聖宮の巫女 13

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 ――もっと近くて、行き来が楽な場所に来る気はないのか。

 そう呆れる少年の顔を思い出しながら、イージアスは自室への道を引き返す。王城内に用意された客間はぽつんと一室離れており、王城内の喧騒から隔絶された静寂の中にある。当然のこと、訪ねてくる者にとっては、この客間は遠くて不便な位置にある。頻繁に訪れる者の立場からすれば、迷惑といって過言でもないだろう。

 部屋の前に戻ると、扉を叩いてから入室する。足を踏み入れれば、仄かな照明の中、二人の人影が室内にあった。一人はウルスラだ。
 彼はイージアスの姿を見咎めて、わずかに微笑んで入れ違いに退室しようとする。

 だが、もう一人の少年が、そんなウルスラを呼び止めた。

「ウルスラ」

 いい、と言うかのように首を横に振る。それを見て、さらにイージアスの意向を伺うように視線を向けてくるウルスラへと、イージアスは一つ頷いて見せた。彼が必要ないというのなら、それでいい。
 改めて窓際へ立つ少年へと恭しく礼を取り、イージアスは淡々と言葉を発する。

「仰せに従い、まかり越しましてございます。お呼び頂ければどこへなりとも参じますが」
「いい」

 窓際に立っていた少年は、短く一言で切って捨てる。少し困った顔を伏せながら、その言葉を受け止めていると、少年が身じろいだ。

 正妃、ハリス神祇伯の第一王子にして、スヴァローグ王家、継承権一位の王太子。まだどこか青年になり切らない、青さを残した声音が、苦笑混じりに言葉を紡ぐ。

「大した用事もないのにあなたを出向かせたとあっては、却ってこちらが恐縮してしまう」
「そのような――いずれ人の上に立つ御身で、人を呼び付けること一つにすらお心を砕かれていては、とても身が持ちません」
「それもだ。頭を上げて貰えるか。あなたに畏まられると、どうにも居心地が悪い」

 笑みの滲むその言葉に、イージアスはゆるりと頭を上げた。
 立ち上がり、窓際の壁に凭れる少年をまっすぐに見据える。

 微光を纏っているかのような、真っ白な祭服。仄かな照明に照らされて輝く月白の髪。無彩色に等しい装いの中、一級の紅玉を飾ったかのような赤い瞳が、ひたすらに鮮やかで印象的だ。

 彼はふと何かに気付いたように、赤い瞳を一度逸らして、かと思えば今度はどこか悪戯めいた瞳でイージアスを見る。

「だがそうだな、訪ねて来られて申し訳ないとあなたが思うなら、もう少し寝殿に近い客間を用意させるのだが?」

 ウルスラが堪えきれないというように、くすくすと笑う声がした。その笑声をきっかけに、イージアスは堅苦しい態度を投げ捨てるかのように、撫でつけた髪をくしゃりと乱す。重々しいコートを肩から落とし、身なりを寛げて椅子に放った。

 ――言い返されることに彼の成長を感じていいものか、否か。

「どうぞご勘弁を。ロキウス殿下」
「『ロキ』」

 イージアスは諦めたように笑って、ロキへと椅子を勧めた。

「……夜会から逃がして貰ったことには感謝するが。せめて座ってくれ。ロキ」







 目の前にいる少年はもう、今年十七になるという歳の頃だろう。
 ――確かに、ケリドウェンが心配する気持ちも、あながちわからないではない。そうイージアスは内心で思った。

 室内に立っている護衛の男などは、十七になる前から王城内にずいぶんな浮名を流していたものだ。それとはまるで対照的に、このロキという王太子はどこか浮世離れして、俗な話題にも色めいた話題にもまるで関心がなさそうだ。本当のところ、イージアスもそれに関して何の心配もないと言えば嘘になるだろう。

 祭服を身につけているのも、心配を助長する一つだ。ブリード教の熱心な信奉者で、教えに恭順な姿勢を取り続けている。祭儀の類でもなければ酒精を嗜まず、日に三度は拝火の儀に通う。教えを蔑ろにせず、反抗的にならず――だがしかし、その上でどことなく一線が引かれているように感じる。無論それはイージアス個人の恣意的な解釈だ。だが――ロキは本当のところでブリード教に熱心なわけではなく、彼の心の中にあるのはもっと別の――

 茶を飲みながら向かい合うと、ロキがぽつりと口火を切った。

「……聖宮に行ってきたのだが」

 心底驚いて、ケリドウェンとの会話や自分の思いをどこかで見透かされたのかと、一気に背筋が冷えた。唇をつけた陶器の茶碗を傾けることなく、動揺を堪えながらゆっくりと机に戻す。
 たった一言で色々な感情が頭の中を駆け巡った。無用の心配をしていただの、いやしかし、あのケリドウェンがそのことを知らないとはどういうことだろうだの、昔から知っている少年の成長を感じて色々と感慨深い思いだの――とても一言で表しきれない、手放しで喜びきれない複雑な想いだった。

 だが、二人の心中をどこかで感じ取ったか、ロキは慌てて首を横に振った。

「伽に……行ったわけではなく。そういう期待をされているのはわかっているが。申し訳ないが、今回はそうではなく」
「……そうか」
「すまない。白状をすると――前々から、聖宮に行っては、いた。気がかりがあって――いや、気がかり、というか」

 どこか歯切れの悪いロキの話に、イージアスは怪訝な顔をする。
 東の宮に王太子が訪ねることを、非難する人間などいない。むしろ祝いの一つも捧げられる慶事だ。だが、ロキは周囲が期待するように伽に行っているわけではなく、そして同時に、聖宮に行っていることを知っている者もいないという。

「忍び込んで……いると?」

 ロキは否定も肯定もしなかった。それが何よりも肯定の証だと訴える。彼は気まずそうに目を逸らして、やはりどこか歯切れの悪い口調で答える。

「……東の宮が目的ではなく……」

 東宮に行くのであれば、忍び込む必要などはない。けれど、そうではないから彼は無断で聖宮に忍び込んでいる。
 その一言に、イージアスはやはりと思いながら彼の言葉を継いだ。

「本殿の最奥。地下の……」

 聖宮の東の宮からも廊下が渡されている、原初の火を祀る聖宮の本殿。その地下。王族の中枢と、巫女の一部。官僚、貴族の中でもごく一部の者しか知らされていないが、そこには立ち入り禁止の神域がある。過去、不運にも誤って迷い込んだ聖宮の使部は、巫女によってその記憶を消された。その必要があるほど、立ち入りを厳重に管理される区域だ。
 そこに彼は忍び込んでいるのだ。そう理解して、思わず嘆息混じりの言葉になった。ロキはまるで叱りを受ける子供のように、ばつが悪そうな顔でそこに座っている。

「……咎めるか」
「いや。……よく考えれば、そうしない方が却って不思議というものだ。むしろ」

 穏やかな声でイージアスは一度言葉を切り、矛先を別に向ける。

「手引きをしているそこの馬鹿を咎めるのが先というところか」

 室内にいるウルスラが「おっと」と、思いがけないという態度を装って呟いた。
 ロキが一人で聖宮に忍び込むことなど、できるはずもない。となれば誰か協力者がいる。聖宮の外回りの護衛はガレシア軍が固めており――そこまで考えれば結論は一つだ。断言できる。ウルスラが協力してロキを聖宮に通している以外ない。

「ウルスラを咎めないでくれ。私が頼んでいることだ」
「ロキが頼むからと安請け合いして軍紀を蔑ろにする軍人がどこにいる。お前の気持ちはよく理解しているし、お前は少しも悪くない。ただ自分の立場というものを危うくし、かつ私への報告義務も反故にしたこの軽佻な男にこそ全幅の非がある」
「いささか俺に対する当たりが強い気がするのですけれど、思い過ごしでしょうかね」

 イージアスは冷たく「日頃の行いだ」と吐き捨て、それ以上は何も言わなかった。ウルスラも一つ首を傾げただけで、反論を諦めたように口を閉ざす。

 と、イージアスはふと青い瞳を伏せる。

「……やはり、納得がいかないだろうな」

 彼が何を気がかりとし、聖宮に忍び込むような真似をしていたか。充分に理解ができた。そして、そんなロキの心情にも理解が及ばないわけではない。――この国の仕組みについても。
 問われたロキは、沈んだ顔色でぽつりと言う。

「私一人の感情で、国を乱す気はない。ただ……理屈の上ではそうでも、どうしても……納得がいかないのは、私が――事の重さを理解していないということに、なるだろうか」
「いいや」

 イージアスはゆるく首を横に振った。
 その心痛がありありとわかる。いずれこの国を、人一人には過ぎるほどの重責を担う彼にとって、さらに負担を掛けるような事実だ。むしろ、どうにかしたいと――そう思わない、何も感じない人間に玉座に就いて欲しくはない。そんな、ひどく利己的なことさえ考えてしまう。それが彼を苦しめることであっても。

「急いて自分を納得させることはない。よく考えるといい。お前がどうしたいのか」
「……私が、どうしたいか、か」

 おうむ返しに呟いたロキは、何かを考えるように押し黙った。
 長い睫毛を伏せると、霞がかったようになる紅玉の瞳が、思案げに何度か瞬く。沈黙の後、ロキはぽつりと会話を再開した。

「宮で、巫女に会った」
「! お前――」
「心配しなくていい。東の宮の新しい巫女だ。私のことは知らなかった。……さすがに巫女だな。私と並ぶ魔力の持ち主など、初めて見た」

 本殿に忍び入ったことが知られたかと思ったが、違うようだ。相手はロキが誰だかわかっていないらしい。ロキは心配を不要だと言いたげに首を横に振る。
 だが、驚きの声を発したのは、今度はイージアスではなく控えているウルスラだった。

「何を驚いている」
「いやなに、殿下に匹敵する人間がいるとは思わなかったもので。そうごろごろとそこいらに転がっているもんでもないでしょうに」

 ウルスラが驚いた理由にようやく得心がいき、イージアスは「ああ」と声を上げた。
 ロキもしみじみと意外そうな声で続ける。

「私も初めて見たが――何というか、とても珍しかった」
「いや珍獣じゃないんですから」
「口を慎め、ウルスラ」

 ロキの魔力が群を抜いて優れていることは、王城では広く知られた事実だ。そうでなければ継嗣として認められるものではないが――父であるガレシア王も、母であるハリス神祇伯をも優に上回る魔力を備えている。他の異母兄弟たちとさえ、比べるまでもない大差がある。ウルスラに『視点を切り替えないと魔力が邪魔で姿が見えない』とすら言わせる桁外れの魔力の量らしい。
 それに匹敵する人間がいるなど、今までになかったことだ。

 珍獣呼ばわりに「そんなつもりはないが」と苦い笑みを浮かべながらも、ロキ自身どこか信じられないとでもいう態度に見える。

「何というのだろう――うまく言えないが。圧倒されるが、嫌な感じはなく……あのような魔力の波形は、あまり見たことがない。本当に、珍しいとしか言えないな」

 と、そこまで言って、本題ではないと言いたげにロキは首を横に振る。

「ともかく、その会った巫女が、どうにもつらい目に遭っているようだ。おそらく、嘲弄の対象になっている、と思しい。聖宮では得てして起こりやすいと聞くが、本当か」

 不安そうな問い掛けに、イージアスもロキ同様に顔色を曇らせた。

 東の宮に多く新米の巫女が入ってきて、何事もない方がむしろ無理というものだ。ただでさえ古くからいる聖宮の巫女は灰汁が強い女たちばかりだし、閉鎖的な環境も災いして表に出にくい。新しく巫女が入るたび、心を病んで自ら命を投げ出す娘も現れる。
 せっかく招いた巫女を失うのは、本意ではないが――

「何かと一人に矛先が集中しやすいとは聞く。噂しか入らないのがもどかしいところだが……」
「彼女もそうなのだろうか。監督役の巫女がいるのではないのか」

 いるだろうが、見て見ぬ振りか、あるいは――というところだろう。
 ロキは顔色を曇らせたまま訝しそうに呟く。

「彼女はそれほど悪いことをしたのだろうか」
「悪目立ちするとか、きっかけがあれば、そのあとは理由なんて何でもいいもんですよ。抑圧された生活で捌け口を探すのは、別に珍しいことでも何でもありません。いくらお綺麗に取り繕ったところで、一皮剥けば巫女もしょせん人間。そんなもんってだけです」

 ウルスラが冷めた口調で言い放つ。イージアスもそれを否定できず、沈黙を肯定に代えた。
 沈むロキに気遣いの欠片も見せず、ウルスラはついでのように言い放つ。

「男が割って入ってどうにかしようとでしゃばると、却って面倒なことになるだけですよ」
「そういうものか……」
「何です、その巫女にご執心ですか? 聖宮にお渡りのご予定を申し入れておきましょうか」

 茶化したようなウルスラの口調に、ようやくロキが少し笑った。違うと首を横に振り、どこか寂しそうな笑みを滲ませた。

「……つらそうな彼女が、私と似ている気がして。彼女を救ったつもりで、自分が救われたような気になった」

 どういうことかと首を傾げるが、ロキは詳しく説明をする気はないらしい。聞いてくれるだけでいいとばかりに、瞳を笑みに細めている。

「――でも私はまだ、いじけた子供のまま、何もできていないようだ」

 自嘲気味の呟きの意味を薄々察して、イージアスは黙ったまま、困ったような視線をウルスラと交わした。








 ロキが退室する間際、護衛を兼ねて同行しようとするウルスラを呼び止めた。

「その足でリュース大副へ使いに行ってくれ。まだ夜会の会場にいるか、もしくは……」

 どこかの誰かを捕まえてすでに寝所になだれ込んでいるか。仮にそうだとしてもウルスラなら気にせず寝所でも入っていくだろう。自分なら絶対嫌だ――などと思いながらも言い付ける。
 扉の前で足を止めて振り返り、ウルスラは恭順に礼を取った。

「仰せのままに」
「使いの用向きは……」
「承知しております。ご安心を」

 言うまでもないというようににっこり笑って、ウルスラはロキを伴い部屋から廊下へ一歩出た。
 その、扉を閉める間際。

「ですから、戻るまでにその不快な匂いを落としておいて下さいよ!」

 不満げに滑り込んでくる声にがっくりと脱力しながら、イージアスはさきほどまで自分が纏っていた、椅子に掛けていたコートに顔を埋めてみる。ウルスラの言う匂いについて確認して、確かにこれは――と思いながら溜め息を吐いた。

 ケリドウェンの香の匂いが染み付いている。おそらくコートだけに留まらないだろう。湯浴みを済ませなくてはいけない。
 億劫に思いながら、イージアスは髪を解いた。面倒だが、機嫌を損ねても厄介だ。何もないとはわかっていても、嫌なものは嫌だというところか。

 しかし、どうしても納得できないというような呟きの一つも漏れた。

「代わりにお前が付けてきたら意味がないだろうが……」





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