聖宮の巫女 5
© 2019 sasori_bi「遅い」
ユージオがアステリア家に到着すると、クランカイトの非難じみた第一声に迎えられた。
遅いも何も――と反論しようとしたが、玄関先でクランカイトが頭上を指さす。その先を見上げると、黒い影かと思ったのは鳥――カラスのネヴィンの姿だった。
「ああ。帰ってきたのか」
「……まあ玄関先で何だ。入れ」
「いやネヴィンはわかったけど、何で来た瞬間から『遅い』なんて言われなきゃ――」
クランカイトに鞄をひったくるように奪われた。ユージオはぐちぐちと言いながら、クランカイトについて屋敷の中へと入っていく。
屋敷の中は自分たちの他に人の姿はない。奉公人が屋敷の中のどこかにはいるはずだが、それぞれの持ち場だろう。一声挨拶をと思っていたが、どうやら叶わないようだ。
「シグリさんたちは」
「留守。出迎えできなくてごめんだと」
「そんなの、いいのに」
「で、だ」
クランカイトは廊下の半ばで足を止めた。
どこかの部屋の扉の前だ。クランカイトの部屋から近いが、今まで入ったことのない場所だ。一体何の用があるというのだろう――と首を傾げていると。
悪戯っぽい笑みで、クランカイトが扉に手を掛けた。
「括目しろ」
意味ありげに言うなり、扉を押し開く。
「……あ」
部屋の中を見て、ユージオは小さく声を上げた。
礼拝堂の個室にあった自分の荷物が、真っ先に目に飛び込んだ。他には、礼拝堂で使っていたものよりずっと大きな寝台と、机と、壁一面を埋める桁違いの収蔵可能量の本棚。窓は大きく、差し込む光で部屋全体が明るい。
背中を押されて部屋に足を踏み入れる。そうしてとっくりと周囲を見回し、落ち着かなげにユージオは振り返った。
「まさか……」
クランカイトは子供のように無邪気に笑った。
「お前の部屋。お前の――帰るところ」
ユージオが小さく息を呑んだ。驚き顔のまま、食い入るようにクランカイトを見る。彼は翡翠の瞳を細めて、蕩けるような笑顔を浮かべた。
「正式に晴れて家族って段階じゃねえけど、ひとまず一歩前進か。ここはお前の部屋で、この家がお前の家。とにかく今できる最大限だ」
彼が言った『家族になろう』という約束に一歩近付いた、目に見える証かのように。
「お前に『おかえり』が言える」
彼がいる家が自分の家で、その中には自分に与えられた部屋がある。
信じがたいことだが、不思議と礼拝堂を出る時よりよほど心に迫ってきた。心の奥底から湧き上がってくるような高揚感。ユージオはそんな自分の情動に戸惑い、立ち尽くす。
満足げにクランカイトは笑い、ユージオの前に進み出て本棚を指す。
「こんだけでかい棚だから、お前が暮らしてた家からも荷物持って来られるぞ。あそこじゃ傷んじまうから、その方がいいと思う。手伝いと荷車がいるってんなら今日にでも――」
ユージオの肩に腕を回して、顔を覗き込んでくる。
クランカイトの言葉は途中で途切れた。代わりに、どこか呆気にとられたような問い掛けを寄越された。
「なんつう顔してる」
問われたユージオは我に返る。
呆け切った自分の顔を両手で抑え、クランカイトの腕から逃れるように数歩踏み出した。自分がどんな顔をしているのかわからないほどに、すっかり放心していた。
「びっくり、して……」
「泣くか?」
「泣きはしない」
白けた顔のクランカイトは、そうかと肩を竦めた。
ユージオはただ、と戸惑いがちに視線をさまよわせる。自分がどんな顔をしているかわからない。そんな顔を見られるのも嫌だった。両手で顔を覆い隠し、消え入りそうな声で呟く。
「どう反応していいか……」
高揚感はじわじわと歓喜にすり替わる。いくらだらしない顔をしているだろうと思っても、表情を取り繕うことさえできなかった。せめて見られないようにと隠すのが精一杯のユージオに、クランカイトは嫌がるような真似はしなかった。
部屋の中を歩く足音と、笑みを含んだ声音が耳に届く。
「まあすぐ寮には移るんだが、ここがお前の部屋なのは変わんねえから、荷物置いといて問題ないし。教科書と制服の用意も済んでる。ここな」
「そんなことまで」
「お前、奨学金受けてるだろ。逆にこの辺しか金がかからねえって、父さんがぼやきながら用意してたぞ」
感心半分、してやれることが少なくて落胆半分だったと、クランカイトが呆れながら言う。
そろそろと両手を下ろし、ユージオは複雑な顔をした。
「……レインにもしてやりたかったろうに」
自分ではおよそ代わりになるべくもない。
クラウディアスにはそんな気もないかも知れないが、どうしてもそんな考えは頭をもたげる。フローレインが納得したこととはいえ、大事な娘を手放すのを望んだとはやはり思えない。――今もまだ。
クランカイトからはふと笑みが失せる。翡翠の瞳がすっと細められた。
「そのためにとりあえず……」
「ん」
ふと視線を向けられる。
何を言い出すのかと首を傾げると、クランカイトは親指を立て、部屋の荷物の山を指して見せる。
「荷物片付けて、んで早々に入寮の準備だな」
皮肉げに片頬を持ち上げる。その笑みに迷いはない。――腹立たしいほどに。
「ちんたらしてる暇なんかねえぞ」
ユージオは僅かに面食らい、やがて、釣られるように口元を綻ばせて笑った。
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