見守る立場からもう一歩

天ちゃんに笑顔でこってり絞られたあと、(ああいう人が本気で怒ると怖い)今日はそのまま解散となった。今日こそはコウちゃんと帰ろうと思ったのに、友達と帰ってしまったみたいだ。残念。
いつもみたいに幼なじみ3人で帰路につく。今日の夕飯なんだろう。ハルはどうせサバだろうな。あ、真琴ん家にお邪魔しておばさんのお手製料理食べたい。今度、遊びに行こう。

「なあ、ハル」

突然、真琴が真剣な眼差しでハルに話しかける。何かを案じてるような不安げな表情。

「なんか、大会に出るって流れになってるけど、ハルは本当にいいんだよね。また凛と勝負するようなことになっても。それでまた凛に勝つようなことになっても」

真琴の言葉に驚いてハルを見る。
ハルは前に凛と勝負したことがあったの?それで凛が負けた……?
色々と聞きたい気持ちをグッとこらえ、私は口を閉ざす。これはハルと真琴の話だ。私が勝手に口を出してはいけない。

「誰かから聞いたのか」

「この前、笹部コーチに偶然会って」

その真琴の言葉にまた驚く。笹部コーチとは随分懐かしい名前を聞いた。コーチ、元気だろうか。

「……昔のことだからな。それにアイツもまた泳ぐ気になってる。それでいい」

ハルは思ったより、スッキリした顔をしていた。そのことにちょっとホッとする。
昔のことをうじうじ引きずっているのってもしかしたら私だけかもしれない。

ハルと別れ、真琴と二人でぶらぶらと家路を歩く。真琴は一緒に帰るとき、いつも私を家まで送ってくれるのだ。もう子供じゃないんだけど。

「……なにも聞かないの?」

真琴が躊躇いがちに口を開く。

「聞いたら教えてくれるの?」

「それは……」

あからさまに困ってしまった真琴に笑う。優しすぎる性格は昔から変わらない。

「聞かないよ。何も。ハルが言わないってことは、必要ないからでしょ。それに真琴から聞くのもなんか違うし。話したくなったらハルから話してくれるでしょ」

ほとんど希望的観測だけど気長に待ちますよ。じゃなきゃ、ハルと幼なじみなんてやってらんない。

「……結衣には本当に敵わないな」

「何が?」

「何でもないよ」

変な真琴。



「ってわけなの結衣ちゃんお願い!」

コウちゃんに可愛く頼まれて、私は大変困ってしまった。
水泳部のマネージャーとして、活躍してるコウちゃんは鮫柄水泳部との合同練習を取り付けたらしい。さすがコウちゃん!敏腕マネージャー!
しかし、合同練習には最低部員四人は必要とのこと。それで私に頼みに来たらしいが……

「んー、ごめんね。やっぱりプロの水泳部と泳ぐのはちょっと……。それに鮫柄って男子校でしょ?多分、女子部員は無理じゃないかな……」

「そっかぁ……そうだよね。無理言ってごめんね」

「ううん。私の方こそ力になれなくてごめんね」

「……結衣ちゃん。じゃあ別のことをお願いしてもいい?」



「というやり取りがあって鮫柄との合同練習、私も行くことにしたから」

「いや、分かんないから!」

たまたま朝迎えに来た真琴とハルと一緒に登校しながら私は昨日コウちゃんに頼まれたことを話す。

「写真撮るだけでいいから記録係として来てほしいってコウちゃんに言われたの」

「……本当に来るの?」

「なあに?真琴は私が来るの嫌なの?」

「そんなこと言ってないけど……」

なかなか煮え切らない真琴にイライラする。ハルに「いいよね?」と聞くと「勝手にしろ」と返ってきた。

「大丈夫なのか?向こうには凛だっているし……」

「真琴は心配性だなぁ。へーきだよ、へーき。……あれっ?」

校門前で息を切らしてる渚がいた。何故かジャージ姿だ。

「何やってんだ」

「はぁはぁ……あ、ハルちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん……」

「朝から走り込み?珍しいね」

「ちょっと色々あって……ああ、怜ちゃん!」

噂の(?)りゅうがざきくんがこちらにやって来た。何故かハルをまじまじと見ている。そして

「貴方がハルちゃんさんですね」

「ブホォッ」

ハルちゃんさん……!ヤバいりゅうがざきくん最高だわ!ハルちゃんさん……っ!!
一人で笑っている私にチラリと冷たい視線を投げつけるとりゅうがざきくんは真っ直ぐハルを見据えて言う。

「仮入部で良ければその合同練習に行ってあげてもいいです」

「えっ本当!?」

「ただし、条件があります。……僕は泳ぎません」

皆が顔を見合わせる中、私はりゅうがざきくんの手を取る。

「いいよいいよー。まあ、一人決まって良かった良かった!」

「誰ですか貴女は」

「ハル……七瀬遙と橘真琴の幼なじみで今度水泳部の記録係を勤めます、篠宮結衣です。よろしく」

「……僕は竜ヶ崎怜です」

律儀に挨拶を交わす竜ヶ崎くん(教えてもらって漢字をやっと知った)。ちょっと頭固そうな感じだがなかなかいいセンスをしてる。
それにしても、泳がないなんて水泳が嫌いなんだろうか……。
多少の不安を抱えつつ、鮫柄との合同練習の日を迎えた。



「やっぱり屋内いいなぁ……」

「お金持ちは違うよねぇ……」

渚と鮫柄の広いプール(二回目)を見渡していると、そばでうっとりしているコウちゃんに気付いた。筋肉ですかコウちゃん。

「やぁ、よく来てくれたね」

赤い髪をツンツンに立てたちょっと強面の人がやって来た。この人が鮫柄の部長さんか。確か御子柴さんだっけ。

「「「よろしくお願いします」」」

皆で挨拶をすると御子柴さんは軽く頷いて、私を見た。……なんか凄い見られてる、気がする。

「君……」

「は、はい?」

あ、自己紹介かな?

「申し遅れました。私、本日記録係を務めさせていただきます、岩鳶高校二年篠宮結衣です。よろしくお願いします」

「結衣くんかぁ……君、可愛いね!」

「は、はぁ……どうも」

「あのっ、練習始めませんか?」

真琴が私の前に立ちはだかって言う。ちょっと、お話し中なんだから失礼だよ。
御子柴さんはそうだなと言うと、今度はハルに目を向けた。そのまま親しそうに話しかける。口振りからして、ハルのことを知っているそうだ。ハルは全く興味がないというように話を全然聞いていない。

「あ……」

その時、フラりと御子柴さんの後ろからいきなり凛が現れた。予想もしてなかったので思わず固まってしまう。

「あっ、お兄ちゃん!」

「凛ちゃーん、また一緒に泳げるね。今日はよろしくね」

コウちゃんや渚はあんなに普通に話しかけてるのに、どうして私には出来ないんだろう。

凛は「一緒に?ハッ、お前達じゃ相手になんねぇ」とか可愛くないことを言って、来たとき同様フラりとどこかへ行ってしまった。
バカ凛が。

今日は鮫柄の一年生と一緒に練習するらしい。まずは一本ずつのタイムトライアルからだ。
私はカメラを構え、その瞬間を逃さないように集中する。動画じゃないから分かりにくいかもしれないが、あとで写真を見返したときに飛び込み時のフォームや角度を変えるのには役立つ。
と、ここで問題が起きた。

「そこの君、早く水着に着替えて」

竜ヶ崎くんのことを御子柴さんに感づかれてしまったのである。すかさず渚が「水着忘れちゃったみたいで……」とフォローを入れるが、そんな下手なフォローは一蹴され、竜ヶ崎くんはブーメラン水着に身を包むことになった。

「泳がないって約束だったはずじゃないですか……」

「大丈夫。タイムトライアルっていっても練習だし、ちょっとくらい遅くても平気だから」

「だからそういう問題じゃなくて……!」

「あ、マコちゃん泳ぐよ。ゆんちゃんよろしくね」

「おっけ」

「聞いてるんですか!!」

さっきから渚と竜ヶ崎くんは何を言い合っているのか。いい加減腹を括りなよ、竜ヶ崎くん。
真琴、渚と記録を終え、次は竜ヶ崎くんの番となった。やけにソワソワしてるけど……緊張、してるのかな?

「分かりましたよ!」

竜ヶ崎くんは自棄になったようにスタート台の方へ歩いてく。

「水をなめるな」

「なめてません!」

「竜ヶ崎くん!いい写真とってあげるね!」

「いりません!」

綺麗な飛び込みのフォームをフレームの中で見つめながら、ちょっと竜ヶ崎くんの泳ぎに期待する。知らない人のってやっぱ見てみたい。
ホイッスルが鳴り、竜ヶ崎くんは跳んだ――はずだった。

バッシャーンと豪快な水音が鳴り響き、竜ヶ崎くんはプールに落ちた。

「「「「ええええーーー!?!?!?」」」」

暫く待つが誰も浮いてこない。

「あ、あれ……浮いてこないね……」

「嘘でしょ……」

「ちょっ、ヤバいんじゃ……あ」

コウちゃんの言葉と同時にハルはプールに飛び込む。そして渚と二人がかりで竜ヶ崎くんをプールの底から救い出した。

「ていうか怜ちゃん、泳げなかったのか」

「うっ……そうだよ……悪いですか!!だから僕は泳がないって言ったんだ!!」

逆ギレする竜ヶ崎くんに、あちゃーやっちゃったなぁと呑気なことを考える。これで彼が水泳部に入る可能性はなくなってしまった。
ごめんよ、竜ヶ崎くん。
真琴がうまくフォローをしとくから、気にしないでいいよと竜ヶ崎くんを慰めてるうちにハルの出番がきた。

「あ、ハルが泳ぐよ」

真琴の言葉に私は慌ててカメラを構え直す。

「位置について。よーい」

ホイッスルが鳴り響き、ハルは軽やかにプールの中に飛び込んだ。イルカのように綺麗に自由に水と一体になって泳ぐその姿から目が離せない。勝手にシャッターを切ってしまう。

「どうかした?」

真琴の言葉で竜ヶ崎くんの方を振り向くと、竜ヶ崎くんは何かに魅入るかのようにハルの泳ぎをじっと眺めている。もしかしたら、何かを感じ取ったのかもれない。

「ね、だから言ったでしょ。ハルちゃんの泳ぎ凄いって」

渚の言う通りだ。ハルの泳ぎは昔から変わらず、周りを魅了する。


あれからも渚は諦めずに竜ヶ崎くんを勧誘し続けているそうだ。

「まだ諦めないのか?」

「もちろん!でもなんか怜ちゃんすっきりした顔してるよね」

グラウンドで高跳びに勤しむ竜ヶ崎くんを観察すると、確かにそんな感じがした。いや、何となくだけど。
踏ん切りがついたように軽やかにバーへ向かって走り、そして
跳んだ――?

「「「「ええええーーー!?!?!?」」」」

竜ヶ崎くんは何故かバーの上で大の字になるとそのまま落ちた。……あれはかなり痛そうだ。

「あ、こっちに来るよ?」

竜ヶ崎くんはこちらにやって来るとハルを見据える。

「僕も、七瀬先輩みたいになりたい」

……何を言ってるんだろう?

「どういう意味……?」

「あんな風に自由に、」

「自由じゃない。フリー」

いいかけた竜ヶ崎くんを遮ってハルは訂正する。本当にフリー(と鯖)にしか目がない男だ。

「フ、フリー……と、とにかく正式に水泳部に、入れてください!!」

大きな声で水泳部への入部希望を叫んだ竜ヶ崎くんはそのまま頭を下げる。

「ええっ、本当に!?」

ハルの方を皆がちらりと見ると

「……泳ぎたいやつは泳げばいい」
「じゃ、決まりだね!」

「やったねー!」

「うん!」

「ハルちゃん!」

ハルの一言で一気に歓声が上がる。
ただ竜ヶ崎くんは渚に向き直ると

「でも一番最初に僕を誘ったのは君なんですから、ちゃんと責任とってくださいよ……渚くん」

デレた……!竜ヶ崎くんデレたよ!

「うん!まっかせといてー!!」

勢いよく渚が竜ヶ崎くんに抱きつく。そんな微笑ましい光景を見ながら、私はちょっと気持ちが揺れ動くのを感じた。
もしかしたら、あの時の光景が見られるかもしれない。
凛がいなくても、この四人なら――