困ったように微笑まないで

「あー……あっつい」

ムシムシする暑さがじわじわと私を追い詰めていく。ダメだ暑い。

「もう私死ぬんだ」

「何言ってんだよ」

真琴が隣から下敷きであおいでくれる。そよそよとなびく風は確かに気持ちいいけれどやっぱり暑いものは暑い。

「ねぇ暑いよ!扇風機、私の前に欲しいよ!」

「わがまま言うなよ」

「あー、制服ってなんで暑いの……。ベスト着なくちゃいけないし、スカートはこれ以上はさすがに短く出来ないし……短パンならもっと短いの履けるけど」

そう言いながらスカートの下を下敷きで扇ごうとしたら顔を赤くした真琴に全力で止められ怒られた。ごめんなさい。

6月も後半に差し掛かり、梅雨の時期がやってきた。雨が降り続くのは嫌だなぁと思っていたが、今年は思ったより雨が降らず、代わりにジワジワとゆっくり追い詰めるような暑さがやってきた。
私は暑いのが大の苦手である。

「男子はいいなぁ。涼しそうで」

「いや、俺らも長ズボンだし暑いけど……」

「あー、暑い。あ、プール行こう。水に浸かりたい」

そう言うとハルがガバッとこちらを振り向いた。やっぱり水を求めますか遙さん。

「結衣、泳ぐぞ」

「うん!って言いたいけど今日水着持ってきてないよ」

「脱げばいいだろ」

「ダメに決まってるだろ!!」

なぜか私ではなく顔を赤くした真琴が叫んだ。それ私の台詞なんだけど。

「いや、あんたらと違って女子は無理だから。あー、今日も水泳部あるんだよね?水着持ってくればよかった!」

「じゃあ俺の水着貸してやる。二枚持ってるし」

「そういう問題じゃないよハル!」

……だからなんで真琴が私の台詞言うの。

とりあえず放課後は水泳部にお邪魔しよう。足だけでも水に浸からせてもらおうか。



水泳部は夏に行われる県大会を控え、皆一気にやる気になっていた。(主にコウちゃんが)
部室では袴姿のコウちゃんが『県大会まであと〇〇日』と紙に筆で書いている。コウちゃん書道得意だよねー。

「江ちゃんまたやるの?」

「やめませんか、それ」

一年組が抗議するがコウちゃんは、プレッシャーが人を成長させるんです!とか言い張って筆を止めない。

「プレッシャーで潰れる奴もいる」

「それって怜ちゃんのこと?」

ハルの言葉に渚は悪びれもせずに聞く。

「渚、はっきり言い過ぎだよ。怜がかわいそうでしょ」

「なっ……ぼ、僕は違います!!僕はそんな弱い人間じゃありません!」

「ははっ……それより何で袴姿?」

真琴の質問にコウちゃんはキッと顔をあげると声を荒げた。

「ほらほら、ボーッとしてないで練習練習!」

コウちゃんの声に押されて、一斉に水泳部員達は練習に向かう。

「コウちゃん敏腕マネっぷりが板についてきたねー」

「えっ、そ、そう?……きゃっ」

突然強い風が部室内に入り込んできた。風はコウちゃんが書いていた紙を盛大に撒き散らす。

「ああっ!もう!」

「大丈夫、コウちゃん?手伝うよ」

「ありがとう結衣ちゃん」

撒き散らされた紙を一枚ずつ広い集めていると、何かがカーペットの下に挟まっているのを見つけた。

「何これ」

床下から引っ張り出してみると、出てきたのは古びた冊子。

「岩鳶高校水泳部地獄の夏合宿……?」

本当に何これ、だ。

「結衣ちゃん、どうかしたの?」

「コウちゃん、なんかこんなの見つけたんだけど……」

「もしかして賞状?」

賞状?どっから賞状なんて出てきたんだ?
コウちゃんがどこからか手に入れてきた賞状を私に見せる。

「ほら、これ見て。多分、岩鳶高校水泳部の一期生だと思うんだけど……」

ジュニア大会六位……微妙だ。

「結衣ちゃんはなに見つけたの?」

「ええと……なんかよく分からないけど、これ」

「岩鳶高校水泳部地獄の夏合宿……へぇー……そうだ!!」

コウちゃんは何かを思いついたように冊子を手にすると部室を飛び出していった。

「……これ、私が片付けるの?」

後に残されたのは散らばった紙と私。

散らばった紙をきちんと元通りにしてから重石をのせ、部室を出るとコウちゃんが部員のみんなになにかを話しているところだった。

「地獄?」

「無人島……?」

「楽しそーっ!」

1人喜ぶ渚とは反対にみんな不安そうな面持ちだ。そこでコウちゃんが無人島合宿について力説する。

「私達もこの合宿のメニューに則って無人島で夏合宿しましょう!県大会に向けて!!」

「……めんどくさい」

ハルがいつも通りやる気のない返答をしてもコウちゃんはめげない。

「とか言ってる場合じゃありません。見てください、この特訓メニュー!」

コウちゃんの手に掲げられた合宿の内容を見てみる。
簡単にいえば無人島から無人島へと海で泳ぐ遠泳らしい。

「海……」

ポツリと呟いた真琴の表情がどことなく翳っているのを見て、私は思い出した。

「……ねぇ、コウちゃん。無人島で夏合宿は難しくない?ほら、きちんと予定たててないしさ……」

「それはこれから天方先生に相談すればいいし、大丈夫だよ!」

「でも……」

いいよどむ私の周りではもう合宿行きが決まったかのような盛り上がりだ。チラリと真琴の方を窺うと、真琴は苦笑しながら私に向かって頷く。……大丈夫ってこと?

「だから行きましょう、合宿!部長、決断を!」

一年生たちに迫られ、真琴は戸惑いながらも了承の言葉を口にした。

「えっ……ああ、まあいいんじゃないかな。県大会に向けて強化合宿っていうのは」

やったー!!と喜ぶ渚たちの横で私は複雑な気持ちだった。だって真琴は――
ハルの方を見ると何か言いたげに真琴の方をじっと見つめていた。

しかし、うかれる高校生たちに突きつけられたのは厳しい現実だった。

「そんな部費はありません」

天ちゃんの厳しい言葉にみんなは言葉につまる。

「それじゃあ太っ腹の顧問の先生がお金を出してくれるとかどうですか?」

渚の提案は「太くありません!!」という天ちゃんの言葉に即座に却下される。

「それにそんな都合のいい話はテレビやマンガの中だけの話です。イギリスの劇作家、バーナードショウの名言にもあります。
『私が最も影響を受けた本は何か。それは……預金通帳だ』」

……よく、分かりました。



天ちゃんにお金の大切さを突きつけられた帰り道、みんなを誘ってコンビニに寄ることにした。暑い日には無性にアイスを求めたくなる。

「なにアイスにしようかなー。真琴は?」

「俺はソーダにしようかな」

「ソーダかぁ。ソーダもいいけど、ホワイトサワーも好きなんだよねぇ……うー、迷う」

「あとでちょっとあげようか?」

「本当に!?やった!!」

コンビニを出て、みんなでアイスをしゃくしゃく食べながら(怜はなぜかイチゴ牛乳飲んでるけど)帰路につくと、真琴が突然言った。

「俺が、何とかする。お金をかけずに行く方法考えてみるよ」

「ちょっと、真琴!?」

「うおおおーっ!!マコちゃんがやる気に……!」

「部長、頼もしいーっ!!」

渚とコウちゃんが大喜びするなか、私は不安な気持ちで一杯だった。
ねぇ、真琴。本当に平気なの……?



真琴が提案したのはいわゆるキャンプだった。真琴ん家からキャンプセットを引っ張り出して、テントを張って野宿をするという……確かにお金はかからないけども。

「結構本格的ですね……」

ずらーっと並べられたキャンプセットにコウちゃんが感心する。

「うちは昔から夏は家族でキャンプに行ってたからね」

「そうそう。たまに私も混じって行ったりしてたし。懐かしいよねー」

私たちの側でハルはなんとなく不機嫌そうにしている。自分家を提供するのがめんどくさいみたいだ。

渚は合宿の冊子を手にして、じっくりと眺める。

「これ全部無人島かなぁ。あ、いっそ無人島でキャンプっていうのも」

「よくないです」

怜がパシッと渚の手から冊子を取り上げるが、渚は諦めない。

「無人島でバーベキュー!」

「バーベキュー!」

「だから無人島から離れましょうよ!」

楽しそうな1年ズを横目に私はため息をつく。

「船がなきゃ島まで行かれないんだけどなぁ……」

「うん……あとは島までの交通費かぁ」

「交通費だけでもバイトする?」

「やっぱり今からじゃ無理だろ」

真琴の言葉に手をあげる。こうさーん。

「天ちゃん、船持ってないかな」

「持ってないでしょう、普通」

「逆に持ってたら凄くない?渚って時々突拍子もないこというよね」

突然「あっ!」と真琴が声をあげた。なんだなんだどうしたよ。

「いた!持ってる人!」

……そして目の前にはまた笹部コーチ。とピザ。

みんながじーっと見つめるなか、コーチが口を開いた。

「確かにうちはじいちゃんのイカ釣り漁船がある。俺も船舶免許を持っている。だが……ピザ一枚でそれを頼むかぁ!?ふつう」

「そこをなんとかっ!!」

「お願いします!私達高校生なんですお金ないんですー!」

「これも着けるから!!」

真琴、私、渚にオマケのイワトビちゃんで一生懸命に頼み込むと、コーチははぁーとため息をついた。

「……ま、いっか。合宿までは付き合ってらんねーけど、送り迎えだけならなぁ」

おおっ……!さすが笹部コーチ!そこにしびれる、憧れるーっ!!

やったー!とみんなが喜ぶなか、怜がボソリと「イカ釣り漁船のクルージング……?」と呟いた。
ハイハイ、そこに引っ掛からないの!

話もまとまり、ハルの家から1年生たちを駅まで送ったところで、ハルと真琴と3人で帰路につく。

「なんとかなりそうだし、あとは天ちゃん先生に許可もらうだけだね」

「ああ」

「……そだね」

「みんなで合宿かぁ。楽しみだなぁ。あ、結衣も来る流れになってるみたいだけど、大丈夫?べつに正式な部員じゃないからこっちとしてはどっちでも構わないよ」

「……真琴は行くんでしょ?」

「勿論、そうだけど。一応、部長だしね」

「じゃあ、私も行く」

真琴を一人でなんて放っておけない。だって真琴は、

「……本当に大丈夫なのか」

突然、ハルが口を開いた。真剣な目をしてまっすぐ真琴を見据える。

「……海」

そう小さく呟いたハルから真琴は一瞬だけ目を反らす。そして苦笑いを浮かべながらも、真琴は安心させるように言った。

「大丈夫だよ。もう昔の話だし。だから結衣もあまり気にするなよ」

「……うん」

ねぇ、真琴。本当に平気なの?
本当はまだ海が――



そして、合宿当日がやってきた。

「あふ……ねむ」

「忘れ物なーい?ちゃんと持った?」

「ん、大丈夫」

「じゃ、お土産楽しみにしてるわね」

「……お母さん、遊びに行くんじゃなくて合宿に行くの分かってる!?」

まだ眠いなか、目を擦りながら玄関を出るとそこにはハルと真琴がいた。

「おはようハル、真琴」

「おはよう結衣」

「おはよう」

ハルと真琴と3人で待ち合わせの場所まで行くと笹部コーチと1年生達はもうすでに来ていた。

「ハルちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん!こっちこっちー」

「おはようございまーす!!」

「おはようございます」

1年生は元気だ……。私こんなに眠いのに。低血圧だからかもだけど。

「おはよう渚、コウちゃん、怜。渚は朝早いのに元気だねぇ」

「おはよう」

「おはよ」

「これで全員揃っただろ」

笹部コーチの言葉に頷こうとすると、怜が「天方先生がまだです」と言った。あ、天ちゃん忘れてた。

「天ちゃん顧問なのに遅刻……?あれっ」

突如、猛スピードでやってくる見覚えのある車。その車は私達の目の前を通りすぎてから、バックして止まった。
中から出てきたのは……リゾート地に行く格好をした天ちゃん。

「すみませーんっ!お待たせしましたっ」

天ちゃん……遊びに行くんじゃないんですよ?

こうして天ちゃんも揃い、イカ釣り漁船のクルージングは私達を乗せて出発した。

こんなんで合宿どうなっちゃうだろう……。