或る軍人の追憶 2
© 2019 sasori_bi 船影が見えた。直ぐな水平線を乱すその影に、一斉に船は帆を張り出す。母船『ヘイムダル』もまた例外でなく、錨を引き上げ、複数の帆を次々に落としていく。
「敵影を確認、包囲に向けて進行する。隊列を崩さず前進」
「交戦の準備、及び魔法による敵船への攻撃を。全船、前進」
母船からの通達を受け、少年は小船の帆を強く張った。風向きは向かい風だが、些事だ。母船の号令で風の向きが反転する。母船の乗組員が陣を展開し、風向きを調整していた。
「な、なに……?」
「さっさとその持ってるものどうにかして、綱を掴め。魔法が使えるなら備えとけ」
戸惑う少女へ早口に言って、船の隊列を確かめながら帆の綱を引く。他の子供たちはそれぞれ、まるで命綱かのように帆船に巡る綱に縋り付いた。
浅緑の瞳が水平線の向こうを睨む。直ぐに引かれた海と空の境界、そこをわずかに乱しながら現れる、黒い船の群れを。
「向こうの船を攻撃する」
少女は涙を拭いながら、少年の腕を掴んだ。
「攻撃、って……まだ何もしていないじゃない! どうしてそんなことしなくちゃいけないの!?」
「これから俺たちを殺そうとするからだよ」
例え勝とうが負けようが、あるいはガレシアに敵船が上陸しようがしまいが、少年たちに関係のないことだった。だが、この陸地から遠く離れた海の上から逃げる手段などなければ、捕まって捕虜にされて、今より悪い状況になるかも知れないという最悪の可能性が、少年を嫌が応にもこの場所で戦わせた。
それ以上の説明を求めようとする少女の手を振り払い、少年は皮肉げに切り捨てた。
「それとも、神さまとやらが助けてくれると思ってるなら、いますぐ船から飛び降りて、生きて陸に着けるか試してくれてもいいぜ」
現れてはすぐに消えていくだけの子供に、懇切丁寧にものを説明している余裕などがあるはずもない。泣き崩れる少女に慰めの言葉も掛けず、少年は『ヘイムダル』を見上げた。
火砲の準備に慌ただしく乗組員が行き交っている。だが、彼らはこちらを守る気などは元よりなく、火砲の巻き添えになってもやむを得ないという遣りようだ。
追い風を受けて、船は敵船にどんどん近付いていく。
先手を打ったのはガレシア軍だった。
白く光る火砲の魔法陣が広がる。
次の拍子にはその中央から、爆発音と共に鉛の玉が撃ち出される。船に積まれていたものはただの鉛弾だが、魔法による爆発力を伴って撃ち出されたそれは、鋼の船の装甲を抉る破壊力を持っている。
戦闘開始の合図に代えられたその一発は、敵船の船体を掠めることなく、着水して大きな水しぶきを上げた。
「来るぞ……ッ」
頭上にある『ヘイムダル』の船上から声がした。続いて敵船と『ヘイムダル』の火砲が次々と轟音を上げる。
豪雨のように降り注ぐ鉛玉が、次々と海面に叩き付けられ、立て続けに大きな水柱を上げた。
「きゃああ……ッ!!」
船が大きく揺れ、戸惑う少女が悲鳴を上げながらようやく綱にしがみ付いた。
すでに何艘かが悲鳴と共に沈んだだろう。少年の乗る船もわずかに喫水が下がっている。鉛玉が掠ったか、あるいは波を被って水の重みでわずかに沈んだか。だが、少年はそれらに気を取られている暇もなく砲弾は降り注ぐ。船体に括りつけられた綱にしがみ付きながら、魔法で鉛玉の直撃をどうにか免れることに必死だった。
嵐のような砲撃戦が下火になると、今度はまた船がそれぞれ動き始めた。その動きを確かめて少年は舵を切った。
「接近戦になる。魔法で兵を狙え」
「狙う……狙うって、なに? そんな……きゃあ!」
船体が再び揺れた。少年は眉をひそめて魔法陣を展開する。風を起こし、帆を操って、『ヘイムダル』に近付こうとする船へと向かった。
船体に穴をあけるにも、固い鋼を貫くのに、未熟な魔法では歯が立たない。木船であればある程度通用するだろうが、同じように向こうも魔法ですぐに塞いでしまう。それを思い知っている今、船を狙うのは最終手段だった。
少年は乗った船に溜まった海水を凍らせる。つららのように幾つも鋭い氷の塊を作り出すと、船上の人影目がけて一斉に打ち出した。
遠目に数発掠ったのが見えたが、どれほど致命傷に至ったかはわからない。
魔力にも限界があり、射出する氷塊の数にも限りがある。まったくの無から水を生み出すよりかは、もともとあるものを使った方が魔力の減りが少ない。例えば――味方の船の残骸であった、海に浮かんだ木片などがそうだ。それらを魔法で浮かして、敵兵に向けて放つ。単純だがもっとも効率のいい方法だった。
――それに、と少年は敵方の反撃の魔法陣を砕きながら思う。
不思議なことにときおり、魔法で作り出したものや、魔法そのものが敵兵に届かず掻き消されることがあるようだった。
どういう原理かわからない。魔法陣を事前に砕かれるのとも違う。ただ、そういう魔法があるのだろうとは思っていた。そしてそれはどうも、もともとある物質――例えば鉛の砲弾だったり、この海水だったり、船の木片だったりといったものを防ぐことはないようだ。それ以外の条件はよくわかっていないし、興味もなかった。
敵兵を倒せる手段がわかっているなら、細かい理屈はどうでもいいと思っていた。
遠くから矢が風に乗って飛んでくる。向こうも魔法を駆使しながら攻撃を仕掛けてくるのが常套で、物資の不足が顕著なこちら側では、防ぐにも魔法を使わざるを得ないのが現状だった。そのことにも魔力の消費が著しい。
船上では魔法の応酬が続く。母船に乗り込もうと動く小型の敵船を制しながら、船の上の兵士たちを攻撃する。この間、同じ船の上で味方が死んでいることも珍しくなかったし、時にはその味方を弾除けに使うことすらあった。
数を減らし、戦力と補修、双方に割ける人手がなくなった頃に、ようやく止めとばかりに敵船体へ火を放つか、無数に穴を空ける。そうなればあとは沈むか、撤退するばかりだ。そこまで済めば、また別の船へ。
ところどころ、海が濁った色をしている。船の残骸と死体が一面に浮いた、見慣れた景色だった。
少年は降り注ぐ矢を撥ね付けるために、激しい風を起こす。ついでに向こうが帆を煽られて、舵を切り損ねてくれれば上々だ。
だが、その頃にはもう、魔力が明らかに尽きかけているのが自分でもわかった。逸れた矢はかろうじて海に落ちていくが、逸らしきれなかった分が幾つか船底に突き刺さる。辛うじて子供には当たらなかったようだが、そろそろ魔法が使えない。
他の子供たちもそれは同様で、魔力の消耗が激しい。息切れが激しく、立てずにへたり込んでいる者も少なくない。敵船を確認すれば、ある程度撤退の兆候は見られたが、それまでのあともう少しを耐え凌ぐ余力があるかというと、厳しいだろう。
少年は周囲に視線を巡らせた。使い物になりそうな戦力はもうない。母船もたかが船一艘に救援を出してくれるはずはなく、他の帆船も自分たちと同じ状態だろう。
こうなればもう、できることはない。死なないように守りに入ることが現状、取り得る最善策だ。
そう思って帆を動かそうとすると、急に船が揺れた。
何かがぶつかった。そう思う頃には遅く、燃え盛る船体をぶつけてきた敵船から、兵が乗り込んできた。混乱の内に近付いてきたようだ。誰も気が付かなかったのか、それとも、気が付いても対応する余力がなかったのか。どちらでも同じことだったが。
「このガキども……ッ!」
大陸の人間の顔立ちだった。味方を多く殺され、船もほとんど沈みかけた窮状で、捨て身の攻撃に出たのだろう。
乗り込んできたその兵士は、怒り心頭の様子だった。腰の剣を抜くと、真っ先に近くにいた子供を切り捨てる。赤く血が噴き出し、船から投げ出されるように落ちて、それきり浮かんでこなかった。
他の子供たちは悲鳴を上げ、怯えながら船の端に寄る。重心がずれて船が傾いていた。それを感じながら、少年は青褪めた顔で船底に刺さった矢を一本引き抜いた。
「気の毒なガキだと思って憐れんでたら、とんだ海兵の犬どもじゃねえか! ふざけやがって……次はどいつだ、ああ?」
男が一歩、前に出る。子供たちがいっそう縺れるように船の端に寄り、船の重心がさらにずれる。
少年は姿勢を低く、足に力を込めた。
「ひ……っ」
男の一番近くに、まだ来たばかりの例の少女の姿があった。恐怖で竦んで動けなかったのだろう。ガタガタと歯の根も合わないほどに震えながら、その場から一歩も動けず固まっている。
少女と目が合って、男は吐き捨てるように呟いた。ゆらりと男の剣を持つ手が持ち上げられる。
「てめえだな」
男の目がギラリと殺気で昏く光る。
少女が縊られたような悲鳴を上げた。これまでの死の恐怖をさらに上回る恐怖に、半ば呆然としているようだった。
その隙に。
「……っあああああ!」
少女に気を取られた男の懐目がけ、踏み出した少年は手にした矢を突き立てた。
どん、という衝撃を受けて、男が驚いたように目を瞠り、硬直している。
少年は確実に心臓を狙い、それでも足らないというように矢柄を捻り、さらに深く矢を押し込めていく。恐怖は昂揚感に支配されて麻痺していた。男の胸に深く食い込ませた矢じりが、その身体を貫いて背から覗くほど、無我夢中で矢を押し込んだ。よろめく男の返り血が頭から浴びてなお、冷静さを取り戻すことはなく。
矢を押し込みながら数歩前に出て、そのまま海へと男の身体を押し出す。急所を抉られて間もなく息絶えたか、男の身体は思いがけず容易に、吸い込まれるように海へと倒れ込んでいった。
小さな水柱を見下ろしながら、乱暴に血を拭った少年は、未だ硬直したままの少女に視線を巡らせた。
――そういえばまだ残っていたなと、男が現れたことで思い出したように。
「……おいグズ」
涙と恐怖で歪んだ顔は、赤く染まった少年の姿にすら引き攣っていた。半ば意識を失い掛けている。そんな少女の胸倉を乱暴に掴んで、少年は半ば強制的に意識を引き戻した。
「魔力、寄越せ。どうせ使わないんだろ」
「ひっ……」
言われた少女は、内容を理解していないようだ。だが、落ち着くまで待ってやる義理も、そんな余裕もない。
少女の額に自分の頭を思い切りぶつけ、ほとんど恐喝のように声を荒げた。
「早く、死にたくないならやれ……!!」
ほとんど魔法も使えないまま、ただ船の隅にしがみ付いて震えていた少女だ。凡庸な魔力の量だとしても、今この状況で残っているのであれば使わない手はない。
焦りに急かされて苛立ちながら、少年は血まみれの手で少女の腕を掴む。
魔力の移譲など行ったことがないのだろう。脅されて怯える少女から、何の加減もなく一気に魔力が流し込まれてくる。波のような模様が掴んだ腕からどっと自分の身体に流れてくるのが“見えた”。
少年のものと形質が違っているためだろうか。無意識に身体が拒絶するのか、ひどいめまいと不快が押し寄せてくる。だが、船酔いに酷似した吐き気に襲われながらも、少年に膝を突く暇はない。間に合わせの魔力でもないよりましだ。少なくとも撤退までの時間稼ぎはできそうだった。
燃え盛る敵船から距離を取り、その船を浮かせた。
空中で圧力を掛けてばらばらに壊し、燃え盛る木片へとその姿を変える。矢も砲もない船で、火矢の代わりになるものだった。
「――放て」
少年は大きく腕を振り、燃え盛る木片を敵船へ雨のように降らせる。
幾らかは防がれたが、魔力が尽きかけているのは相手側も同じだ。火のついた船の残骸が勢いよく降り注ぎ、何艘かの小船が沈むのが見えた。
――撤退に向けた一押しにはなっただろうか。
敵船がじりじりと船首を翻していく様子を目にして、少年はようやくほっと息を吐いた。
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