聖宮の巫女 11

© 2019 sasori_bi

 重く、沈黙だけが流れる。
 それはほんの短い時間だっただろうが、フローレインには呪わしいほどに長く感じた。唇を噛み締めて涙をこらえていたフローレインは、我慢に堪えかねたようにぽつりと彼に言葉を掛ける。

「……なぜ、どこにもいかない、の」

 無様を嘲笑う機会を待ってでもいるのだろうか。そんな邪推が頭を過ぎり、どこか刺のある問い掛けになる。
 だが、波立つフローレインの心中とは裏腹に、耳に届く彼の声音は穏やかで、それは不思議と安堵をもたらした。

「君の口止めをしない限り、私はここを立ち去れない」
「べつに……話すような相手もいないもの。誰にも何も言わないわ。安心したでしょう? もう用は済んだわ、どうするの」
「安心して君の話が聞けそうだ。――私は何も言わない。君が話すんだ」

 フローレインが何も言わない限り、ここから立ち去る気がないかの言い振りだ。

 ならば自分が立ち去ればいい。そう思っても、心が折れて立ち上がるような気力さえ失せている。怠惰に座り込んだまま、フローレインはやがて、やるせなく口を開いた。

「……幼馴染のことを、思い出すの」

 どうして初対面の、どこの誰とも知れない相手に、こんな話をしているのだろう。
 そんな自問が頭の中に浮かぶ。だが、大丈夫だろうという投げたような安堵も心の中に不思議とあった。先に彼が、自分がここにいることがまずいのだと、ほのめかす言葉を打ち明けたせいだろうか。ここで顔を合わせてまずいのはお互い様で、それなら彼がここで聞いた話をぺらぺらと口外して回る心配もない。

 疲れたようにフローレインは壁に頭を凭れさせた。
 大切な幼馴染。黒魔女の息子と呼ばれたユージオ。こんな状況に置かれて、フローレインは不思議と彼のことをこれまで以上に強く思った。

「両親がいなくて、礼拝堂に住んでいて……でも、礼拝堂の人たちからはつらく当たられていたわ。学校の同級生も、彼のお母さんのことでたくさんひどいことを言っていた」

 異端者。そう誰かが呼んでいるのを聞いていた。自分が彼をそう呼ぶことはなかったが、呼ばれていたという事実は認識している。同級生たちも彼のことを遠巻きにしていた。――彼自身には何の落ち度もないことで。

「礼拝堂の人に折檻されて、でも平気だと言うの。つらい思いをしたはずなのに。自分の家が――自分を守ってくれる暖かい場所じゃないことを、私は少しもわかっていなかった。たった一人で、家族もいなくて何の拠り所もない、心細い思いをしていたはずなのに。その上、心無い人に無責任な陰口をたくさん言われて――納得がいくわけがないのに、平気な顔だった」
「礼拝堂が子供に、なぜそんな道理に反したことを――」
「彼のお母さんが異端者だったからだと聞いているわ」

 きっと、少しも傷ついていないなんてことは、なかったのに。
 涙に詰まりそうな声を振り絞る。どれだけ抑えようとしてもみっともなく震える声で、フローレインは重い荷物を放り出すようにひたすら言葉を綴る。

「私は家族もいて、守ってくれる人もいて、でも彼は――ユージオは誰もいなかった。それでも私に、本当に優しかった。私はそんなユージオが大好きだけど――私はとても能天気で、本当はユージオのことを守らなくちゃいけなかったのに、何も考えていなくて、ただ一緒にいただけだった。私はそんな自分が今は本当に恥ずかしくて――消えてしまいたいほどいたたまれない」

 今思えば、もっと彼にできたことがあったはずだ。それなのに、何も考えていなかった。それどころか、たくさん彼に救われた。慰められた。そういう自分に気付いてしまった今、そら恐ろしいほどに、そんな自分を愚かしく思えた。

「ユージオはこんな思いをしていたのに。私、何もしていなかった。そんな自分に気付いてしまって、今とても自分のことが嫌いになりそう」

 いざ自分が同じ状況に立って、そうして初めて気付いたほどに――どうしようもなく自分は愚かで、こんな目に遭っても仕方がなくて。そう思うのに平気でもいられない。
 ふとした拍子に溢れてくる涙を食いしばって耐えるのは、最後の矜持だった。

「ユージオが泣いたところを、私は見たことがなかったわ。笑顔じゃないし素直じゃないけど、でもいつも優しかった。私のことを本当に大切にしてくれて、心配してくれて、だから私も泣きたくないの。ユージオみたいにちゃんと我慢したいのに。なのに――私、弱くて、駄目みたい……」

 どれほど堪えても、じわりと視界が滲んでくる。拭っても拭っても収まらない。それでもどうにかやり過ごし、何度も瞬きをして潤む目をごまかした。

「……今の自分が不甲斐なくて、知られたくなくて、でも大丈夫だって虚勢も張れない……」

 決まっているはずの手紙の返事をぐずぐずと先延ばしにしている。救いの手を求めたがっている。往生際悪く。それほどに。

「もうこんなところ、無理かも知れない。まだ来たばかりなのに、何もできていないのに……でも何か言おうとしたら……きっともう無理だって、助けてって、言ってしまう」
「…………」
「……逃げるところなんて、ないのに……わかってて来たはずなのに、私……」

 平気だと楽観視してここまでやってきたのに、今さら無理だなどと、どの面を下げてと思われて仕方がない。そうわかっていても、情けない弱音は口から零れてしまう。

「戻りたいか」
「無理よ。できないわ。たくさん迷惑をかけてここに来たのに――この上さらに迷惑をかけてしまうもの」
「何が君にそんな思いをさせる」
「一つじゃない。それだけ。でも言いたくない」
「味方もいないか」
「……初対面のあなたにこんな泣き言を漏らすぐらいにはね」

 皮肉げな呟きを漏らすフローレインに、彼も苦い笑みを返してくる。

「味方を作る努力を――怠ったというのなら、仕方がないわ。でも、始めから誰も――中立ですらなかった。この荷物だって」

 フローレインの白い指が、床に下ろした書物を撫でる。行き先がわからないまま、すっかり途方に暮れてしまったもの。

「置いて来いというのだけど、どこにとも訊かせてはくれないの。わからないけれど、もう怒っているから、急かされて、行くしかなくて。――結局どこに置けばいいのかもわからない」
「訊けなかったか。どうしても?」
「言い訳がましいと思われるかも知れないね。でも――話し掛けて、冷たい言葉を投げつけられるのは、どうしても――怖いわ」

 諦観の滲んだ笑みが浮かぶ。

「私もきっと悪かったのだと思う。温情に甘えて、深く自分の立場を考えていなかったというなら、確かに非があったわ。けれど――取り返す機会すら与えて貰えない。それほどのことを……したのかしらと、思ってしまう」

 それほど取り返しのつかない、許されざることだったのだろうか。どうしても訝しく思える。無用に時間を過ごしたつもりはなかったが――自分の無知が原因で、ここで必要な時間を別なことに費やしてしまった。それはこれほどにつらく当たられる理由になるのだろうかと思うと、不思議でならないのだ。
 顔を上げれば、壁に凭れる彼の表情が見える。そのかんばせに同情や憐れみは感じられなかった。

「どうしても駄目で、我慢ができないほど限界で……それでどうする?」

 フローレインは半ば面食らいながら、思案げにわずか首を傾けた。

「どう……」
「無力な自分を憐れんで泣いて、それで――そのままずっと我慢をしていくか?」
「……我慢、ね」
「自分を嫌いなまま、いつかどうにかなることを祈って、自分を殺して過ごしていくか」

 試すような紅玉の瞳に問い詰められて、フローレインはふと目を細める。
 改めて問い質されると、急に居心地が悪い思いだった。苦い笑みで、フローレインはゆるりと首を横に振った。

「それを考える余裕もね。すっかりなかったわ」
「……そうか」
「ああでも――少し話したら、気が紛れたみたい。ありがとう――なんて、言うのもずいぶん久しぶりな気がする」

 気が付けば謝ってばかりで、口癖のようになっていた。自分がそれほどに卑屈な人間になっていることに、自覚すらなかった。
 感謝を伝えると、薄い唇にわずかな笑みを滲ませて、柔らかな声が返ってくる。

「私は何もしていないが」
「いいえ。聞いてくれる人がいるだけで救われることってあるみたい。ここでは話さえ、誰としたらいいのかわからないから。――さて、どうしようかしら」

 苦い笑みを浮かべたまま、フローレインは壁に凭れて力なく呟いた。

「私、本当に――魔法以外何も取り柄がなかったから……」

 特別だとユージオたちが褒めてくれた。皆が一目置いてくれていた。けれどここではその力すら剥ぎ取られて、残ったのはただの凡庸な自分だけ。
 少年は訝しそうな声音になる。

「……魔法?」
「? ええ。魔法というか……魔力が、人より多くて。ここに来てもそうみたい。そもそも、魔法で見出されたようなのだから――それも不思議じゃないのかも知れないけれど」
「もしかして君が《白鴉の魔法使い》か?」
「……なあにそれ、そんなに有名だった? 嫌だなあ」
「道理で――」

 紅玉の瞳がじっとフローレインを真っ向から捉える。本当に赤い――血の色がそのまま滲んだかのような真紅。フローレインを見ているかのようで、微妙に焦点が合っていないような気がするのは、フローレインの思い過ごしではないような気がした。
 その視線が離れると、フローレインは少し息を吐いた。神々しいほどの真っ白な衣装のせいだろうか、彼の姿はどこか不可侵の神聖さを思わせる。瞳に射竦められると、不快でこそなかったが、どうにもならない居心地の悪さは誤魔化せない。
 フローレインは何とはなしに頬に手を遣る。

「おあいにくさま、ここじゃ唯一の取り柄の魔法だって使えないのだから。白鴉の魔法使いだかなんだか知らないけど、今はただのいじけた小娘。――どうしたものかしら」
「だが君は、不思議と魔力が巡っているように見えるが」
「『見える』?」
「ああ、いや……その、直感というか。魔封じに抑えられていると、どうしても身の内の魔力は停滞する。だが、君はどうも違うように思える」

 フローレインは首を傾げた。
 どうして彼がそう思ったのかはわからない。彼のその言葉が思い過ごしや勘違いでないとも限らない。だが、ただの戯言や騙りのようにも思えず、頬に当てた手とは反対の、左の腕を前に掲げた。

「私だって結界のことぐらいは教えられていたもの、宮に入ったその日に一度は試したわ。でもその時は本当に、魔法どころか何も起こったりしなくて――」
「……いや、どうやらそうではなさそうだ」

 もののためしというように、フローレインがゆっくりと指先で魔力を繰り出せば――白い光が細く、糸のような魔法陣を紡いでいく。驚いてフローレインが目を瞠るが、目の前にいた少年もまた、わずか驚いたようにその魔法に見入っていた。
 そのままさらに魔力を込めれば、何かしらの作用が起こるだろう。今はその前段階で留まっているが――

 フローレインはひどく混乱した。どういうことだろう。宮入りの初日に試した時は、何も起こらなかった。それがなぜ今は、こうして当たり前のように魔法陣がここに顕現しているのだろうか――?

「ど、どういうこと……?」

 慌てて魔法陣を握り潰せば、キラキラと粉雪のように光が静かに散っていく。何かとんでもない悪さの物証をもみ消すかのように、フローレインは思わず周囲に視線を巡らせた。幸いにも、静かな廊下に第三者が通り掛かることはなかったが。
 慌てるフローレインに対して、彼の反応は冷静だった。何かを考え込むように沈黙した後、ぽつりとフローレインの左手を指差す。

「左手だ。……君の左腕に何か――あるようだが。持っているものはないか」
「左……ええ?」

 フローレインは困惑しながら、左手に嵌る指輪を外す。そこで固定されていた左腕の手甲を捲り上げると、金と濃藍の二本の紐が露わになる。――心当たりなどこれしかない。

「その、幼馴染と兄に貰った結い紐があるけど。でもべつにこれは――餞別っていうか、そんなおかしなものでは、ない……はずだけれど」
「見せてくれるか」

 促されるまま、フローレインは左腕を差し出す。まさかという思いもありつつ、しかし完全にありえないと否定することができなかった。思えば、あのいつも何をやっているのかわからない二人――怪しげな魔法をたくさん知っている――が、何の変哲もないただの腕飾りをくれるという方が、逆におかしいことなのだ。何か妙な仕掛けがしてあると思った方が、よほど納得がいく――いってしまうのが、何とも嘆かわしいことだが。
 その通り、とっくりと紐を眺めた彼は、やはりというように目を細める。

「魔法式が編み込まれている。二本ともそうだな。見たことのない魔法だが、これは」
「……ユージオ、だ……」

 フローレインは半ば頭を抱えながら呟いた。なぜ前もってそれを言ってくれないのかという非難がましい感情が湧いてくる。魔法式などという爆弾が埋められているのであれば、もう少し丁重な扱い方をしたというのに。

「君の幼馴染の魔法か?」
「ユージオは頭が良くて……変な魔法とかいっぱい詳しいから。珍しい魔法っていうなら、きっとそうだと思う。いやユージオ……だけってことはないと思うけど」

 もしもフローレインが怒りに任せて本気で魔法を使おうと思ったら、きっと今頃周囲には被害者が出ていたことだろう。どうせ結界で妨げられるのだから、使おうと思うぐらい平気だろう。そう思って自分の自制心という枷を取っ払っていたら――そして、予想に反して本当に魔法が作動していたら。そう思うとぞっとした。

「もう……本当に、やらかしてくれるわぁ……」
「君の幼馴染と……誰がこれを」
「誰って……もしかして拙い、かしら。これ……あの」

 今さらながら大変なものを渡されたのではと青褪めるフローレインに、彼はゆるゆると首を横に振って見せた。口外しないという意思表示だ。

「ここでのことを黙秘するというのは、私も君も同じことだ」
「……兄よ。私の双子の兄。何でもできて優秀な……性格に難アリだけど」

 フローレインは諦めて正直に答えた。

 初日に試したのが右手だったために、魔法が使えなかったのだろう。だが、魔法式の組み込まれた紐を巻いた左手が、結界の戒めを逃れられるようだ。あるいはこの紐を右腕に着ければ、それも。

「君の魔力を微小ながら取り込んで、常に魔法式が稼働している。小規模ながら特定の魔法を退け、あるいは無力化する。魔法道具でも似たような魔法はあるが、まさかこの基礎……いや」

 彼は何かを言い掛けて、しかし口を噤んでしまった。フローレインが首を傾げるが、彼の紅玉の瞳は何かに迷うようにフローレインを見据える。

「聖宮の結界を撥ね返す魔法など、悪用されれば大ごとだ。……どうか公になることは避けて欲しいが」
「……私が魔法を使ったら、大変なことになってしまうということ?」
「正確には――それが表沙汰になったら、だな」

 こんな魔法式が表沙汰になれば、聖宮の安全が脅かされかねない。そう彼は言いたいのだ。フローレインはそれを悟ってごくりと喉を鳴らした。
 だが、それでも彼は、紐をフローレインから取り上げるようなことはしなかった。

「危険を理解した上で――自信があるなら、うまくやるがいい。取り戻した君の取り柄を奪う権利は、私にはない」
「これは――ズルというのではないの」
「何もない君の太刀打ちできる手段が、他にあると思うならいいが」
「……それもそうね」

 聖宮の縛りが一つ緩んだことに、フローレインは信じられないような思いで結い紐を見詰めた。どんな意図かはわからないが、もしかしてこれはとんでもない魔法なのではないだろうか。そんな尻込みのような感情さえ起こるが――ともかく、二人の心配だけはしっかり違わず伝わってきた。

「それにしても、やっぱりあの二人はすごいわ……」

 こんな得体の知れない魔法、どこで学んだのだろう。あるいは自分たちで作り出したものか。国の重要機関の守護すら無力化する魔法など、使い方次第では本当に国を傾けさえしかねない。
 それを思って、どこかぞっとする自分がいた。本当にあの二人は――聖宮からですら自分を助け出すことができるのでは。少なくとも、後のことを考えずにただその目的を果たすだけならば、今だって充分に、と。

「その――幼馴染」
「?」

 ふと低い声に我に返る。目の前にいる少年を見れば、彼は引き摺るような祭服をさばいて立ち上がる。

「彼を一人だと君は言ったが、おそらく彼は、君が思うほどたった一人ではなかっただろう」

 真紅の目に見下ろされ、フローレインはぽかんと彼を見上げた。

「……どういうこと?」
「君の手首に彼らの守護があるのと同じことだ」

 フローレインは自分の左手首を見下ろし、捲っていた手甲を被せてそれを隠した。巫女は総じて装飾品が禁じられているため、それを破っていると知られるのもまずい。いくら思い入れのある品とはいえ、どんな理由であっても許されるどころか、またひどい叱責か、あるいは懲罰の種になることだろう。
 それでもここではフローレインの心の拠り所だった。身につけないという選択肢はない。フローレインがどれほど彼らに想われているか、その証なのだから。

「私……ユージオに何もできていなかったわ」
「君が今言った通りだ。ただ聞いてくれるだけで救われることがあると。それなら、ただいてくれるだけで救われることもあるのではないか。そうでなければ君はそれを持っていない」
「……それ、って」
「それほどに想われている君を、君自身が殺すのは――蔑まれることを受け入れている現状に甘んじるのは、彼らへの冒涜ではないのか。君を大事にしていた人間を蔑ろにする行為ではないのか」

 どくん、と心臓が大きく一つ鳴った。
 自分を大切にしてくれた人たち――ユージオ、クランカイト、両親。フローレインが蔑まれるのは、フローレインを大切にしてくれる彼らを傷付けることだ。それはわかっていた。だからこの現状を知られたくなかった――知らせて悲しませたくなかった。けれど。
 黙ってその状況を受け入れている自分もまた、同等に彼らを蔑ろにしていることに――まるで思い至っていなかった。

「君は、いじけた小娘のまま泣き寝入りをする――その程度の存在に成り下がるつもりか」

 目が覚めるような思いで、フローレインは唇を噛んだ。
 自分で気付けなかったことが口惜しいと思った。彼らを――自分を大切にしていた人たちを、その程度のつまらないものを大切にする、つまらない人間にしてしまっていた。知らず知らずとはいえ――フローレインが卑屈にも、心無い悪意などに怯えるせいで。
 俯いて、低く堪えたような声を漏らす。

「そうね、私――ものすごく大事にされていたわ。周りの人に羨まれて――お姫様か赤ん坊かってぐらい大事にされてた。それなのにこんなわけのわからないところで、取るに足りない人たちに好き勝手悪口言われて」

 壁に手を突きながらもどうにか立ち上がる。フローレインの瞳にはわずかな生気が戻った。それと、静かに揺らめく闘志や怒り――

「それじゃ、私のこと大事にしてくれた人に申し訳が立たないもの。……言われっぱなしはもう止める」

 それぞれ色の違う一対の瞳が、キリリと相対する少年を見据える。深い虚ろは消え、少女の甘さもそこにはなく――凛然と唇を引き結ぶ。
 腹を据えた少女の表情を見て、彼は安堵のように微笑みを見せた。

「気力は戻ったか」

 穏やかな声に改めて問われ、フローレインは肩を竦めて苦く笑う。

「なくはない、ってぐらいかしら」
「落ち着いたなら、改めて君の名前を聞いておこうか。それから……そうだな。君の知り合いの名前も」

 そういえば名乗っていなかったか。
 今さらながらそれを思い出して、フローレインは自分の胸元に手を当てた。本当に今さらだなと自然、笑みが零れる。

「私はフローレイン。名字は聞かないで、巫女の出生なんて役目に関係ないはずなのだから。幼馴染は無愛想なユージオで、兄は性悪のクランカイト。……あなたは?」
「そうだな。ロキとでも名乗っておく」

 ロキと名乗る少年は、改めて見るとフローレインと同じほどの年頃だった。
 月白の髪に紅玉の瞳が印象的な、美しい人だ。向かい合ってまじまじ見詰めると、思わず溜め息が漏れてしまうほどに。

「どうしてこんなところにいるのかは……聞かない方がいいのよね。何か悪さをするとか――そういうことは、ない、のよね?」

 確認すれば、彼は安心していいというように頷いて見せた。人形のかんばせが笑みに温かく蕩ける。その表情に何となく安堵してしまうのは、無表情が造り物のように無機質な印象になるほど、顔の造作が整っているからだろう。
 ほっと息を吐いて、フローレインはひらと手を振った。

「もう行くわ。名残惜しいけれど。聞いてくれてありがとう――これで裏切られたら立ち直れないぐらいには、ずいぶん気が楽になった」
「その荷物は私が片付けておく。安心していい」
「場所がわかるのだったら、私が――」

 床に置いたままだった荷物を持ち上げようとするが、ロキが手をかざしてそれを静止する。フローレインは諦めて微笑んで見せた。

「――お願いをしてもいいのかしら」

 服装を見る限り、フローレインたち巫女の修道服よりもずっと上質なものを身につけている。よほど上の立場にある人物なのではと、そんな相手に雑用などを任せていいのだろうかと迷うが、本人がいいというのだから仕方がない。
 フローレインが礼を取って踵を返そうとすると、彼が微笑みと共に短く声を掛けてくる。

「また」

 フローレインは怪訝な顔をしながらも、

「? ええ――叶うのなら、また」

 ロキの言葉に従って、同じ言葉を返し――そのまま自室への道を引き返して行った。


© 2019 sasori_bi

prev / next