聖宮の巫女 16

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 ユージオが寮の自室に戻ると、驚くべきことに窓際には、何の前触れもなく待ち望んだ姿があった。
 ユージオの物音を聞き付けて、黒い影のようにそこにいたネヴィンが一声鳴いた。ユージオは窓に駆け寄り、扉を開けてネヴィンを内に招き入れる。

「驚いた。ずいぶん遅かったみたいだけど。怪我は……」

 ネヴィンはこてりと首を傾げて、黒い瞳でユージオを見上げる。言葉が伝わっていないので、ただユージオの声を聞いているという状態だろう。だが、ぱっと見では痩せてもおらず、翼の艶も健在だ。傷らしきものも見つからない。
 ネヴィンは跳ねるようにして部屋の中へぴょんと飛び込んできた。その脚には小さな紙切れが括り付けられている。それを見たユージオは思わず呟いた。

「レイン」

 驚いた勢いのままネヴィンに手を伸ばせば、驚かせてしまったのか、ネヴィンが羽ばたいてユージオの腕を逃れる。盛大に空ぶって、窓の桟に突っ伏した。

「お前ちょっと……レインには逃げないくせになんで……」

 遊んでいる場合ではないのだが。
 頭にちょんと止まったネヴィンを払い除け、ユージオは気を取り直して再び顔を上げる。
 瓶に入っていた木の実をネヴィンの足元に置いてやると、ネヴィンは夢中で木の実をつつき始める。その隙にそっとネヴィンへ手を伸ばし、細い脚に巻かれた紙きれを解いた。
 息を吐き、開こうかと少し迷った後、ユージオは身を翻した。

 部屋を飛び出し、逸る気持ちに押されて足早に廊下を進む。同じ寮の上階がクランカイトの部屋だ。扉が並ぶ廊下を突き当たりまで進み、階段を一段飛ばしで登って――危うく上級生に見咎められそうになったところで、何事もなかったかのように一段ずつ足を掛ける。
 と、平静を装いながら階段を上り切ったところで、ちょうどアーサーに鉢合わせた。

「ああ、丁度良かった。ユージオ、少し質問が……」
「後だ」
「? どうした。妙に慌てているようだが」

 一言でばっさりと突き放して先に進もうとするユージオの後を、アーサーも追い掛けてくる。ユージオは紙片を握り締めたまま迷わず答えた。

「レインから返事が来た」

 一瞬、アーサーの足が止まった。

「ちょっ……」

 すぐに慌てて後ろを追い掛けてきて、肩を掴まれる。ユージオは足を止めずに構わず先を急いだ。

「あのカラス……えーと」
「ネヴィン」
「そう、そのネヴィンが戻ったのか」
「たった今な。……カイト!」

 クランカイトに割り当てられた部屋の前で急停止し、ユージオは許可が下りる前に扉を開け放つ。
 中にいたクランカイト――ほぼ制服を脱いで着替えようとしていたところだった――の姿をユージオが捉え、大股でずいと詰め寄る。

「返事!」
「いやお前、同性だとしても着替え中に入ったことを少しは謝ったら……」

 後ろから掛かるアーサーの咎めを、双方聞いていなかった。ユージオの態度と、手にした紙片を見て、おおよそ何の返事なのか察したのだろう。クランカイトは上掛けを肩に羽織って、ユージオへと手を伸ばす。

「なんて?」
「まだ見てない。読め」
「聞けよ!」
「内容、聞くのか?」

 渋々というようなクランカイトの問い掛けに、アーサーは大声で「聞く」と叫んで部屋に入り、扉を閉めた。
 小さく折られた紙片を広げ、軽く目を通したクランカイトは、嘆息混じりにその内容を声に出した。

「――『ちゃんと生きてる。心配ない』」

 あまりに短いその返答に、二人は揃って一瞬呆気に取られる。
 だが、ユージオとアーサーはその内容を呑み込むと、深く溜め息を吐きながら安堵にへたり込んだ。――少しばかり情報が足りないが、返事が届いただけよしとする。

「それだけか……」

 アーサーは堪えきれないというように不満を零しているが。

「ネヴィンは?」
「俺の部屋。元気そうだ。怪我もない」
「そうか」

 手紙の文字を指先で辿るクランカイトは、それだけを言った。横顔は幾らか安堵を帯びているが、それほど大きく感情を露わにはしなかった。
 アーサーが不満の矛先をクランカイトに向ける。

「クランカイト、貴様それだけか。フローレインが無事だったというのにその反応、ずいぶんと薄情じゃないか」
「いや。生きてはいるだろうと思ってたから。親もこれで一安心するだろうし。まあでも、うん……」

 折り目に沿って紙片を畳んで、そこらの空き瓶に放り込んだクランカイトは、形容しがたい表情をして。

「色々あったんだろう。らしくねえ手紙」

 複雑そうに首を傾げるクランカイトを見て、ユージオも何とも言えない表情になる。確かにそうだ。言われてみれば、たくさん言いたいことを呑み込んで、ようやく最低限を吐き出したような、そんな味気ない手紙だ。

 ――前もって想像は、していたけれど。

「でも、迎えに来いって言わねえなら、心配ない。もうやだって泣き言が返ってくることも、考えてたから」

 ユージオもその言葉を聞いて、口に出せなかった焦りの正体を暴かれたようでぎくりとした。クランカイトと同じく、ユージオが返事に焦れていた理由も、きっと同じだ。もういやだと、早くこんなところから逃げたいとフローレインが願ったとして、まだ――自分たちはその手立てを持たない。
 沈んだ顔の二人とは対照的に、アーサーの方はようやく安堵を抱いたようだ。

「お前、そんなことを考えていたのか?」
「どうなんだ、お前は? レインがもう帰りたいって手紙寄越したら。お前何ができるんだ?」
「…………う」

 がさがさと適当な洋紙を見繕っていたかと思えば、クランカイトは振り返る。言い淀んだアーサーにそれ以上の追い討ちをかけることはなく。

「どうするんだ? 返事、書くか?」

 にやりと笑って紙を突き出すクランカイトに、アーサーは面食らったようだった。

「……俺が?」
「心配で心配で死ぬって書いてやれよ。めいっぱい憐れんで貰えるように」
「誰が書くか!!」

 と、売り言葉に買い言葉を発してから、はたと我に返ったようにアーサーは頭を抱える。フローレインがいた頃からこんな調子でいたせいで、結局見送りもできず、未練がましくいなくなった女のことを引き摺っているのだ。まずいという自覚はあるのだろう。
 もちろん、わざと憎まれ口を叩くクランカイトにも問題はあるのだろうが。

「本当にいいのか?」

 ユージオが皮肉を込めず本心で伺うと、アーサーは少し悩んだ後に、ゆるりと首を横に振った。

「フローレインは、俺のことなんかより、お前たちがどうしているかを知りたいと思う。……俺の話なんかより、先にそちらを知らせてやった方がいいんじゃないか」

 クランカイトが意外という顔をして、ユージオと視線を見交わす。アーサーは浮かない顔色ながら、踵を返してクランカイトの部屋から引き返す。扉を押して、出て行く直前。

「ずっと見てきたから……それぐらい、わかる」

 ぱたん、と扉が閉まる。

 クランカイトとユージオは意外という顔を隠さずに、視線を交わした。

「もっとこう、ガンガンいかねえと伝わんねえってのに。焦れってえなあ」
「いいのか。あれだけ入念に虫除けしてたくせに、大事な妹に悪い虫がついても」
「よくない」
「何なんだあんた……」

 と、呆れたように言いながら、ユージオも首を傾げる。もっと相手の気持ちを考えず、厚かましく人に接するような人間だと、勝手に思っていた。――いや、昔はそうだったのではないだろうか。少なくともユージオにとってはそういう人間だった。勝手な想像で悪評を触れ回る、高慢な貴族の令息だった。けれど。
 一体いつからなのだろう。フローレインの気持ちを考えて、身を引くようになったなど。

 が、クランカイトと目が合ったユージオは、そのままふいと顔を背けた。

「服を着ろ」
「着替え中に入ってきた奴が言うか?」

 いつも見てるだろうが、という揶揄の言葉を聞いたユージオは、思い切り顔をしかめて嫌悪を丸出しにして、掛けてあった着替えをクランカイトへと放り投げた。




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