或る軍人の追憶 8

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 ひと月の間、退屈な時間を持て余し、屋敷の中を歩き回った。屋敷の中は絶えず、使用人や庭師が忙しなく働いている。サクラの姿を見咎め、ときおり声を掛けてくる人間もいた。顔を合わせる誰しもが、サクラを傷付けようとはしなかった。
 時折、駐屯の軍人たちも屋敷に顔を見せることがあった。それはどうも魔法兵であるサクラの身元について話し合うためも兼ねていたようで、軍人に会うと『ヘイムダル』の乗組員だった知り合いについて尋ねられることもあった。だが、何人か顔のわかる海軍もいたが、その名前を覚えていないので、返事は決まって『知らない』の一言に尽きた。
 中には生き残りが珍しかったようで、興味を持たれることもあった。
 ある日には、通りがかりに廊下ですれ違った軍人が、サクラに声を掛けてきた。

「お前、どうするつもりなんだ?」

 何が、と心の中で冷ややかに返すが、口を開かなかった。陸軍の男はサクラの外見を珍しそうに眺めて問いを重ねる。

「魔法兵に戻る気があるなら、配属を少し考えてやれる。ロードレッド候にも口添えされているわけだしな。ただまあ、あまり長く引き伸ばされては、俺たちも話を進めるに進められない立場だ。早いところ決めて貰えば助かるんだが」
「……ロードレッド候?」

 その名前に引っ掛かって、その先の話があまり頭に入ってこなかった。
 問い返せば、軍人は意外そうな顔をして、サクラと目線を合わせるために屈む。

「イージアス様だよ」
「はあ」
「ロードレッド領駐屯のガレシア軍の指揮権は、あの方にあるからな。俺らは頭が上がらない」

 と、どこか呆れた風に肩を竦めて、その軍人はふと明後日の方を見た。

「……まあ、前ロードレッド候とは比べものにならない高潔な御仁に対して、頭を下げたくないとはとても思わないが」

 サクラは怪訝な顔をした。それではどうやら、彼もまたイージアスに対してある程度の敬意を払っていると取れるような発言だった。
 使用人たちや庭師と同じく、軍人もまたイージアスに一目置いている。あの、まだずいぶん年若い貴族に。その座について二年しか経たない一介の権力者に。

「人一人で何がそう変わる」
「俺たちも始めはそう思ったさ」

 男はにかっと歯を見せて笑うと、ひらひら手を振って歩き出した。

「まあ、辛い目に遭って返事を急かすのも酷というもんだ。またそのうちな。魔法兵の少年」

 そう言って陽気に歩き出す軍人の後ろ姿が、どこか懐かしく感じた。
 その理由は、考えるまでもなく自覚していた。魔法兵として船に乗っていた間、サクラに話し掛けてきた『ヘイムダル』の乗組員。その男たちを思わせたからだろう。軍人というのは似たような環境で生活するため、もともとの性質もあるだろうが、特有の似通った雰囲気を持っている。
 だが、その場に残されたサクラは怪訝な顔で一人、ぽつりと呟いた。

「……何なんだ」

 一体どんな意図があって話し掛けてきたのか、よくわからないままだった。使用人たちと同じく、やはりサクラを傷付けることはなく、険悪な態度で接してくることもない。ただ――言われた言葉には僅かにサクラの表情が曇った。

 魔法兵。またあそこへ戻るべきなのだろうか。
 ガレシアという国の慣れない生活の中で、イージアスから提示された選択肢はまだ想像が付かないという部分はあるが、魔法兵だけはかつて通ってきた道だ。選べと彼は言ったが、ガレシアの国民になるということも、礼拝堂で孤児たちと暮らすということも想像がつかない中で、魔法兵の生活だけははっきりと想像がつく。
 そうして、天を貫くような光を思い出し、一人微かに身震いしていると。

「何がだ」

 イージアスがやってきて、サクラの独り言に怪訝な顔をした。どうやら聞こえていたらしい。
 さきほどの軍人と話し合いでもしていたのだろうか。となると、話が終わって出てきたようだ。
 サクラはイージアスの顔をじっと見上げ、ぽつりと尋ねる。

「俺は魔法兵に戻った方がいいのか」
「……さっきの軍人にそう言われたのか?」
「いや」

 サクラはゆるりと目を伏せ、思案げに続ける。

「あんたはその方がいいのかと思って」

 恩義や感謝を持っているわけではなかった。死ぬべきところを救われたというほどではない。ただサクラが死ななかっただけで、イージアスはそれを見つけただけだ。始めはなぜ生かしたのかと恨みもあったのは事実だが、そんなものはサクラの勘違いで、単純にそれだけのことだったのだ。
 だから、イージアスの望むようにしようと思って言ったわけではない。どうすべきかわからないから、彼の判断を仰ぐべきかと思っただけだ。それが仮に魔法兵への復帰であったとしても、そうあれというなら従う。それだけだ。もとより自分が望む道などない。
 だが、イージアスは少し考えた後、蒼色の瞳でサクラを見下ろした。

「……来い。少し茶でも飲むか」
「茶?」

 なぜ急に――と尋ねるより早く、イージアスに手を引かれて、彼が来た方向へと引き返す。
 サクラは困惑しながら、引かれる手を振り払った。引率されなくても自分で歩くぐらいできる。どうもこの国の人間の言動は突拍子もなくて、理解できないところが多々ある。

「ガレシアには慣れたか」
「よく……わからない。この屋敷の中は見飽きるほど見たけどな」
「ああ、そういえば外には連れて行かなかったか。悪かった」
「……別に」
「明日は外に行くか。礼拝堂にも」

 サクラはイージアスを見上げ、何とはなしに尋ねる。

「礼拝堂に行けばいいのか」
「そういう意味じゃない」

 礼拝堂に行くというから、てっきりもうそこで生活しろという意味かと思った。そんなサクラの誤解に気付き、イージアスは呆れたような声音を返してくる。むっとしながら反論した。

「何だよ。もとはといえばあんたが、好きにしろとか適当なことを言うから」
「そういえばお前、魔法兵の前はどこに」
「いつの間にか隊商で働いてた。どこの国の人間かも、知らねえよ。ずっとそうだったんだから」
「……そうか」
「は、同情か? お優しいな、貴族ってのは。俺が知ってる貴族はもっと腐った奴ばかりだったけど」

 露悪的に笑うが、イージアスは反論しなかった。ただ静かにサクラを見下ろして、何かに納得したように目を背ける。

 立ち止まり、ある部屋の扉を開けて、中へサクラを通した。

 先ほどまで軍人たちと話をしていた部屋なのだろう。来客用の茶や菓子が残っている。イージアスはサクラへ椅子を勧めると、使った茶碗を片付けて、新しく茶を淹れ直した。
 取り分けた菓子を差し出される。サクラは遠慮なくそれに手を伸ばした。だが、それでも不満は口を衝く。

「遊んでろとか、ふざけてるだろう、あんた。目的があって俺を拾ったんじゃねえのかよ」
「目的な」
「まさか善意だなんて言う気はないよな。瀕死の子供が可哀想だったから拾ったなんて。冗談にしたってもっとマシなのにしてくれ。可笑しくもない」

 イージアスは自分の分の茶を一口飲むと、ゆるりと一度瞬きした。
 サクラに向き直り、静かな声を綴る。

「――もう、初めから何も増やさなければいいと思って」

 サクラが首を傾げる。イージアスは気に留めた素振りもなく、淡々と言葉を続けた。

「貴族が嫌いか」
「……知るかよ。でも、いい貴族なんて見たことない」
「なら、いい貴族になればいい」
「何を」
「養子を取ろうと思って。そう思っていた矢先、そこにお前がいたから、拾った。巡り合わせだな。だからそうだな……なぜお前を拾ったか、その理由を明確にしろというのなら、ちょうどよかったから、だ」

 養子、とサクラがおうむ返しに呟く。イージアスはにべもなく頷いた。幸か不幸か、そこには冗談の欠片も見つけられなかった。

「お前、この家をやろうか。この屋敷も、領地も、ウィンデル家の家名も『ロードレッド候』の爵位も、財産も地位も何もかも」

 絶句するサクラに、イージアスはどこか厭世的な笑みを浮かべた。

「誰に恨まれても、誰に慕われても、俺は俺の思うようにする。どんなことでも――それが例え、両親を屋敷から追い出すような手段でも」
「……あんた、もしかして」

 以前にふと抱いた疑問を思い出して、まさかと思った。

 お喋りな使用人が言っていた。隠遁生活をしている先代がいると。横領の噂が立って、務めを果たすことができなくなったと。あの時にサクラは、噂ごときでと思った。どこでもあるような噂話で、そこまで失墜することがあるのだろうかと。
 けれど――噂だけではなかったのだ。

「使用人が少ないと、思わなかったか」
「……少し、思った」
「父の代に――大勢辞めた。いや、身体を壊して、仕事ができなくなって、逃げていった。俺は軍学校にいて、家を離れていて。いや、そんなのは言い訳にならない。とにかく」

 サクラは菓子を食べる手をそろそろと下ろした。とてもそんな気分ではなかった。イージアスは表情こそ微塵も変えないが、口調はどこか重々しかった。

「ガレシアの色んな場所を見て、里帰りした時――愕然とした。父は務めを果たしてなどいなかった。横領、統治の放棄、使用人たちの扱いも、領民の生活も――とても見過ごせるものではなくて」
「……あんたは」
「俺は、父を」

 イージアスは口を噤んだ。それ以上言葉を続けることはなく、そうしなくても充分に何があったのかは想像が付いた。
 彼は父を追い落として、その座に就いたのだ。

「……肉親で争うのは、さすがにこりごりだ」

 そう苦く笑う彼に、サクラは目を細めた。

「俺は、大勢に憎まれるだろう」
「慕われて……いるだろ。何でかは、知らないが。俺が会った連中は、皆そうだった」
「それと同じように、恨む人間もいる。巻き込まれるのはきっと、俺の身内になるんだろう。でも――俺は手段を変えられない」

 サクラは否定できなかった。彼を慕う人間はたくさんいた。たった二年でよくそこまでと思うほどに。その代償は、それほどの大きな変化の裏には、必ず相応の無理があるのだろう。誰かの恨みがあるのだろう。
 イージアスの深い青の目には映っているのだろうか。誰かの恨みが。

「足を掬われる――可能性の一つさえ、今の俺にとっては遠ざけたいものだ」
「臆病だな」
「……そうだな。そう嗤われてもいい」
「俺なら見殺しにできるって?」
「ひどい物言いをする。だが……そういうことになるのかもな。それに、元魔法兵。自分の身も守れないようなヤワな子供じゃないと買っているが?」
「は」

 肉親と争うのが嫌だから、この先、妻子を持ちたくない。諍いの種の可能性すらも退けたい。誰かの恨みの矛先がそちらに向かうことさえ恐ろしい。それで自分の行動を制限されるわけにはいかない。――だから何の関係もない異国の子供がちょうどいいと。
 包み隠さず正直に明かす彼を、サクラは不思議と軽蔑しなかった。むしろ、縁もゆかりもないから気にしなくていいという割り切りように、ずいぶん気が楽になった。サクラは皮肉げに、だが明らかに機嫌をよくして笑った。

「その代償と言うのもなんだが、俺の持っているものは全部やる」
「俺がいらないって言えば?」
「お前の好きにするといい。貴族が嫌なら、遠縁の誰かが勝手に連れて来られるだけだ。好きに放り出すといい」
「あんたの民も?」

 サクラの問いに、イージアスはやはり眉一つ動かさなかった。

「俺が正気でいる内は、俺が守る。だが、それ以外に何か起これば――誰かが俺と同じことをするだけだ。それが別にお前でなくてもいい」
「自分が守れない時は、誰かがやるって?」
「無責任と責められようとも、例え血を分けた人間であったとしても――それが正しく領民を導くとも、限らないのだから」

 本当のところ、その時のサクラがイージアスの言葉の意味をすべて理解していたわけではない。そのぐらいにはサクラは子供だったし、教養があったわけでもない。イージアスの言葉は難しくて、どこか曖昧だったし、その真意がわかるほど彼のことを知っているわけでもなかったからだ。
 サクラは菓子の乗った皿を再び手に取った。銀の突き匙を、焼き菓子に突き立てながら、改めて尋ねる。

「ここに残って、ガレシアの国民になるってのは、そういうことか」

 イージアスが提示した三つの選択肢のうちの、一つ。回復したばかりのサクラにその話は躊躇われたか、それとも説明を億劫がったか。どちらかはわからないが、ジオは静かに頷いた。

「そうだ。でも、これはただ俺の考えであって、お前の行動を妨げるものじゃない」
「もうちょっとわかりやすい言い方をしてくれ」
「これは俺の身勝手な言い分ってだけだ。お前には関係のない話だから、お前はお前で好きにすればいい。ひと月とは言ったが、まだ時間はある。それでも決まらないなら、もっと時間を延ばしても構わない。自分の意思で選べば――」
「ジオ」

 初めて彼の名を呼ぶと、意外そうな顔をされた。
 サクラはその双眸を見返して、ふと一つだけ自分の中に浮かんだ思いを選んだ。

「好きにとか言われても、全然わかんねえから――一つだけ」

 イージアスが僅かに顎を引いて、サクラの言葉を待つ。サクラは身構えるイージアスのさまをつぶさに観察しながら、何ということもなく言い放った。

「あんたの夜の海みたいな色の髪は好きだ。磨いた蒼玉みたいな目も。もうしばらくは、ここで見ていたい」

 面食らうイージアスの顔を見て、初めて少し面白いと思った。
 目が覚めて、一番初めに目にした色。穏やかな夜の海の色。それを見ていると不思議と心が安らいだ。他のことは何一つどうだっていい。今のサクラにあるのはその思いだけだった。

「今は――それ以外、したいこともない」

 たったそれだけの理由で、サクラはこの場所を選んだのだった。



 その後、サクラは正式にイージアスの養子となる運びとなった。イージアスが頑なに譲らなかったので、礼拝堂や魔法兵の様子も見た上での決断となった。再三のイージアスの意思確認にはさすがに飽きが来たものだが、サクラはやはりそのたび頷いて応じた。
 お前の考えは俺の知ったことじゃないし、俺は俺の好きなようにしたのだと。
 そう言えば、彼は少し安堵したように『わかった』と答えた。

 ――そしてどうやら、国籍を登録するにあたって、色々と手続きがあったらしい。ひと月の後、いくつか手続きのための書類を前に、イージアスは困ったような顔をしていた。

「名前か……」

 ガレシアの国籍を得るに当たり、正式に名前の登録が必要になったらしい。
 思案げに首を捻ったイージアスが、サクラを振り返って尋ねてくる。

「どうする、サクラでいいか。それとも他につけるか」
「サクラじゃまずいのか」
「まずかねえけど……それ、もともと沈んだ船の名前だろうが。縁起悪すぎる」

 げんなりとしたイージアスの呟きに、サクラはふうんと鼻を鳴らした。そんなこと考えもしなかった。イージアスが呼ぶ自分の名前だと思えば、それほど悪い気はしなかった――とは言わなかったが。
 少しの間押し黙り、サクラはけろりと言った。

「じゃあ両方」
「両方って何だ」
「付けてくれよ。両方使う。……あんたがくれるもんなら、何でも欲しい」

 今まで自分の呼び方に固執したことはなかったが、彼がくれる自分だけのものだと思えば、幾らかの興味は抱いた。
 イージアスが眉をひそめながら息を吐く。

「強欲になったもんだな」

 サクラは皮肉げに笑って「付けてくれ」と急かす。立ち上がり、イージアスが向かっていた机を回ると、彼に纏わりついた。イージアスがそれを払い除けることはなかかった。
 彼は少し困ったようにこめかみを掻いて、唸りながら筆を持ち直す。後ろから覗き込むと、イージアスは何やら紙に書き込み始めた。

「そうだな――」



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