聖宮の巫女 10

© 2019 sasori_bi
 形のない刃に際限なく胸を刺し貫かれるような日々だ。

 ――またあの子だわ。

 ――謝罪以外の言葉を話せないのかしら。

 ――あれじゃ任が務まらないのではないの。

 あらゆるものが自分と敵対しているかのような怒りしか感じなかった。そして、ふとした拍子に暴れ回りそうになる感情を、どうにか殺すことに終始する。毎日がそんな生活だ。
 救いの手が伸べられることはない。嘲りはいっそう露骨で、もはや隠すことすらしなくなった。フローレインの一挙手一投足までを観察し、槍玉に挙げる。わざと聞こえるような声で――けれど騒ぎになるような行動や手段は決して使わない。決定的に道を踏み外すことはせず、じわりじわりと侵食するように思考力を奪っていく。そんな暴力があるのだと痛感した。

 手紙を書くことも、ネヴィンを帰すこともできないまま、やみくもに時間だけが経過する。

 ネヴィンはフローレインがいない昼間、外を飛び回って餌を取って、フローレインが自室に戻る時間になると戻り、ちょうど窓際に留まって窓が開くのを待っている。そんな毎日を続けている。まだ周囲の巫女たちには気付かれていないだろうが、時間の問題だ。すでに、早朝から働く聖宮の使部には、窓から飛び立つネヴィンの姿を見咎められている。

 早く帰さなければならない。なのに――たった一羽のカラスを、そしてその向こうにいる彼らを心の拠り所にしている自分がいる。無事だと一言手紙をつければ、二人は安心するだろう。そうわかっているのに、何かを訴えようかと迷う弱い自分がいる。救いを求めたがって、だらだらと先送りにしている。
 往生際の悪い自分に対する自己嫌悪までもが胸を苦しめた。

 昏い顔色で一人ずるずると廊下を進んでいたフローレインは、ふと立ち止まり周囲を見回す。

 個人講義のための教材を戻してくるようにと指示を受けたが、教えられた場所は『あちら』というだけの、まるで気のないものだった。

『早くしなさい。この上時間を取らせないで』

 苛立たしげに吐き捨てたゼズルカ大祐が、それ以上何かを教えてくれる気配もなく。

 フローレインは質問を諦め、言われるがままそちらの方向に来てはみたのだが――当然のこと、それらしい場所など見当たらない。行けばわかるのではという希望も虚しく、結局どことも知れない場所を目指して、無用な時間を消耗するだけになっていた。

 戻って改めて聞いたところで、また叱責の原因になるだけなのだろう。あるいは、そのためにあえて、投げやりな返事であしらわれたような気さえした。あれだけあからさまに機嫌の悪い態度を取られて、その上で場所がわからないと質問を重ねられる人間が、一体どこにいるというのだろうか。本当に底意地の悪いことをする。
 脱力感に膝を折りそうになった。

 ――もうこんな荷物窓から捨てて、ありたっけの魔法でめちゃくちゃにして、この聖宮から逃げ出してみようか。

 そんな自棄になった不穏な感情が湧き起こる自分に、フローレインは溜め息を吐いた。

 そんなことはできっこないことなど、宮入りの前から重々わかっていた。この場所は特別な結界が覆っており、魔法に関しても重い制限が課せられている。その結界は外敵を阻みながら、同時に宮の巫女を縛る枷としても機能し、小さな魔法一つさえ自分の意思では使えない。

 壁に凭れてずるずると床に座り込む。ひどく気が滅入って、立っているのも苦しい。そんな気力がどこにもなかった。

 ――だが、いくらそうしていたって、事態が好転するわけでもない。気が済めばまた、自分の力でまたのろのろと廊下を引き返すのだ。これはそれまでの、つまらなくいじけた無用の時間でしかない。きちんと自覚している。

 そう思って、目を瞑ってじっとその場に座っていると――どこからともなく扉が開く音がした。

「!!」

 ぎょっとしてフローレインが立ち上がるのと、扉から出てきたその人影がフローレインを見咎めるのは同時だった。
 硬直するフローレインに、相手もまたしばらく固まって――食い入るようにフローレインを見据えている。

「……あ、」

 先に我に返ったのはフローレインの方だった。
 立ち上がった拍子にばらまいてしまった書物が、床に散らばっている。

 どんくさいことを。

 そんな嘲笑が自分の頭の中によぎる。それはきっと、誰かに見咎められた時に囁かれる嘲りの言葉に違いない。それを自分の心中でも知らず囁く自分に嫌気が差しながら、フローレインは床に膝を突いた。
 大慌てで拾い集めていると、目の前にいた人物もまた、同じく膝を折って床から書物を拾い上げた。それをフローレインに差し出してくれる。

「あ……ご、ごめんなさい」

 罪悪感と共に謝罪しながら、フローレインはそれを受け取った。そして、顔を上げた拍子に、そこにいた人物の姿に目を奪われた。

 ぼんやりと微光を纏っているかのような、真っ白な姿がそこにあった。
 その人物は、引き摺るほどに長い祭服を着用している。淡く輝いて見えるのは、生地に施された刺繍の、絹糸の光沢のせいだろう。惜しげもなく金糸や銀糸を縫い込まれ、簡素な色調とは裏腹に、やけに重厚な印象だった。
 そして何より、唯一の色彩とも思える、目が合った瞳の紅玉が、フローレインの視線を釘づけにしていた。

 精緻な陶磁器の肌に、真っ赤な紅玉の瞳。その奥に見えたものから、目が離せないでいる。

「どうして――泣いて、いるの?」

 無意識に呟いたフローレインは、相手の怪訝な表情を見て、はっと我に返った。

 ――ああまた、おかしなことを言ってしまった。

 冷静になってみれば、向かい合う相手は涙の一つもありはしない。悲しそうな表情ですらない。フローレインのおかしな呟きにおかしな顔をしてはいても、泣くなどとは無縁の顔でそこにいる。一体自分は何を言っているのだろうと、フローレインは心底自分の発言を悔いた。
 言われた相手は、心底不思議でたまらないというように問いを掛けてくる。

「それは……どういう、意味の……」
「……あ、その、ごめん、なさ……」
「なぜ謝るんだ」

 フローレインの態度にますます訝しそうな顔をして、彼――声でわかった。性の境界がわからないほど整った顔立ちだが、男性だ――が尋ねてくる。フローレインはその問いに驚き、思わずというように自分の口元に手を遣った。

「ごめんなさい。……あ、いえ」

 首を横に振るが、すでに言葉は唇から零れたまま。

 ――何も責められていないのに、習慣のように口から出てくる謝罪の言葉が、どうしようもなく情けなかった。

「なぜ謝る?」
「なぜ……あ、はは。どうしてかしら」

 口癖のようにそれが染みついていた自分を自覚して、フローレインは力なく笑った。だが、うまく笑えているか自分でよくわからない。現に顔は強ばっていて、顔の筋肉の動きがひどくぎこちない。
 半ば俯くようにして、フローレインは自分の髪をくしゃりと掻いた。脱力感に、ずるずるとその場に座り込んでしまう。何もかもにびくびくと怯えて、やみくもに謝ってばかりで――どうしてこんな自分になってしまったのだろうと嫌悪感に苛まれる。

「ごめんなさい……ああ本当に、いやだわ。どうして私、こんな……」

 わずかでも気を緩めれば、涙が溢れてきそうだった。きつく唇を噛み締めて首を横に振ると、目の前の人物が膝を突く気配がした。

「東の宮の巫女だな。親許を離れてつらいか」

 肩に乗せられる手が温かい。なのに、その温もりが、今のフローレインには焼け付くように残酷なものに感じた。
 かろうじて首を横に振るのが精一杯だった。

「私……が、おかしいのか……。そうじゃないのか、もう……わからないわ。何も……考えたくも、なくて」
「……泣きたいなら、思い切り泣いた方が、気が紛れる」
「いやよ。……絶対に、いや」

 血を吐くような思いで、フローレインはその優しい言葉を拒絶した。肩に乗せられた手を振りほどく。歯を食いしばり、溢れてきそうな涙をすんでのところで必死に噛み殺していた。

 何が、なぜ泣いているのか、だ。

 そう自嘲のように思った。泣きそうな自分が何を知ったようなことを言っているのかと。自分でもどうしてそんな言葉が出たのかわからない。いよいよ頭がおかしくなったのではないか――そう思って自分を嘲りたいような思いに駆られた。そして、自分を蔑むほどに泣きたい思いで胸が押し潰されそうだった。

「誰だか知らないけど――いや男の子……が、どうしてこんなところにいるのかは、わからないけれど。今はどうでもいいわそんなこと、とにかく何も言わないで。叱られるのはもううんざりだし、慰められるのももっといや。何か言うつもりならどこかへ行って。……できれば見なかったふりをして」

 深く俯いて床に手を突き、フローレインは低く堪えたような声で呟いた。

 同情を撥ね付けまいとする、怒りを帯びた声だった。弱い自分を見せて優しくされるのが嫌だった。涙の一つも浮かべて子供のように甘えて、優しさを与えられるのを待つ自分が許せなかった。
 相手がどこの誰だかはわからないが、きっと自分の味方ではない。そんな人間がこの場所にいないことぐらい、嫌というほど理解している。そんな相手に弱みを見せて、陰で嘲弄の口実にされでもしたらたまらない。

「何も言われたくないの。もう、頭の中ぐちゃぐちゃだわ……」

 そう思っていても、こんな本音を漏らしてしまうちぐはぐな自分にも、ひどく混乱している。
 どうしていいのかわからない。目の前にいる人物をどう扱っていいのかも――どう接していいのかも、何も。

 黙っていると、目の前の彼は微かに息を吐き、静かにフローレインへと尋ねてくる。

「わかった、何も言わない。……代わりにここに座っても?」
「……どうぞ」

 おかしなことを言い出すものだ。
 美しい刺繍の祭服の裾を視界の端に捉えながら、フローレインはぼんやりとそんなことを思った。




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