指折り待つ日
合宿が無事終わり、季節は本格的に夏へ入った。期末試験を終えれば、無事夏休み!夏休みに入ったら何しよう。祭り、花火、アイス、かき氷、プール、海水浴、焼きそば、いか焼き、いかすみパスタ、いかバーガー……あれ、食べ物ばかりだ。
私は後ろを振り返り、真面目に授業を受けている真琴に小声で「ねえねえ」と話しかける。
「真琴はなに食べたい?」
真琴はきょとんとした顔をして「何の話?」と小声で返す。
「もーすぐ、夏休みでしょ。夏といえば、アイスにかき氷、お祭りだよね!」
「全部食べ物だね……」
「いや、もちろん海水浴もしたいし、花火もしたいけどね!で、真琴は夏休み入ったらなに食べたい?一緒においしーもん食べに行こうよ!」
そう提案すると、真琴はぱあっと顔を輝かせる。こういう分かりやすいところは昔から変わらず可愛い。
「いいね、それ!どこに行こうか?結衣が行きたいとこならなんだっていいよ」
「うわぁ楽しみー!さっそくコウちゃんとかみんなに聞いてみないとね!」
「…………え、江ちゃん?」
「夏休みだし、みんなで遊びに行きたいよね!そうだ、海水浴なんかいいんじゃない?海の家とか屋台もあるし、美味しいものみんなで食べて、遊んでさー」
「み、みんな?」
「うん。真琴にハルに、コウちゃん、渚、怜のいつもの面子で!」
「そ、そっか……そうだよね……。う、うん、楽しみだなぁ!」
何故か急にがっかりしたあと、笑顔を作る真琴。……全く意味がわからない。
「コホン……篠宮さん?橘くん?随分と楽しそうにお喋りしてるわね?気分はもう夏休みなのかしら?」
「あ……」
真琴とのお喋りに夢中になっていたら気がついたら英語の先生がすぐ側に立っていた。にっこりと微笑みながら(でも目が全く笑ってない)柔らかい口調で私たちに言う。
「二人とも夏休みは宿題漬けになりたいのかしら?」
「すみませんでした勘弁してください」
「すみません……」
英語の先生は全く……というように頬を膨らませると、真琴の隣で爆睡していたハルの頭を教科書でスパンと叩く。
「……?」
寝ぼけ眼で起き上がるハル。私が言うのもなんだけど、ちゃんと授業受けた方がいいよ。
「七瀬くん、今は昼休みじゃないのよ。ちゃんとノートとりましょうね」
「……はい」
厳しい口調で諭されているにも関わらず、眠そうに答えるハル。そのまま小さくあくびをし、また眠ろうとする。
ハル、また先生に怒られるよ。
そんなことをしてる間にチャイムが鳴り、授業が終わった。ようやく休み時間だ。
「はーっ、疲れたぁ」
くたーっと机に寄りかかると、そんな私の様子を見て真琴が苦笑する。
「まだ午前中しか授業受けてないだろ?ほらご飯食べよ」
「勉強をすることがもう疲れるんだよう。そういやハル、ずっと授業中寝てなかった?寝不足?」
「うるさい。どうでもいいだろ」
「まあ、ハルのことだから分かるけどね。どうせ昨日発売された『世界の湖百選』でも読み耽ってたんでしょ」
「……っ、なんで分かった」
「だってそれの発売日、ハルに教えたの私じゃん」
「そうだったか……?」
「そうだよ!とゆーか、お昼コウちゃんに呼び出されてるから、早く行こうよ」
「あ、そうだった!ほら、ハル、結衣、行くよ!」
慌ててお弁当箱を持ち、私とハルを急かす真琴。
私も急いでお弁当箱と頼まれていた写真をひっつかむと真琴とハルの後を追った。
集合場所の屋上につくと、一年生組は集まっていた。
「結衣ちゃん、合宿の写真持ってきてくれた?」
「うん、持ってきたよー!」
コウちゃんに合宿で私とコウちゃんで撮った写真のプリントを頼まれ、今日がお披露目ということで持ってきたのだ。じゃーんと披露すると、おおーっ!と皆が一斉に群がる。
「うわぁ、いっぱいあるね!これゆんちゃん撮ったやつ?」
「と、コウちゃんもね」
「あははっ、みんな楽しそう」
真琴が色々な写真を見ながら楽しそうに笑う。
「あっ、これ見てー!ハルちゃん変な顔ーっ」
「あ、それ私撮ったやつー。ハルってばニコリともしないんだもん」
「でも珍しくカメラ見てる」
「それもそうだね」
渚と真琴と写真を見ながらワイワイ話していると、後ろでは何やら怜が写真を見つめながら呻いていた。
「どしたの怜」
「な、なんですかこの美しくない写真はーっ!」
写真を手にうわあああと頭を抱える怜。ひょいと覗くとそこにはビート板とヘルパーを着けた怜の写真が。
「あ、それはコウちゃんが撮ったやつだ。あはははっ」
「笑い事じゃありませんっ!」
「あー、記念?」
苦笑しながらコウちゃんが返す。しかも疑問系。悪びれた様子もないし、ちょっと面白がって撮ったんだろう。
「それよりこれ見てよ。マコちゃんの背中に何かいる……!」
違う写真を手にした渚の言葉を聞いた瞬間、真琴は「うわあああ!」と叫びながら私にしがみつく。
どれどれ……と見ると、確かに真琴の背後に白い顔の人が……。
「あ、それヒアルロンサンパック中の天方先生」
「……それ、私が天ちゃんにあげたパックだわ」
コウちゃんと私の言葉を聞いて、渚は「ヒラルロンサン?」とよく分からないことを言い出す。ヒラルロンサンってなんだ。怜が律儀に「ヒアルロンサン」と言い直したところで、真琴はホッとしたようにため息をついた。
「脅かすなよ渚ー……」
「ごめんごめんうわーーーっ!」
「わあああああっ!!」
真琴をからかって大声をあげる渚につられて真琴も大声をあげる。そして、また私にしがみつく。
「うるさいですよ、二人とも」
「ちょ、真琴いちいちしがみつかないでよ……重い」
「ご、ごめん……」
渚はまた写真をまじまじと見ながら今度はある一枚を手に取り、言った。
「あ、これ鮫柄水泳部?いつの間に?」
「えっへへーん、合宿二日目にちょっと偵察に……ねー結衣ちゃん!」
「ねー!」
コウちゃんと互いにどや顔で顔を見合わすと真琴が感心したように「へー流石敏腕マネージャーにカメラマン」と言った。待って、いつから私カメラマンなの。
渚が御子柴部長の写真を見つめながらコウちゃんに無邪気に訪ねる。
「またあの部長に色仕掛け?」
「色仕掛けじゃないっ!結衣ちゃんにも協力してもらってお願いしに行ったの」
まあ、確かに実際コウちゃんが御子柴部長にお願いしたら、一瞬でOK出たんですけどね。コウちゃんがカメラ向けた写真には御子柴部長がバッチリカメラ目線で写ってるし。
「写真だけじゃなくて、データもバッチリ。渚くんがエントリーしてるブレの100と200はこの人たち、真琴先輩のバックはこの人たち、怜くんのバッタはこの人。」
コウちゃんは写真を指差しながら鮫柄で誰がどの種目にエントリーするか、調べあげたことを言う。流石敏腕マネージャー……!
「それぞれの選手の泳ぎ方の特徴やデータをこの秘密のデータブックにまとめておきますね、大会までに」
ノートを片手にとてもとても嬉しそうに言うコウちゃん。私は知っている。そのデータブックに各選手の細かな筋肉情報が記載されていることを……それは一体いつ役に立つのだろうか。
「ねえねえ、ゆんちゃん」
くいくいと渚が私のベストを引っ張る。
「ん、何?」
「このやたらカメラ目線でポーズ決めてる人、誰?すっごいカメラ意識してるみたいだけど」
渚が手にした写真を見ると、そこにはカメラ目線でバッチリポーズを決めている焦げ茶色の髪の男の子が。
「あー……えっとね、確か鮫柄1年の美波一輝くん。専門はハルと同じくフリー」
「ふーん。この人もハルちゃんと一緒に泳ぐの?」
ハルがチラリとこちらに目を向ける。
「いんや、タイムそこまで速くないから大会はエントリーなしだって。鮫柄ってほら、実力主義だから」
「結衣先輩、詳しいですね。調べたんですか?」
怜の言葉に私は頭をかく。
「いやあ……カメラ構えてたらその子やたらと画面入ってきてさ、そのあと色々喋ってついでに連絡先交換したとゆーか、させられたとゆーか……」
「結衣ちゃんモテるよねぇ……この美波くんって人、顔はまあかっこいいし!筋肉は微妙だけど」
コウちゃんは言うけど、コウちゃんほどじゃないと思う。偵察に行ったときもコウちゃんに声かけたそうな鮫柄水泳部員ちらほらいたけど、どう見てもあれ、凛(と御子柴部長)が怖くて話しかけられなかったみたいだし。
「な、なんで連絡先交換したの!?」
真琴がものすごく慌てて私に聞く。何をそんな焦っているのか……。
「知らないよー……気がついたら交換させられてたし、向こうに知り合い作っとくのもいいでしょ」
「だ、ダメだよ!」
「なんで?」
「それは……その……」
言い澱む真琴。そのまま口を閉ざしてしまう。まあ、多分変な男に引っ掛かったんじゃないかとかそういう心配をしているんだろう。真琴は昔から妙に過保護なとこあるから。
ふとハルを見ると、私が撮ってきた凛の写真を眺めていた。
「ちなみにお兄ちゃんは、」
「フリーの100」
コウちゃんの言葉を遮るように淡々と言うハル。その言葉の裏には静かな闘志が燃えているようにも思える。……私の気のせいかもしれないけれど。
「……そう。他の種目にはエントリーしないで、遙先輩との対決一本に絞ってるみたいですよ」
コウちゃんがハルにそう言う側で、渚は小声で私と真琴に言う。
「ハルちゃん、タイムや勝負にはこだわらないって言ってたけど凛ちゃんとだけはヤル気満々だよね」
「うん……まるで、昔に戻ったみたい」
ハルは昔から全然タイムとか勝ち負けなんか興味ないって顔してずっと泳いでいた。大会で賞をとっても関心のない顔はそのままで。そのくせ、佐野SCからきた凛には心の奥底で闘志を燃やして、表立ってではなくても突っ掛かったりしていた。今のハルはあの頃のハルに少し似ている。
「あっ……」
突然、吹いてきた風が写真を浚う。ハルが手に持っていた写真はあっという間に風に煽られ、私たちの目の前で空へと溶けていった。
飛んでいった写真を見て、何故か凛がどこか遠くへいってしまった気がして、私は胸を押さえた。