瞳そらした困り顔

怜……竜ヶ崎刑事が凛の尾行を続ける傍らで、私たちはハルを凛のいない方向に誘導しながら祭りを楽しんでいた。

「っ、ああっ!」

隣で真琴の声がして、私は狙いを定めていたヨーヨーから目を離して、真琴の手元を覗き込む。どうやらヨーヨーを釣るところが切れてしまったらしい。

「真琴って本当に不器用だよね……」

「こういうの苦手なんだよ……」

肩を落とす真琴の隣で渚はひょいっとうまくヨーヨーを釣り上げる。

「えいっ。力入ってない方がうまくいくんだよ。人生と同じだ」

「え、その例えはどうなの……」

渚の言葉に呆れてため息をつきながら、ふと離れたとこにいるハルを見る。ハルは無表情に淡々とヨーヨーを釣り上げていた。……お店のおじさんが涙目だから、ほどほどにしときなよ、ハル。
そのハルの隣で小学生くらいの男の子たちが珍しいものを見るように目をキラキラと輝かせながら、すっげー!とヒソヒソ話している。そんな姿がふと小さい頃の私達と重なって思わず笑ってしまう。
ハルはそんな少年たちの視線に気付くと、戸惑ったように自分の釣ったヨーヨーを見つめてから、それを小学生たちに差し出す。

「欲しいなら、やる」

ハルからヨーヨーを受け取った少年は嬉しそうにいいの!?と言い、笑顔で誰それに自慢しようと話す。そんなハルと子供の様子を微笑ましく思ってみていると、いつの間に隣に来ていた渚にくいっと浴衣の袖を引っ張られた。

「マコちゃん、ゆんちゃん。凛ちゃん、今三丁目の公園にいるって」

真琴と私にだけ聞こえるようにヒソヒソ声で報告する渚の言葉に真琴は訝しげに首を傾げた。

「三丁目の公園……?あの先には……」

「なにかあったっけ…………あ。」

そうだ、あの先にある凛が知っている場所は、

「岩鳶小学校……」

私がポツリと漏らした言葉に渚は目を丸くする。

「……凛ちゃん、そこに行こうとしてるの?ゆんちゃん達の小学校……」

「多分な。あの公園の先で立ち寄る所はそこぐらいしかないはずだ」

真琴が複雑そうな表情で頷く。

「凛ちゃん、どうして小学校なんか……」

「さあ、そこまでは」

渚と真琴の会話を聞きながら胸が締め付けられるような思いに駆られる。あの頃のキラキラとした思い出は今も色褪せずに想っているのに、どうしてこんなにも遠く感じるんだろう。
ため息をつきながら、赤色のヨーヨーを釣り上げる。

「あ、」

少し水に濡れてしまったのか、糸が切れるとパシャッと音を立てて、ヨーヨーは水の中へと落ちていった。


「あ、ねえねえ、リンゴ飴食べたい」

途中の屋台でリンゴ飴を見かけて、真琴の袖をちょいちょいと引っ張ると、真琴はくすりと笑って「リンゴ飴懐かしいね」と言う。
ちょっと待ってて、と言ってリンゴ飴を買っていると、渚のちょっと驚いた声が聞こえた。

「ええっ!?じゃあ凛ちゃんまだ近くに、」

「さっきから何やってるんだ」

不意にあげた大きな声はハルにはばっちり聞こえたらしく、訝しげな様子で渚に詰め寄る。
あーあ、バレちゃった。
そんな呑気なことを考えながらリンゴ飴を食べていると、渚は慌てて「……ハルちゃん、今の聞いて……」と気まずそうに言う。

「凛が来てたのか」

ハルは想像していたよりもずっと冷静な態度で聞いてきた。そのことに少々驚いて目をぱちくりする。渚もちょっと驚いたあとに観念して頷いた。

「うん」

「そうか……もういいから怜に戻ってこいって言ってやれ」

ハルは凛のことなんかまるで気にしていない素振りでいう。そのことにちょっと胸を撫で下ろした。

「うん!それじゃあ僕、怜ちゃん迎えに行ってくるね」

「あ、じゃあ私も行くよ」

渚が嬉しそうに頷く横で私も言う。怜をけしかけたのは私も同じようなものだし。

「じゃあゆんちゃん行こうっ!」

「はいはい、あ、あとでどこにいるかメールちょうだい」

「うん、分かった」

ぐいぐいと腕を引っ張る渚に連れられながら、それだけ真琴に声をかけると、私達は祭り会場をあとにした。


「……ねえ、ゆんちゃん」

怜を岩鳶小学校まで迎えに行く道中、祭り囃子をBGMに渚が静かに口を開いた。

「ん?なあに」

「……ハルちゃん、凛ちゃんのこと、そこまで気にしてなかったね」

「うん、取り越し苦労だったかな」

「僕、ちょっと安心したんだ。いろんなことあって、もしかしたらハルちゃんと一緒に泳げなくなっちゃうかもって……でも大丈夫だよね!?」

不安そうな声で言う渚に私は明るく声をかける。

「大丈夫だよ。もしハルが一緒に泳ぎたくないって言ったら渚が引っ張ってあげなよ」

「……僕が?」

「渚がハルにみんなの泳ぎ見せたんじゃない。だからハルはリレーを泳いでくれたんだよ、きっとね」

「そっかあ……うん、そうだね!」

明るく笑う渚につられて私も笑う。渚は昔から持ち前の明るさで私達の中に入ってきた。一個下のわりには誰よりも男の子らしくて、見た目の可愛さからは想像できないほど、度胸がある。
ハルを一番引っ張ってくれるのはたぶん渚だと思う。昔も、今も。

「怜はどこにいるって?」

「えっとねー、こっちに向かってるとこだから、多分会えると思うんだけど……」

渚の携帯画面を覗き込むと、遠くの方から「渚くん!結衣先輩!」と呼ばれて顔をあげる。
見ると、怜が下駄をカタカタ鳴らしてこちらに駆けつけてきた。

「怜ちゃんお疲れ様!」

「星を見失ってしまい、申し訳ないです」

残念そうに言う怜の頭には超絶合体ドッペルゲンガーの仮面がついている。それ買うほど好きなんだ……小さい頃見てたけど。

「こっちこそハルにバレちゃって。せっかく尾行頼んだのにごめんね、怜」

「いえ……遙先輩の様子はどうでした?」

不安そうに聞く怜に私は笑顔で頷く。

「心配しなくても大丈夫だよ。さ、二人のとこに戻ろう。さっき、神社のところにいるってメール来たからさ」


三人で神社のところへ向かうと、そこでは深刻そうな顔をしたハルと真琴が何かを話し合っていた。
私はしーっと人差し指を立てると、二人の話に聞き耳を立てる。

「俺は……分からなくなった。泳ぐのに理由なんかなくていい。水を感じられればそれでいい。今まではそう思ってた。けど、アイツに負けたとき目の前が真っ暗になった。俺はもう凛と泳げない。全てがどうでもよくなった、大会も何もかも」

ハルの独白に私は胸を締め付けられる思いがした。はっきりと言葉にはしていないけど、ハルはきっと……。だから、あんな態度をとったんだ。

「でも、そんなときにお前たちの試合を観たんだ。俺はずっとこいつらと頑張ってきたんだ。そう思った。ただの人数合わせにしかならないかもしれない。でもお前達がリレーに出たいならそれでもいい。出てみようって。その時に思い出したんだ。一つのコースを繋いで泳ぐこと、ゴールした場所にみんながいること、そのことが……嬉しかった、俺も!」

「ハルちゃん!今の言葉、本当!?」

ハルの言葉を聞いて嬉しそうに渚が飛び出す。続いて怜と私が出ると、真琴が驚いたように目を見開いた。
驚くハルと真琴を気にすることなく後輩たちはハルの目を真剣に見つめて告げる。

「答えはもう出ています、遙先輩」

「渚、怜、真琴、俺もリレーに出たい。お前達と泳ぎたい!もう一度!」

「ハル……!」

ハルの言葉に思わず目頭が熱くなった。この中で一番関係ないのは私なのに、それでも嬉しかった。ハルがまたリレーを泳ぐ気になってくれた。その事だけが何よりも嬉しかった。
渚と怜も今まで以上にやる気が出たのか、張り切っている。

「じゃあ明日に備えてそろそろ帰ろっか」

「そうだねー」

そんな私と真琴の言葉に異を唱えたのは珍しくハルだった。

「いや、最後に」


「すごいですね遙先輩」

ハルが最後にと寄ったのは金魚すくいだった。瞬く間に金魚を10匹近くすくったハルは4匹だけ手に入れて、残りは返してしまった。ちなみに私もやったけど、三回ポイを水につけた時点で破けた。解せぬ。
ハルは真琴に黙って金魚を渡した。金魚は真琴にとって特別な意味を持つ思い出だ。もしかしたら今までのことの区切りとしたかったのかもしれない。

本当に俺がもらっていいの?と真琴が嬉しそうに聞くとハルが頷く。

「マコちゃんしか世話しそうにないからね」

「ちゃんと飼うよ」

「せっかくですし名前をつけませんか」

怜の提案に暫し悩んだ後、渚が元気よく言う。

「渚、怜、遙、真琴でいいんじゃないかな」

「それはちょっと」

「自分たちの名前、金魚につけるって嫌じゃないの……?」

そう言った私の言葉に被せるようにハルが言う。

「サバ、カツオ、マグロ、アジ」

「それハルが好きな魚じゃん!」



帰り道の間、真琴はずっとハルから貰った金魚を嬉しそうに見つめていた。ハルはそんな真琴の様子をちょっとくすぐったそうな表情で見つめていた。

「それじゃあまたね」

分かれ道でそう告げるとハルは「ああ」と頷いたが、真琴はいつものように「送るよ」とさらりと言う。

「え、すぐそこだからいいよ。また戻るの手間でしょ」

「すぐそこだから大した距離じゃないよ。じゃあねハル」

真琴は有無を言わさずにハルに別れの言葉を告げると、私の家の方に歩き始める。
本当にいいのに律儀なやつ。
祭りの音は段々と小さくなって微かな名残の音が遠くで鳴っている。その音に黙って耳を傾けていると、前を歩いていた真琴が不意に立ち止まった。

「……どうしたの?」

「あの、さ、明日……」

「ん?」

どうにも歯切れが悪い。なあに、ともう一度聞くと、真琴はちょっと息を吸い込んだ。

「明日……お祭り行く?」

「明日?んーどうしよっかなぁ……」

今日は凛のことがあったし、渚と怜にも付き合ってたし、自分の好きなように回りたい気持ちはある。
でも、友達と約束してないしなぁ……。
そう告げると、真琴は再び黙りこんだ。さっきからどうしたんだろう。

「真琴?どうかした?」

「……よ、よかったら、明日……お祭り行かない、かなぁ?」

「は?」

私の言葉を遮るように告げられた言葉に私は思わず素の声で返事をしてしまった。なんだ、そんなこと言い渋っていたんだ。

「いいよ、でもハルにも聞いてみなきゃ、」

「そ、そうじゃなくて!」

真琴の焦った声に私は目を丸くする。ハルと真琴と私で行こうって話じゃないの?

「その、俺と結衣で……行かない?お祭り……」

先ほどの勢いはどこへ行ったのか、段々と声が小さくなっていく。自信がなさそうに眉を下げる真琴を見て、私は思わずクスリと笑った。

「そんな自信なさげに言わなくても断ったりしないよ。いいよ、明日一緒にお祭り行こう」

「本当!?」

バッと顔をあげて明るくなった真琴に笑いながら頷くと、真琴は安心したように胸を撫で下ろす。

「でも真琴がそんなこと言うの珍しいね?」

いつもはハルと一緒って感じだから。
そう言うと真琴は真剣な顔をしてこちらをじっと見る。その視線にドキリとして思わず顔をそらしてしまう。

「……伝えたいことがあるんだ」

真琴が何かを呟いた。それがあまりにも小さすぎて聞き取れずに、聞き返そうとすると、

「じゃあまた明日、迎えに来るね」

私の家の玄関先でそう言うと声をかける暇もなく、真琴は立ち去ってしまう。
その後ろ姿が何故か、知らない男の人のように見えて、少し寂しくなった。