聖宮の巫女 14
© 2019 sasori_bi
朝起きて、決まりごとのように朝議を受け、それから朝食をとる。
毎日、空腹を感じるということがない。食べてはいても、砂を噛んでいるかのような不快な食事だ。毎日三度、その苦痛な時間を味わっていた。決して不味い食事が出ているわけでも、質素なものでもないというのに、ただ生かされるために食べなければならない食事は、なかなか喉を通ってくれない。
味気ない食事を繰り返すごとに、かつての自分から遠ざかっているようだった。
朝食が済めば、粛々と聖火の塔へと移る。
東の宮からあちこちに伸びる渡り廊下の一つを通り、灯火具に湛えた聖火へ並ぶ。決まりきった日常の規則の一環。まるでそういう習性の動物か何かのようで、時々それがふと不気味に感じるほどだった。
塔でのフローレインは、いつも最後まで順番を待っていた。魔力をくべるのに、周囲の巫女と比べてさらに時間が掛かるからだ。聖火を拝する間、ひそひそと陰口を叩かれ続けるのも憂鬱でたまらない。だったら遅くなっても、人が薄くなる最後で構わない。そう思ってのことだ。
――だが、それを知ってか知らずか。おそらく前者ではないかとフローレインは感じていたが、事実はわからない。
その日は階段上の聖火の傍に立っていたゼズルカ大祐が、フローレインを険のある声音で呼んだ。
「アステリア大史! あなたいつも講義の場に現れるのが遅いのですから。先に済ませなさい。もたもたしないで」
名指しを受けて、周囲の娘たちがくすくすとひそみ笑いを零している。フローレインはわずかに眉をひそめ、だが反論することもなく黙って、修道服の裾を摘んで歩き出す。
ゼズルカ大祐が不快げに目を眇めた。
「返事もできないの?」
「……申し訳ありません」
「申し訳ありません、ではないわ」
どう答えれば彼女の気が済むのか、何度頭を悩ませてもわからない。――そもそもどう答えようとも、彼女が満足することはないのだろう。彼女が自分に攻撃的なのは、彼女自身が満たされていないだけで、そしてたまたまそこに目についた自分がいた。それだけのこと。そう思うしかないのだ。
――自分に非があるなどと、そんな誤りを自分に聞かせていた自身こそを殴ってやりたいと思った。
こっそりと溜め息を逃がしながら階段を上る。身体が重くてたまらないのは、それだけ憂うつな気分がそうさせるのか。
「遅いのは何も、講義の場に現れるのだけではないのではないの」
「いやだ、いくらなんでもひどいわ」
後ろで可笑しげに囁き合う声を聞きながら、聖火の前に立つ。隣にいるゼズルカ大祐が冷ややかな視線を注いでくるのを横目に確かめながら、フローレインはほとんどもう投げ出すような思いでそこに立っていた。
嘲りから自分を守るために自分の周囲を固め、同時に縛り付けていた、こうあるべきという固定観念。こうしなければらならないという強迫観念。――そんなことをしたって、別になにも変わりはしなかったけれど。
ここにいる巫女たちは、外見だけは美しい少女の姿をしているのに、とてもそうと思えないのは、その中身の醜悪さのせいだろうか。麗しい笑顔の下で、他者を嘲弄して歓びを得るような、見下げ果てた性根だ。けれど自分も大差ない。限界までため込んだ呪詛のような感情で、腹の内はきっと真っ黒だ。
フローレインが白い腕を聖火にかざす。傍に寄ればじりじりと肌が熱い。どうしても足元を危うくする恐怖に、ごくりと喉を鳴らす。
左腕に絡む結い紐の存在を意識しながら、フローレインは左右で違う瞳を瞑り――そして、キリリと聖火を睨んだ。
今思えば不思議でならない。魔法一つ奪われたごときで、どうして自分はあれほど無力な小娘になっていたのだろう。
「でも、能力も伴わないのに、協会と礼拝堂に贔屓されて任官されるというのでしょう? どうなのかしらね。金貸しの娘が、一体どんな手を使ったらそうも出世できるのか」
「あら、卑しい出身の女が使える手なんて、決まっているんじゃなくて? どうせそういうことなのでしょう、聖宮に来るのが遅くなったのだって、きっと何か……」
――響き渡る轟音が、ドン、と塔を揺らした。
「きゃ……っ!」
「なに!?」
後ろで少女たちが悲鳴を上げている。それを何の感慨もなく耳に入れながら、フローレインは火に炙られる指先へとさらに魔力を込めた。
フローレインの眼前で、聖火が大きく火柱を上げて燃えている。恐怖を感じるほど激しく――石造りの塔の天井を焦がすほどに高く、凄まじい勢いで炎は上がる。
ごうごうと、激しい音を立てながら、今にもフローレインに、そしてその背後にいる巫女たちに覆い被さってきそうな、悪魔のようなおぞましさで燃えていた。熱風が巻き起こり、フローレインの金の髪が激しく煽られる。
だが、フローレインは魔力をくべる手を緩めることをしなかった。
(……まだ、もっと)
注ぎ込む魔力の量は、普段の比などではなかった。それを、眼前の業火は目に見えて現している。
桁違いの魔力を燃料にして、炎は尋常でない大きさに膨れ上がり、塔全体に熱風が渦巻いている。
背後の少女たちが悲鳴を上げながら、ある者は床にへたり込み、ある者は他者の陰に隠れ、各々が恐怖に惑っていた。拝火の儀で目にする事象とはあまりにもかけ離れた光景に、何事が起きているのか理解していない表情だった。あるいは、理解したところで目の前の恐怖が薄れるわけでなく、ただただ目の前の事象に慄いていた。
フローレイン自身、脚が竦んでいた。迫る火の粉から逃れるために、一歩後ずさることさえできない。じりじりと肌を炙る熱とは裏腹に、背中は冷たい汗が伝う。脳裏を過ぎるのは、幼い頃、初めての拝火で炎に巻かれたあの記憶だ。
けれど。
(まだだ、もっと)
注ぎ込む魔力で炎はわずかに後方へ流れて、フローレインの身体とは反対の方に傾いている。魔力の勢いを少しでも緩めればたちまち炎が押し寄せて、身体は炎に包まれるだろう。それがわかっているからこそ、フローレインはこの上さらに多量の魔力を注いでいく。
――魔法などなくても。
目に物見せてやる。そう炎のような怒りの中で思っていた。
周囲が自分の扱いに納得がいかないというのなら、その能力があるのだと示せばいい。自分が認められたのはこの魔力で、家柄でも出自でも何でもない。ならばそれを見せればいい。
誰しもに認められてきた魔力。
それ一つが周囲とは桁違いであることを、とくと見せてやればいい。
身の内から溢れる魔力はまだ底に至らない。際限なく湧き出ているかのように、どんどん溢れてくる。今まで底だと思っていたものが、今はもうなんだかわからない。自分の中にこれほどの魔力が備わっているのかと自分で驚くほどだった。
思えば、自分の魔力の限界を試したことなど、なかったのだ。
(もっと、もっと――燃やし尽くしてしまえばいい!)
恐怖で強張る身体でも、なぜか頭の中は抑制が弾け飛んでいた。魔力はまだ尽きない。ありったけの力で炎を燃やしてやりたい。塔の頂点に辿り着くほど激しく。灯火具から溢れて、塔の床一面に広がるほど。
ごう、と音を立てて熱風が渦巻く。ひと際強い風に、少女たちの悲鳴が続く。だが、不思議なほどにその声がフローレインの耳には届いていなかった。
自分の底が知りたくなっていた。だから止めなかった。自己顕示欲に似ていたそれが、すでに探究心にすり替わっている。
(燃えろ、全部――涙も、憐れみも、何もかも!)
「アステリア大史!!」
フローレインの意識の中に、急に甲高い声が割って入った。
続いて聖火に翳した腕を掴まれ、乱暴に妨げられる。我に返ったフローレインの目に、憔悴し切ったゼズルカ大祐の表情が映り込んだ。
「何をしているの……大史!! お止めなさい!」
「! 危な……」
強制的に拝火を妨げられて、今まで傾いていた炎が押し寄せてくる。炎に呑まれる――そう思った。そして、さっと血の気が引いた。
だが、聖火はフローレインの方に寄り返してくることなく収束し、元の聖火の姿を取り戻していく。何かに押さえ込まれたかのように、魔力を燃やしていたあの業火は姿を潜ませ、穏やかに灯火具に収まりながらゆらゆらと火を湛えていた。
「…………?」
誰かが魔法を使った形跡もない。もちろん自分もだ。炎を収めるときには、人目にわからないように魔法を使おうと思っていたはずなのに、その必要もなくなってしまった。――自分にとっては都合のいいことではあるが。
一体何が起きたのだろう。偶然にしては、炎の収縮がどこか不自然だった。周囲は混乱でそんなことに気付いてはいないようだが、炎を扱っていたフローレインにはわかった。
怪訝に思いながら、しかしフローレインはゼズルカ大祐の痛いほどの拘束を解く。爪が食い込むほど必死だったのだろうが、それにしたって無遠慮が過ぎるのではと冷ややかな思いになる。
明らかに周囲に聞こえるように、フローレインは嘆息混じりの声を上げた。
「――凡俗がうるさくて、気が散ってしまったわ」
一瞬、時間が止まったのではないかと思うような静寂だった。
それほどに、周囲が絶句しているのがわかった。
眼前のゼズルカ大祐もそれは同じで、恐怖と突然の暴言に、すっかり言葉を失っている。それをいいことにフローレインは誰にともなく言葉を重ねた。
「能力が伴わない……なんでしたかしら。どんなにご立派な家柄か存じませんけど、そんな発想が出る辺り、ご性分は金貸しなどよりずっと卑しいのではないかと私には思えますけれどね!」
反論の声一つさえ返っては来なかった。恐怖から解放された安堵で、それどころではないのかも知れない。そんなに離れたところで見ていただけのくせに、なぜ一番炎の傍にいた自分よりも怯えることがあるのだろうかと、いっそ可笑しいような思いだった。
代わりにすっかり取り乱したゼズルカ大祐が、形相を歪めてひどくいびつに怒りを露わにする。
「何を言っているのかわからないわ! 自分のしでかしたことについて説明をなさい!!」
「何を? 拝火の儀です。少々魔力の量を誤りましたが、慣例通りです」
何もやましいことはしていない。聖火に魔力をくべた、ただそれだけだ。ただそれだけのことが――自分の魔力一つでここまでの騒ぎになったことは、予想の範疇をいくらか超えていたのは事実だが。
フローレインはまったく悪びれた顔をせず、淡々とゼズルカ大祐に言葉を返した。ゼズルカ大祐は一瞬呆気に取られたように、言葉をなくしている。
その隙に「それよりも」とゼズルカ大祐へたたみ掛けた。
「そもそも拝火の堂は無用の私語を慎むべきだと、私は幼い頃より礼拝堂の巫女に教えられてきたのですが。まさか聖宮は例外だとでも? 巫女ともあろう方がご存じないということも、まさかないと思いますが!」
「だからどうだというの!? 自分がどれほど恐ろしいことをしたのか、自覚していないの!?」
「些細なことで心を乱した私にも非はございます。ですが、拝火は厳粛な場で、神聖なもの。そして、火を扱うに相応の危険があるということも、よく知られているはず。ですから聖火の間では私語が禁じられている。違いますか」
礼拝堂でよく叱られる子供たちを見掛けた。自分も同様に叱責を受けたことがある。フローレインが炎に巻かれた事故があったように、同じような事故が起こらないとも限らない。拝火の際の妨げにならないよう、私語を慎むべきと言い聞かせられて育った。それはどこも例外はないはずだ。
気色ばむゼズルカ大祐は、フローレインの問い掛けを聞いているのかいないのか。淀んだ双眸でフローレインを睨み付けてくる。
「よくもそう悪びれもせず……あなた!」
「私は違うかどうかと伺っているのですが、それに対する返答をいただけますか」
いつもの意趣返しにしてはずいぶん丁寧な言い回しをしたつもりだが、通じているのかはわからない。
だが、面食らうゼズルカ大祐へと、フローレインはさらに追及を続けた。
「なぜ大祐が意義なき私語を黙認なさるのか、私にはわかりかねるのですが、それが一体どういう了見によるものか、納得がいくようにお教え下さい。御巫、ゼズルカ大祐!」
返答次第では、聖宮の巫女としての資質を疑うことだろう。いや、とうに監督役としての資質はもうずいぶん疑っていたが――曲がりなりにも御巫には変わりない。おそらく共通であろう礼拝堂の規律を、自分の私情で捻じ曲げることまではしないのではないだろうか。そう願っていた。
どう答えるのだろうかと試すような思いで返答を待っていると、ゼズルカ大祐は頬を怒りで真っ赤にしながら声を荒げた。
「愚かな真似をしておいて、何をもっともらしいこと……あなたには謹慎を申し付けます! 懲罰房で頭を冷やしなさい……!!」
ゼズルカ大祐が激昂するほどに、フローレインの心中はいっそう冷ややかになっていく。
「私は大祐のお考えを伺っているのですが。質問にお答えいただけないと?」
「私は巫女たちがそれほど目に余る私語をしているとは思いませんでした!! あなたの忍耐力の欠如に問題があるのではなくて!? これはあなたの任官の資質を疑うべき問題行動です! 報告を……」
「どうぞご自由に」
フローレインは身を翻し、拝火のための階段を下りていく。最下段までたどり着くと、はるか上にいるゼズルカ大祐を見上げて、毅然と言葉を返した。
「処罰について、仰せの通りにいたします。ですが、私に非があるというのなら、原因となった者にも等しく非を追及するのが規律というものであって――感情的な判断で偏った罰を下すのであればそれは、単なる私刑でないかと存じますが」
その私刑を判断し、咎めるべき人間がこの東の宮にはいないのだから、どうしようもない。
ブリード教の総本山ともあろう機関が、機能不全もいいところではないか。そうフローレインは思いながら。
「その判断を下すのは私ではないということは、承知の上で申し上げました。懲罰房ですね。失礼いたします」
洗練された動きで優雅に一礼して見せる、その心中はひたすらに冷ややかだった。
位置的にはフローレインが見上げる側に立っているのに、まるで優位に立ったような気分だった。醜く歪むゼズルカ大祐の表情を見上げ、同じ年齢になったとしても、ああはなりたくないものだと、呆れた思いで視線を背けた。
それから、畏怖や恐怖がまざまざと含まれた衆目を一身に受けていることに気付く。フローレインはそれらを涼しい顔で見返して、一言冷たく吐き捨てた。
「――ごきげんよう」
優雅に修道服を翻し、足取り軽く拝火の塔を後にする。
自分から処罰を受けに地下牢に向かうというのも滑稽な話だが、そう言い渡されたのだから仕方がない。無理やり連れていかれるよりよほど潔い心持ちがするというものだ。
そして、人気のない廊下をひらひらと歩きながら、フローレインはわずかに肩を落とした。
――見習うまいとは思っていたのだけれど。
クランカイトの遣り口をわざわざ真似てみる日が来ようとは、夢にも思わなかった。
あの回りくどい嫌味はクランカイトの常套手段だ。実際やってみてどうかというと、やはり実験的というか、必ずしも模範解答ではない気がするが。
「まあ……気晴らしには、なったわね」
この後のことを考えると、さらに気が重くなる面は事実だ。クランカイトはよくもこんな、後から何を言われるかわかったものでもないのに、多方面に向けて無差別に喧嘩を売れるものだと、つくづく感心していた。無論、悪い意味でだ。
だが、そう思いながらも、胸が空いたのも本当で。
幾らか肩の荷が下りたような思いで、地下を目指して歩いていると、不意になんとも言えない違和感が去来する。
「!」
フローレインは弾かれたように周囲を確かめて、思わず違和感に首筋を擦った。
「視線…………」
誰かの視線を感じた気がした。
それも、何か感情の機微が含まれたものではない。陰口を囁かれる時の、あのなんとも言えない値踏みするような視線ではない。もちろんのこと、好意的な視線でもない。ただ何か――ただただ大きな違和感に、ぞわりと背筋が粟立っていた。
周囲を見回しても、人気はない。神部の巫女どころか、聖宮の使部の姿すら一人もない。
誰もいない場所で、一体誰の視線を感じることがあるのだろう。
「気の……せいかな」
どこか納得しきれないような思いで、フローレインは呟いた。だが、現にここには誰かの目などありはしない。それで自分を納得させるしかなかった。
首を捻りながらも、ひらひらと修道服を風になびかせながら、フローレインは地下にある懲罰房を目指して歩いていった。
© 2019 sasori_bi
prev / next