信じていた日々と幸せ
私は写真を撮るのが好き。
カメラのシャッター音が鳴り響く度に、その瞬間を私のものに出来るから。
時間とは常に流れているものであって、其れを留めることは出来ない。だから私は時間のほんの一時をフレームの中に収め、閉じ込める。閉じ込めた時間は私だけのものだ。
写真は私の趣味の一環だが、私が1番熱をいれている趣味でもある。その始まりは小学生の頃の出会い。あの瞬間を永遠にしたことが、私の始まりだ。
「結衣」
肩を叩かれてハッと目を覚ました。あれ、いつの間に寝てしまったんだろう。
「いつまで寝てるの。もう授業終わったよ」
「真琴…?」
働かない頭で真琴の顔をみると真琴はやれやれというように首を振った。
「寝ぼけてないで、休み時間だよ」
「ん……おやす」
「だから寝ちゃダメだって!ほら、ご飯食べよう」
真琴に無理やり起こされてぼんやりしたまま私はあたりを見回す。
「あれ、授業は?」
「だから、とっくに終わったって。お昼、屋上で食べない?」
真琴は私に呆れた視線を向けてから、隣の席のハルに呼びかけた。
ハルは途端に面倒くさそうな顔をする。あ、この顔は……こいつこの後サボるつもりだったな。
真琴は自分の弁当を持つと嫌がるハルと私を無理やり教室の外へと連れ出した。グッバイ私の睡眠。
真琴に連れられて屋上へ向かう階段を上がるハルと私。なんでもいいけど、
「お昼もってきてないぞ」
「私も。午前中食べちゃった」
早弁してご飯がない。だから教室で寝る。そういう意味も込めて真琴の顔を見ると真琴は「購買でなんか買えば?」と言い出した。空気読めよ。
「あ、それともこれ食べる?スルメイカ」
何処からか取り出した新聞にくるまれたスルメイカ。私は黙って新聞ごと奪う。
「真琴、ビールビール」
「未成年が何言ってんの」
ちぇーっと歩きながらスルメイカをしゃぶっていると真琴に汚いからやめなさいと怒られてしまった。年の離れた双子がいるせいか、真琴はお母さん気質である。
それに比べてハルは一人っ子のせいかマイペースで自由。やりたいことはやる。面倒くさいことはやらないといったシンプルな考え方をしている。あ、水に関することは別だ。ハルは水泳オタクだから。
私と真琴とハルは幼馴染という関係である。私は家が近所でもあるためか、小中高とこの二人とずっと一緒だ。
未だスルメイカをしゃぶりやめない私に真琴がお母さんみたいに注意する。その時、「ハルちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん!」と誰かに声をかけられた。
「マコちゃん?」
「ハルちゃん?」
「ゆんちゃん?」
疑問符をつけながら三人で顔を見合わす。声のした方を振り返ると、私達を呼んだのは階段下にいる可愛らしい下級生の男の子。見覚えがというか、この独特な可愛らしい呼び名は……。
「「「渚!?」」」
そこには小学校時代、ハル、真琴、私とスイミングクラブが一緒だった渚がいた。何年ぶりだろう。本当に久しぶりだ。
渚と合流し、四人で屋上へと上がる。生暖かい風が春の訪れを感じさせる。天気もいいし、午後はここでお昼寝でもいいな。
「渚、久しぶりだねー。小学校以来じゃない?」
「ほんと、何年ぶりだろ。スイミングクラブが閉鎖してから会わなくなったもんなぁ」
「うん!僕ハルちゃん達と別の学校だったから余計にね」
相変わらず女顔負けのかわいさ、いや、あざとい渚。
渚は眺めのいい屋上から景色を見渡し、パッと顔を輝かせた。
「あ、プールの側に桜の木があるんだ!確かハルちゃん達の小学校のプールにも桜の木があったよね?」
「だからちゃん付けはやめろって」
ハルが可愛くないことを言う。昔はハルちゃんって私と真琴からも呼ばれてたもんなぁ。
「だけどあのプール古くて使われてないんだ。水泳部もない」
ちょっと寂しそうに真琴が言う。
岩鳶には水泳部がない。だから今は泳いでない、とそう続けたいのか真琴は。
小学生の頃から泳ぐことにしか頭にないハルは今は泳いでいない。正確には今、泳いでないわけじゃなく、ここ三年の間ハルは競泳をやっていない。もちろん夏になれば海に入ったり、寒ければ風呂場で水着姿で水に浸かってたりするけど。まあ、そんなこと渚は知るよしもないだろう。
渚は無邪気に、それじゃあ今はどこで泳いでるの?と問いかける。その問いに真琴は一瞬口を閉ざすが、代わりにハルが素っ気なく競泳はやめたと告げた。
渚はやっぱりショックだったみたいだ。が、すぐに立ち直り一緒に部活を作ろうよーとハルにせがむ。
そんな渚を昔と変わらないなぁと見つめていると、真琴がハルと渚を見ながら苦笑して私に「渚は変わらないな」と言った。どうやら同じことを思っていたようだ。
「だったら温泉部なんていいんじゃないかな。作ろうよー温泉部!」
「岩鳶に温泉なんてないじゃん。それよりお昼寝部作ろうよ」
「湯中りするから嫌だ。……昼寝部なら考えとく」
「えー……」
私達の会話を聞きながら真琴がクスクスと笑う。なんとなくスイミングクラブが懐かしくなった。
ハルと真琴と渚と凛。
彼らがスイミングクラブで過ごした時間もあのリレーも全部全部大切な思い出。あの時、ファインダーの向こうから覗いた彼らは本当に素敵で、一瞬で魅入られた。シャッターを切る度に彼らの時間がフレームのなかで永遠になる。私はあの瞬間を忘れられない。
「そういえばゆんちゃんは写真部?小学生の頃、スイミングクラブでよく僕たちのこと撮ってくれたよね!僕、まだあの写真大切にとってあるよ!」
渚に笑顔で言われ、私は曖昧に笑う。無邪気に直球でこられると嘘がつけない。
私は冷静を保ちつつ、写真部には入ってないよ、と告げる。
「ええーなんで?ゆんちゃん写真撮るの好きだったよね?」
写真を撮るのはもちろん今でも好きだ。でも、
「最近はあんまり撮ってないの。高校入ると忙しくて、さ」
そっかぁ……と落ち込む渚の頭を撫でる。ふわふわの髪が気持ちいい。もふもふと渚の頭を撫でていると心配そうにこちらを見ている真琴と目があった。私は大丈夫だよ、というように笑いかける。
真琴は知っている。私が写真を撮らなくなった理由を。絶対口には出さないけど。
「そろそろチャイム鳴るし、教室戻ろっか」
そう言い出した真琴の言葉に倣って屋上を後にする。屋上を出るときに赤い髪の女の子と目があった。こちらをじっと見つめている。ネクタイの色からして一個下か。
どこかであったことある気がするなぁ……と思いながら階段を降りていると、突然渚がスイミングクラブに行こうよ、と言い出した。もうすぐ取り壊されてしまうらしい。知らなかった。
「嫌だ、面倒くさい」
ハルが速攻反対する。我が儘な奴。
「でも行けばプールもあるよ」
真琴の一言にハルがピクリと反応する。
「風呂場とかじゃなくてもっと大きな、プール」
取り壊しになるスイミングクラブのプールに水なんて入ってないんじゃない?と言おうとしたら、ハルがキラキラした目を真琴に向けていた。完璧に懐柔されている。あんたは水があればなんでもいいのか。
変わってないのはハルもだなぁと思いつつ、私は放課後の予定に閉鎖されたスイミングクラブの探検を付け加えた。
一旦家に帰り、着替えてそれぞれ道具を持ち寄ってからハルの家に集合となった。ハルの家は今はハル以外に誰もいない。おじさんが単身赴任でおばさんがそれをおっかけたらしい。
お母さんに「ハルと真琴と渚と肝試し(?)に行ってくるね」と告げるとお母さんに「真琴くん大丈夫かしら?何かあったら守ってあげるのよ」と言われた。それはどう考えてもおかしいだろう。確かに真琴は怖がりだが、私だって得意なわけじゃない。なんかあったら私が守ってもらうわ。
家を出ると真琴が待っていた。わざわざ迎えに来るなんて律儀な奴。
「ハルん家すぐそこだから迎えに来なくてもよかったのに。それに来たんなら、チャイム鳴らしてよ」
「でも結衣は女の子だし、何かあったら危ないだろ?帰りもちゃんと送っていくし。それに昔から結衣は支度に時間かかるの知ってるから」
真琴はクスクスと笑いながら言う。
幼なじみで昔から一緒にいるのに、真琴は私のことをさらっと女の子扱いする。それがなんとなく気恥ずかしくていつまでたってもなれない。
ハルの家でハルと渚と合流し、みんなで持ち物をかき集める。
シャベル、スコップ、軍手……
「ねぇ、おやつは300円まで?」
「僕、チョコレート持っていくよ!!」
「遠足じゃないんだぞ」
台所からは夕飯のいい匂いが漂ってくる。いい匂いというか、魚臭いというか……。
「ハル、なに焼いてるの?」
「って、また鯖ぁ!?」
鯖……本当に昔からハルは鯖好きだな……。私も嫌いじゃないけど。
「嫌なら食うな」
「美味しそう!ハルちゃん、料理上手だったもんね」
渚が嬉しそうに言う。
ハルのは料理というか鯖料理だけど。
「ハル、私塩焼きじゃなくて味噌煮がいい。味噌煮!!」
「じゃあ自分で作れよ」
「えー、ハル作ってよー!料理上手いじゃん」
「お前だって作れるだろ」
「私の手料理は未来の旦那のためにとっといてるの」
「なんだそれ」
「ええー!!そうなの!?」と驚く渚の横でなんとも言えない微妙な顔をする真琴。どういう意味だよ、それ。
「でもさ、本当にいいのかな……」
真琴が不安げにポツリと呟く。渚は恐くなった?と無邪気に言うが、私にはなんとなく分かった。
「もしかして……凛のこと?」
真琴は小さく頷く。渚はちょっと沈んだように「それは仕方ないよ」と言った。
「だって、凛ちゃんは日本にいないんだし……」
そう。凛は今、日本にいない。ハル達が最後のリレーをした小6の冬。凛はオーストラリアへと旅立った。
オリンピックの選手になるという夢を叶えるために。
私は当時凛と離れるのが寂しくて寂しくて泣いて彼を困らせた。
『泣くなよ、結衣』
『だっ、だってぇ……凛が行っちゃうもん……』
『……よし!じゃあ約束な』
『え?』
『帰ってきたら……お前に大事なこと伝えるから。だから待ってろよ』
きっと本人はとうの昔に忘れているかもしれない約束を私はずっとずっと待ち続けている。