淡い絆が消えゆく前に
学校の帰りにコウちゃんの提案で、神社にみんなで大会のお参りに行くことになった。
二礼二拍一礼。カランカランと鈴の綺麗な音が鳴り響き、皆で手を合わせる。
皆が大会でいい成績を残せますように。あと、私も試験でいい成績を残せますように……!
ついでに運試しと思って、おみくじを引いてみると大吉だった。おお!幸先がいい。
「凛ちゃん、バッタにもリレーにもでないのかー。やっぱりハルちゃんが出ないからなのかな?」
石段に腰掛けながら渚が呟く。なんだかんだで凛とハルのことが心配なんだろう。
「どうして遙先輩が出ないと、出ないんですか?」
怜の素朴な疑問に私は思わず言葉に詰まってしまった。なんて言えばいいんだろう。永遠のライバル的な?
「そういう関係なんだ、二人は」
渚が簡単にまとめようとするが怜は納得出来ないらしく、「なんなんですか、それ」と不満気に言う。
「まあまあ。今回は俺たちも個人種目だけに絞ってそれぞれの力を出しきろう」
「そうだね。発足からまだ半年も立ってないし、それでちょっとでも成績出せたらいいんじゃない?」
私の言葉にそうだねと真琴と渚が同意するなか、怜はちょっと寂しそうな顔をする。そしてポツリと小さく呟いた。
「出来れば僕もリレーに出てみたかった……」
リレー。怜から出たその言葉に驚くと同時に、私はたまらなくなった。私も、もう一度見てみたい、あの時のリレーを。ううん、それ以上の見たことのない景色。
真琴と渚は怜の言葉に嬉しそうに顔を見合わせる。
「怜ちゃんも出たいの!?」
「はい、この間レンタルでオリンピックの試合を見たんです。異なる種目の四人が力を合わせて一つのコースを泳ぐ姿の美しさ……特にタッチの瞬間のバッタのフォームの美しさといったら……!例えば僕ならラストのひとかきをいかに無駄なく美しくできるか」
長々とした怜のバッタ談義を遮るように突然、コウちゃんの大きな声が響いた。
「わぁっ!遙先輩、何ですかこれ!?半吉って」
「なになに、どーしたの?」
皆でハルの引いたおみくじを見てみる。そこには「半吉」と書かれていた。
「半吉……そんなの初めて見た」
驚く真琴の横で私もハルの出した半吉を見ながら頷く。
「私も半吉は初めてみたなあ。末小吉なら出したことあるけど」
「そっちの方がよく分からないね……」
「半分、吉ってことですか」
怜が首を傾げながら言う。
「あとの半分は?」
「やさしさ!」
渚の答えに首を傾げる。それ違うやつじゃなかったっけ。
「それなんか違いません?」
「ええー合ってるよぉ」
「それ頭痛薬だよね?」
私達がハルのおみくじでわいわい言い合ってるなか、ハルはずっと遠くを見つめていた。そんなハルに気づいて、私は急に不安になった。
ハルは大丈夫なんだろうか。
そしていよいよ大会当日
「今日、遙くんも真琴くんも泳ぐんでしょ?応援に行こうかしら」
呑気なお母さんの言葉に私はため息をつく。
「来なくていーよ……私がお母さんの分まで応援しておくし、そういうのは地方大会とか全国大会までとっといて」
「はぁい」
お母さんは子供みたいにぷくっと膨れて拗ねると、写真撮ってきてね、とねだった。
「うん、勿論!」
今日の私はそれが何よりの楽しみだ。久々に腕が鳴る。
ファインダーの向こうにはどんな景色が広がるだろう。
待ち合わせより早めに家を出ると、そこには既にハルと真琴がいた。
「おはよ、ハル、真琴。早いね」
「ああ」
「おはよう、結衣こそ早いね」
真琴はクスクスと笑う。だが、いつもと違って余裕がない感じが滲み出ている。
緊張か、焦りか。分からないけれど、二人ともピリピリとした空気を身に纏っていた。
「じゃ、行こうか」
真琴の言葉に頷いて、私は二人の後ろを歩き出した。
……とうとう、この日がやってきたんだ。
「ハルちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん!こっちこっちー!」
会場につくと、私達以外はもうとっくに集まっていた。
「見てみてー怜ちゃん緊張して眠れなかったんだってー」
渚がケラケラと笑いながら面白そうに怜を指差す。怜の顔にはハッキリと隈ができてた。
「君のその毛の生えた心臓が羨ましい……」
「怜ちゃんもそのうち生えてくるってーリラックスリラックスー」
「そうだよ、怜。そのうち、ボーボーになるって」
「美しくない!」
そう叫びながら頭を抱える怜。寝不足のせいかちょっとテンションおかしいぞ。
「さ、いよいよ大会だねー!頑張って実績つくって皆で部費を勝ち取るぞー!」
「「「おー!」」」
渚のかけ声で私達は一斉に拳を突き上げる。
私が泳ぐわけでもないのに、ああ、ドキドキとワクワクが止まらない。
ここで皆とは別れて、私は先に会場入りしているコウちゃんと天ちゃんを探す。二人は目立つところに場所を取っていた。
「コウちゃん、天ちゃん!おはようございまーす」
「あ、結衣ちゃん!」
「篠宮さん、おはよう」
「遅くなってすみません……コウちゃん何してるの?」
コウちゃんは何故か手すりからピクリとも動かない。
「大会前なのに……ダメよ私ったら……でも……凄い筋肉!」
「松岡さんったらさっきからこんな調子なのよ」
そう言う天ちゃんは相変わらず日傘を差してニコニコと微笑んでいる。
二人とも変わらないなぁ……。でも、そっちの方がみんな緊張しなくていいかもしれない。
「あ……そうだ。あのね、結衣ちゃん。話があるの」
急にコウちゃんがこちらを振り返り、真面目な顔で言う。
「え、な、なに?」
コウちゃんはちょっとためらい、散々迷うように、視線をうろうろさせていたが、やがて覚悟を決めたように私の目を真っ直ぐ見た。
「あのね……実は私、勝手にリレーにエントリーしたの」
「リレーって……メドレーリレー!?」
コウちゃんはコクリと頷く。
まさか、コウちゃんがそんな大胆なことしてたなんて……。二の句が告げない私に、コウちゃんは「ごめんなさい」と言って頭を下げる。
「いや、私は別にいいんだけど……でも、どうして?」
「……どうしても皆のリレーが見たくって。何度も言おうと思ったんだけど、遙先輩は乗り気じゃないみたいだったし……一応、天方先生には相談したんだけど」
「まあ……気持ちは分かるけどね……私も皆のリレーみたいし。でも、ハルが何て言うかな……」
リレーの引き継ぎの練習もしてないし、何よりハルがやってくれるかどうか……。
でも、コウちゃんがここまでしてくれたんだし、前より幾分かはハルは泳ぐ気になっている。必死で頼み込めばキチンと答えてくれるだろう。
心配そうに俯くコウちゃんの頭をポンと撫で、私は笑顔で言った。
「私も一緒に説得してあげるよ!だから大丈夫!きっと皆、分かってくれるよ」
「……!ありがとう、結衣ちゃん!」
それからしばらくして手続きを済ませたハル達がやって来た。
「大会一日目のプログラム、午前中はフリーからのスタートです。遙先輩は四組目」
コウちゃんが一日の流れを簡潔に説明する。今日は個人種目がメインで、順番的にはフリー、バック、ブレ、バッタの順だ。
「あっ、ハルちゃんと凛ちゃん隣同士のコースだぁ」
渚の言葉にドキリとする。この間、凛から言われた言葉が忘れられない。ハルと凛は、この勝負が終わって決着がついたらどうするんだろう。
「これって確かエントリーの申告タイム順だったよね」
真琴の言葉にコウちゃんが頷く。
「実力は互角ってことだね」
「互角、かぁ……」
渚の言葉にちょっと不安になる。ハル、大丈夫かな……。勿論、二人とも頑張ってほしいけど、ハルは前に競泳をやめようとした過去がある。
そういえばあの時はどうしてやめたんだろう……。
色々なことを考えかけて、私は慌てて首を振る。大会前に縁起でもない。
「予選各種目ごと、タイム順に上位八名の選手が決勝に進出。地方大会に進むことが出来ます」
コウちゃんの説明に一同は緊張したようにゴクリと唾を飲み込む。
そんな皆を見かねてか、天ちゃんがふんわりした笑顔を浮かべて優しく言った。
「大丈夫。緊張することはないわ。普段通りやればいいのよ。大切なのは最後まで諦めないこと。ナポレオンの名言にもあります。『勝負は最後の五分で決まるっ!』」
……えっ?
「五分?」
「先生、それじゃタイム遅すぎです……」
渚とコウちゃんが呆れた声で言う。
……天ちゃん、5分もかかったら試合終わっちゃうよ。
「それじゃみんなそれぞれの種目自分のベストを尽くして悔いのないよう頑張っていこう」
「「「おー!」」」
真琴の言葉で皆が士気を高める。
皆、頑張れ!
コウちゃんは例のデータブックに書き込んだデータを見ながら、みんなにライバル校の特徴を伝える。
日本海のシラスやら飛び魚のジョーやら異名がついた選手を見て、何故か渚が羨ましそうにため息をついた。
「はーなんかかっこいいねぇ。僕もそう言う名前がほしいな!」
「え、かっこいい?あれ」
「かっこいいよう!そうだ、ゆんちゃん、僕に異名つけてよ!」
「いきなりつけてって言われても……」
渚の無茶ぶりに困って真琴の方を見ると、真琴が笑いながら助け船を出してくれる。
「渚はいつもゴール間際でぐんぐん伸びてくるよな」
「じゃあタケノコの渚?」
コウちゃんのつけた異名に思わす吹き出してしまう。
「あはははっタケノコ!」
「えー何それぇ……タケノコって水泳と関係なくない?」
ふてくされる渚の横で、驚いたように怜がコウちゃんに尋ねる。
「そのデータ、全部自分で調べたんですか?」
「一応、マネージャーだから」
「筋肉のデータまで……」
そう、コウちゃんの秘密のデータブックには各校の選手の筋肉データまでこと細かくびっしり書き込まれているのだ。
「でもやっぱりデータだけじゃ分からないこともたくさんある……やっぱり生で見る筋肉は凄い!これだけの筋肉が一同に介して……!凄いっ凄すぎるっ!!」
「コ、コウちゃん……落ち着いて……」
生の筋肉をたくさん目の当たりにしてテンションがかなりおかしくなっているコウちゃんに、いきなり「おーい!」と声がかけられた。
「やぁー江くん!」
声のする方を見ると鮫柄水泳部の御子柴部長が、それはそれはいい笑顔でコウちゃんに向かって手を振っていた。
「凛ちゃんとこの部長さんだぁ」
「江くんはやめてって言ってのるに……」
コウちゃんは困惑した顔でため息をつく。モテる女は大変らしい。
それにしても、鮫柄が既に来てるのに……
「凛……いないね」
まるで私の言葉を代弁するかのような真琴の言葉にドキリとする。
「……」
ハルはそれにたいして何も言わない。一体、何を考えているんだろう。幼なじみなのに、ハルの考えていることが、分からない。
「もう召集場所に向かったのかもしれない」
真琴にそう言われると、ハルはゆっくりと召集場所へ向かった。
「ハル……勝ってこいよ」
真琴がポツリと、力強く呟く。
「ハル……頑張って」
きっと、ハルなら、凛なら、大丈夫。前みたいに素敵な泳ぎを見せてくれる。そして、もとの二人に戻れるはず。そう信じているのに、何故か、私の胸の中は不安でいっぱいだった。