そして時は動き出す

鍋パーティも一通り終わると、コウちゃんはそのまま天ちゃんの車で帰り、私たちは岩鳶駅までの道のりをみんなでのんびりと歩き始める。
真琴と渚が楽しそうに今日の出来事を話し、その後ろをハルと怜と私がついて歩くと、突然怜が立ち止まった。

「なあ、怜……どうした怜?」

怜の方を振り返った真琴が訝し気に尋ねる。怜は少しばかり躊躇した後に意を決して口を開いた。

「一体、何があったんですか。4人の間に」

「4人って……凛ちゃんのこと?」

「写真……みんなあんなに仲良く、楽しそうに写っていたのに」

怜の不満そうな問いに真琴は「それは……」と言い淀む。それを遮るようにハルが口を開いた。

「怜、今更こんな話をしても意味なんかないのかもしれない。でもお前が聞きたいのなら全部話す。俺たちのことを」

私は驚いてハルを見つめた。ハルが誰かのためという理由で気持ちを露にするなんて珍しい。それだけハルにとって怜は大切な仲間になろうとしているんだろうか。
ハルの言葉に怜は覚悟を決めた顔を見せる。

「聞かせてください。僕だけ蚊帳の外なんてまっぴらだ」

「怜……」

「僕だって仲間なんですから」

「怜ちゃん……」

怜の言葉に真琴と渚は嬉しそうな表情を浮かべる。怜の言葉と同時に私も決意した。ずっと聞けなかったハルと凛の間にあった出来事を聞く決意を。

ハルは私を見つめ、それから怜の表情を見て、一つ頷くと口を開いた。そこから紡がれるのは4年前のなにも知らなかった頃の私達の話。

「凛は転校してきたときから妙にリレーにこだわるやつだった。なぜそこまでこだわるのか、俺たちがその理由を聞いたのは決勝の直前だった。
俺たちはメドレーリレーで優勝し、凛はオーストラリアに旅立っていった。
『見たことのない景色、見せてやる』
凛はそう言った。あの決勝で俺は本当に何かが見えた気がしたんだ」

「僕も見えた気がしたよ、見たことのない景色」

ハルの言葉に渚が嬉しそうに言う。真琴も「そうだね」と静かに頷いた。

「だったらなぜ……そんなに素晴らしいリレーを泳いで、しかも優勝までして……なぜ今はこんな関係になってしまったんです?」

怜は理解に苦しむと言った様子でハルに詰め寄る。ここから先は私も知らない話だ。ハルは重い口を開き、ハルがずっと秘めていた凛との話を語り始めた。

「中学1年の冬休み。帰省してた凛とばったり会ったんだ」

凛とばったり会ったハルは思いがけずに凛と岩鳶SCで勝負することになる。
そしてハルは凛にあっさりと勝ってしまった。
凛は悔しさと虚しさで泣き始め、ハルは呆然と見つめることしか出来なかったと言う。
ハルは信じていたんだろう。自分と同じように凛もオーストラリアで仲間を見つけて、夢に向かって真っ直ぐに泳いでいると。
現実は違った。凛はハルに負けたことに酷く傷付いて、水泳をやめた。
そして凛を傷付けたことに責任感と罪悪感を感じたハルも、仲間を手放して競泳から遠ざかった。

「それ、僕も知らなかったよ」

渚が意外そうな口振りで言う。

「私も……知らなかった……」

私は正直ショックだった。4年ぶりに会った凛の態度が分かった気がした。
ハルも、凛も、この4年間どんな気持ちで過ごしていたんだろう。

「あの時はみんなには言えなかった」

ハルが小さな声で呟く。

「だからハルちゃん、中学で水泳部辞めちゃったんだね」

「凛を傷つけたことに罪悪感を感じてハルは競泳を辞めた」

渚の言葉を引き継ぐように真琴が言った。
その時、今まで黙っていた怜が耐えきれなくなったように激昂して、叫ぶ。

「だったらこの前の勝負ですべて終わりじゃないですか!遙先輩は自由になれた、これからは好きに泳げばいい。
なのになぜまた、負けたことで悩んだり、向こうは向こうで今度はリレーで勝負を挑んできたり、意味が分かりません!」

「怜ちゃん……」

怜の言葉にハルは微かに笑みを浮かべる。それは幼い頃、リレーを泳ぎきった時のハルの顔によく似ていた。

「ハル?」

「それは俺にも分からない。だけど……今はなぜかまた、凛と勝負できることが楽しみなんだ」



渚と怜と別れ、ハルや真琴の家まで来ると、真琴はまた私を家まで送ると言い出した。
断ろうかと思ったけれど、なんとなく、ハルの話を聞いた後だし、ずっと真琴を避けていたこともあって、断る言葉が出てこなかった。

「じゃあまたね、ハル」

「ああ」

ハルはさっきの話がなかったような素振りで真琴に答えると、さっさと家へ入ってしまった。
マイペースなやつ。

「じゃあ俺達も帰ろうか」

「う、うん」

ついこの間まではなんてことはなかったのに、今はやたらと緊張して仕方がない。ただ真琴と一緒に帰るだけ、たったそれだけなのに。
家までの短い距離がやたら長く感じる。真琴は一言も喋らずに、私の隣を歩いている。

「あ、あのさ、」

沈黙に耐えきれずに私は口を開いた。

「真琴、もしかしてハルの話知ってた?なんか前にそんな話してたよ、ね、」

私の言葉を聞いた真琴はみるみる暗い顔になる。
しまった、話の中身間違えた…!

「黙ってて、ごめん」

真琴は苦しそうに謝罪の言葉を口にし、私は慌てて首を横に振った。

「えっ、いや、真琴が謝ることじゃないから!そもそもハルのことだし、真琴は勝手に喋れないっていうか、ハルだって喋らなかったし、ああでも無理やり聞きたいとかじゃなくて、ええと」

慌てふためきながら言葉を紡ぐ私を真琴はきょとんとしながら見つめていたかと思うと、

「あははっ……ははっ」

何故か可笑しそうに笑い始めた。
え、私、変なこと、言いました……?

真琴はしばらく、くくっと笑ったかと思うと、笑いすぎて出た涙を拭う。

「ごめんごめん、結衣は本当に変わらないなって思ってさ。優しいところとかね」

「……」

私が返答に困っているといつの間にか家の前まで辿り着いていた。

「じゃあまた明日」

「……真琴っ」

そのまま去ろうとする真琴の背中に私は思わず声をかける。
不思議そうに振り返った真琴を見て、私は何を言いたいのか分からずにただ引き留めたことに気付いた。

「えっと、その…………送ってくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

真琴は柔らかく笑うと今度こそ去っていった。
私は真琴の背中を見送ると、家の中へと入る。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
真琴のこと、凛のこと、凛とハルのこと。それから、私のこと。
初めて知ったこと、考えること。たくさんありすぎて、混乱する。

「はぁー……」

一つため息をついてから、深呼吸をする。
過ぎてしまったことや、昔のことを悔やんだりしても、もうどうにもならない。
だから、これからをどうするのか考えないと。
それが私達にとって一番大切なことなんだから。

だからといってすぐにいい案が出るわけもなく、数日が過ぎていった。私は少しずつ前みたいに真琴と話せるようになっていった。そのことにあからさまにホッとして、ホッとしたことに罪悪感を感じた。

本日の放課後、部活なし。
真琴たちは水泳部に行ってしまったけれど、ここんとこ水泳部には寄り付いてないから、顔を出す気にはあまりなれない。
このまま一人で帰るのもつまらないし、クラスの友達に遊んでもらおうと声をかけると「ごめーん、今日は彼氏と帰るんだーまた誘ってね〜」との言葉が返ってきた。そしてそのまま、うちのクラスまで迎えに来た先輩とさっさと帰ってしまう。
解せぬ。女の友情なんて所詮そんなものか。
むくれてても仕方がないし、一人で帰ろうとしたところで、教室のドアのところに見覚えのある人物が佇んでいるのが見えた。

「怜……?」

荷物を持って、ドアへ向かうと、そこには複雑そうな表情で佇む怜がいた。声をかけると気まずそうに頭を下げる。

「あれ、部活は?真琴たちはもう先に行ったけど」

「……部活は今日は休みにしました。結衣先輩にお願いがあって……」

怜は少し言い淀むと、私の目をまっすぐに見つめる。

「一緒に、来てほしいところがあるんです」

ただならぬ様子の怜に、私は頷くしかなかった。



「突然、すみません……」

電車に揺られながら隣に並んで座っている怜が唐突に謝ってきた。
あれから怜は頷いた私を教室から連れ出し、なにも言わずに駅まで連れてきた。二人分の切符を買う怜を見て、私は何となく怜がどこに向かおうとしてるかを察した。

「いいよ、別に。でも私が着いてきて良かったの?なんの役にも立たないと思うけど」

「……僕にもよく分かりません。このまま、あの人と話すべきなのか、部活をサボってまですることなのか、あの人に会ってちゃんと話ができるのか、むしろなにも言えない、言わない方がいいんじゃないかって。こうしてる今でも悩んでます」

怜はぎゅっと手を堅く握りしめる。力を込めすぎて白くなる手が痛ましい。

「でも、このまま何もしないで遙先輩たちと本当の仲間にはなれない。そう思ったんです。だから……だから結衣先輩には僕が逃げないように見ていてほしいんです。実際に会って話をしたら冷静でいられなくなるかもしれないので……恥ずかしい話ですが」

怜の話を聞いて私は正直驚いた。怜がここまでしっかりと考えて、行動するとは思わなかった。怜はしっかりしてそうでいて、意外とそうじゃないところがある。
渚には振り回されっぱなしだし、ハルには憧れているせいもあって後をついている節がある。真琴は元々お兄ちゃん気質だから頼りがちだし。怜にはお兄さんがいるって聞いたから、少し甘えんぼなところは弟だからかと思ってた。それをひたかくそうとして、理論を好きでいようとするところも。
でも、私なんかより、怜の方がよっぽどしっかりしている。みんなのことも、自分のことも、しっかり考えて、答えを出そうとしている。
私の方がよっぽど甘えんぼだ。甘えて、逃げて。
たった1つしか違わないのに、怜がやけに眩しく見えた。

「……分かった。私もハルの話を聞いて何かしなきゃとは思ってたんだ。だから一緒に行こう。
凛の元へ」

「……はいっ!」

怜は決意を固くしたようで、しっかりと頷く。
その怜を見て、私も決めた。
もう、誰からも何からも逃げない。
ハルはずっと逃げずに一人で抱え込んでいた。
そして仲間と一緒に凛のことを受け入れようとしている。
私も凛からも真琴からも逃げちゃダメだ。
もうあの頃と違うのは十分分かった。いつまでもあの頃のままでいたいと思うのが間違いだったんだ。
凛はオーストラリアでいろんな経験をしただろうし、真琴もハルも私も中学時代にはいろんなことがあった。
そうやって私達は少しずつ変わって、大人になっていく。それを怖がってちゃ、前に進めない。
それに、変わらないものだって確かにある。
それを確かめなくちゃ。

そんなことを考えていると、いつの間にか鮫柄学園の前まで来ていた。

「結衣先輩……大丈夫ですか?ずっと難しい顔をしてましたが……」

怜が不安そうな面持ちで聞いてくる。

「やはり気が進まないようでしたら、僕だけでも、」

「怜」

私は怜の言葉を静かに遮る。

「私なら大丈夫だよ。行こう」

そして私達は前へ、前へと歩き出す。