見えない角度で手を握りしめ

――合宿一日目
私達を乗せたイカ釣り漁船のクルージングは無事に無人島(「だから無人島じゃありません!!」って怜がうるさい)に到着した。
広くて何もないところだが、青い海に白い砂浜。バカンスにはぴったりだ。

「わあああ〜いいところ!」

コウちゃんが歓声をあげる。その隣で天ちゃんが「来てよかったわ〜」と嬉しそうに言う。……だから、リゾートに来たわけじゃないんですよ天ちゃん。

そのすぐ側では怜が船酔いしたのか青い顔をして踞っていた。真琴が介抱しているが、あまりよくならないみたいだ。

「怜、トイレ行ってきたら?楽になるよ」

「は、はい……お手洗い行ってきま……うぷ」

怜が口を押さえながらトイレへと駆け込んでいく。大丈夫かなぁ……。船に乗ってる途中でやけに静かになったと思ったら、船酔いしてたのね。

「あと……これは俺からの差し入れだ」

そう言って笹部コーチがクーラーボックスを渡してくれた。意外と気前がいいんですねコーチ!

島まで送ってくれた笹部コーチを見送りしてから、さて……と一息つく。これからやることはたくさんあるし、合宿はまだ始まったばかりだから気を抜かないようにしないと。

「あっちにはスポーツ施設もあるみたいね。50mプールもあるわ!ここを使わせてもらうのは」

ガイドブックをみながらはしゃぐ天ちゃんに「だからそんなお金ないですから」と真琴はズバッと言う。

「大体、お金がないって言ったのは先生でしょー。それにそんな施設きっと借りられちゃってますって」

天ちゃんはちょっとがっかりするとすぐにキャンプ場を探しに行ってしまった。

「そういえば差し入れって何だろ?」

コウちゃんが気になったのかクーラーボックスを指差す。

「ああ、笹部コーチからの?開けてみようよ」

笹部コーチからの差し入れという謎のクーラーボックス。確かに、気になる!というわけでコウちゃんと二人で開けてみると

「ピザ……」

「ピザだね」

こんなにピザばっかりどうしろっていうんですか笹部コーチ……いえ、お気持ちは有り難いですけど。

「あ、こっちは……」

コウちゃんがもうひとつのクーラーボックスを開けようとする。

「あ、多分それはハルが持ってきた、」

「鯖だ」

「ですよねー」

「どんだけ鯖好きなんですか!」

そんなやりとりをしていると向こうから怜がやってきた。大分顔色が戻っている。

「あ、怜。具合平気?」

「それどころじゃありません!ちょっと来てください!」

何故か焦っている怜に連れられてやってきたのは屋内プール施設の裏側。窓がついていてそこから中が見えるようになっている。その中にいたのは……

「なんでここに鮫柄水泳部が……」

唖然とする私たち。まさか鮫柄水泳部が来てるなんて……。

「あ、凛ちゃんもいる」

渚の言葉にドキリとする。不意にこの間のことを思い出してしまう。
ふるふると首を振って余計なことは考えないようにしようとしていると、真琴が何かに気づいたようにコウちゃんを見た。

「ひょっとしてまた江ちゃんが!?」

「えっ……あ、今回は私、知りませんから!!」

「本当に?」

渚が疑いの眼差しをコウちゃんに向けるが、コウちゃんは首を振って寂しそうに言う。

「だって私から何言っても無駄だって分かってるし……それに」

「それに?」

コウちゃんはちょっとはにかむと「ううん、何でもない」と首を振る。

「偶然ならそれでいいんじゃないかな。せっかくだし会いに行こうよ!」

能天気な渚の提案に私は乗る気がしなかった。なんとなく、なんとなくだけど大会前に凛に会いたくなかったのだ。別に特に理由はないからちょっと照れ臭いだけなのかもしれない。
私がさりげなく渚を止めようと口を開いたとき

「よせ」

ハルの鋭い声が遮った。

「アイツとは……県大会で会うって約束した」

ハルの言葉に渚と真琴は驚いている。二人はこの間凛が来てたこと知らないんだっけ。詳しくは聞くつもりはないけどハル、ちょっと嬉しそうだ。
私はちょっとホッとしながら練習している凛を見つめた。

浜に戻ってから、先に戻っていた天ちゃんに鮫柄が来ていたことを報告すると、みんなは羨ましそうに鮫柄のプールのことを語り始めた。まあ、強豪校ともなると気合いの入れかたも設備も違うよね……。

そんななか、ハルは冷静に「関係ない」と告げる。

「ハルの言う通り、今回の俺たちの合宿目的はあくまで持久力をつけること」

真琴の言葉にみんなちょっとモチベーション持ち直したみたいだ。

「さてと、」

天ちゃんが荷物を持って立ち上がり、私とコウちゃんを手招きする。

「それじゃあ私達は一旦宿にチェックインしましょうか」

「はいっ」

「そうですね!」

私達の言葉に続いて男性陣の「「「宿ぉ!?」」」という声が響き渡る。

「それはどういう……」

怜の言葉に天ちゃんはにこやかに微笑みながら返す。

「私達は民宿をとったの。あそこです!」

「「「えええっ!?」」」

「だって女の子が野宿なんて……ねぇ、江ちゃん、結衣ちゃん」

「ねー」

「というわけで、みんなごめんね!練習ガンバ!!」

「ここにも格差が……」

「僕たち最下層?」

落ち込む男性陣を横目に私達は民宿へと向かう。
格差社会の現実は厳しいことがよく分かったと思うよ、うん。

男性陣と別れてから民宿の部屋に行くとそこはなんとまあなかなかいい部屋だった。窓からの眺めもいいし、部屋は広いし、バカンスに来たんじゃないかと思ってしまう。天ちゃんなんか早速ガイドブック見てますし。ヒアルロンサンとか岩盤浴がどーたらこーたら。

部屋に荷物を置いて、身支度をしてからまた浜辺にいくと水泳部は活動に向けて準備を始めていた。
好島、大島、水島の間を泳いで持久力をつけるのが今回の合宿の目的みたいだ。みんな乗り気でビート板かヘルパーを……って、

「怜はビート板で泳ぐの?」

「怜ちゃんは初心者だし、遠泳初めてだからね!」

「ヘルパーはつけないの?」

「美しくありません!」

すごく嫌な顔で叫ぶ怜。……あとで両方装着させてみよう。

「あ、ゆんちゃん水着だー!」

渚が嬉しそうにはしゃぐけど正直辞めてほしい……。

「なんでビキニじゃないの?」

「ビキニなんか着ません!!別に遊びに来てるわけじゃないし……」

「えー、着ようよー!絶対ゆんちゃん似合うって!ね、怜ちゃん?」

「え、ええ……美しいとは思いますよ」

微妙に照れながら言う怜。こっちが恥ずかしくなるから辞めてくれ。
今日の私は、セパレートタイプの水着。ボーダーが可愛いお気に入りの水着だ。

「結衣、泳ぐの?」

真琴の質問に私は首を横に振る。

「ううん。皆の勇姿を写真に収めないといけないからねー。まあ、あとでちょっと泳ぐけど」

「そ、そっか……なら」

真琴はちょっとソワソワすると自分のテントへ急いで飛び込んでいった。そして何かを持ってくる。

「俺ので良ければこのジャージ羽織っててよ。日差しが強いし、あまり焼けたくないだろ?女の子は肌をむやみにさらさない方がいいしな」

「う、うん。ありがとう……?」

半ば強引に渡されたジャージを羽織ると真琴にきちんとチャックも止めるように言われた。いや、それじゃ暑いし、水着着てきた意味がないじゃないか。

「結衣、泳がないのか」

水着の上にブカブカのジャージを羽織っている私を見てハルが言う。真琴に言ったことを繰り返し言うと、ハルは軽く頷いて「水着はちゃんと選んだのか」と言った。

「え、うん。この前、みんなで水着買いに行ったとき新調したし」

「ちゃんと締め付け感がいいのを選んだのか」

「締め付け感……?」

何それ。ハルはいつもそんなことで水着選んでるの?

怪訝な顔でハルを見ると、ハルはやれやれと言うように立ち去った。いや、こっちがやれやれ、なんですけど。
幼なじみだけれど、ハルのことはまだまだ分からないことが多い気がする。いや、分からないというか理解しがたいわ……。

渚と怜が競争しながら楽しそうに海に向かって走っていく。海は静かに凪いでいる。今日は気候もいいし、穏やかだ。それでも……
私は急に真琴が心配になった。真琴は余計な心配をかけまいとして誰にも何も言っていないだろう。
真琴は私とハルには無茶しないようにと気を遣うものの、自分のことに関しては少々無茶をするとこがある。
もし真琴に何かあっても海の中じゃ私は助けてあげられない。でも、ハルがいれば――

ハルの方をじっと見つめると、その視線に気づいたようにハルが振り返った。私の方へ軽く頷くと、そのまま真琴と共に海へ向かっていった。


岩鳶水泳部から代々(?)続く地獄の特訓メニューは結構キツいらしく、なかなか大変そうだ。遠泳に慣れない怜は途中からへばってきたし。過酷な試練に繰り出す水泳部のみんなを私は一生懸命撮る、撮る、撮る。ついでに天ちゃんとコウちゃんともパシャリ。
そうこうしているうちに一日目の合宿メニューはなんとか終わりを向かえた。


「お疲れ様でした!」

「お疲れ様ー」

ヘトヘトになって帰ってきた水泳部員は海辺に倒れこむ。私とコウちゃんはタオルとスポドリを渡して回る。(怜には疲労回復のために口のなかに氷砂糖を突っ込んだらなんかモゴモゴ言われた)

「やっぱり地獄の特訓メニューはキツかったですか?予定の半分くらいしかこなせてない……」

「まあ、初日はこんなもんだよ」

「そうだねぇ。初日にしてはまあ上出来じゃない?遠泳って結構キツいし」

コウちゃんと真琴と私がそう話してると、急に怜が「あ、明日はもっと頑張ります……!」と言った。
どうやら今日の特訓の成果は自分が足を引っ張ったせいだと考えているみたいだ。今の怜からしたらよくやった方なのに。

「怜ちゃんなら大丈夫だよ」

「すぐに皆さんに追い付いてみせます!!」

「その意気だ」

水泳部もいい感じにやる気になってるみたいだし、真琴の顔をこっそり窺うといつもと変わらない笑みを浮かべていた。私が心配しすぎてたみたいだ。よかった。
ホッと胸を撫で下ろすと、天ちゃんがそろそろ夕飯にしましょうと言った。夕飯は笹部コーチ差し入れのピザ、ピザ、ピザ。何でピザしか差し入れてくれなかったんだろう……。

「サバ&ホッケ」

「サバ&パイナップル」

渚とハルが差し出してきたピザの具を見て、ううーと呻く。
……私はフツーにトマトソースにチーズにバジルとかが好きなんだけど。

「私、ピザにパイナップルだけは許せない!」

とか天ちゃんが言っているが、いやそこじゃないでしょ。

「ハル……またサバップルなんてゲテモノを」

「ゲテモノじゃない。いいから食え」

「ぜーったい嫌だ!!」



夕食も終わり、私達は宿へ帰ることになった。ハル達はもちろんテント。

「じゃあ、俺とハルはこっちのテントで」

「えー、僕、ハルちゃんとがいいなぁー」

渚の言葉に怜が「僕とじゃ嫌ってことですか」と不機嫌そうに言う。

「だって怜ちゃん歯ぎしりしそうだし」

「渚、それは失礼だよ。私はいびきが煩いと思う」

「しませんよ!渚くんと結衣先輩は僕をなんだと思ってるんですか……」

「じゃあ、あみだで決めようか」

真琴の提案で部屋割りはうまく行きそうだ。

「私達も行きましょうか」

天ちゃんの言葉に頷いて、宿へと歩きだそうとしたが、何故かコウちゃんは皆の方をじっと見つめていた。なんだかその視線はとても寂しそうで。

「……コウちゃん?」

「……あっ、ごめんなさい。行こっか」

コウちゃんはすぐにいつもの笑みを浮かべると、私と一緒に宿へと向かう。私はちょっと振り返ると、コウちゃんと同じように皆の姿を見つめた。
――コウちゃんは彼らに何を見て、何を思ったんだろう。


合宿一日目、終了。このまま、無事に合宿が終わりますように。