもなく崖から飛び降りる羽目になった人間の気持ちを少しは汲んで欲しい。
クランカイトは涼しい顔でユージオを見下ろした。
「もういいぞ。立っても」
「無理。腰、抜けた……」
「この状況じゃなきゃ、いくらでも座って貰ってて構わねえんだが……」
フローレインと合流しなければならない。そうはわかっていても、身体は言うことがきかない。震えるほど強ばって力んでいるのに、必要な部位にはてんで力が入らなかった。力の入り方がおかしい。声を出すので精一杯だ。
だが、クランカイトが狙って降りた落下地点は、ちょうどフローレインの進行方向に重なっていたようだ。
道の先には、今まさに駆けてくるフローレインの姿が見えた。
ユージオは驚きながら彼女の方へと呼び掛ける。
「レイン!」
「カイト、ユージオ!?」
フローレインの方にしてみれば、ここに二人がいることはまったくの想定外だろう。
息を切らして全速力で走ってくると、目の前で立ち止まって、もう限界というように地面にへたり込んだ。そして、信じられないものを見るような目で二人を交互に見遣る。
「ど、どうしてここに……ど、ドッペル?」
状況に似つかわしくない間の抜けた反応に、クランカイトは眉をひそめた。
「違う。お前こそ馬車を飛び出して、何をしてるんだ」
「ちょうどよかった、私二人にどうしても聞きたいことが……」
「馬鹿かお前、それどころじゃないだろう!」
「だって今じゃないと聞けない!!」
クランカイトの叱責に怯むことなく、フローレインは撥ね返すように声を張り上げた。
口を噤むことになったのは、今度はクランカイトの方だった。
代わりに、へたり込んだままのユージオが尋ねる。
「どうした。何があったんだ」
「二人は、私が巫女になるって決めた日に、言ったよね。私が嫌だったら、連れて逃げてくれるって。海の外までだって行ってくれるって」
フローレインの問い掛けに、ユージオは「ああ」と間を置かずに頷いた。
本当だ。クランカイトの言葉だが、ユージオの本心でもあった。フローレインが聖宮の巫女になると決めた日、ユージオはクランカイトと共に冗談めかしてそんな会話をしたことがあった。フローレインが聖宮で生きられないと決めたなら、何をしてでも連れ戻すと。
だが、それが今になってどうしたのかと思っていると、フローレインはユージオに詰め寄ってくる。
「それ、本当? 今も同じこと言ってくれる!?」
フローレインは必死だった。
家を出立する直前の様子とはまるっきり違う。憔悴に駆られた常にない形相に、ユージオはクランカイトと目を見合わせた。
走ってきた名残で息を切らしながら、やはりフローレインは焦りに突き動かされてでもいるように声を荒げる。
「私、わかんない。もしかしたら聖宮が意外と性に合って、家のこと忘れたりするのかも。でも――やっぱりどうしても戻りたくなるのかも。諦めがつかないかも知れない。聖宮で死にたくないって、後悔するかも知れない」
どんな心境の変化があったのかはわからない。しかし、土壇場で微かに残った迷いが差し迫り、確かめずにいられなくなったのかも知れない。
「ごめん今さらこんなこと、でもこれだけ聞かせて欲しい」
肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。金色と水色の瞳は真剣だった。
「私が家に戻りたいって言ったら、カイトそうしてくれる? ユージオ、呆れないでくれる? 私のこと――家に戻らせてくれる? 本気でそう思って、言ってくれる?」
ユージオはその瞳をじっと見返して、すぐさま迷いのない口調で言い切った。
「約束する」
そう答えた瞬間の、フローレインの憑き物が落ちたような表情に、ユージオも微かに安堵した。
こんな約束一つで気が晴れるというのなら、願ってもない。そう思いながら、駄目押しとばかりに強く言葉を重ねた。
「絶対に、お前が助けろって言うなら、家に連れ戻してやる。助力がいるならいくらでも貸してやる。どんな手を使っても聖宮から解放してやる」
ユージオは同意を求めるようにクランカイトを見上げた。フローレインを見下ろしていたクランカイトは、やがてふっと含みのある笑みを浮かべて、皮肉交じりに言い遣る。
「――呪いの指輪にでも誓ってやるよ」
今もユージオの右の手と、クランカイトの左の手の小指で光る、揃いの金色の指輪。フローレインが誕生日の贈り物に貰った大切なものだ。誓いを立てるのに不足もないだろう。
フローレインもクランカイトと同じく、皮肉げに片頬を持ち上げた。二人の口から聞いた答えに満足した様子だった。
「その言葉、忘れないから」
聞きたかったのはその言葉なのだと、フローレインは強かに笑った。
息切れが収まったのか、フローレインはすっくと立ち上がる。
服の泥を叩いて落としながら、気が済んだとばかりに「もう戻る」と言い放った。その顔は完全に悪さをした人間のそれだった。
「軍人さんたちにひどいことしてきた……なんか、こう、すごく……ぐあーっと衝動が来て、黙っていられなくて。……と、飛び出してきたし、魔法で足止めしてきたから、本気で謝らないと」
さすがにこのままフローレインを一人で返すわけにはいかない。
ようやく動揺が収まったユージオも、のろのろと立ち上がって服の汚れを払い落とした。
「送ってく」
幸い、フローレインはそれを拒絶することはなかった。ユージオの申し出を頷いて受け入れると、走ってきた道を再び引き返す。馬鹿なことをしたものだ。
道中、ようやくフローレインの魔法の妨害を振り切ってきた軍人たちに出くわした。始めはフローレインが逃亡を企てたとして神経を尖らせていた彼らも、遭遇直後のフローレインの平身低頭の土下座に先手を打たれて、最終的に大目に見てくれた。というよりむしろ、家族と引き離される娘の最後の要望ぐらい、それほど邪険にしないと叱られていた。
「ご兄弟とお話しされたかったのであれば、きちんと説明して頂ければ我々も同行いたしましたので。お願いですから、逃亡と取られかねない行動は慎んで頂きたい。今度は、素振りでも見せたら魔封じの戒めをつけますよ」
「本当に……申し開きのしようもなく……心の底からゴメンナサイ」
「もうよろしいですか、フローレイン様。参りますからね」
「ハイ……もうしません。神様に誓います、ゴメンナサイ」
しなびきった謝罪を繰り返すフローレインは、いつもの陽気さもどこへやら、罪悪感で今にも死にそうな顔をしていた。へこへこと力なく何度も頭を下げ、ひとしきり謝ってやっと馬に乗せられる。
騎乗して去る間際、フローレインは身体を捩り、離れた場所に立つユージオとクランカイトに大きく手を振った。
「今度こそ、行ってきます。最後に二人に会えて、本当によかった」
いつの間にか頭上は雲が切れて、すっかり青空が見えていた。© 2019 sasori_bi
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