聖宮の巫女 6
© 2019 sasori_bi 窓の桟に止まるネヴィンに木の実を置いてやると、上機嫌にツンツンとくちばしで実をつつく。二週間近くも戻って来ないので、もしやそこらで息絶えているのではという懸念と、少しの覚悟もしていたが、いざ帰ってきてみれば変わりなく元気そうだ。聖宮について行ったかどうかということについては――あまり深く考えたくはなかったが。
窓辺に置いた椅子に掛けてそれを眺めながら、ユージオはクランカイトへと、司祭から聞いたアルシーナの話を聞かせた。
もともとはこの地の人間ではなかったこと。自分も共に、礼拝堂に滞在したことがあったこと。そして、礼拝堂に管理されている禁書のこと――それを持ち出したがゆえに、アルシーナは黒魔女と非難されるようになったことも。
「……禁書があることは、初めて聞いた。たぶん秘密にしてるんじゃないかと思う。――最後だから、仕方なく話してくれたんだと思うけど」
ユージオに対して、いくらかの罪悪感もあったのだろう。それに付け込むような形にはなったが、禁書の存在が明らかになったのは思わぬ収穫だった。そして同時に、それに関する疑義は増える。
「禁書の中身は、耳飾りの秘密じゃねえのか」
「たぶんそれもあると思う。国に混沌を齎す災いの種だと先生は言っていたから、カイトが言うように、人間を守るための聖火の加護の正体だと考えて不自然はない。それから、記憶を操作する“竜の月”の魔法――」
クランカイトとフローレインからヴェーダたちの記憶を消した、司祭の魔法。礼拝堂が禁じる魔法。そう司祭は言っていたが、禁じながら自分たちで独占する魔法という意味なのかどうかは、憶測でしかない。
「それだけで済むかというと、わからない。他にも禁止の魔法があるのかも知れないし。そもそもそれが『人の記憶を操作する』に限定する魔法かどうかも疑わしい」
「……かといって、お前の母さんの一件があったなら、そう簡単に禁書を持ち出せるとも思えねえな」
クランカイトの言う通り、アルシーナの時と同じ轍を踏まないよう、現在は厳重に管理されていることだろう。いつかに閲覧禁止の礼拝堂の書庫に侵入しようと思い立ったこともあったが、思い返すと自分の無謀さに呆れる。見つかれば今度こそ記憶を消されかねなかった。
他に禁書の心当たりは――と考えて思いつくのは、その大元に相当する場所だ。
「礼拝堂にあるということは、総本山である聖宮にもあると考えて不思議はない。……そこの聖職者であるなら、禁書の閲覧を認められる可能性もある……」
と、ユージオは途中で言葉を切った。
「……が、レインを当てにはできない」
言い掛けて、フローレインを守ろうとしているのに、そのフローレインを利用しようとした自分に気付いて、嫌気が差した。自分の興味本位でフローレインを巻き込もうなどと、クランカイトに顔向けができない。
だが、クランカイトは微妙な表情をしたのは、どうやら違う理由のようだ。
「あいつなー……そもそも手紙のやり取りもできねえんだよな。母さん、駄目元で送って、やっぱり未開封で戻ってきたって沈んでたし。わかっちゃいたが、そう緩い場所じゃねえわ」
「シグリさんがか」
「心配は心配なんだろうよ。実際行って、どんな場所かさっぱりわからねえしな」
どういう機能を果たす場所なのかという説明は受けているが、それだけで安心できるようなものではない。シグリの気持ちもわからないではなかった。ユージオも――聖宮のことをどれだけ書庫で調べても、不安を募らせる要因にしかならなかった。
その気持ちはクランカイトも同じのはずで。
「当てにはしないまでも、せめて連絡ぐらいはなー……取れたらいいと思わないでもないんだが……あ」
「黒魔女の息子、貴様ァ……!!」
クランカイトの視線を追おうとした矢先、急に別な声が割って入って、話は中断された。誰かと思って視線を向ければ、なぜか息を切らせたアーサーがそこにいた。
わざわざ出向いてやってきたようだ。まさか勝手に入ってくるとは思えないので、奉公人か誰かに通されたのではないだろうか。それにしても、そんなに息巻いてやってくる理由があったかなどとぼんやり考える。
「お前は何で現れるたびいちいち騒がしいんだ?」
と、呆れる顔のクランカイトを見ていたユージオは、やや遅れて、アーサーに呼ばれたのがクランカイトでなく自分であることに気付いた。
「……あっ俺か」
「他に誰がいる!? 何でお前らは人の呼び掛けにいちいち突っ掛かって――さてはお前、わざとだろう! 陰口言ってた俺のことが気に入らないからわざとしらばっくれるんだろう、そうなんだろう!?」
「いやちょっとそれ久々に呼ばれたから、なんかぴんと来なくて。それで俺に何の用だ」
「これだ……!」
大股で部屋に入ってくると、何かを部屋の卓上にどすんと重々しく載せた。
見れば、分厚い本の山ができている。わざわざ持って来てくれたようだが、相当重かったのではないだろうか。それとも金持ちの息子は相応の乗り物に乗って来たか。どちらにしても重いのに変わりはないが。
「この量を二週間で終わらせておけとは、正気か!? さては嫌がらせだろう!! ほぼ一年分の課題じゃないか! これがどうやったら二週間で終わるって言うんだ、正気で言ってるんだとしたら相当の性悪だぞお前……ッ!!」
ユージオはようやく得心がいって「ああ」と声を上げた。
卒業式を終えて、入学までに時間ができた。その暇にとりあえずやっておけとアーサーに指示をしておいたが、静かだったので忘れていた。終わっただろうかと一冊取ってぱらぱら捲ってみたが、着手したらしき形跡は見つけられなかった。
クランカイトが退屈顔で目を眇める。
「と言いつつ二週間近く経ってるってことは、途中まで気付かずに大人しくやってたか」
「そもそも高等学校でこれから習う内容じゃないか……ッ! さっぱり解けやしないじゃないか、ふざけるのも大概にしろ!! 何を考えてこれをやっておけとお前は偉そうに俺に……」
「声がうるさい」
「ちょっと落ち着けとよ」
「落ち着けるものか……!」
詰め寄って大声で食って掛かってくるが、ユージオは涼しい顔で目を背ける。とりあえずやるように指示はしたが、決して無意味なものでも、アーサーが勘ぐるように嫌がらせなどでもない。残念ながら達成は叶わなかったようだが。
「お前の場合、今から予習やっておかないと間に合わないだろう。一年前後期と二年の前期の内容、一年前期で全部終わらせなきゃならないんだから。俺らは中等学校の頃に一通りやって頭に入ってるからいいけど、お前は一から覚えなきゃならな――」
「一年前期で、二年前期まで終わらす!? 何だってそんな大口を」
「いいぞ、悠長に三年高等学校にいても。俺らはさっさと卒業して大学行ってレイン連れ戻しに行くけど」
というクランカイトは、皮肉げな嘲笑混じりに言葉を付け足す。
「それともいいとこの坊ちゃんは単位なしで卒業できる親の素敵な交流関係でもあんのか?」
「大体これ、高等学校の内容と言っても半分ぐらいは中等学校の基礎ができてればその応用ですんなり理解できるはずなんだが。お前ちゃんと勉強してなかっただろう。人のこと性悪だなんだ言ってる暇でやっておけよ馬鹿じゃないのか。逆になんでできないんだよ頭悪すぎて話にならないんだが。よく同じ学校受かったな、裏口か?」
「お前ら嫌いだ……!!」
俺は普通だ、と悲痛な声でアーサーは膝から崩れ落ちる。さんざんにこき下ろしたユージオとクランカイトは、慰めの一つもなく教本の山をしみじみ眺めた。
思いがけないことだったが、彼もまたユージオたちと同じ高等学校に進むらしい。国内有数の名門で、王侯貴族の子息が通うことで有名だ。そのため、男爵家の次男であるアーサーが通うこと自体は、特に不思議はない。が、生半可な成績で入れる学校ではないので、親の威光が多少なりとも反映されているのは否定できないのではないだろうか。
とはいえ、ユージオが確かめた教本の半分は、挑んだらしき形跡が見られた。まったく努力していないわけでもなさそうだ。それを確かめてユージオは嘆息する。
「お荷物は要らないが、やる気がないわけじゃなさそうだからいい。入学の準備だの荷造りだのは周りの人間にさせて、お前は引き続き入学まで頭の中たたき込んでおけ」
「そんなこと――」
「無理なら金に飽かせて家庭教師でも何でも雇え、そのための金は無駄にならない。恵まれているなら惜しむ必要もないだろう。親の権力でも人脈でも持ってるものは何でも使え。使用人がいるのならまして有効に使え。自分に必要なことなら」
自分の力だけですべてどうにかできるとも、人の力を借りるのを恥だとも思わない。使えるものなら使えばいい。それを許される環境にありながら、意地を張るのは見苦しい。そう思う。
きっぱりとした口調で言い遣ると、アーサーが呆然とユージオを凝視する。散々噛み付いてきた彼が急に大人しくなり、ただぽかんと口を開け、目を見開いたまま無言になる。
凝視される側のユージオは居心地悪そうに眉をひそめた。
「なんだよ」
「お、お前は……」
「?」
怪訝な顔でクランカイトを見るが、彼もわからないというように首を横に振った。アーサーの方も居心地悪そうな顔つきでやおら俯く。
「礼拝堂にいただろう。俺みたいな……金持ちの息子が親の力なんかを使うのは、その……甘ったれているように、見えるんじゃ」
「別に……」
今でも充分甘ったれてるだろうが――とはさすがに言わなかった。アーサーに対して思うところがないとは言わないが、この年になってまで過去の陰口を引き摺るのも幼稚な気がするし、努力の跡は確かめたので多少なりとも寛容だった。
それに、自分も人に甘やかされているのだから、一概にアーサーを責められない。
「俺だってカイトに助力を受けてるし……アステリア夫妻にも、こうして世話になってるし。だからそういうのは……俺が非難するのもお門違いというか」
「レインが言ってたことだが」
クランカイトがふと、自分の指に嵌められた金の指輪に視線を落とした。
フローレインが置いて行った指輪。彼女の名前を出しながら、クランカイトが何気なくその指輪を見ているのは、そこに彼女とのつながりを見出すからか。
「『自分にできることは、金持ちだから金に困らず勉強できること』だそうだ」
「そんなことを?」
ユージオとアーサーがクランカイトを見る。彼は一つ頷いて見せた。
「『何かしたいけどできることが思いつかない』から、とりあえずできることがそれなんだと。……よかったな。親の力を借りたところで、レインに軽蔑されるこたなさそうだぞ」
「フローレインが……」
アーサーの青い瞳が翳る。
別れも言えなかったのだ、ずいぶん心残りだろう。そうユージオでさえいささか気の毒に思った。意地を張らずに聞けば教えたものを、勝手にまだだと思い込んで勘違いをしていた彼自身にも責任はあるとはいえ、出立前に一目すら叶わずでは、さぞ後悔したはずだ。
例え一方的な想いに過ぎないとしても、それは、自分たちが彼の想いを軽んじる理由にはならない。
「……家庭教師が見つかるまでは」
ぽつりとアーサーが呟いた。
首を傾げると、俯いていたアーサーが顔を上げ、ユージオにまっすぐ向き直る。ユージオがついたじろぐほどひたむきな双眸だ。
「教えを請いたい。……一人ではどうにも、解が見えない。から……助力を願いたい」
相対するこちらが気恥ずかしくなるほどの実直さと青臭さだ。育ちがいい人間とはこうも擦れていないのだろうか――などといたたまれない思いになりながらも、ユージオは不思議と不快には思わなかった。
「嫌がらせなどと疑ったことは謝罪する。……頼めるだろうか」
ユージオとクランカイトはそれぞれ目を見交わし、応諾の代わりに苦笑交じりの笑みを零した。
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