誰にでも優しいから

その後、渚と真琴から八幡様のお祭りの話を聞いて、私は漸く夏祭りのことを思い出した。
誰とも約束してなかったし、毎年友達や真琴とハルと行ってたから断る理由もなく、真琴、渚、怜とお祭りに行くことを承諾したのだ。ただ問題は……

「ハルちゃん一緒に行ってくれるかなぁ」

「うーん、どうだろ」

「怜ちゃんもみんなでお参りしに行きたいって行ってたし……」

渚は心配そうに言う。この間、凛に負けたハルのことを気遣っているんだろう。

「渚が頼めば大丈夫だよ。部活終わったらハルの家に直接行ってみたら?」

「そうだよ、渚。俺も一緒に行くから」

私と真琴がそう言うと渚は「うん!」と嬉しそうに笑った。


家に帰るとお母さんが「八幡様のお祭り行くの?」と聞いてきた。やはり忘れていたのは私だけみたいだ。

「うん、真琴とあと後輩の子二人とそれから多分ハル」

お母さんはあらあら、と言い、

「じゃあ浴衣着なくちゃね」

と嬉しそうに笑った。

「……え?いいよ、別に。そもそも浴衣ないじゃん」

「お母さんが若い頃に着てた物を大切にとってあるのよ」

「いや、だからわざわざ浴衣なんて……」

「大丈夫よ、綺麗にとってあるし、柄も貴女が気に入りそうなのだから」

「ちょっとお母さん話聞いてる!?」

あれよあれよと言う間に抵抗する暇もなく、私はお母さんに浴衣を着せられてしまった。髪もどうやったのかいつの間にアップにされている。

「別に真琴とか学校の子達と行くだけだよ?」

「だって真琴くんいるんでしょ?なら、ねえ」

何がねえ、なのか。ニコニコするお母さんの意図がさっぱり分からず、私はため息を吐く。
浴衣はキツいし、下駄は歩きづらいし、何しろ着飾っている格好を知り合いに見られるのは恥ずかしい。
ぐずぐずしていると遅れるわよ、と言うお母さんの言葉に慌てて時計を見ると、待ち合わせ時間ギリギリだった。真琴の家に集合なので、急ぐことも全然ないのだけれど、歩きづらい下駄で行くし、少し慌てて家を出る。いってきます!と言うと、いってらっしゃい、と何故か楽しそうな声が聞こえてきた。

「へ、変じゃないよね……」

家出る前にもう一度鏡見るべきだったと後悔しながら真琴の家のチャイムを鳴らす。
はーい、と声がして出てきたのはおばさんだった。

「こ、こんばんは……」

「あらあら!結衣ちゃん!まあまあ、可愛いわ!」

おばさんは何故かとても喜び、真琴ー!早く早く!と大声で真琴を呼ぶ。

「あ、あの、そんな呼ばなくても……」

「はいはい、母さん。今、行くって…………っ!?」

奥から顔を出した真琴は私の姿を見て――固まった。

「あ、真琴」

「……」

「おーい、真琴?」

「……」

しばらくフリーズした真琴はハッと我に返ると、「ちょ、ちょっと待ってて!」と言って素早く奥に引っ込んだ。その様子を見ておばさんはクスクス笑う。

「ごめんなさいね、結衣ちゃんのその格好見て照れたんだと思うわ」

「は、はあ……」

いや、照れるのはむしろ私の方ですけど。

上がってく?というおばさんの誘いをお断りすると、奥からゆんちゃんだーっ!と声がして、バタバタと渚がやってきた。

「渚……もう来てたんだ」

「うんっ。ゆんちゃん、浴衣だー!かわいいー!」

「そういう渚もね」

渚はえへへと笑うと、「お祭りといえばやっぱり浴衣だよね!」と言うのと同時に身支度を終えた私服姿の真琴が出てきた。

「お、お待たせっ」

何故か緊張した様子の真琴は私を見るなり、顔を赤くした。
なにその反応、初めて見たよ。

「真琴……どうしたの?」

「えっ!?いや、その……ゆ、浴衣なんだね」

「あー、うん。どっか変?」

その場でくるりと回ると真琴はぶんぶんと首を横に振る。

「ゆんちゃん、かわいいよね?」

渚がそう言うと真琴は急に「じゃ、じゃあハルん家に行こうか!怜も待たせてるし!」と大声を出し、私達を急かす。

「もーマコちゃんってば」

渚が口を尖らせて真琴を見つめる。
少し様子のおかしい真琴に首を傾げながらも、私は真琴と渚の後を追った。

「祭り……」

私と同じように忘れていた様子のハルに渚は意気込んで言う。

「そう、八幡様の夏祭り!行こうよ、ハルちゃん!すっごく面白そうだよ?ゆんちゃんもせっかく浴衣着てきたし!」

「ちょっと、それは関係ないでしょ!」

「俺は……」

渋るハルに遠回しに説得するように真琴が言う。

「あの神社、水神様も祀ってあるし地方大会の前にお参りしにいこうよ、ハルがよければ」

「怜ちゃんもハルちゃんが来るの待ってるんだよ。「四人でお参りしに行かないと意味ありません」だって」

「それ怜の真似?」

「……わかった。着替えてくる」


ハルの言葉に渚と真琴は顔を見合わせてにっこり笑う。
いつもより若干素直なハルに驚きつつも、私たちは怜が待つお祭り会場へと向かった。


「おーい、怜ちゃーん!おまたせ」

渚が遠くから怜に呼び掛ける。浴衣姿に身を包んだ怜は「いえ、僕も今来たところです」と言う。おお、デートで定番の台詞。

「ハッ!さすが怜ちゃん!マコちゃんもハルちゃんもデートの時は先に来てこういう風に言わないとだよ?」

渚も同じことを思ったらしく、ハルと真琴に諭すように言う。

「はいはい、じゃあ先にお参りしてこよ?」

「そうですね」

「じゃ、レッツゴー」

意気揚々と歩き始めた渚のあとを覚束ない足取りで着いていく。私の様子を見かねた怜が「大丈夫ですか?」とそっと声をかけてきた。

「うん、平気平気」

「転んだら危ないですから無理しないでください。それと……」

「?」

怜は言葉を切ると不自然に目を反らす。そして小さい声で

「その浴衣、とても似合ってると思いますよ。……美しいです」

思わず怜をまじまじと見つめると、怜は顔を赤くして「僕の審美眼から見てということです!」とよく分からない言い訳を始めた。

「……ふーん、へえー」

「な、なんですか」

「いやー、可愛い後輩たちを持ったなあって」

そう言って手を伸ばして怜の頭をグシャグシャに掻き回すと、怜は「やめてくださいっ!」と逃げるように離れる。
そんな怜の様子にクスクスと笑うと、突然後ろを振り返った渚が呆れたような目付きでこちらを見ていた。

「え、な、なに?」

「ううん、別にー」

渚はため息を吐くように返事をすると、「さあ、イカに突撃!」と怜の手を引っ張ってさっさと歩き出す。

「ちょっと待ってよ、渚!真琴、ハル、行こう」

真琴たちの方を振り返るとそれはそれは複雑そうな表情をした真琴と、相変わらず無表情なハルがこちらを見つめていた。


「イカ!イカ!イカ!りんご飴!イカ!わー見事にイカだらけだぁ。全然変わってないやー」

「イカしてます」

「ねえ、どこから回ろっか?」

「スルーしないでください!」

1年生たちは楽しそうにイカ祭りをキョロキョロと見ている。

「怜は初めてなんだっけ。八幡様の夏祭り……というかイカ祭り?」

「はい。見事にイカだらけですね……結衣先輩たちは毎年来ているんですか?」

「うん、でもハルと真琴と来たのは久しぶり、かな?」

「そうだね。一昨年は受験で忙しかったし、去年は結衣と行かなかったし」

「私、去年は友達と行ったんだよねー。もうそんな時期なのすっかり忘れてたわ」

私と真琴が思い出しながら喋っていると渚が元気よく、「もうすぐイカす掴み天国が始まるみたいだよ」と言い出した。

「うっわ、出たーイカす掴み天国」

毎年の恒例行事を思い出しながら少々げんなりしていると、その隣で怜がもっとげんなりした顔をした。

「なんですか、その得たいの知れない催し物は……ってどうしてこっち見るんですか」

みんなで怜をガン見していると、なにかを悟ったようにあからさまに嫌な顔をする。

「怜ちゃん」

「嫌です」

「出場しなよ!」

「嫌です!なんかぬるぬるしそうじゃないですかぁ……」

イカにメガネって案外合うんじゃないだろうか。
そう思って私も渚と一緒に怜を説得する。

「いいじゃん、出なよ怜!」

「嫌です!!」

怜がそう叫ぶと同時に渚が「あっ、あっちだって!早く早く!」とふらふらと行ってしまう。

「あ、待ってください!」

その後を慌てて怜が追いかける。一年組はチョロチョロしてるから、すぐ迷子になりそうだ。

「ハル、渚たちとはぐれちゃうよ」

真琴がハルを呼ぶと、ハルは少しボーッとした様子で返事を返す。
やっぱり、ちょっと元気ないみたいだ。

渚たちのもとへ急いで合流すると、イカす掴み天国がちょうど始まった頃だった。

「楽しそうだねー怜ちゃん、今から参加、」

「しません」

怜に振られた渚はすかさず真琴に「じゃあマコちゃんは?」と誘う。

「俺もいいって」

「えー真琴出なよー!絶対かっこいいよ!イカと絡む真琴……ブフォッ」

「結衣、面白がってるだろ」

「バレた?」

そんな会話を繰り広げていると、突然後ろから「あっ、やっぱり来てたんですね」と可愛い声がかけられた。というか、この声は……

「コウちゃん!」

振り向くとそこには髪をアップにして赤い浴衣を着たとてつもなく可愛い私の友人がいた。

「コウちゃーんっ!かわいいよーっ!」

あまりの可愛さに思い余って抱きつくと、コウちゃんは苦笑しながらも受け入れてくれた。

「結衣ちゃんもかわいいよ?」

「えへへーっ」

コウちゃんの側にいるのは確かお友達の千種ちゃん……だったかな。

「こ、こんばんはぁ」

少し緊張しながらも挨拶してくれる。

「浴衣だぁ〜」

渚は同級生の珍しい姿に目を輝かせてチョロチョロする。相変わらず落ち着かないなぁ。

「二人ともかわいいね」

そうサラッと口にして柔らかく微笑んだのはなんと真琴だった。
いや、確かに可愛いし、別に誰に言おうといいんだけど、私、真琴に何も言ってもらってないんですけど……。
少々、ムッとしながら真琴を睨み付ける。真琴はそんな私にちっとも気付かずにニコニコ笑っており、女の子はきゃあっと色めき立つ。

「浴衣だけですか?」

千種ちゃんにそう聞かれると、真琴はあからさまに困ったように、「いや、そういうわけじゃ……」と言葉を濁し、私の方を助けを求めるように見てくる。
私はもちろん無視!
その後、コウちゃんたちは、イカのパエリアの屋台を私たちに勧めると、イカ墨書道大会見に行ってしまった。

「結衣、何か怒ってる……?」

「え、別に」

怖々と聞いてくる真琴に私は素っ気なく返す。
別に怒ってるわけじゃないけれど、何か気に入らないのだ。
いつまでもモヤモヤしててもしょうがないと気を取り直してみんなに聞いてみる。やっぱり祭りの醍醐味といえば!

「みんな何食べるーっ?」

「やっぱりまずはイカ焼きでしょ!」

「イカ天も食べたいです」

ワクワクした様子で言う一年組に真琴が笑いながら言葉を返す。

「あははっ、それじゃあ見に行こうか」

「あっ、パエリアも捨てがたいよね」

「ああ、順番にな?」

まるでお父さんか引率の先生のようだ。蘭と蓮がいるときの真琴っていつもこんな感じだったりする。さすがお兄ちゃん。

「ハルは何食べたい?」

さっきからあまり表情を動かさずに、黙りなハルにそっと尋ねると、

「サバ」

……こっちもいつも通りだった。

いつもと変わらない様子のハルを横目でホッと息を吐く。
もしかしたら私が気にしすぎなだけかもしれない。今のところ、ハルはいつもとそこまで変わらないように見えた。
むしろ、いつもより変なのは――

「……っ、はぁ」

私の方かも、しれない。