少しだけ震えた彼の肩

「さよなら、ジュリエット」

嫌な予感がした。
いつも飄々としてふざけたことばかり言うルカがこのときは真剣な目をしていた。
だから、私はわざと明るく声をあげた。

「"おやすみ"でしょ?」

やっぱりルカの様子はどこかおかしい。
瞳は何かを決心したような強い眼差しをしていて、それでいてどこか哀しそうな寂しげな色を湛えていた。

――止めなきゃ。

反射的にそう思って腕を掴もうとしたのにルカは私からするりと抜けて
寒く暗い夜へと飲み込まれていった。

「ルカ……」

何故か私は修学旅行にルカから聞いた話を思い出していた。

『ここにね、昔、ちっぽけな家が建ってたんだ』

『そう……誰の家だったの?』

『……』

さっきのルカはあの時と同じ瞳の色をしていた。

「ルカ……ルカ、ルカ」

ルカの名前を小声で立て続けに呼んだ。
それでどうにかなるわけじゃないけれど、そうでもしないと泣きそうだった。

外は寒すぎて心まで凍えてしまいそうだ。

ルカの去っていた方角をしばらく見つめ、私は家へ入っていった。



「ルカっ!!」

――次の日

ルカが怪我を負って入院したと、コウくんから連絡がきた。

嫌な予感はしていた。
止めればよかった。
でも、いつかこんなことが起こるんじゃないか、そんな気もしていた。

ルカは自分の命を軽んじているような、そんな危うさが時々見え隠れしていたから。

『どうして、そんなことするの?』

ルカが屋上のてすりを一周して落ちそうになったとき、私は少し責めるような口調で言った。
なんだか泣きそうだった。

ルカはなんていうこともないと言っておどけた。

『どうしてふざけるの?落ちたら死んじゃうんだよ?』

ルカに言い返した声は震えていた。

ルカはハッとした顔つきになってからその顔を少し歪め、こう言った。

『べつに、ふざけてなくても人は死ぬよ』

なにも、言えなかった。
ただ悲しくて
怖くて
ルカが何でそんなことを言うのかもわからずにコウくんに連れられてったルカの後ろ姿を黙って見ていた。

昨日の夜の私も、同じだった。



急いで病院に駆けつけ、受付で病室の番号を聞き、ルカの部屋へ行こうとすると不意に呼び止められた。

「琴宮」

「コウくん……ルカは?」

「大したことはないみたいだが、ずっと、寝てる。……ったく、あの、バカ」

コウくんの声が少しだけ震えていた。
お兄ちゃんに心配かけるなんて本当にルカは馬鹿だ。

「見舞ってやってくれ。……あいつには俺でも親父でもお袋でもない、お前が必要なんだ」

「……うん」

コウくんはどこか寂しげにそう言った。
そんなことないよ、とか言おうとしたけれど何も言葉は出てこなかった。



病室をそっと開け、部屋を覗く。

ルカは顔や腕、足を包帯だらけにして健やかな顔で眠っていた。

「ルカ……」

頬にそっと触れる。

「無事で……よかった」

そこまで呟いて私はグッと唇を噛んだ。
もう、涙がこらえきれなさそうだった。

「んっ……」

気配に気づいたのかルカがそっと目を見開いた。
震える瞼をゆっくり開け、ぼんやりと天井を眺める。

「ルカっ!?大丈夫!?」

「こ、こは……?」

「病院だよ」

「そっか……」

ルカはしばらく黙り込むと再び掠れた声で話始めた。

「暗くて、寒くてさ……死んじゃうかと思った……。星が、綺麗で……空を見ていたかった。
でも、帰らなきゃって思ったんだ……」

「ルカ……」

「帰りたい……家に、帰りたい……」

そう呟いてルカは瞼を閉じた。
涙が一筋頬を伝っていった。
ルカの泣いている姿は初めてで
凄く、切なかった。

「ルカ……一緒に、帰ろう?」

「一緒に……?」

「うん。今まで気づいてあげられなくてごめんね。
ルカのこと、凄く大切に思ってるならもっと早くに気づいて、止めてあげるべきだった……!!」

もう、限界だった。

私は顔を覆ってただ泣いた。ルカにこれ以上悲しい思いも寂しい思いもさせたくなかったのにこらえきれなかった。

ルカはごめんと呟いて、私の手のひらにそっと触った。

「顔あげて」

ゆっくり顔をあげるとそこには穏やかに微笑んでるルカの顔があった。

「そんな顔させるつもりじゃなかったんだ。ごめん。でも、ありがとう」

「ルカっ……!!」

私はルカにしがみついた。

ルカは私の背中をそっと優しく叩いた。

温かくてなんだか安心して愛しくて。

ルカは少し震えていた。

きっと、泣いていたんだと思う。





「ルカ」

「佳音」

それから2週間後。
ルカは退院した。
しばらくは松葉づえのお世話になるそうだが、怪我の方は快方に向かっているそうだ。

「退院おめでとう」

「こちらこそ。チョコレートありがとう」

バレンタインのチョコのことだ。

「どういたしまして」

私がちょっと照れたように笑うと、ルカは私の頬にそっと触れた。

「どうしたの?」

「ううん。やっぱり笑ってる佳音は可愛いなって」

「もうっ……」

ルカはハハッと笑って――急に真面目な顔つきになった。

「ねえ、早く治るおまじないしてくれない?」

「なあに、それ」

「目、つぶってよ」

口元が悪戯っぽく笑っている。

「……バカ」

それだけ言うと私は目をつぶった。

ルカの吐息が近くでして

それからどこか温かくて、柔らかい感触がした。

「今度は大事にするから」

耳元でルカの優しい声がした。