大人になる日 3
© 2019 sasori_bi いつも通りのクランカイトの態度に、ユージオはこれ見よがしの溜め息を吐いた。
この男に対して人並みに動揺したり、困惑している自分が馬鹿だった。どうせ自分がどう思ったって、この男は自分が思うようにするだけだ。巧妙に、相手の感情も視野に入れながら、計算高く。
椅子の背もたれに肘を預けて突っ伏していると、クランカイトはフローレインがいた椅子にちゃっかり座った。
「レイン、なんて?」
「無理してないかって。あんたのこと」
「してるのか?」
面白くない顔で、クランカイトはずけずけと問い掛けてくる。
面と向かってよくも聞けるものだ。一瞬だけ『してる』と答えたものかと思ったが、言ったところでどうせ嘘だ。ふてくされたような顔でユージオは言う。
「してない。……無理するような何かを、あんたは俺に何もしてないだろ。今日だって……晩餐に招かれただけだ」
ついでに、卒業後の後見の話もできた。結局断り切れず、面倒を見て貰うことに決めたが、卒業後まで礼拝堂に世話を掛けさせる必要がなくなって内心ではほっとした。ユージオの面倒を見るぶんで、他に見るべき子供がいくらでもいるのだ。その方がずっと望ましい。
「あんたがわざとそうしてるように、俺は無理なことなんかないんだ」
ユージオの望むように、今までと同じ接し方、今までと同じ距離感を崩さないまま、クランカイトはそばにいる。ユージオに無理なことなど一つもない。クランカイトがそれをしないからだ。
腕を上げればすぐ触れられる距離。あってないようなものだ。けれど口付けをして以来、指一本触れられることはない。彼があえてそうしているのだろう。これまでと同じように。
クランカイトは目を細める。
「知ってんなら、もう少しお前は俺に優しくしてもいいんじゃねえか」
「こわいんだ……」
酔いのせいだろうか。
口から零れた気弱な本心に、クランカイトが意外そうにゆるりと瞬きをした。
「好きだと……言うだけで。これまでと同じなら、楽だ。けど、違うだろう。あんたは――その、したいことがある」
「まあそうだな」
口に出すのもはばかられるようなことだ。そんな行為をクランカイトはユージオに求めていて、ユージオが好きだと伝えることは、それを受け入れることと同義だ。
そこまでの腹積もりができていないなどという逃げは、認めて貰うことができない。――いや、できていないなど、嘘だ。お綺麗ぶって拒絶して知らない振りをしても、ユージオの気持ちはクランカイトと並べてもきっと遜色がない。
「俺は――嫌ではないんだろう。たぶんもう、そうしないと駄目なんだ。だって本当は……」
服に手を掛けられた時、まるで今までせき止めていた堰が切れたと思った。想いだったり、欲だったり、色んなしがらみも道義も忘れて溺れる。歯止めがきかなくなる。罪悪感も遠ざかりそうになる。そう思った。思って――まずいことになったのだと感じた。
自分がそんな深い情を持っているなどと、思っていなかった。何もかも投げ出して彼の想いに応えたいなどと、そんな許されてはいけないことを思った。
それを口に出したくなかった。ユージオはゆるりと視線を背けて、また顔を上げる。
「でも思い切りがつかない。今までと――違うことがこわい。変化が。後戻りできないのが。取り返しがつかないことが――あんたと一緒にいた年月の重みだけ、今の関係が変わるのがおそろしい」
「馬鹿かお前は」
「うるさい。……本当に、どうしようもない」
自分がどれほど愚かなのか、言われなくてもわかっている。額を押さえて俯き、ユージオは嘆く。
ずっと一緒にいた大切な友人も、くれた言葉の輝きも。彼の家族からの信頼も。何もかもをすべて一度に失ってしまいそうで恐ろしい。そんなことはないと思いたいのに、未知に対する恐怖はどうしてもなくならない。
「特別に見目が優れてるわけでもないし、性格もこんなだし、全然だ。まかり間違って俺が女だったとしても、あんたの隣には全然ふさわしくない」
「まだ言うか」
「それがさらに男だ。極め付けだ。最悪だ。そんなのがこの先もあんたと一緒にだって? 無理に決まってる。誰が認めても俺が認められない、あんたの隣には将来、きっと完璧な女がいるんだろうと思ってきたんだから」
「おい、俺を振りてえのか?」
「なのに」
ユージオは茜色の瞳を細めた。
それなのに、いくらでも言い訳を重ねられる自分が、口先だけでもクランカイトを嫌いだと言えないのだから、本当に参ってしまう。嘘でも、嫌いだから応えられないと言えない。どころか、愛していると言ってしまった。紛れもなく本心で。どれだけ言い訳でごまかしても口を衝いて出てきてしまうほどの想いは、本当にままならない。
「どうしても離れられないんだから、どうしようもない――……」
声音は悲痛なものになる。ほとんど投げ出すような諦めに満ちていた。
「俺といてくれるって話か?」
クランカイトが穏やかに尋ねてくる。ユージオは首を横に振った。この先もずっと、どんな思いをしてでもクランカイトと一緒にいるなどと、そんな約束は嘘でもできない。
「……俺があんたを」
それでも欲しいと思うほどに。
「好きだって話だ」
愛しているのは本当で――
クランカイトは怪訝な顔をする。ユージオの意図が理解できないと言いたげだ。ユージオ自身、自分でも無茶なことを言っているとはわかっている。それでも彼の大事なものを壊すような未来を絶対だと約束したくない。
「だからどうというわけでもない。将来の選択肢を狭めるつもりもな。ただ――俺があんたを好きだというそれだけの話で、何の意味もないものだ」
「わけがわからねえ」
ユージオは言葉を変える。
「……将来のことは、わからない。けど」
嘆息混じりに、放り出すかのように。どこか投げやりに言い遣った。
「今をあんたにやるだけなら、大それたことじゃないとは……少し思えるようになった」
簡単なのに、考え過ぎて難しい気がしていた。
将来どうなるかわからなくても。今、クランカイトのことを好きで、触れたいと願って、彼も同じように思ってくれている。それを押し殺す必要はないと思えた。
ようやくユージオの意図が伝わったところで、クランカイトの反応はやはり、どこか納得がいかないようでもあったが。
「わかりにくいな」
「うるさい。……察しろ」
今のところはこれが譲歩できる最大値だ。どうあってもこれ以上は微塵も動かないし、動かす気もない。
ユージオの頑固さにか、クランカイトは嘆息した。それでもなぜか、それ以上クランカイトが駄目押しすることはなく、意外に思うほどすんなりとユージオの限界を受け止めた。
「……今日のところは、それでいいことにする」
手を伸ばして触れると、微笑みを返してくる。
指先にある頬の体温に、滑らかな肌の感触。陶器の人形のように美しい外見でも、ああやっぱり生きているのだなと、そんな状況にそぐわないことをなぜか思った。
「あ、痛」
照明をほとんど落とした暗い寝室の中で、クランカイトがふと声を上げた。
必死だったユージオはその声に釣られるように、きつく瞑っていた目をそろりと開いた。燭台に灯るろうそくほどの、微かな灯りが一つだけある。目を開くと、クランカイトの顔がほんのりと灯りに照らし出されていた。
「な……なに」
息も絶え絶えにユージオが尋ねると、クランカイトは微かに目を眇めながら、解けて落ちる自分の髪を押さえていた。
「髪。敷いてる」
何事かと思ったが、クランカイトに指摘され、一拍遅れて理解した。
解いたクランカイトの長い髪が滑り落ちて、寝具の上やユージオの身体の上に広がっている。それがいつの間にか、ユージオの腕が髪を下敷きにしていた。動いた拍子に引っ張られたのだろう。
「あ、ごめ……」
「待て。結ぶからちょっといったん、抜く」
「えっ嘘、無理……動くな」
「動くなって……無茶言う」
そう苦笑交じりに小さく呟いて、クランカイトが腰を引いた。身体の中に収まっていたものが、ずるりと引き摺られ、抜けていく。ユージオはその感触に息を呑んだ。
――潤滑油を零されて、滴るほどに濡らされた場所は、指で散々開かれた。
快楽はあまりわからない。後ろに触れられる前の、昂ぶったものに触れられたほどの快はない。指で広げられて綻んでも、麻痺したようにじんと痺れて、感覚も薄かった。まるで神経が通っていないのではと思った。そんな場所でも、受け入れて繋がってみれば、身体の中に自分じゃない熱や鼓動があるのはわかって、それが不思議と充足感を生んだ。――それが抜けていくと、不思議とそこにはぽっかりとうろができたような気がして。
膨らんだ先端が、わずかに引っ掛かりながら抜け出た。潤滑油が湿った音を立てる。耳を塞ぐか、どうにかしてクランカイトの耳を聞こえなくしたいと思うほどに恥ずかしい。自分の耳が燃えるように熱く感じる。
「邪魔だな」
上体を起こしたクランカイトは、鬱陶しげに息を吐いて、問題の長い髪を掻き上げた。
細く艶やかな金の髪。眩い光を集めたような輝きだ。指先で弾かれて揺れ、肩に掛かって柔らかくたわむ。その流れるような隆線までが、目が吸い寄せられるような美しさだ。
クランカイトが俯くと、組み敷かれたユージオにその髪が流れ落ちてきて、たまらない気持ちだった。だが、意図せず引っ張って、痛い思いをさせたいわけではない。
ユージオは身体を起こして、自分の髪を結っていた紐を手に取った。クランカイトが解いてしまって、ユージオの髪は解けている。代わりにクランカイトの髪に指を梳き入れると、落ちて来ないようにその結い紐で括ってやった。
クランカイトはおもむろにぽつりと呟いた。
「……いい加減切る」
ユージオは、少し遅れてその意味に気付くと、訝しく眉をひそめた。
「は……?」
「管理の手間に見合わねえんだよ。レインがやたら惜しがるから、長いままにしてたけど、限界だ」
眉根を寄せるクランカイトは、心底うんざりというように見えた。どうも口先だけではないようで、ユージオは慌てた。
昔から見てきた長い髪は、それだけで愛着がある。加えて特別艶やかで美しく、瞳の色によく映えて、眺めるのがかなり好きだった。それをこんな理由で切られてはたまらない。
「じ、じゃあ、切ったらレインが何か言うんじゃ」
「お前ここで女の名前出すか? いい度胸だな」
「先に言ったのはあんただろうが! 馬鹿か……ッ」
と、冗談に反論したところで、クランカイトがふと思いついたというように尋ねてきた。
「何、お前も惜しかったりするのか」
図星を突かれて、かなり動揺した。真意を悟られまいとすると、本意からかけ離れた言葉が口から飛び出してくる。
「ば、馬鹿なこと。魔法道具になるのにと思うだけだ」
ああ、なぜここで素直に惜しいと言えないのか――と自分の性格を心底恨めしく思ったし、思い出して何度も思ったりすることになるのだが、クランカイトは本気だったようだ。
古来の魔法の中には、発動させるのに魔力でなく人の身体を代償にするものがある。当時、髪はそのために伸ばしたらしく、今もその名残で男女問わず伸ばしている者は多い。だが、それも魔法の発展によって薄れた風習だ。
「古い魔法で、そんなのもあったか。今はほぼ使ってない化石だ」
「でも……切るのはちょっと……今までの手間が無駄になるっていうか」
「これからの手間の方がだいぶ惜しい。絡むし解れるし、面倒なもんだぞ」
「それは……」
だが、まだ反論しようとしたユージオの口を、クランカイトが手で塞いだ。
ずいと詰め寄られ、覗き込んでくる翠玉の瞳と目が合って、ユージオはぱちりと瞬きする。瞳の奥に揺らめくのは、小さな照明の橙色だけではなく、微かな欲情も含んでいた。
「そういうのはとりあえず、後で頼みてえんだけど。――いいか」
肩に手を乗せられ、そのまま重さを掛けて再び寝具に沈められる。
いいかと尋ねておいて有無を言わせぬその行動に、ユージオも驚きながらも、やはり拒否の言葉は出なかった。
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