触れないで、でも嫌わないで
イカ、イカ、イカ。
どこを見渡してもイカばかり。イカの香りに包まれていると、涎が止まらなくなる。
コウちゃん達と別れてから、私達はふらふらと屋台を冷やかしつつ、のんびりと歩いていた。1年生達は初めての夏祭りにかなりテンションがあがっているようで、
「イカバーガーだってー!」
「こっちのイカフライ&チップスも気になります」
とさっきから、食べ物の話しかしていない。まあ、このお祭りでイカ以外の話もないんだけどね。
「はいはーい!イカめし!イカめし食べたい!」
そういう私もイカの話だしね!あー、お腹空いた!
「2人とも迷子にならないようにねー!」
「分かってるよー」
渚の言葉に大声で真琴は返事するけれど、その台詞は逆じゃないのか?
そう思いながら私はうろちょろしている渚と怜の後ろをついて歩く。やっぱり、イカめしの前にイカ焼きを食べるべきなんだろうか……。
「ぶっ」
考え事をしながら歩いていたせいか、いつの間にか立ち止まっていた怜に盛大にぶつかる。鼻低くなったらどうすんのよ!
「ちょっと怜!なに立ち止まって……」
私が大声をあげて注意しようとすると、渚と怜はこちらを振り替えって、シーというジェスチャーをする。そして自分たちの背後を黙って指差す。
「どうしたの?……っ!」
渚と怜が指差す先には、何故か、凛がいた。
慌ててくるりと背を向けて見つからないように身を縮こまらせる。そっと後ろを伺うと、凛はこちらには全く気づいていないようで、恐らく後輩の子と一緒につまらなそうな顔をして歩いていた。
どうしよう。こんなところで、凛に会っちゃうなんて。
凛の顔を見た瞬間にこの間の大会での出来事がフラッシュバックする。
たった一瞬顔を見ただけで、私は私でいられなくなってしまうくらい、混乱している。
頬が熱い。
胸の鼓動が止まらない。
自分にこんな感情があるなんて、知らなかった。でも、だからといってこんな気持ちを受け止めることは無理だ。私が私自身で分からない感情を誰かにぶつけるなんてもっと無理だ。
今は、凛に会いたくない。
ぎゅっと目を瞑って深呼吸をする。屋台から漂うイカの匂いを嗅いでたら、少しだけ落ち着いた。
「……、ねえ、ゆんちゃん!」
名前を呼ばれてハッとすると、後輩二人がそれはそれは心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「大丈夫ですか?結衣先輩」
「う、うん。ごめん、まさかここで会うなんて思ってなくて、」
「どうかした?」
騒いでいる私たちが気になったのか、急に真琴がやってくると、渚と怜は目に見えて慌て始める。
「うわあああうんイカ何杯食べられるかなーって怜ちゃんとゆんちゃんと企んでたんだ」
「え、ちょ、」
「そんなに食べるのか」
訝しげなハルの視線を遮るように渚は大きく動くと、いきなり大声を出す。
「どわあああそうだ僕、イカバーガーみんなの分買ってくるよ!」
「気が利きますね渚くん」
怜……棒読みすぎる。大根役者か!
「ああ、ちょっと……あっちの休憩所で待ってて!」
渚はビシッと凛がいる反対方向の休憩所を指差す。そんな渚と怜の必死さにも関わらず、状況が読み込めない真琴は「え、いやあ、別に食べたくないんだけど……」と困った顔で言う。
その言葉に目に見えてあわあわとする渚と怜をはた目に私は真琴に言う。
「でも私も食べたいしさ、みんなでちょっとずつ分けっこしようよ。ねえ、真琴」
含みを持たせて言うと真琴は漸く意図に気付いたのか、ハルを促して休憩所へと向かった。
「このままじゃ凛ちゃんとハルちゃん鉢合わせしちゃうかも……」
ハルと真琴と別れたあと、渚は慌てたように私と怜に言う。
「ですね……」
「それ絶対不味いって」
私も今は凛に絶対会いたくないし。
「ハルちゃんが気分転換出来るようにってお祭りに誘ったのに……」
「逆効果になるかもしれませんね……」
「ええ!地方大会のリレーに出てくれないかも……」
「最悪は……」
渚と怜は最悪の想像をして、段々と顔が青ざめていってる。想像だけで二人は落ち込み、しょんぼりとした様子で、ハルと泳ぎたい……と口にする姿を見て、そんな場合ではないのに思わず口許が綻んだ。
みんな、ハルと一緒に泳ぎたいって、そう思ってくれてるんだ。
「要するに二人が会わないようにすればいいんだよね?」
「そうです」
渚の言葉に怜と私が頷くと、渚は良いことを思い付いたように顔を輝かせて口にする。
「怜ちゃん、凛ちゃんを尾行して」
これまたとんでもないことを思い付いたもんだ。怜は「はあ!?」と言ったきり、開いた口が塞がらないみたい。
「それで凛ちゃんがどこにいるか報告して!そしたら僕らはハルちゃんを違うところに誘導するから!」
「ちょっと渚……」
「渚くん、君楽しんで、」
「さあ、行け怜ちゃん刑事!」
私と怜の言葉に耳を貸す様子もなく、渚は楽しそうに言う。完全に本来の目的を見失ってるようだ。
「というわけで頑張ってね、竜ヶ崎刑事」
「そんな結衣先輩まで……」
困惑したような怜の声にからかうように笑いかけると、怜は少し楽しそうな色を瞳に浮かべる。
……なんだかんだ一番面白がっているのは怜の方かもしれない。
竜ヶ崎刑事と別れた後、私と渚は大量に食べ物を買い込む。
「あー!ゆんちゃん、見てみて〜イカライスだって!あれも買おうよ!」
「ちょ、渚!あれはさっき食べたイカ飯と同じだって!ほら、もう持ちきれないし、とゆーか食べきれないから行こうよ」
「はぁーい」
両手に大量の食べ物を抱えた私達は離れた席で待っているハル達の元へ向かう。(渚はもう食べ始めてるけど)
大量のイカ料理を両手いっぱいに落とさないように持ちながら、私はぼんやりと凛のことを考えていた。
凛がなんでここにいるんだろう。…………あ、水神様。多分、八幡様の水神様のところに部活で御参りに来たんだ。後ろに後輩っぽい子も連れてたし。
凛はいつから私のこと好きだったのかな。小さい頃に好きだったからって、今でもずっと好きでいられるんだろうか。
あの頃の私の気持ちはたった4年で変わってしまった。それと同時に私と凛だって4年で変わってしまった。交遊関係、服の趣味、好きな雑誌、好きな食べ物、髪型、雰囲気。凛なんて見ない間にたくさん変わったところがある。絶対に変わらないと思っていたハル達との関係、水泳への想い。
そして、私の知らなかった私への想い。
知らず知らずのうちに溜め息が漏れる。
「どうしよ……」
「何が?」
横から聞こえてきた声にビクリとすると、渚がキョトンとした顔で、どうかした?と聞いてきた。
「え、いや、あの、イカ……」
「イカ?」
「そう!イカ!いくらなんでもこんなに大量に買い込んで食べきれるのかなぁって」
「大丈夫!僕たち食べ盛りだもん!ほら、ゆんちゃんもイカリング食べよ!」
「渚、食べ歩きはお行儀悪いよっ」
大量のイカ料理を抱えてハルと真琴の元へ戻ると、呆気にとられたように真琴が言う。
「随分いろいろ買ったねぇ……あれ、怜は?」
「えっと知り合いに会ったみたいでちょっと一緒に回ってくるって」
真琴に痛いところをつかれて慌てて渚は誤魔化すが、真琴にはバレているようで生暖かい目で見られた。
「飲み物買ってくる」
ハルが飲み物を買おうと立ち上がると渚はまたもや目に見えて慌てる。
「ああ!ハルちゃんはここにいて。僕が行くから」
渚の言葉にハルは訝しげな様子だ。私がフォローを入れようとすると、真琴が自然に立ち上がる。
「じゃあ俺が一緒に行くよ。渚一人じゃ持てないかもしれないし」
「ハルちゃんとゆんちゃんはここで待っててね」
そう言うと真琴と渚は二人で飲み物を買いに行ってしまった。
「……なんか変じゃないか」
ハルが二人の立ち去った方を見ながらぽつりと呟く。
渚の下手くそな演技はやはり見抜かれているらしい。
「渚が変なのはいつものことでしょ。お祭りでテンションあがってるんだよ。いいから早く食べよう、冷めちゃう前に」
「……ああ」
私が熱々のイカ焼きそばに手を伸ばして、ふうふうと冷ましていると、ハルはじっとこちらを見る。
「な、何?食べる?」
「お前も変じゃないか?」
ゲッ、するどいやつ。
「ちょっとー、変ってまさか浴衣のこと?酷いなぁハル」
わざと気がつかない振りをして言うと、ハルは小さく首を横に振る。
「そうじゃない。俺達になにか隠してるだろ」
「何も隠してないよ?」
「……大会終わったあとから、ずっと様子が変だ」
ハルの言葉にドキリとした。普段は他人になんか一ミリも興味がないくせに変なところで鋭かったりする。
「真琴が、心配してた」
これだから幼馴染みは嫌なんだ。他人のくせに近すぎる。ハルはその距離をいつも保とうとするのに、変に鋭いところがあって、核心まで踏み込んでくる。
「本当に、何でもないから」
きっぱりそう言うとハルは途端に興味をなくしたように、そうか、とだけ言って、イカ焼きに手を伸ばした。
ハルは拒絶すれば一定のところまでは踏み込んでこない。その分、他人も踏み込ませない。ハルが唯一心を許せるのは真琴だけだろう。もしくは水泳部や、凛がその存在になりつつあるのかもしれない。
私はどうなんだろう。
私は根本的なところで幼馴染みすら拒絶してしまう。ハルはそれ以上踏み込んでこないけど、真琴はそうはいかない。真琴は優しすぎる割りに強引だ。私に対して過保護すぎる故に、どこまでも踏み込んでこようとする、理解しようとする。そんな真琴に私は甘えつつも、心のどこかでは怖がっている。真琴がこれ以上私に近付いてくるのは怖い。だってそしたら私は――。
大量のイカ料理をみんなで食べ終わると、(大半は渚の胃袋に消えた)ぶらぶらとあちこちを回りながらいろんな屋台を楽しむ。
「ようし、あのゲーム機狙うぞー…………もう、はずしちゃったじゃない!」
射的屋で獲物を狙っていた渚は、携帯の音に狙いがそれて外したことに文句を言いつつ、すぐに我に返る。
「マコちゃん、ちょっと持ってて」
真琴は渚から事情を聴いたのか、クスリと笑いながら鉄砲を持つ。
そんな渚と真琴を横目に私も欲しいぬいぐるみに狙いを定めながら指に力を込める。
「んんん……あっ!」
当たった、と思ったら後ろに倒れずに踏み止まりやがった。解せぬ。残り二発は全部外れ。
屋台のおじさんはニヤニヤ笑いながら、残念だったね、と言ってきた。ちくしょう、悔しくなんかないぞ。
「ねえねえ、ゆんちゃん」
撃ち終わってむくれた私に渚がヒソヒソと声をかけて、携帯の画面を私に見せる。
そこには怜からの報告書が書かれていた。
『現在、星は海岸沿いの屋台を抜け、大通りに向かっています。オーバー』
「オーバーって……」
奴が一番刑事ごっこに乗り気らしい。渚が了解、と返事を返す後ろでハルが「トイレ行ってくる」と言い出した。
「ここからだと大通りのコンビニが近いかな」
真琴の言葉に私と渚はギクリと体を強張らせる。
まずい、大通りはちょっとまずい。
なにか言わなきゃと口を開いたが、言葉は出てこず。代わりに焦った渚がとんでもないことを口走った。
「待って!もうちょっと我慢出来ない?」
「「は?」」
思わずハルとハモってしまう。いや、それはない。それはないよ渚……。
「ああ、そうだ。あっちに仮設トイレがあったかも。そっちの方が近いよ」
「分かった」
「ああ、俺も行く」
咄嗟の真琴のフォローにハルは首を傾げながらも真琴と共にトイレへ行った。その後ろ姿に胸を撫で下ろす。
「危なかった……ちょっと渚!トイレ我慢しては有り得ないからね!?」
「だってぇ……」
渚はちょっと口を尖らせると、メールの画面を見て首を傾げた。
「でも、凛ちゃん、どこに行こうとしてるんだろうね?」
その問いに答えられるはずもなく、私は黙り込むしかなかった。
凛が何を目指してどこに行こうとしてるのかなんて、今の私には分かる筈もなかった。