気まぐれに差す希望

今日のハルは朝からどことなく機嫌がいい。生き生きとした目をしてるんだけど、何かあったんだろうか。

「ねぇ、真琴。なんかハル機嫌よくない?」

「え?ああ……今日からプールでの練習が始まるんだよ」

「なるほど」

それで機嫌がいいのか。しかし、まだプールの季節には早いからちょっと寒そうだ。

「もーちょっと暑くなったらお邪魔しにいくね!」

「え?」

「プール完成したら泳いでいいって言ったじゃん」

「本気なの?」

「本気」

「だって結衣、水泳部員じゃないだろ」

「別によくない?半分水泳部員みたいなもんじゃん。練習の邪魔しないからちょこっと泳がせてよ、ね?」

「水着姿で?」

「それ以外でどうやって泳ぐのよ」

「……やっぱダメだろ色々と」

「真琴のケチ!」

真琴は何故かやけに渋る。小声でぶつぶつと文句を言ったけど、スルーされた。チクショー!
渚だってハルだって別にいいよ、って言ってくれたのに(ハルは勝手にしろだったけど)。何で真琴は冷たいんだろう。やっぱり部長だからかなぁ。

「……分かったよ」

しばらくむくれていたら根負けしたように真琴が言った。私の目をじっと見ながら

「部活の後で、俺がいるときならいいよ。もともとそういう約束だったし」

「本当!?ありがと真琴!後で差し入れにいってあげるね!」

これで夏の楽しみがひとつ増えた。早くもっともっと暑くならないかなぁ。



放課後になり、コンビニで水泳部への差し入れを調達する。そろそろアイスも食べたくなってきたな。
買い物を済ませ、プールへ向かうと水音に混じってみんなの声が聞こえてきた。

「お疲れー、差し入れにきたよ!」

「あっ、ゆんちゃん!」

「結衣ちゃん、来てくれたの?」

嬉しそうにするコウちゃんに私はぎゅーと抱きつく。ああ、やっぱり可愛い!!

「わざわざありがとう」

真琴がそう声をかけてくれる。私は頷くと、ちょっと真琴の手を握った。

「っ、なに!?」

「ああ、ごめん。いや、水冷たそうだから、冷えてないかなーって思ったらやっぱり冷えてるね。風邪引かないでね」

「ありがとう。ちょっと寒いけど、季節的にはいい頃だし平気だよ」

「そっか、ならいいけど。……ところでさ、竜ヶ崎くんは何してるの?」

竜ヶ崎くんはプールサイドで何やらストレッチ的なことをしている。すごく念入りだ。そんなに水泳にかけているのか。

「怜ちゃーん、まだストレッチしてたの?」

渚の呼び掛けにも素っ気なく返し、ストレッチを続けている。凄いな竜ヶ崎くん。

「大丈夫か?最初からあんまり無理しなくても、」

「心配いりません。この数日間で理論は完璧に押さえましたから。この前のような醜態は晒しません!!」

心配そうな真琴を遮り、竜ヶ崎くんはどや顔でよく分からないことを言い張る。竜ヶ崎くん本当面白いよね。キャラいいよー。

「怜……」

「怜ちゃん……」

「竜ヶ崎くん……」

「上腕二頭筋……!」

飛び込み台で構える竜ヶ崎くんを見ながら、みんな竜ヶ崎くんの名前を、案じるように呟く。(一人違うことを言っていた気がしたんだけど、気のせいだよね?)
竜ヶ崎くんは綺麗な飛び込みのフォームを作ると、水面を見据え、

「ハッ」

飛んだ――

「おおおっ!!」

否、竜ヶ崎くんはザッバーンと豪快な音をたてて飛び込みの姿勢のまま、真っ直ぐ落ちた。

「ありゃりゃ……」

水から顔を出し、ぜえぜえと肩で息をする竜ヶ崎くんを見ながら、渚は至極真っ当な意見を述べた。

「やっぱり怜ちゃんはまず泳げるようになるところからだね」

頑張れ、竜ヶ崎くん……!

「それじゃあ、まずだるま浮きからやってみようか」

真琴コーチと渚コーチの付き添いで竜ヶ崎くんの特訓が始まった。コウちゃんと私は応援という名の見学。ハルはフリー。
ちなみにだるま浮きとは足を抱えて背中を丸め、力を抜いて体を浮かせる浮き方。水に慣れてない人はここから始める。僕のを見ててね、と渚がだるま浮きを実演するが、竜ヶ崎くんは一言。

「美しくない……」

「いいからやってみて」

私も内心同じような突っ込みを入れながら、竜ヶ崎くんの様子を観察。竜ヶ崎くんはちょっと躊躇うと、見事なだるま浮きを見せてくれた。思わず拍手。

「これだと浮くんだね」

「浮くなら泳げるんじゃない?」

「そのままゆっくり手と足を伸ばして泳いでみて」

真琴の指示に竜ヶ崎くんはゆっくりと手足を伸ばしてばた足で前へ進もうとするが……何故かそのまま沈んだ。

「ぶはっ……はぁっ、はぁ」

「ダメかぁ……」

真琴と渚は揃って肩を落とす。

「ドンマイドンマイ!……コウちゃん?どうかしたの?」

コウちゃんの方を見ると、ハルの方を見てボーッとしてる。

「えっ、あ……遙先輩って何のために泳いでるのかなって思って……」

「……何かあったの?」

「ううん。ただお兄ちゃんのこと思い出して……お兄ちゃんはオリンピック選手になるために泳いでるから」

コウちゃんの真剣な横顔がふと凛と重なる。そんな風に思ってしまって、私は首を振る。いくら兄妹だからって、コウちゃんが凛に見えることなんてない。
そんな考えを振り払うように私は口を開く。

「ハルはね……別に泳ぐのとかフリーが好きなわけじゃないんだって、前に真琴が言ってたの」

「どういうこと?」

「ハルにとっては水のなかにいるのが自然らしいの。私もよく分かんないけど」

水を感じ、水と触れ合い、水と一体になる。ハルにとってはそれが自然で当たり前のことなんだ。

「遙先輩、お兄ちゃんのこと気になるのかな……」

コウちゃんの言葉を聞いて、私は凛に会ってからのハルを思い出す。凛と勝負して、負けて、水泳部作って、またみんなで泳いで……。ハルは少し変わったかもしれない。
遙先輩のとこ行ってくるね、と言ったコウちゃんの後ろ姿を見送りながら私は足だけプールに浸かる。ひんやりとした水が気持ちいい。



「ハルちゃん、マコちゃん、ゆんちゃん!やっほー!!」

翌日の昼休み、渚が竜ヶ崎くんをつれて私たちの教室にやってきた。ずかずかと教室に入ってくる渚と違って竜ヶ崎くんは周りを気にしているようだ。

「見てみてー!……じゃーん!」

渚が嬉しそうに突きつけたのはジャージやクラスTシャツなどのカタログ。

「ジャージ……?」

「うん!せっかく水泳部作ったんだから、ジャージもお揃いにしたいなって思って」

「へぇ」

「もう、ゆんちゃん反応薄いよ!」

「いいかもな!本格的に動き出したって感じで」

私は水泳部じゃないから関係ないし、あんまり興味ない。そんな私とは反対に真琴はちょっと乗り気みたいだ。

「でしょ!デザインはこのタイプ、色はこれで、あと校章の他にもイラストとか入れられるんだって」

「まさか君、イワトビちゃんを……」

「入れるつもりだよ?」

「あれは美しくない……」

竜ヶ崎くんに激しく同意だ。あんなシュールなキャラじゃなくて、もっと違うのにしなよ。

「鮫柄学園のは鮫と刀をモチーフにしてたっけ」

「あー、鮫柄センスいいよねー。羨ましいよお金持ちは」

デザイナーさんがいいんだろうなぁ。私の学校もああいう夏服にしてくれないだろうか。

「あれかっこいいよね!うちも対抗してリアルイワトビちゃんにすればどうかな?ね、ハルちゃん!」

見るとハルは一心不乱になにかを書いている。そして書き終えるとペンをおき、画用紙をみんなに見せた。

「……なにこれ」

そこには立体型のイワトビちゃんが綺麗に描かれていた。
みんなが、うわぁ……と引く中、竜ヶ崎くんは一言。

「う、美しい……」

「「「ええっ!?」」」

やっぱり竜ヶ崎くんって変だ。



怜ちゃんの特訓手伝ってよ!!と渚に引っ張られ、何故か今日も私は水泳部に来ている。みんな分かっているんだろうか、私は水泳部員じゃないんだけど。
コウちゃんが言うには竜ヶ崎くんはあと一週間以内に泳げるようにならなければいけないのだそうだ。頑張れ竜ヶ崎くん。

「じゃあ、まずはボク。平泳ぎから教えるね」

今日の担当は渚。種目は渚の得意とするブレ。

「breath stroke……ブレ、ですね」

「怜ちゃん勉強してるねぇ!」

「理論はすべて頭の中に入ってます。あとはコツさえ分かればいいんです。コツさえ」

そのコツを掴むのが一番難しいんですが。

「それじゃあ、まず足の練習からいってみよう」

渚はそう言って竜ヶ崎くんの手をとる。竜ヶ崎くんは身体を水に浮かせると綺麗なフォームでブレを泳ぎ始めた。足の形は完璧だ。

「おおーっ!すごい怜ちゃん!完璧なフォーム!」

「当然です」

「ああ、じゃあ手離すね」

「いいでしょう」

どや顔で竜ヶ崎くんはそう言うと渚の手を離れ、ブレを泳ぎ始めた。

「おお!手のフォームもかんぺ」

渚が誉めた瞬間、何故か水底へ沈んでいく竜ヶ崎くんの身体。

「あ、あれ……?」

「ぶはぁっ!!はぁっ、はぁ……何故だ?」

それはこっちが聞きたい。



竜ヶ崎くん特訓日二日目。
今日の担当は真琴。種目は真琴の得意なバック。

「次は俺。ブレがダメならバックからやってみよう。バックなら顔を水につけずに泳げるから、水に恐怖心がある人でも抵抗は少ないと思うんだ」

「僕は水に恐怖心なんてありません」

不服そうに言う竜ヶ崎くんに真琴は笑いながら「ゆっくりでいいよ」と言う。竜ヶ崎くんの手を持ちながら昨日と同じように足から練習していく。

「浮くことは浮くんだけどなぁ……」

「浮いたら泳げるはずなんだけどね」

渚と話ながら竜ヶ崎くんを見ていると、竜ヶ崎くんはまたもどや顔で「当然です。昨日は調子が悪かっただけです」と言った。あ、聞こえてましたか。

「じゃあ、手離すぞ」

「いいでしょう」

いいでしょうじゃなさそうな竜ヶ崎くんはそう言うとバックを泳ぎ始めた。
そして、沈む。

「ぶはっ……はぁはぁ。何故なんだ」

「ダメだこりゃ……」

渚、真琴とダメとなると、次は……

「私だね!」

「ゆんちゃんやってくれるの!?」

「……本気なのか?」

パアッと顔を輝かせる渚に比べて渋い顔をする真琴。なんかムカつく。

「本気だよ!明日は頑張ろうね、竜ヶ崎くん!」

「は、はいっ。あの……篠宮先輩も泳げるんですか?」

「ま、人並みにはね。ああ、篠宮先輩なんて堅苦しく呼ばなくていいよ。コウちゃんも渚も下の名前で呼ぶし、気軽に呼んで」

「じゃ、じゃあ結衣先輩……。僕も呼びやすいように呼んでくださって構わないので」

「じゃあよろしく、怜」

「はいっ」

そう言って練習に戻った怜は――沈んだ。

「ハルちゃん、教えてあげて!」

「嫌だめんどくさい。結衣が教えるからいいだろ」

「ええーっ、そう言わずにさぁ……」

渋るハルとごねる渚を余所にコウちゃんは天ちゃんの方へ駆け寄る。

「天ちゃん先生、こんなとき何かグッとくるアドバイスはないんですか!」

「そうねぇ……」

日傘を片手に考え込む天ちゃんの元に寄る。

「んー……」

寄ってくる。

「んんー……」

どんどん寄ってくる。

「んんんーーーっ……」

結局、天ちゃんから何のアドバイスも出なかった。