分からないことだらけの恋

翌日の早朝、私は真琴に頼まれて水泳部の皆に電話を掛けた。

「はーい、もしもし……」

電話に出たのは眠そうな渚の声。

「もしもし、渚?」

「うん……ゆんちゃん?」

「朝早くにごめんね。あのね……ハルがリレー泳いでくれるって!」

「えっ、ハルちゃんが!?」

渚は嬉しそうに声をあげる。

「だから昨日と同じ時間ぐらいに会場前で待ち合わせね。怜やコウちゃんには私から連絡しとく」

「うん、わかったー!」

怜やコウちゃんに連絡すると同じように嬉しそうにしていた。みんなハルが一緒にリレーに出てくれるのを待ってくれてたんだ。そう思ってこっちまで嬉しくなる。ただ、問題といえば――


「本当に大丈夫?リレーの練習は一度もしてないんでしょ?」

大会会場の前で天ちゃんが不安そうに言う。そんな天ちゃんの言葉に真琴が不安を微塵も感じていない様子で答える。

「分からないですけど……やるだけやってみます。それに俺達は初めてじゃないし」

「でも竜ヶ崎くんは……」

天ちゃんが心配するのも無理ないだろう。怜は初大会、初リレーなんだ。水泳だって最近始めたばかりだし、経験者の真琴やハル、渚とは違う。

「渚くんたちまだ来ない……」

コウちゃんはちょっとイライラしながら時計を睨み付ける。

「ごめん!遅れちゃった」

「すみません」

その時、小走りでようやく渚と怜が駆けつけてきた。

「二人とも何してたの!?遅かったじゃない!」

安心したのかコウちゃんは二人に向かって怒り始める。しかし、二人は嬉しそうにニヤリと笑いながらお互いの顔を見合わせた。

「実は」

「僕たちさっきまで学校のプールでリレーの引き継ぎの練習をしていたんです」

「……マジ?」

こんな早朝から引き継ぎ練習とか意外とというか、この二人だからというか、本当に抜け目ないな。

「これで怜ちゃんの失敗フラグは回避だよ」

そういう渚の横で怜がウンウンと頷く。怜、今の言葉、別に誉められてないからね?

「いつの間に……」

驚く真琴の前で後輩二人は顔を見合わせて笑う。

「ハルちゃん」

唐突に渚がハルに呼び掛けた。

「僕ねまたハルちゃんと一緒にリレー出来るの嬉しいんだ」

そう言って無邪気な顔で渚は笑う。その笑顔が小さい頃の渚と重なる。

「一緒に頑張りましょう、遙先輩」

怜もいい顔つきでハルに言う。
合宿の成果はしっかり出てるみたい。

「よーし特訓の成果見せちゃうぞ!」

「見せるために来たんですから」

そう張り切る渚と怜に向かって、「気合い入ってるわね」と安心したように天ちゃんが笑う。

「怜のフラグも回避したし、今の皆なら大丈夫だよ、きっと」

「ゆんちゃん……!」

「結衣先輩……」

後輩二人に声をかけると感動したような目付きで見つめられた。やめてくれ、照れるじゃないか。

「さあー皆さん頑張っていきましょう!」

張り切るコウちゃんに合わせて皆は「「「おー!」」」と拳を天に向かって突き上げた。


さあ、いよいよ。岩鳶高校水泳部の初リレーだ。

「ああ……ドキドキする」

観客席からプールを見ながら、コウちゃんは胸を押さえて深呼吸をする。

「コウちゃん、緊張してるねー」

「うん……やっぱり私が勝手に申し込んじゃったし……結衣ちゃんはなんか、嬉しそうだね?頬が緩んでるよ」

「え?」

コウちゃんに言われて慌てて頬を押さえる。そんな顔してた?私。

「多分……懐かしいからかな。皆のリレー見るの」

いつ以来だろう。ハルと真琴が一緒に泳いだリレーは中1以来。凛と渚が入ったリレーは小6以来だ。……今回、凛はいないけど。でも、今回は怜という仲間がいる。
皆なら大丈夫。私はそう信じてる。

「大丈夫だよね、ハル……」

皆と一緒になってプールを見つめるハルの横顔を見ながら、私はそっと呟いた。


緊張した面持ちの皆がプールサイドに並ぶ。最初は真琴のバック、次に渚のブレ、怜のバッタ、ハルのフリーだ。
ピッピッと笛の鳴る音。選手が入水すると掛け声が響く。

「よーい……セイッ」

掛け声と同時に選手は一斉にスタートを、切った。

「真琴ー!頑張れーっ!」

真琴がバッと水の中へ体を滑り込ませていく。その様子を見ながら私は力の限り声を張り上げた。

真琴の力強く荒々しいバックは他の選手との差をジリジリと縮めていく。

「変わんないな……」

性格に似合わない、まさに真琴の体型にピッタリなその荒々しい獰猛な泳ぎはまるでシャチみたいだ。
そのままのスピードを維持したまま、真琴がタッチをすると、すぐさま渚が飛び込んだ。

「いけっ、渚!」

渚もいいペースで泳いでいくが、なかなか周りとの差は縮まらない。

「渚くん……」

少し不安そうな面持ちのコウちゃんに向かって私は言う。

「大丈夫だよ」

「え?」

「渚の泳ぎは後半からだから……ほら」

私が渚のレーンを指差すと同時に並びかけていた隣のレーンの選手がバランスを崩した。
渚のストロークは特徴的だ。以前、凛から聞いたことがある。

『渚は後半、手が伸びる。』

そう錯覚をさせられるプレッシャーのようなものを出すらしい、無意識のうちに。全く怖い後輩だ。

そして、そのまま渚がタッチし、怜が綺麗なフォームで飛び込んだ。

「れーいっ、ファイト!」

リレー初心者とは思えない、落ち着いた怜の泳ぎ。ただ、

「差が……」

やはり、周りの選手には敵わないのか、差がどんどん開いていく。
周りは経験者や大会に向けて練習してきた猛者ばかり。初心者の怜は食らいついていくだけで、精一杯だろう。

「怜……」

必死に泳ぐ怜を見て、きつく両手を握りしめる。

どうか、どうか、その道をハルに繋いであげて。

小学校、中学校の時と同じように。怜ならきっと繋いでくれる。
そして――

「遙先輩っ!」

「七瀬くん!」

ハルがすっと水の中に吸い込まれていく。美しいストリームライン。まるで光が迸るような真っ直ぐな泳ぎに魅せられる。

ああ、これだ。私が、ずっとずっと見たかった光景は。

「ハル……」

まるで、あの時のリレーのようだった。
ハルの綺麗なイルカのような泳ぎ。全然変わっていない。
ハルを応援する仲間たち。必死でハルに向かって叫ぶ。
そして皆が繋いできた道を真っ直ぐ泳ぐ。
この景色に私は見惚れて、これを一生ものにしたくて、写真をやり始めたんだ。ハルの泳ぎとか凛がとか関係なくて。
私はこの光景を一生見ていたかったんだ。

ハルがどんどん追い上げて、周りとの差を引き離していく。

「抜いた……2位、2位です!」

コウちゃんと天ちゃんが抱き合ってはしゃぐ。

「がんばれっ、遙!」

そして――

ハルが一番にプールにタッチした。

「きゃー!」

コウちゃんと天ちゃんの歓声を私はどこか他人事のように聞いていた。

本当に……優勝したんだ。
みんなの嬉しそうな顔がみえる。
渚のとびきりの笑顔、怜の感動した顔、真琴の驚いた顔、ハルのどことなく嬉しそうな顔。

「結衣ちゃん、やったよ!」

コウちゃんに抱きつかれて、我に返る。

「……うん、やったね!」



興奮が冷めやらぬまま、翌日を迎えた全校朝礼で水泳部は前に呼ばれた。
発足から一年もたたないうちに、県大会から地方大会へ進出を決めた功績が認められたらしい。
ハルはいつも通り無表情だけど、他のみんなは誇らしげな顔をしている。
渚は目があった瞬間、ブンブンと手を振ってきた。渚、今校長先生のお話し中だよ。

朝礼が終わり、水泳部の元へ駆け寄ると、みんなは屋上から垂らされた垂れ幕を見つめていた。
明らかに柔道部の使い回しの垂れ幕だけど、それでも地方大会を祝う立派な垂れ幕だ。

「用意いいなあ」

「明らかに流用ですけどね。でもやっと実感がわいてきました。勝ったんだって」

「うん。教室戻ったらヒーロー扱いだよきっと」

渚と怜ははしゃいで言う。

「地方大会進出、おめでとう」

ハルと真琴にそっと声をかけると、ハルは不機嫌そうにそっぽを向いて、真琴は照れたように笑った。けれど、ハルはどことなく浮かない顔をしている。
もしかして、まだ凛の事を引きずっているのだろうか。
あの時の凛はやっぱりどこか変だった気がする。
それに……。

「……っ」

急に県大会でのあの出来事を思い出して、首を横にブンブンと振る。熱くなった頬を手で押さえると真琴が心配そうにこっちを見てた。
考えとけ、ってどうすればいいんだろう。……分かんないよ、凛。

あの出来事から2日もたっているのに、大会が無事に終わったせいか、私の頭の中は凛でいっぱいになってしまった。授業も手につかず、シャーペンを弄びながら思考に耽る。

凛の言葉が、声が、頭から離れない。あの鋭い瞳が私を捕らえて離さない。
凛のことをどれだけ考えれば、私は答えが出せるんだろう。

凛のことが好き。

それは私の本当の気持ちだ。
でもその好きは本当に凛が求めている「好き」なの?
凛のことを考えれば考えるほど苦しくなる。
どうしたらいいかわからなくて、逃げ出したくなる。
あの時、掴まれた腕が今でも、熱い。

「結衣?」

「……ん、なに?」

「どうかした?」

「なんで?」

真琴は戸惑ったように言う。

「さっきも授業中ボーッとしてたし……一昨日からそんな気がして……」

「ボーッとしてるのはハルもでしょ」

「……」

私は窓の外をボーッと眺めているハルの方を指差す。
ハルがボーッとしているのはいつものことだけど、大会後だからかいつもとちょっと違って見える。

「結衣……何かあったの?」

心配そうに聞いてくる幼なじみに向かって私は笑う。

「大丈夫。何でもないよ」

真琴はそれ以上はなにも聞かず、寂しそうに笑うだけだった。

こういう時、幼なじみという存在はちょっと厄介でもある。
何も言わなくても私のこと、分かってしまうから。
ハルは何も言わないけど、真琴が気付いているぐらいだから、私の様子の些細な変化に気付いてはいるんだろう。

でも、こんなこと言えない。
凛に告白された、なんて。
誰にも言えるはずがない。

ハルに向かって話しかける真琴の横顔をチラリと眺める。
真琴もそういうことがあるんだろうか。
誰かを好きになったり、告白したり、告白されたり。
誰かのことで頭がいっぱいになったり。
恋愛感情というものに捕らわれたり。
そんな真琴はどうしても想像出来なかった。



放課後。文芸部に顔を出そうと腰をあげると真琴と一緒に何故か渚がやってきた。

「やっほーゆんちゃん!」

「渚……どうしたの、2年の教室まで来て」

「ね、今日のお祭り誰かと行くの?」

「ちょっと渚!」

渚の横で真琴が妙にあわてふためいてる。

「別に誰とも行かないけど……」

「えっ、凛と行くんじゃないの?」

「えっ」

真琴の言葉に驚いて、真琴を見つめると真琴も同じような顔をしてこちらを見つめていた。

「なんで、凛と……?」

真琴はしまったと言うように気まずそうな顔をする。その隣で渚があっけらかんとした様子で「なぁんだマコちゃんの勘違いかぁ」と言った。

「……何の話?」

「なんかねーマコちゃん、ゆんちゃんがこの間凛ちゃんと話してから様子がおかしいって、もしかしたらお祭り一緒に行く約束したのかなって気にしてたんだー」

「あ、こら、渚!言うなよ……」

情けない顔をする真琴を見て私はつい笑ってしまった。

「あははっ、別に約束なんてしてないよ。それより、お祭りって何の話?」

「「えっ?」」