聖宮の巫女 7

© 2019 sasori_bi
「アステリア大史」

 東の宮に住まう巫女たちの、監督役を務める大祐――ティル・ゼズルカ。ゼズルカ大祐に名を呼ばれた瞬間、フローレインはそのかんばせに緊張を走らせ、きつく唇を引き結んだ。
 講義を終え、聖火の堂に移動しようとしていた最中のことだった。周囲の巫女たちが足を止め、こっそり様子を窺っている。それを感じてフローレインの表情はわずかに沈んだ。

 ――人の叱責される姿が、よほど彼女らには喜ばしいらしい。

 ゼズルカ大祐はどこか苛立たしげな空気を纏っていた。それを察したフローレインは、なるべく彼女の怒りを刺激しないようにと委縮しながら尋ねる。

「わ、わたくしが何かいたしましたか」
「何か? ――ええ、いたしましたね。わかっているはずですが」

 何を、と問い返す気力もなく、フローレインは押し黙った。何を言おうとすべて嫌味で返されるのだ。――どうせ、と投げやりな感情で首を横に振る。

 宮に来てひと月近くが経つ。その間、自分が至らないせいだろうとそれなりに努力をしたつもりだった。だが、他の巫女と同じことをしていても、フローレインに対する叱責が止むことはなかった。むしろ、事あるごとに他の巫女の面前で、些事を取り上げて責められる。叱りを受けない日などないのではというほどだった。
 フローレインの態度すらも癇に障ったか、ゼズルカ大祐は苛立たしげに詰問を重ねる。

「返事の一つもまともにお出来にならないの」
「……存じません」

 フローレインは言葉少なに答える。ゼズルカ大祐は聞えよがしに嘆息し、フローレインを睨み付けてくる。
 周囲の少女たちがこそこそと何かを言い合う声が聞こえる。くすくすという潜み笑いの声も。それらの視線を受けながら、フローレインは俯いてぐっと唇を噛む。

「今朝、昼食の前に私のもとに来るようにと、言付けをしていたはずですが。なぜいらっしゃらなかったの? ――忘れていたのかしら」

 ――聞いていないことだ。

 弾かれたように周囲を見回せば、何事かと注視してくる視線の中で、ふと顔を背けて嘲笑を零す少女たちの姿がある。あれか――というほとんど確証に近い疑念にフローレインが目を眇めるが、眼前に立つゼズルカ大祐の叱責が続く。

「何かおっしゃることは?」
「……畏れながら大祐、わたくしはその言付けを伺っておりません」
「馬鹿なこと。伝言を頼んだ巫女が伝え損じたと? 言いつけを守らなかった挙句、責任転嫁だなんて、卑しいことを。非常識な子ね」
「非常識……?」
「なぜいらっしゃらなかったのか、私に理解できるようにおっしゃってくれる?」

 ゼズルカ大祐は顔を歪めてフローレインを見下ろす。醜い顔立ちというわけではなく、華やかな容貌なのだろう。けれど、その目つきや表情を見てひどく醜いと感じたのは、身の内を蝕む怒りのせいだろうか。
 相手に濡れ衣を着せて非難するその姿勢が、非常識でなくてなんだというのだろう。どの口が言うのだろうか。――本気で自分が、伝言を聞いた上で破ったと信じて言っているのだろうか。
 だが、どうしても怒りより困惑の方が勝り、反論の言葉が出てこない。何をどう答えれば、彼女のフローレインに対する態度が軟化するのかわからない。謝って償えない、許されないほどの過失を自分が犯したのかどうかさえ、本当にわからなかった。

「……なぜ何も言えないの?」
「…………あの」
「あの、ではなくて。理由を伺っているのですよ。それとも私の尋ね方が悪いのかしら。……アステリア大史。自覚がおありか、そうでないのか、私にはわかりかねますが。あなたにそういった姿勢でいられると、周囲にも悪影響が出るのです。足並みを乱していることにご自覚がおありですか」

 ――それが、事あるごとに執拗なまでの叱責を重ねる、理不尽な人間の口から出る言葉なのだろうか。

 フローレインは自分の足元をじっと見下ろす。立っている場所が心許なく感じた。今にも床が抜け落ちて落下するかのような、いっそそうでもなってくれと思うかのような頼りない心持ちだ。
 重い修道服の裾を握り締めて、かろうじて声を絞り出す。恥辱と苦痛でとうに心は挫かれている。口から零れるのは、どこか放心したような鈍い声音だった。

「申し訳ありません……その、ご用件はなんだったのでしょうか」

 ゼズルカ大祐があからさまに嘆息する。その息遣い一つも耳に冷たく突き刺さり、胸の内を掻き乱す。

「本来なら、わかっていなければならないことですが、あなたの――大史というものは、実際にはまだ有していない官職のこと。この先、時が来ればあなたは正式に大史としての任を授かることになります」

 誰も説明すらしなかったことを、わかっていない方が悪いとばかりに、ゼズルカ大祐は冷ややかな目つきでフローレインを見る。フローレインは伏し目がちに唇を噛んで、反論をどうにか抑え込んだ。

 官位・正五位下。聖宮――別名を神祇官庁、主典が大史。彼女からそう呼ばれることで、すでにその地位にあるのではないかと思っていたが、どうもそれは違うようだ。正式にその官位に任じられるのはまだ先のこと――

 ずんと頭が重くなったような気がした。先のことなど考えられない。一年、一か月、たった一日先のことですらも考えるのが憂鬱だった。とにかく毎日、早く部屋に戻って眠ってしまいたくて、朝が来ることが苦痛でたまらなかった。今だって、叶うことなら逃げだしてしまいたい。そう思っている。けれど、家族の、兄の、幼馴染の静止を振り切ってやってきた手前、どうやって帰れるというのだろう。――それに、そんな浅慮な行動を許してくれる場所でもないというのに。

「拝火が済んだ後、あなたは別にそのための講義があります。夕餉が済んだ後、私のもとへ来るように。今日からですよ」
「今日から……?」
「急ではありますが、仕方がありません。何しろ任官の儀まで間がないのだから――もう少し猶予があれば、それほど急く必要などなかったのですけれど」

 毒づく彼女の言葉の意味が、フローレインにはわからないまま。

「……毎日、ですか」
「当たり前でしょう。本当はそれでも足りないぐらいなのですが」
「わたくし……一人だけで」
「そうだと言っているでしょう」

 フローレインの困惑したような問い掛けに、ゼズルカ大祐は苛立ったように頭を掻いた。

「いいですね。夕餉が済んだ後、私の下へ来るように。……昼のように、言い付けを違えることはなりません。いいですね」

 冷たく睨み付け、踵を返すゼズルカ大祐に、フローレインは頷くことさえできなかった。
 今日から、あのゼズルカ大祐と二人きりでの講義が始まる。
 一体どれほど叱られるだろう。悪態を吐かれるだろう。溜め息を吐いて、蔑むような視線を向けられることだろう。体力的には問題なくとも、精神的な疲れはすでに心を挫いている。ただでさえ毎日を凌ぐので精一杯だというのに、この上さらにたった二人きりで、詰られ、睨み付けられるなど、とても耐えられそうにない。
 今にも虚脱感でこの場に座り込んでしまいたかった。遠ざかる足音を聞きながら、竦んだ足を動かす気力もなく、その場で呆然と立ち止まっていると、不意に話し声が耳に届いた。

「――大祐もお気の毒なことですわね」

 フローレインが目を瞠る。だが、顔を上げられないままじっと息を詰めて、その呟きの意味を考えた。彼女が気の毒だとは、一体どういうことなのだろうか。思いもしない言葉に打ちのめされ、聞き間違いかとさえ考えた。

 ――だが、それはフローレインの希望でしかなかった。

 通り過ぎていく巫女たちが囀るように会話を続ける。誰がそれを話しているのか、俯くフローレインにはわからない。息を潜めて必死に耳を傾けても、早鐘を打つ心臓がうるさかった。

「ええ、本当に。あの子がもっと早くに宮に来ていれば、そうもお手を煩わされることもなかったでしょうに」
「ご自分の都合しか頭になかったのかも知れませんけれど、振り回される周りにとっては本当に迷惑なこと」
「それにしたって大祐の態度も少し、とは思うけれど。でも――ねえ」

 全身からざっと血の気が引いた。

 東の宮が開けられるまで、間がない。なぜそれほど猶予がないのか。それは他ならぬフローレインが、中等学校卒業まで宮に入る時期を遅らせていたからだ。

 誰もそれを悪いとは言わなかった。王の使いの他に、フローレインの護衛も兼ねていた近衛兵。聖宮に入る前の勉強を教え込んだ、礼拝堂の司祭や巫女。フローレインを推挙したという魔法協会も、誰一人。だからそれを悪いと思わなかった。けれど違った。
 フローレインが知らなかっただけで、誰にも知らされなかっただけで、本当は――大史という大役に必要な知識や教育を施されるに足る時間が必要で、それをフローレイン自身が削っていたのだ。

「魔力の量や、魔法が優れているからといって、そうも特別扱いされるのは、やはり買被りだったのではないかしら。――本当にがっかり」

 立ち去る足音がなくなってからも、フローレインはその場から一歩も動くことができなかった。

 理不尽だと思っていた。ただフローレインが目障りで気に入らないのだろうと。だからあれほど執拗に責められるのだろうと思っていた。自分に非はないか、仮にあってもひどく些細なものだというのに、この仕打ちはあまりにひどいのではないだろうか。そう思っていた。けれど。

 ――私が。

 私に非があるのだと。自覚をしていなかっただけで、これだけ悪く思われるのに相応の罪があったのだと。
 違うのではないか、不可抗力なのではないかと思うと同時に、それと同じぐらい自分の非を思い知らされて――自分の浅慮をこの瞬間に悔いて、後悔で目の前が真っ赤に染まった。




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