聖宮の巫女 3
© 2019 sasori_bi「はあ……」
日が落ちて、自室に戻ったフローレインは、地を這うような低く重い溜め息を吐いた。
拝火が済めば、昼食を挟みながらほとんど一日講義を受けて、また夕方に聖火を拝む。
日程的には学校に通っているのとほとんど変わらない。だが、その内容は大きく違って、ブリード教の祭祀を執り行う側になったことで、それに関連する知識に終始している。事前にかじってはきたつもりだが、それがほんの一角に過ぎなかったことを、フローレインはほとほと思い知ることになった。
だが、それはまだいい。勉強自体はそう敬遠するようなことではない。そんなことより、周囲から受ける冷たい態度が何よりも堪えた。
「家柄が関係ないなんて嘘だったよ……」
寝台に突っ伏して、フローレインは誰にともなく嘆きを口に出す。
建前の上で、聖宮は貴賤のない場所だと聞いてきた。だが、いざ聖宮に入って周りを見てみれば、同年代の少女たちは皆、気取った口調にこぢんまりとした挙措――裕福な家で大事にされて育った貴族令嬢が大半だった。
どうしてそんなことになっているのかはわからない。中には訛りのある地方出身の少女もいるようだが、令嬢にはばかってかフローレインから遠ざかっている。
人の顔もろくに覚えないうちから大祐からは目をつけられ、半月が経とうとしている今もこの場所に馴染めずにいる。毎日何かと理由をつけては叱られ、周囲には陰口を囁かれ、一人浮いた存在として排斥されている。
陰湿な場所だ――と思いながら、毎日ぐったりと疲れ切って自室に戻って来る。誰もいない、一人きりの自室に。
修道服の長い手甲を外し、手首に絡む編み紐を眺める。金色と濃紺。ここに来てから、一人になったフローレインは、暇があればそれをぼうっと眺めていた。
「……私ってけっこう、いやかなり甘やかされてたな」
思い出すのは、気が付けばすぐにどこかへ行ってしまう二人の後ろ姿だった。
思えばここまで人につらく当たられたことはない。
近所の人はアステリア家の令嬢としてそれなりに丁重に扱ってくれていたし、学校ではクランカイトとユージオに守られて、誰も敵意を向けてくることなどなかった。陰口はもしかすると叩かれていたかも知れないが、自分の耳には入ってこなかったし、あからさまに態度に出してくる人もいなかった。
ここでは違う。ここでの自分は、卑しい金貸しの子供で、垢抜けない田舎娘で、毎日失敗して叱られてばかりの劣等生だった。
味方の一人もなく、縋るよすがもない。何とかなるかと意気込んでやってきたはいいものを、日々神経を削られ、どんどん気力は失せていく。身の内に溜まっていく毒を吐き出す先もなく、どんどん身体の内を黒く蝕んでいくような気がする。
修道服から着替える気力すら残っていない。寝台に突っ伏し、ゆるりと目を閉じる。
「失敗したなあ……せめてネヴィンぐらいは近くにいて貰ったらよかったかな……」
宮入りの初日、部屋から閉め出してネヴィンを追い返してみたはいいものを、翌日にはまた窓際に戻ってきていた。部屋に入れずにまた追い返し、また戻って来るネヴィンをやはり閉め出したまま追い返し――という根競べを一週間ほどしていたが、やがて諦めたのかぱったり来なくなった。クランカイトたちのいる家に帰ったのだろう。
だが、ここまで追い詰められてしまうと、せめてもの心の拠り所として求めてしまう自分がいた。
「都合がいいかな、私」
フローレインは自嘲気味に呟く。
自分で追い返して、ネヴィンがついてこなければと思いながら、やはりいて欲しいなどと都合よく縋ってしまう。矛盾している。
――両親はどうしているだろう。カイトは。ユージオは。仲良くしているだろうか。
一人になると、ふと恋しくなる。この場所では便り一つ出せないということを、話の上で知ってはいたが、真実どういうことだかわかっていなかったのかも知れない。使部に話し掛けたのも、せめて手紙一つぐらいは出せないかと思ったからだ。大祐には叱責の理由になるばかりで話にならず、使部に伺ってみれば首を横に振られた。そうしてようやく、連絡が取れないというのがどういう意味か本当に理解した。
自分を大切にしてくれた両親。意地悪だが優しかった兄に、態度こそ素っ気ないが温かかった幼馴染。だが、会いたいとは思えなかった。こんな自分を知られたくなかった。
彼らはこんなことになっていると知ったら、きっと心を痛めるのだろう。憤るのだろう。そう思うと本当にいたたまれなかった。
細い結紐を見詰める。
生家を離れて思い出す。三人で遊んでいた湖畔の木陰。あの場所を離れたことが無性に焦りを生んだ。なぜ私はこんなところにいるのだろうという疑問を抱かせた。
着替える気力もなければ、寝台に入る気力も起こらない。身体は重く、指一本動かすことができない。
それでも自分を叱咤しながら重々しく腕を持ち上げ、修道服に手を掛ける。そして、フローレインは指先に当たった固い感触に、小さく声を上げた。
「――あ」
例の記章だった。
五角形の固い金属。どうしてこんなに身体が重いのかと思っていたが、これのせいだろうか。――いや、違う。わかっている。こんなちっぽけな飾り一つでここまで重くなるはずがない。けれど。
「――――こんな、もの……ッ」
衝動のまま、引き毟るように修道服から外した。こんな力がまだ残っていたのかと自分で驚くほどだった。思いのほかあっけなく外れた記章は、振り上げた手のひらの中。
――こんなもののせいで。
そんな思いで振りかざした勢いのまま、記章を壁に叩き付ける。音を立てて壁に打ち付けられたそれは、勢いのまま撥ね返ってごとりと床に転がった。
フローレインは肩で息をしながらそれを見下ろす。ただの八つ当たりだ。そうわかっているのに、衝動的に湧き上がった怒りの矛先が、他になかった。そして、つまらないものに苛立ちを押し付けても、ただ虚しいだけだった。空虚な気持ちで目を瞑り、ぐったりと寝台に凭れる。八つ当たりをして余計に疲れた。
こんな苛烈な感情が自分の中にあるとは思わなかった。そして、それと同時に思いを馳せる。こんな気持ちになったのは、一体いつぶりだろうか。
――思い出せない。思い出す気力すらも、どこにもない。
フローレインは投げ出すような思いで、どうにか寝具に潜って横になると、服も着替えず深く眠りに落ちた。
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