届く気がしない

「夢、か……」

隣で呟いたハルの言葉にゆっくりと目を開けた。気持ちいい日差しが降り注ぎ、ゆったりとした眠気に襲われる。再び私は眠りの世界へと誘われる。

「夢だね……おやすみ」

そう言って再び寝ようとすると「いや、夢じゃないから!結衣も起きて!」と叩き起こされた。
……真琴のアホぅ。

「でもホントなんだったんだろう。凛ちゃんおかしかったよ」

渚の言葉に私は再び凛の言動を思い返す。……やっぱりおかしい。

「そっくりさん」

「そっくりさんが何でハルに勝負を持ちかけるのさ」

「じゃ、幽霊じゃない?あそこ出るって話だし」

「や、やめろよ結衣!」

「足あったよ?」

「じゃあドッペルゲンガー」

「うわ、マニアック」

「あ、それ懐かしい!スイミングでも流行ったよね!超絶合体ドッペルゲン」

「真琴うるさい」

「みんなうるさいよ!寝かしてよ!」

「お前まだ寝るのか」

呆れたように言うハルを、文句ある?というように睨む。こんなに気持ちがいいのに寝ないとかあり得ん。

「私残りの授業をここで過ごすよ……」

「俺は帰る」

「ちょっと二人とも!授業出なよ!」

真琴の声をBGMに私は眠りの世界へと引き込まれた。



「お前達はっ!例え廃墟でも無断で中に入るのは不法侵入なんだ!分かってるのか!?」

「すみません」

「ごめんなさい」

「申し訳ありませんでしたー」

三者三様の謝り方をすると学年主任の(名前なんだっけ?)先生はハァーとため息をついた。先生、幸せが逃げますよ。

「七瀬はどうした」

「午後から早引きしました……」

「またか……篠宮、お前午後の授業は」

「気分悪かったので寝てました」

「お前もまたか……」

疲れきった顔をする先生。可哀想に。

「まあまあ、先生その辺で」

やわらかい雰囲気を纏って天ちゃんが仲裁に入ってくれた。ほわほわーとしてて可愛い。

「李白の言葉にもあります。人生意を得なくば須らく勧を尽くすべし。金樽をして空しく月に対せしむる勿れ」

天ちゃんの言葉に学年主任の先生は首をかしげる。
天ちゃん、それお酒の話でしょ。

「一度の人生好きなようにやるべきだ。素敵な酒樽を前に飲みもせず放置するのは馬鹿げている!的な?……あれっ???」

……フォローありがとうございます。天ちゃん。

先生にこってり絞られたあと(私は昼寝してたことも怒られた)真琴の提案で凛がこの学校に来ているか調べることにした。

「松岡凛……松岡凛……ホントにこの学校にいるのかなぁ?」

「ビミョーだよねー。あ、渚の下駄箱はっけーん」

「オーストラリアから戻ったんなら転校してきてる可能性はある。ほら結衣、真面目に探せって」

「はいはーい」

「でも始業式じゃ見かけなかったよ?」

「赤い髪なら目立つよね……ん?」

赤い髪……確かこの前見たような。凛じゃなくて……あれは……。

「あっ、合った!」

真琴が声をあげる。嘘、ホントにいたの?

「ホント!?」

「や、待って……松岡……江?」

「……あーっ!!」

真琴の言葉で思い出した。屋上にいた赤い髪の女の子。

「コウちゃん!凛の妹のコウちゃんだぁ!」

コウちゃんが岩鳶高校に来てるなら凛のことが分かるかもしれない。そんな期待を胸に抱きながらハルの家を訪れると、そこには赤い髪をポニーテールにした可愛い女の子がいた。

「こーうーちゃんっ♪」

ガバッと後ろから抱きつく。ああ、柔らかいし、可愛いし、いい匂いがする!

「きゃあっ……結衣ちゃん!?に、葉月くんに橘さん……」

「えへへーっ、久しぶりだねコウちゃん!ちょうど良かった。聞きたいことがあったんだ」

抱きつきながら話していると誰かにコウちゃんから剥がされた。……真琴だ。

「とりあえず場所変えない?」

真琴の提案で見晴らしのいいベンチに座る。風が気持ちいい。

「へぇー江ちゃんも岩鳶高校に入ってたんだぁ」

「ゴウって呼ばないで。コウって呼ばれてるんだから」

「えー何で?戦国武将浅井長政の三女と同じ名前の江でしょ?」

渚、詳しいな……。

「そうだけど……普通に読めばコウなんだからそこは素直にコウって呼ぼうよ。それが優しさってもんじゃないの?ね、結衣ちゃん」

「え、私?まあね……コウちゃんの気持ちが分からなくでもないよ」

「えっと……そんなことより、」

渚とコウちゃんの言い合いに収集がつかないと思ったのか真琴が無理矢理話を切り上げる。逆効果だと思うけど。

「そんなこと!?」

案の定、コウちゃんは怒ってしまい、真琴を睨み付ける。真琴はひっと竦み上がると、ごめん……と眉を下げた。……年下の女の子にたじたじだ。

「でも何しにハルの家に?」

「それは……お兄ちゃんのこととか聞きに?」

「凛、やっぱりオーストラリアから帰ってるの?」

「先月、帰国してこの春から鮫柄学園に……あそこ全寮制だから家には帰ってきてないですけど」

鮫柄学園……!?確かあそこって……

「水泳の強豪校だよね?」

そこに凛が行ったってことは、夢を叶えに戻ってきたということなの?



コウちゃんと別れてから、凛に会いに鮫柄へ行こうよという話になって、ハルの家に行くことになった。

「嫌だ」

……やっぱり。
鮫柄にハルも誘って行こうとしたが、むげにも断られてしまう。予想はしてたけど。

「行こうよー鮫柄学園!」

「凛に会いたくないの?」

渚と真琴が一生懸命誘うがハルは頑なに拒む。
ハルを誘うのはやっぱり無理なんじゃないかなと思ったところで、真琴が口を開いた。

「ハァ……行けば今度こそ泳げるかもって思ったんだけど。鮫柄って確か屋内プールがあったはずだし」

不法侵入してプール入る気!?と真琴に言おうと口を開き、私はハルの異変に気がついた。
……目が輝いてる。

「……ハルって昔からバカだよね」

「お前の方がばかだ」

……可愛くない。

なんとかハルを説得(?)することに成功し、私とハル、真琴、渚は鮫柄学園を目指す。
しかし昨日のこともあってか、真琴と渚は電車に揺られながらハルに頭をもたれかけて寝てしまった。……寝顔可愛いな。写メっておこう。

「ハル、重くないの?」

「重い。変わってくれ」

「やだよー。でもこうしてみると可愛いよねー。まあ、普段から渚は可愛いけどさ、真琴も寝顔は無防備で可愛いっ」

「ハァ……お前、それ真琴の前で言うなよ」

「なんで?」

「お前が鈍いのは鯖を毎日食わないからだ」

「意味がわからないよ!」



鮫柄学園になんとか着き、私達は裏門からこっそり侵入して屋内プールを覗く。……なんか変態みたいだ。
中ではコーチ(?)らしき人が怒鳴っている。おお、こわ。

「凛ちゃんいる?」

「いないなー」

「休みかな?それとも私達みたいに先生から説教くらってるとか」

「それはどうだか……なあ、ハル……うわあああ!!ってここで脱いじゃダメだから!!」

ハルはシャツのボタンを途中まで外していた。綺麗な肌が晒される。

「ハル!女の子の前で簡単に脱がないでよ!」

「泳げるからって連れてきたのは真琴だろ!結衣に至っては気にしてないからいい」

「私が気にするの!」

言い合いで大きくなってしまった声を抑えるように渚が仲介にはいる。

「まあまあ、ハルちゃん。練習終わって人がいなくなってから泳ごうよ。ね?」

「ねー、それヤバくない?不法侵入だよ?私また怒られるのやだよ」

「大丈夫。さっきの先生も一度の人生好きにやれって言ってたじゃない?」

「天ちゃんが言うこと微妙にニュアンス違うよね……ってハル!」

目を離した隙にハルは制服をパッと脱いで水着姿になろうとしていた。慌てて真琴がそれを止める。
……夜になるまで待ちますか。



水泳部の練習が終わり、いざ凛を探そうというところで私達は何故か屋内プールに侵入していた。

「やっぱり不味い気がする……」

「なら二人を止めてよ真琴!」

「だってー……」

真琴と言い合いをしてるうちにハルはパッと水着姿になり、派手な水しぶきをあげてプールへと飛び込んだ。

「きゃっ……もう、ハル!」

「わぁ……やっぱりハルちゃん、イルカみたい」

渚の言葉に胸をつかれた。
……私が好きなハルの泳ぎは、何にも捕らわれずに自由に泳ぐ泳ぎ。まるでイルカのように綺麗で、自由で、水と一体でいるような錯覚に捕らわれる。

「やっぱり、綺麗……」

思わずシャッターを押したくなる、その動き。キラキラと水面が月に反射して、ただの室内プールが少し幻想的に見える。

「マコちゃん!僕たちも泳ごうよ!」

「ダメ!見つかるとまずいって!それより凛を探さないと……」

「その前にちょっとだけ。明かりつけなきゃ大丈夫だよ」

「水着はどうするつもり」

真琴がそう言ってる間に渚はどんどん制服を脱いでいく。

「裸でいいんじゃない?」

渚がそう言った瞬間、私の視界は真琴の手で覆われる。そして、

「アイ、スイームッ!」

元気な渚の声と水しぶきがした。

「マコちゃん、ゆんちゃん。きてきて」

「なに、俺も結衣も入らない……嘘だろ!?」

渚に足首を掴まれた真琴はそのまま豪快にプールの中へダイブ。
私はその様子をプールサイドに座りながら眺めていた。

「ゆんちゃんもおいでよー足だけプールに浸かっててもつまんないよ?」

「やーよ。びしょ濡れになって風邪引きたくないもん」

「どっちにしろ結衣はダメだ」

「えー、マコちゃん過保護だなぁ」

渚と真琴はプールの中でじゃれあい、ハルは静かにプールを漂う。
……やっぱりいいな、男の子って。私も久々に泳ぎたくなってしまった。
ニヤニヤと微笑ましい光景を眺めていると、ガチャと扉が開く音がした。
うわっ不味い、とうろたえていると、聞き覚えのある声が耳に飛び込む。

「お前ら……どういうつもりだ」

「り、凛……」

すごく怖い顔をして凛は私達に詰め寄る。昔はこんなんじゃなかったのに。なんで。

「帰れ!」

冷たくいい放たれた言葉にビクリと肩が竦む。なんだか泣きそうだ。
その時ハルが静かに凛の方へ泳いだ。そして水から顔をあげ、一言。

「フリー……」

「は?」

「言っただろ。俺はフリーしか泳がない、って」

ハルは真っ直ぐに凛を見上げ、いつもの台詞を口にする。

「ハルちゃん?」

「ハル……」

真琴が心配そうにハルを見つめるなか、ハルはプールサイドへ上がり、凛の前に立つ。
そして口角を幽かにあげ、言葉を紡ぐ。

「あの時の景色、もう一度見せてくれ。なにが見えたか、忘れちまったから」

キラリと光った瞳から目がそらせない。ハルは、凛に本気の勝負を挑むつもりなんだ。
凛はグッと何かを堪えたあと、目に闘志の色を燃やす。

「……ああ、見せてやるよ。ただし、あの時と同じ景色じゃねぇ。もっと違う景色だ!」

一触即発な雰囲気が漂う中、私は不謹慎にもドキドキと胸を踊らせていた。
――また、見れるかもしれない。あの時と同じ景色。

「相変わらず、なに考えてんのか分かんねぇ奴だぜ。お前は」

「どうでもいい。さっさと準備しろよ、凛」

「そのクールな性格も変わんねぇ。本当、ムカつくぜ」

吐き捨てるように呟く凛。苦々し気な口調に何故か胸が痛む。

「真琴。スタートの合図頼む」

「……分かった」

「勝負は100m。種目はフリー」

ゴーグルをつけ、二人はスタート台へとあがる。そして、

「レディ、ゴー!」

始まった。