聖宮の巫女 12

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 議会の開会中、概ね夜の王城内は華やかな懇談の場が設けられる。その内実はともかく、表向きは極めて優雅で、人の装いのため見目には鮮やかで、王城内は整えたような笑顔で満ちていた。
 イージアスが堅苦しいコートを羽織り、ブドウ酒を片手に挨拶に回っていると、人波を縫って伸びてくる白い腕が、イージアスの腕に絡んだ。引き寄せられ、自然とイージアスの視線はそちらに向かう。

「ご機嫌麗しゅう、ロードレッド候。わたくしのお喋りにお付き合いいただける?」

 艶やかに着飾った婦人が、そこにはいた。甘えるような声音で語りかけてくる。赤い唇に湛えた笑みは妖艶でも、細められる瞳はどこか悪戯っぽい少女を思わせた。
 呼び掛けられたイージアスの方はさりげなく腕を解き、引き攣りそうになる笑顔をどうにか整えながら、恭しく婦人に対して礼を取る。

「……ご無沙汰をしておりました、リュース大副。お変わりなく、お美しくあらせられる」
「ふふ、見え透いた世辞を言うようになって、つまらないこと。それとも陛下の御心が離れた女に、同情でもして下さるのかしら。……お堅いあなたが」

 成熟した女の、愛らしく甘ったるい笑みがくすくすと耳を擽る。どこか媚びるような、あるいは威圧的とも取れるような、相反する要素がギリギリの配合で溶け合って調和した声。それにどことなく食えないものを感じるのは、決して考え過ぎなどではない。

 イージアスは傅くような礼を済ませ、伏せていた視線をゆるりと持ち上げる。
 大きく胸元の開いた扇情的な装いに、噎せそうに甘い女の匂い。大粒の石で自身を飾り立てた女性は、扇で口元を隠し、常にどこか意味ありげな視線を向けてくる。それを見て顔をしかめそうになるのを、イージアスはどうにか心中に押し留めた。

 ケリドウェン・リュース大副。王子と王女、二人の子供を設けた聖宮の巫女。そして、神祇官庁の次官、つまり官僚としての立場も併せ持つ女性だ。――そのような立場でもなければ、こうして聖宮の外に巫女が出て来ることはない。
 化け物め、とイージアスは心中で悪態を吐いた。

 王の寵愛を受けた女が、いち官僚として政治に介入する。当然のこと、それに足る能力など、ほとんどの巫女は持ち合わせていない。その魔力の大きさを見出されただけで、それ以外は凡庸なただの女達だ。ただ名ばかりの肩書きで、王の周囲を彩るだけの存在――聖宮の巫女の大多数がそうであったが、彼女は違った。
 美貌に加え、才媛として周囲に認められる夜会の華。また、その手管で二人の子供を授かった王の寵姫、ケリドウェン。彼女の子は嗣子に及ぶ魔力が備わっておらず、次官という立場に甘んじることになったが――それに安堵する人間も、それを惜しむ人間も、どちらもほとんど等しくいる。

 そして、その放蕩ぶりは王以外にはよく知られており、官僚としての立場をいいことに彼女が夜会遊びに耽っていることもまた、彼女の才知と並び周知の事実だった。

「陛下の御心が離れたなど。無用な悋気をなさる」
「ねえそれよりも、あなたの可愛い人はお元気? あの異国のお顔立ちの色男。お堅いあなたとは大違いで、若い娘たちを騒がせていたのは、いつのことだったかしら。先日お見かけしたのだけれど、お忙しそうだったから、わたくし遠慮いたしましたのよ」
「……一体どの者のことか、わかりかねますが。もしもそれが私の名代のことでしたら、ご挨拶申し上げ損じたとのこと、ご無礼をお許し下さい」
「知らぬ仲でもあるまいし、一瞥さえ頂けず寂しかったわと伝えておいて下さる? ……でも不思議ですわ、なぜここ何年も、とんと浮いたお話の一つもないかしら。夜会遊びどころか、ご結婚のお話もまるきり――ねえあなた、何かご存じ?」

 含んだような物言いと、猫のように細められる眼差しに、イージアスはずっしりと肩に荷物でも背負っているような重々しい気分になる。甘ったるいその表情一つとっても、完璧な計算の上で作り出している虚像だ。それがわかってもやはり本質がわからない――そういう得体の知れない女ではあるが。

 ――これが神職たる巫女であるとは、笑えない話だ。

 ケリドウェンが言っているのは、イージアスが王都へ名代として残しているウルスラについてだ。老若男女問わず、数多の人間を手玉に取ってきたこの女にとって、ウルスラもまた例外ではなく――頭が痛くなってくる。
 わざとらしい問い掛けに答える気力も、すでになくなっている。この女と話していると生気を吸われるような気がするなどと、らしくもない世迷言を心中に浮かべながら、イージアスはこほんと大きく咳払いをした。

「大副。お話というのは」

 ケリドウェンは「まあ、せっかちね」と唇を尖らせ、さりとて気分を害したわけでもなく、やはり悪戯っぽい瞳で口元に扇を翳す。

「大したことではないわ。殿下はお変わりないかと思って」

 その名前が出た瞬間、イージアスの表情にはさっと緊張が過ぎった。だが、それを見咎めたケリドウェンが、顔色一つ変えず見透かしたようにけろりと言う。

「誤解しないでちょうだい、わたくしが殿下に対して思うところなんて、微塵もなくてよ。大体、正妃だなんてわたくしには窮屈で我慢がならないわ。喜んであの退屈な女に譲ります」
「……そうですか」
「そうではなくて。心配をいたしておりますの、わたくし」

 王位継承権一位の王子。ケリドウェンの子ではなく、正妃アスタルト・ハリス――今しがたケリドウェンが不遜にも『退屈な女』と称した、ハリス神祇伯の産んだ王太子だ。
 いずれ現王に代わって国を治めるべき後継者。だが、彼女の言葉をそのまま受け取るのであれば、ケリドウェンは彼を案じているという。
 だが、どうやらイージアスの思うような深刻な話などではなく。

「東の宮に、殿下がお通いあそばさないのだもの」
「……そういう心配ですか」

 いささか気抜けしたような返事になったが、一方のケリドウェンは嘆息混じりだ。

「心配にもなりますわ。それとも巫女以前に、どなたかいい人がいらしたかしら。ねえあなた、殿下と親交が深いようでしたけれど、何かご存じではないの?」

 聖宮の東の宮。王太子の妃候補として集められた巫女たちが住まう場所だ。まだ正式な披露目会も行われていない、見習い中の巫女たち。だが、その気があれば王太子が通うことに、何も問題はない。
 問題はないが――

「気が早いのでは。殿下はまだご勉学に励まれている最中。そちらを優先すべきとお考えなのでしょう」
「いーえ! 陛下がお若い頃には、東の宮に巫女が来てすぐに、宮へと訪ねていらっしゃいましたわ。殿下はどうも、そういった話にあまり関心をお持ちにならないようですけれど――こういうことに、早すぎるということはございません。勉学と並ぶ大切なお役目ですわ」

 まだ大人にもなり切らないような年頃の青少年に対し、あまりにことを急いていないだろうか。
 そう思う一方で、彼を知るイージアスもまた、いくらかケリドウェンの言葉に同意する思いもあった。彼は色事に関しての関心が――そもそも、あるかどうかわからない。少なくとも、イージアスが彼と会話をする上で、そういう浮いた話が出たことは一度もない。彼の心中にあるのはただ――それを思いながら、イージアスは青い瞳を哀しげに伏せた。

「周囲に諭されるものでもないでしょう。殿下は太子たる重責について、大いに理解をなさっておられるかと。ご心配には及びません」
「そのご年齢で未だお独りでいらっしゃる候こそ、いささか悠長が過ぎるというもの。説得力を欠きます」
「……手厳しいことをおっしゃる」
「誤解しないでちょうだい、非難しているのではなくってよ。……もし殿下にいい人がいらっしゃるのなら、他の女を宛がうというのも酷なもの。もし候が知っていらっしゃるというのなら、その者を宮に入れても構わないのだけれど、どうなの?」

 ケリドウェンは思案げに扇で手遊びしている。他意はなく純粋に心配しているのだろう。誰かへの想いがあるのなら、それを踏み躙るつもりもないという。
 本来、その素質を認められなければ選ばれることはない職務だ。だが、過去に幾つか特例があったことも事実であり、現在も巫女の中に、特例として宮入りした女がいる。暗黙の了解というものだ。
 だが、イージアスの知る限り、彼にそういう相手がいるわけでもない。やむなくゆるりと首を横に振る。

「存ぜぬことです。大副が国をご案じになるお気持ちは、よくわかりましたが――どうぞ今回は私に免じて、殿下をお見守り下さい」

 ケリドウェンはどこか納得しきれないかの表情で――しかしそれ以上言い募ることはなく、諦めのように一つ嘆息した。

「……よろしいわ。あなたの顔を立てましょう」

 ほっと安堵するイージアスに、しかしもの惜しげな呟きの一つはぼそりと零している。

「せっかく可愛いひよこちゃんたちなのに」
「……手を付けないで下さいよ」
「手を付けるも何も、東の宮には入れないことぐらい、ご承知でしょうに」

 仮に入れるなら、手を付けるのだろうか――と思って、そんな考えにいささかゾッとしながら、イージアスはげんなりと首を横に振る。ケリドウェンにだけは独り身をとやかく言われたくない――などと思っていると。

 不意にケリドウェンの表情が、それまでにない深刻な色を帯びる。その声音からも甘さは失せ、無機質な印象ばかりが強く出る。

「まあそうですわね、他にも優先すべき問題は山積みですもの。――あなたがご案じになっていることも、その一つ」

 イージアスは思わず周囲に視線を巡らせた。
 音楽と美食の揃った夜会の場は、和やかな懇談の空気に包まれたまま。誰も二人の会話に注意を払う者はいないようだ。
 それを確認して安堵しながら、声をひそめて問い返す。

「……何のことでしょう」
「とぼけても無駄よ。案じているのは何もあなただけではないのだから。魔法協会からの非難も増す一方で――いつまで同じ遣り方が通じるのでしょうね」

 神秘に隠して魔法の制限を設け、魔法の発展を妨げるブリード教。そして同時に、それ以外の教えを排斥し続けるガレシア軍。それを指示するスヴァローグ家の治世。
 すでに破綻は見えている。それでも他に方法はないと、現王は強硬に同じ姿勢を続けている。異端を排斥し、ブリード教を支持し続けている。それが余計にブリード教への反発を強める要因の一端であることに、理解があるのかどうか。

「………………」

 巫女であるケリドウェンがどういう立場であるかはわからない。だが、先行きを憂うという点では同じ立場にあるのだろう。そんな彼女に対し、イージアスは何も言えずに黙り込んでいた。

 返答に迷っていると、会場を行き交う使用人の一人がイージアスに近寄ってきた。
 それとなく小さな紙切れを手に握らされる。首を傾げながらそれを広げ、そこに走っていた文字を目で追うと、イージアスは紙切れをしまいながら軽く頭を下げる。

「失礼、大副。召喚がありましたので、私はこれにて。……ウルスラには私の方から伝えておきます」
「あら、わたくしより優先すべきお相手がいらっしゃるなんて、隅に置けない方」

 からかうような軽口に、どうして彼女はそういう色事に関する話題が好きなのだろうかと思いながら、イージアスは曖昧な顔色で首を横に振った。

「殿下よりの召喚です」

 正直に答えると、ケリドウェンは「それでは仕方がないわね」と軽く肩を竦めた。大人しく解放してくれるようで何よりだ。艶めかしい誘い文句が出る前に逃れられることに安堵しながら、イージアスは恭しく礼を取る。

「これで失礼つかまつります」
「ごきげんよう」

 ひらひらと優雅に扇を振るケリドウェンに背を向けて、そそくさと立ち去る間際。

「あなたの可愛いひとによろしくね」

 冗談めかした一撃にずっしりと肩を落としながら、イージアスは夜会の会場を後にした。



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