今なら空も飛べるはず

「くしゅっ」

盛大なくしゃみがそばで聞こえて私は思わず本から顔をあげた。
今日は久々にゴロゴロした休日を過ごそうとみんなでハルの家に来ている。渚も真琴も雑誌を読んでおり、私は加賀部長から借りた本に読み耽っていた……ところで、冒頭に戻る。

「盛大だねぇ」

渚が感心したように言う側で、私がティッシュ、ティッシュ、と箱ティッシュを探していると、真琴が「ハル、大丈夫?」と自分のポケットからティッシュを取り出した。
……負けた。完全に真琴に女子力負けた!

「どうしたの?結衣」

「……私、真琴には負けないからね!!」

「何が?」

困惑する真琴からティッシュを受け取り、(くそっ負けた!)ハルは鼻を啜りながら告げる。

「死んだばあちゃんが言ってた。くしゃみするのは誰かが噂してるときだって」

……今のハルのくしゃみは明らか違うと思う。というか、このままいくとハルはどっかのライダーみたいに「おばあちゃんが言っていた」とかいちいち名言出すようになるんじゃないだろうか。どうしよう。

「それ、きっと凛ちゃんだよ!」

渚は嬉しそうに言うが、仮に凛が噂してたとしても誰にハルのことを言うだろうか。……独り言だったらどうしよう。面白い。

「いや、普通に風邪だよね。まだ4月なのにプールで泳いだりするから」

真琴の言葉で私は先日の出来事を思い返す。
無事にプールの補修が終わったということで、水泳部+私で小さなプール開きをやった。
まだプールには寒い季節だけど、試しに水を入れてみたの〜という天ちゃんの言葉通り真新しいプールには水が張ってあって、暑い夏なら飛び込みたくなるようなプールの出来映えに感心していると、唐突にハルが服を脱ぎ出した。
さっきからやけにプールをちらちら見ているから嫌な予感がするなとは思っていたが、予想通りハルは冷たい水の中に水着姿で飛び込むと気持ち良さそうに泳ぎ始めたのだ。……まだプールには到底早い4月に。
そのあとは江ちゃんの筋肉フェチが発覚したり、唇が紫色になり始めたハルを捕獲するのに網を持ってくる羽目になったりと色々あったが、水泳部はまた一歩前進したらしい。良かった良かった。

鼻を啜りながらプールで風邪引くほど柔じゃないと言い張るハルの目の前に私は箱ティッシュをそっと置く。せめてもの抵抗だ。

「あ、ゴウちゃんから聞いたんだけど、凛ちゃん鮫柄水泳部に入ったんだって」

「凛が……?」

渚から聞かされた話に私は驚きを隠せなかった。
凛が、水泳部に。
じゃあ、もしかしたらどっかの大会でハル達は凛と勝負するかもしれないんだ。そしたら、また昔みたいに――
そこまで思ったところで、私は首を振る。もう昔の凛じゃない。この前の対決で嫌というほど分かったじゃないか。私は、何を期待しているんだろう。

真琴がやけに嬉しそうに「これで大会でまた会えるね」と言う。真琴達はまだ凛が昔のまま変わらないって思ってるのかな。ハルと勝負して勝ったくせに悔しそうな顔をして、凛は本当によく分からない。

「うん、出ようよ大会!!それでまたリレー泳ごう!」

「リレー……また泳ぐの?」

意気込んでる渚に聞くと、渚は「あの時みたいに皆で泳げるの楽しみなんだ」と笑顔で語った。
あの時のリレー。皆で繋いだ道が一本になるあの景色。今でも忘れられない。あの時撮った最高の景色は私の部屋にある。
それがまた見られるなら、本当に見られるならすごく興味があるけど、ここには凛がいないんだ。そもそもハルは乗り気じゃないだろうし。

「俺はフリーしか泳がない」

雑誌から顔をあげずにハルは予想通りの言葉を口にする。

「それってリレーには出ないってこと?そんなこと言わずにさあ……ねぇ」

渚が不満をぶつけるようにハルの背中に頭をグリグリと押し付ける。あんたは小学生か。

「大体、リレーやろうにも三人じゃ足りないだろ」

「確かに」

「大丈夫!ゆんちゃんがいるよ!」

「しばくよ渚」

「わああごめん……ってことはやっぱり、あと一人部員を見つけなきゃなんないってこと!?」

渚が慌てる姿に私は小さく笑みを漏らす。水泳部は前途多難らしいが、私たちの日常は今日も平和だ。



翌日からいつものようにまた一週間が始まる。月曜日はただでさえ、憂鬱だというのに文芸部の顧問の先生に呼び出しを受けた。私が副部長になったから早速雑用ですか。渋々職員室を訪れると職員室前にはハルがいた。いや、ただ突っ立ってたのではない。

「おい」

珍しく自分から一年生に話しかけてる。何してるんだろうと思いきや、ハルはどこからかイワトビちゃん水着verのストラップを取り出し

「これやるから水泳部に入れ」

…………。
いらない……しかもあれじゃあ誰も入らないわ……。
しかし、自分から勧誘だなんてハルにしては珍しい。キャラじゃないというか。

「あちゃー」

「ダメだぁ……あれが今のハルの精一杯」

「ハルちゃんどんまい!」

横を向くといつの間にか隣に真琴、渚、コウちゃんがいた。

「何あれ。ハルどうかしたの?」

「実は部費で屋内プールを使わせてもらおうと思ったんだけど、天方先生にそんな部費は出せないって言われちゃって……でも大会で記録を出したら部費が上がるかもしれないって言われたんだけど、その為には選手あと一人必要なんだ。それでハルがやる気になったんだけど……」

真琴が苦笑しながら説明してくれる。まだまだ道のりは長いですな。

あのあとコウちゃんから、結衣ちゃんもう帰る?途中まで一緒に帰らない?と誘われ、内心にやけつつ承諾する。やっぱりコウちゃん可愛い。可愛い女の子と下校できるとか俺得だよね。とかちょっとバカなことを考えていたら、突然誰かに引き止められた。

「あ、ゆんちゃん、ゴウちゃんいた!」

誰か、じゃない。渚だ。その後ろには真琴とハル。ハルがめんどくさそうな顔をしてるってことは無理矢理渚に連れてこられたんだな。

「こっちこっち」

説明されるまでもなく渚に引きずられるようにグラウンドに来た。……私、これからコウちゃんと下校デートの約束があるんだけど。

「なんだよ」

「一体、何なの。渚」

「もうね、本当間違いなくイチオシなんだよ!」

渚の話では水泳部の新入部員にぴったりな子を見つけたらしい。ただしその子はもう部活に所属していた。

「陸上部……?」

「だったらダメだろう」

真琴の言葉を気にかけるでもなく、渚は一人の男の子を示す。
サングラスをかけたちょっと短髪で筋肉のつき方が綺麗な男の子。

「これって運命だと思うんだ!」と渚は一目惚れしたようなことを言うが、陸上部に入ってる彼がどうして水泳部の新入部員にぴったりなのか。

「中学で水泳部だったのか?」

「すごい記録を持ってるとか?」

「イワトビちゃん欲しいって言われたの?」

ハル、コウちゃん、私の言葉に渚は首を振ると「名前だよ名前」と言ってこれまた嬉しそうに笑う。……そんなに縁起のいい名前の子なのかな。

「竜ヶ崎怜ちゃんっていうの。僕達と同じなんだ。男なのに女みたいな名前!」

「「そこ!?」」

思わずコウちゃんとハモる。渚の感性がいまいち分からない……。

「でも確かに……すごい三角筋!」

コウちゃんがうっとりと彼の筋肉を眺める。……コウちゃん。本当に筋肉好きだよね。将来が心配です。

「そんないい加減な理由でいいの?」

真琴が部長らしくたしなめるが、一年生コンビに噛みつかれてる。
それにしてもりゅうがざきくんかぁ……。
彼の様子をじっくりと観察してみる。飛び込みのバーを捕らえる彼の視線は真剣だ。その表情に目を奪われる。
これは……もしかすると……。

「飛ぶみたいだぞ」

ハルの言葉に我に返り、私は鞄からカメラを取り出す。愛用の一眼レフじゃなくて、普通のデジカメしか持ってきていないけれど十分だろう。
りゅうがざきくんをフレームの中に捉え、その瞬間を待つ。
微調整を終えた彼は、勢いをつけ走り出し、そして――

跳んだ

本当に一寸の狂いもないような完璧なフォーム。飛ぶ瞬間から落ちる瞬間まで計算されてるかのように美しい。
久々のいい被写体、かも。

「凄い綺麗なフォームだ。あれなら飛び込みもうまそうだね」

「はいっ、上腕二頭筋も綺麗!!」

「だから、そこ!?結衣はどうだった?……結衣?」

フレームに写る彼の跳ぶ瞬間を眺める。久々にモノにした一瞬。
計算されつくした美しさ。時間、フォーム。
あの子が泳いだら、ファインダーの向こうにはどんな景色が写るんだろう。

「……ね、渚。あの子いいと思う。スカウトしてきなよ」

渚はおもいっきり気持ちのいい笑みを浮かべ、元気よく「うん!」と頷いた。のだが。

「ダメだったぁ……どうしてもうんって言ってくれない。怜ちゃん水が嫌いみたい」

翌日、渚は項垂れた様子でうちの教室に来た。どうやらこっぴどく振られたらしい。

「そんなやつはほっとけ。水に入れるな」

ハルは水が嫌いみたい発言に怒ったようで、ちょっとムッとしながら紙に鉛筆を走らせる。何をしてるんだろうと思い覗き込むと、ハルは水泳部のポスターを描いていた。さすがハル。すっごい上手い!手先が器用なだけはある。

「そんなこと言ってると、誰も入ってくれないよ!そしたら冬はひたすら筋トレにマラソンだよ!いいのハルちゃん!!本当にいいの!?」

渚に一方的にまくし立てられたハルは若干顔を青ざめながら「嫌だ……」と呟く。

「やっぱり天ちゃんにお願いして、一肌脱いでもらうしか」

「無理だろ。絶対水着にならないって言ってたし」

「じゃあ、入部すればゆんちゃんの水着が見放題!!」

「絶対ダメだ!」

「えー、マコちゃん過保護だよ」

なんで私の話なのに私を置いて話が進んでるんだろう……。

「ちょっと!私は水着にならないし、そもそも部員じゃないからね!」

「ちぇー……あっ!だったら逆に」

「「逆に?」」

「すごい、入部すれば天ちゃんに水着を見られ放題」

「その需要はあるのか?いや、書かなくていいから!!」

「というかそんな変態入部してきても嫌でしょ……」

あんた達真面目に探しなさいよ、と言おうと口を開いたところで視線を感じ、後ろを振り返る。

「あ・な・た・た・ち」

そこには笑顔を浮かべているのに目が全く笑ってない表情をした天ちゃんがいた。

「「「ごめんなさい!!!!」」」

りゅうがざきくんとやら、水泳部に入ってくれないだろうか。私のHPがそろそろ持ちそうにない。