聖宮の巫女 9
© 2019 sasori_bi ガレシアの国内有数の名門として名高い、男子単学の私立学校――セレスト校の高等部は、在籍およそ七百名、そのほとんどが王侯貴族、あるいは高官の子息や富裕層の子息で、一般家庭の男子は学業優秀な奨学生に限られた。
そして、生徒の七割が中等部からの生徒を占める。中等部の生徒のうち、脱落した生徒と、教師陣からの薦めや、特殊な技能を求めて外部へ出て行った生徒の欠員を補充する。そういう体制を取っているがために、外部からの編入はより高い壁がある。事実かどうかは不明だが、少なくとも内外でそう囁かれていることは本当だ。そして、その狭き門を潜って奨学生として認められることは、その学力を示すのに不足はない。
――ユージオなどは、その筆頭で。
「次、諜報活動における君主の扱うべき間者の主要な種の数」
「五種」
「五種の名称」
「き、郷間、内間、……生間、死間、と……反間!」
「それぞれの役割について。郷間・内間・反間・死間・生間の順に説明を」
「て……敵国の民を使う、敵国の将あるいは官等の重要人物を買収し利用する、反……あっ、敵の間者を逆用する! と……えーと……」
「痴れ者」
解答が途中で詰まって沈黙したアーサーを、ユージオは顔色一つ変えずに罵った。アーサーはぐうとかううとか鈍い唸り声を上げて撃沈した。手厳しさに何度となく心が折れながらも、それでもどうにか喰らい付いてくるので、ユージオも自然、遠慮や容赦というものを忘れてしまう。
そのさまを、傍で見ていたクランカイトは笑った。
「手厳しいな」
「…………」
指摘されたユージオは、何とも言えない表情で視線を泳がせた。
かと思えば、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱し、深く一つ溜め息を吐く。
高等部からの編入者は、中等部からの持ち上がりとは別の寮へと振り分けられていた。そのために三人は揃って同じ寮に入り、同じ部屋に入り浸っていることが多かった。二人から一歩出遅れているアーサーの学力を補うためだ。
休暇中、すぐに家庭教師を手配するのは難しいということで、結局はユージオがほとんどアーサーの勉強を見ていた。その流れで結局、入学した今もユージオがアーサーに勉強を教えている。
「死を覚悟で敵国に潜入し偽の情報を流す、生還して敵国の情報を持ち帰る……」
だが、それもいまいち身が入らない。ユージオは浮かない顔色で呟く。
「ともかく、ネヴィンが帰って来ないのが……」
何週間か前、入寮してすぐの頃に、この部屋の窓からネヴィンを放った。
行先はフローレインのもとだ。ネヴィンもそれは理解していたようだった。無事に聖宮に辿り着けているのではないだろうかと思うが、一向に戻って来る気配がない。従って、当然のことフローレインに関する報せも一切入って来ず――
それを思い、幾らか気が逸れているのを自覚していた。
「……悪い」
「……い、いや……」
なんとも言えない表情で謝るユージオに、アーサーの反応も鈍くなる。こちらは単純にユージオの珍しい態度に動揺しているようだが、それについて物を言う気力は、今のユージオにはなかった。
なぜ帰ってこないのか。
単純に道に迷っているだけならいい。誤ってアステリア邸に辿り着いているのなら、それはそれで構わない。ただ、フローレインに何かあったか。それともネヴィンに予期せぬ事態が起こったか。そういう思わしくない可能性を排除できない。それなのに、ネヴィンが戻ってこない限りは自発的に動けない。待ちの姿勢でいるしかない現状がもどかしかった。
頭を悩ませていると、アーサーが遠慮がちに尋ねてきた。
「……ネヴィンというのは」
そういえば、手紙を出す時に彼はいなかったか。ユージオはそれを思い出しながら短く答える。
「カラス。雛の頃にレインが拾った」
「フローレインがいつも連れていた、あのカラスか。そういえばそんな名前だったか」
「レインが――強情で。見殺しにできないんだと、育てるんだと聞かなくて。始めは餌の虫が嫌で泣いてたのに、そのうち平気で捕まえて……」
今思い出しても可笑しくて、ユージオの口元がわずかに綻ぶ。始めは虫に悲鳴を上げていたのに、ひと月もしないうちにあっという間に慣れて、蠢く虫を顔色も変えず攝子で摘んでいた。たくましいものだ。
クランカイトも思い出して笑っている。
「あったな。木の実でもいいのに、俺が言った、虫が餌だってのを頭から信じて、泣きべそかいてた」
「あれはあんたが悪い」
「嘘はついてねえぞ。雛じゃ木の実は消化できない。……まあ、虫じゃなきゃいけないってこともねえだろうが」
「ひどい奴」
「それが拾った責任ってもんだろう」
笑い合うユージオとクランカイトを交互に眺めて、アーサーはどこか納得いかない顔つきをしていた。
「……フローレイン、は」
「ん」
「ずいぶんお前と親しかったんだな」
ユージオは怪訝な顔でクランカイトと視線を見交わす。そして、クランカイトの物言いたげな目つきに気付いて、合点がいった。
「俺とレインが?」
「!」
敢えて言葉にしなかったが、図星だったようだ。アーサーが目に見えて動転し、教本を落とした。
そうしてなぜかがっくりと肩を落とす。
「悪い……」
「何で謝る」
「わかっているつもりだ。何もしなかった俺にあれこれ言う権利なんかないって……」
首を傾げるユージオに、クランカイトが口を挟む。
「やってたろ、休み時間の賭け勝負」
「ああ……『レインに告白できる権』?」
「こいつとはやってねえ」
ユージオは瞬きをして俯くアーサーを見る。彼は沈んだ顔つきで何も言わなかった。
挑まなかったのだ。クランカイトに。
理由として考えられるとすれば、フローレインに想いを告げる気がなかったか、あるいは腕に自信がなかったか。どちらにせよ彼は何も行動しなかったし、フローレイン本人に対しても同様だ。聖宮に行くことが決まった後もやはりそれは変わらず、ユージオにしてみれば、行った後の行動の方が却って顕著だったようにも感じる。
ユージオとフローレインがどんな仲であろうとも、傍観者の立場で居続けた彼が、それについて物を言う権利がない。そうはっきりと自覚があるのだろう。そして――後悔もしているのだろう。そう思った。
アーサーはどこか皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「あいつは俺のことなんか歯牙にもかけなかった。フローレインはお前たち二人しか見ていなかったじゃないか」
「そういう関係じゃなくて」
「わかっている。浮ついた感情なんかなかったことぐらい。それから……俺にお前たちより優れている点がないことだって、嫌というほどわかっている……ッ」
ユージオは僅かに目を瞠る。考えもしなかったアーサーの本心を見た気がして、少し驚いた。高慢な貴族家令息。そんな偏見で彼のことを見ていたかも知れないが、こうして話してみた彼は、まるっきり印象そのままではなかった。
「嫌ってぐらい身の程がわかっていて、それで俺はどうすればよかったというんだ。どうしてよりによって、フローレインの周りにいたのがお前たちなんだ」
感情的な言葉とは裏腹に、思いのほか理性的な人間だ。
ユージオはそんなことを考えながら、反論の言葉を噤む。フローレインにとっての自分の立ち位置をよく見ていたのだろう。そして、フローレインを振り向かせられるような優れたものが、自分にはない。そうも諦めていたのだろう。いきなり顔を見えない遠くに消えるとは、まるで思いもせずに。
「そ……」
「カイト」
ユージオは、何かを言おうとしたクランカイトを制した。これ以上追い詰めるようなことを言ってやるのはあまりに酷だ。
気の毒に思って何と言ってやるべきかと悩んだが、先にアーサーが我に返ったように息を呑む。
「……いや」
ひどくばつが悪そうな顔をして、首を横に振る。その反応に、クランカイトが意外という表情をするのが見えた。
「悪かった。八つ当たりだ……すまない」
そう言って頭を抱えて俯く男を非難しようという気は、微塵も起こるはずもない。それはクランカイトも同じだったのだろう。無言のままアーサーの謝罪を受け入れている。
代わりにユージオは形容しがたい表情でクランカイトを見た。
「金持ちってのはこうも拗れていないもんなのか? あんた見てるせいで感覚がおかしい気がする」
「僻むなよ」
反論の言葉もなく「こっちがこっ恥ずかしい……」と呟いて机に突っ伏した。クランカイトが笑っているのが声だけでも分かる。
「見習ったらどうだ。このぐらい素直だったら何年も拗れずに済んだんじゃねえのか」
「うるさいんだが!」
「まあ別に悪いって話でもねえけど」
「?」
クランカイトの声には抑え切れないというような笑みが滲んでいる。
「……あいつはカラス一匹見捨てられないぐらい、情にほだされやすいから」
アーサーが怪訝な顔をしてクランカイトを見る。
「付き合ってくれないと苦しくて死ぬだとか言っとけば、可哀想がってちょっとは見てくれんじゃねえの」
ぞんざいなクランカイトの言葉に、ユージオはしかし妙案とばかりに「ああ」と声を上げた。一方のアーサーは気色ばんで怒声を張り上げる。
「同情を引けと!? さては貴様、馬鹿にしているだろう……!」
「いや、あながち嘘ってわけでもないな。レインの性格からすれば、充分使える手だと思うぞ。面子にこだわらなければかなり可能性はある」
「そんな情けないことを俺にしろと言うのか!? からかうのもいい加減にしろ、俺は冗談でこんな話をしているわけではない!!」
ユージオの同意にも、信じられないというようにアーサーの怒りの矛先が向かう。だが、その反応を見たクランカイトとユージオは、どこか力抜けしたようにそれぞれ表情の強張りを解いた。
「なんかお前がいるとちょうどよく気が紛れるわ」
「そうだな。別に馬鹿にしてるわけじゃない。……頭悪いとは思うけど」
「違いがわからないんだが!!」
大体、貴様と比べればほとんどが頭の悪い人間になるんだろうが――というアーサーの怒りをまるっきり聞き流しながら、嘆息混じりに吐き出す。
「……どこかに行くなんて思ってなかったのは、あんただけじゃないって話」
「!」
存外に重く響いた一言に、アーサーがはたと固まった。たった一人いなくなったぐらいでと笑うには、彼も同じような喪失を味わっているのだから、躊躇いも起こるだろう。
だが、アーサーの罪悪感に満ちた表情を見て安堵している自分に、ユージオは苦い笑みが浮かんだ。
「その……シアン」
「ユージオでいい、聞き慣れない」
おもむろに教本に手を伸ばした。さきほど開いていた頁をめくり直し、姿勢を正した。
「無駄話はいつでもできる。とりあえず再開するか」
アーサーは複雑な顔色で、ユージオ同様に姿勢を正しながら静かに請う。
「頼む」
直ぐな水色の瞳に、少女の片眼を重ね合せてしまうのは、胸を掻き毟られるような心配と、少しの感傷なのだろう。
© 2019 sasori_bi
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