舞踏会に間に合わなかった

それから私はまたあの薔薇のフレグランスを付けるようになった。
男の子たちの視線はその香りを嗅ぐたびに一層強く、熱くなり、私の胸を焦がそうとする。

「もうすぐクリスマスだね。パーティーでだれと踊るか決めたの?」

浮かれたような琉夏たんの言葉に困ったように首を横に振る。

「ううん、まだなの。ドレスも新調しなくちゃいけないし……」

「佳音はなんでも似合うよ。食べちゃいたいくらい……なんて」

「もう、琉夏たんったら」

「何の話してんだよ」

琉夏たんの言葉にふふっと笑うと、むっとした様子でコウちゃんが割って入ってくる。

「おっかねえお兄ちゃんの登場だ」

「気持ち悪ぃんだよ」

「もー喧嘩はダメだよ?」

こうやって幼馴染とまったり一緒に過ごすのは好き。琉夏たんとコウちゃんの視線には気付いているけれど、彼らは一線をなかなか超えようとしてこないから。そういえば、

「ねえ、琉夏たんとコウちゃんって聖司先輩と知り合いなんだよね」

「うん、セイちゃんとは佳音とまた違った幼馴染みたいなもんかな」

「仲いいの?」

「さあ?コウがよく苛めてたから、セイちゃんからすると苦手かも」

「そっかぁ」

私が何気なく流すと、琉夏たんが「セイちゃんのこと気になるの?」と聞いてきた。
軽い口調のその言葉に一瞬ドキリとして、慌てて笑みを浮かべる。

「うん、悪名高い桜井兄弟の幼馴染が私以外の人に務まると思えなくて」

笑いながら言うと、琉夏たんとコウちゃんは一瞬キョトンとしてから、はははっと声をあげて笑う。

「そりゃ、そうだ。お前以外に務まらねえよ」

「そうそう。安心していいよ。悪い虫がつかないように俺とコウでしっかりガードするからさ。で、クリスマスのことなんだけど、」

「おい、勝手に何言いだしてんだよ」

「早いもん勝ちだよ、コウ」

口喧嘩を始めた兄弟を見て、私は笑みをこぼす。
素敵な幼馴染、頼りになるクラスメイト、かわいい後輩、博識な先輩、大好きな女友達。
あともう一つ、私はどうしても、聖司先輩が欲しい。


はばたき学園のクリスマスパーティーまで、あと1日。
茶色のムートンコートを羽織り、いつものフレグランスを今日はカバンに忍ばせて、ショッピングモールへと向かう。そして、行きつけのお店でドレスを新調する。赤いフォーマルドレスにパールネックレス。薄紫の薔薇のコサージュを胸元に飾る。
プレゼントはサンドピクチャー。

「こんなもんかな……」

意外と早く用事が済んでしまい、暇を持て余そうとぶらぶらしていると、前を見ていなかったせいか、誰かとぶつかってしまった。

「きゃっ」

思わずしりもちをつくと、「ご、ごめんなさい!」と慌てたような可愛い声がして、目の前に手がさし伸ばされる。

「す、すみません……あ」

「?」

私に向かって手をさし伸ばしたのは、小波美奈子だった。
彼女を見つめていたのはほんの数秒のことで、私は笑みを浮かべると、一人で立ち上がる。

「ごめんなさい、前をよく見ていなかったものだから」

「へっ……あ、いえ!私の方こそ、ごめんなさいっ!琴宮さんにぶつかっちゃうなんて……」

彼女の言葉に驚いて、まじまじと見つめると、きょとんとした顔つきで見つめ返される。

「あ、あの、なにか……?」

「私のこと知っているみたいだったから……」

「あ、ご、ごめんなさい!急に迷惑でしたよね……琴宮さんは知らないと思いますけど、私隣のクラスの小波美奈子って言います」

ええ、よく知ってるわ。

「あ、そうだったのね。ごめんなさい」

「いえいえ!」

彼女はぶんぶんと首を横に振って、へらりと笑う。

「勝手に知ってるなんて、気持ち悪かったですよね……その、琴宮さんって有名だから……」

「気持ち悪いなんてそんなことないわ。私の方こそ、知らなくてごめんなさい。それにそんなに有名じゃないけれど……」

困ったように笑って見せると、彼女はなぜか顔を赤くして、また首を横に振る。

「琴宮さん、すっごく有名ですよ!同い年なのに大人っぽくて美人で、性格もいいし、なんでもできるじゃないですか!私、その、実は憧れてて……」

彼女の言葉に笑みが凍り付くのを感じる。
貴女が、私に憧れてる?
私に持っていないものを持っている貴女が?

「あ、その香り、いいですよね。私もすっごい好きなんです!琴宮さんが付けてる香りって上品で、」

「あげるわ」

気が付いたら私はそのお気に入りのフレグランスをカバンから取り出し、彼女の手に押し付けていた。彼女はぽかんとした顔つきで私を見つめる。

「え、でも、これ、」

「同じ香りばかりだと飽きちゃうの。捨てるのも勿体ないし、よかったら貰って」

「い、いいんですか……?」

「こう言ったら変だけど、お近づきのしるしに。明日のクリスマスパーティーの時に付けていったらきっと素敵だと思うわ」

彼女はぱぁっと顔を輝かせてから、頭を下げる。

「あ、ありがとうございます!」

「同い年だからそんなにかしこまらないでよ……ええと、美奈子ちゃん。よかったら名前で呼んで、ね?」

「は、う、うん!佳音ちゃん!」

彼女に聖司先輩が嫌いな香りを渡して、偽善者ぶって笑みを張り付けて、仲良くなって。
私はいったい、何がしたいんだろう。


12月24日。
クリスマスパーティー当日。
夜から始まるパーティーのために、私は夕方から手間暇かけて支度をする。
髪をアップにして、薄く口紅を引いて、胸元にコサージュを飾る。

「ん……こんな感じかな」

プレゼントを忘れずに持つと、ヒールを履いて、足早く会場へと向かう。
会場にはいろいろな生徒が集まっていて、みんなクリスマスパーティーというイベントに興奮しているかのように目を輝かせていた。

「あ、バンビ、いたいた〜」

明るい声をかけられてそちらを振りむくと、青いチャイナドレスを身に纏ったカレンと、可愛らしいピンクのドレスを身に纏ったミヨがいた。

「カレン、ミヨ。もう来てたんだ」

「うん!バンビ、素敵〜!いいね!会場の子たちみんな釘付けだぜ?」

「カレンもね?」

「バンビ、素敵。とても綺麗」

「ありがとう、ミヨもとってもかわいいよ。外寒いし、中に入ろうか」

3人で固まって中に入ると、きゃあっと歓声をあげて、いきなり女の子たちがこちらへ押しかけてくる。

「カレン様、ドレス姿素敵です!」

「カレン様、ダンスのお相手はどなたですか?」

「カレン様〜」

相変わらずのカレンの女子からの人気に目を回して囲まれたところから動けないでいると、急に「こっち!」と誰かに腕をつかまれて集団から離れるように連れていかれる。

「ちょ、ちょっと、」

「はぁっはぁっ……ここなら平気かな」

そう言いながら私の腕を引っ張り、息を切らすその子の姿を私は少々驚いた心持ちでじっと見つめる。

「……美奈子ちゃん?どうしたの?」

「え、ええと、佳音ちゃんが困ってるように見えたから、連れ出しちゃった……考えなしにごめんなさい!迷惑だったよね……?」

少し泣きそうな顔をして尋ねる彼女に私は柔らかくほほ笑むと、静かに首を横に振る。

「ううん、助かった。ありがとう」

そう言ってそっと彼女に近づくと嗅ぎ慣れたあの匂いが鼻をくすぐった。
ハッとした私の様子に気づいたのか、彼女は照れ臭そうに笑うと、「佳音ちゃんからもらった香水つけてきちゃった」と言う。

「そう……とても似合ってるわよ」

「本当?ありがとう!それにしても佳音ちゃん、すっごい大人っぽいね〜いつも以上に素敵!あ、ダンス誰と踊るか決めたの?」

きらきらとした笑顔で聞いてくる彼女に、クスリと笑いながら彼女の頬をそっと撫でる。瞬間、彼女は頬を染めて、恥ずかしそうに瞼を伏せる。

「聖司先輩」

「……え?」

「聖司先輩と踊ろうかなって考えてるの。まだ誘ってないんだけれど、聖司先輩、こういう場って慣れてそうだからエスコートをお願いしたくて」

彼女の顔がみるみる強張る。瞳は揺れて、口は何かを言いたげに小さく動く。そして、無理やりと分かる笑みを張り付けると声だけは明るく私に言う。

「そうなんだ!聖司さんと佳音ちゃん、大人っぽいしお似合いだよ〜!私、応援するね!」

「別にそんなんじゃないけど……でも、ありがとう。美奈子ちゃんは誰と踊るの?よかったら私も協力するわ」

「わ、私は、その、お料理とか目当てだし、いいよいいよ!じゃあ、あとでね!」

私の前から離れる時の彼女の顔は泣く寸前の、必死で堪えた顔をしていた。

そして、パーティーは始まった。
理事長のあいさつとともに、パーティーが開始されるとみんなわぁっとにぎわって、いろいろな人のところへ誘いに行ったり、話をしたり……琉夏たんとコウちゃんはお料理目当てみたいだけど。タッパーを片手に持ちながら、嬉しそうに手を振ってくる琉夏たんに苦笑して、手を振り返すと、背後から「おい」と声をかけられた。
後ろを振り返ると、そこには聖司先輩。ぐっと引き締まった格好をして、悔しいけれどとてもかっこいい。思わずほぅっと見惚れてしまう。

「聖司先輩。メリークリスマス」

「別にメリーでもなんでもないけどな……一応、メリークリスマス」

聖司先輩は相変わらず不機嫌そうに言う。そして私の姿を上から下までまじまじと見ると驚いたように言葉を紡ぐ。

「……へぇ、そういうの似合うんだな」

「……っ」

何気ない、みんなと同じ一言なのに、嬉しい、だなんて。
私も舞い上がってしまっているのかもしれない。

「ホントですか?」

「ああ。へぇ、ふぅん……」

「あの……」

「へぇ、なるほどね……」

「…………」

値踏みをするような聖司先輩の言葉に少し唇を尖らせると、聖司先輩は、本当に似合ってる、とぶっきらぼうに言う。

「聖司先輩の審美眼にかなうようでしたら光栄ですね」

「ああ、有り難く思えよ」

そう言って、聖司先輩は少し可笑しそうに笑う。
私もそんな聖司先輩の様子を見て自然と笑っていた。
こんな気分、初めてだ。
今なら、言えるかもしれない。

「聖司先輩、ダンスなんですけど、」

そう言いかけると聖司先輩はいきなりハッと何かを見つけたような顔をする。そして、

「悪い、また後で」

そう言うと足早に立ち去ってしまった。こちらを一回も振り返りもせずに。
聖司先輩の後ろ姿は何故か、私を拒絶しているかのように見えた。


「それではこれからダンスタイムに移りたいと思います。ペアが出来ている学生は中央へどうぞ」

理事長の言葉に男女はそれぞれペアを作っていく。誘われた女の子は華やかな笑顔を浮かべて、男の子の誘いに応じ、時には男の子が泣く泣く引き下がる場面も見られた。

「琴宮さん、よかったら俺と、」

「琴宮さん、俺とじゃダメかな?」

必死に誘ってくる男の子たちに囲まれて、私は内心うんざりしながら笑みを浮かべる。
私は貴方達とは踊りたくないんだけど。
そう言葉には出さずに、困った笑みを浮かべて、「もう相手がいるの」と言うと、男の子たちは渋々といった様子でようやく引き下がった。
準備は出来ている。あとは彼の元に向かうだけ。
カツカツとヒールを鳴らして会場を歩き回る。
どこ、どこにいるの、聖司先輩。

「あっ……」

会場の端の方で見慣れた銀髪を見かける。私はホッと胸を撫で下ろし、聖司先輩の元へ向かおうとしてーー

「美奈子、俺と踊らないか?」

聞こえてきた声に足を止めた。
聖司先輩の向かいにいたのは、彼女だった。
聖司先輩の嫌いな香りをつけた彼女が、聖司先輩にダンスに誘われていた。
彼女は満面の笑みをこぼし、聖司先輩の手を取る。その様子に聖司先輩が安心したように笑うのが見えた。

なんで。
なんで、あんな普通の子が。
だって、聖司先輩が嫌いな香りだって付けているのに。
私の方が何だって持っているのに。

「どうして、貴女が手に入れるの……?」

彼女の笑顔がここからでもはっきりと分かる。聖司先輩の笑顔も。
ドレスの裾を踏みつけて、傍にかけよって、手袋で彼女の頬を叩いて、頭から葡萄ジュースを飲ませてやりたい。
惨めな姿をさらして呆然とする彼女を笑ってやりたい。

違う。違う違う違う!
1番惨めなのは、私だ。
どうして、私がこんな惨めな思いをしなくちゃいけないの?
何がいけなかった?何が間違ってた?

多分、気付くのが遅かったのだ。
聖司先輩に異常に固執するのも、強い独占欲も、
私が、彼のことを本気で愛していたからということに。気付かなかった。ううん、気付かないふりをしていた。
つまらないプライドを捨てきれず、彼のことを心のまま欲することができなかった。
本当だったら私が聖司先輩と手を取り合って、見つめあっていたはずだったのに。

素敵な幼馴染も、頼りになるクラスメイトも、かわいい後輩も、博識な先輩も、大好きな女友達も、全部全部あげるから。
私はどうしても、聖司先輩だけが欲しい。

たった数分がとても長く感じる。笑いあう彼らの姿が瞼に焼き付いて離れない。
目の前の景色が滲んで霞む。前が見えない。
このまま、何も見えなければいいのに。
熱い滴が頬を濡らす前に私はくるりと向きを変えると、ドレスを翻して足早に出口へと向かった。

会場から出た瞬間にはらはらと涙がひとりでに零れる。その涙をぬぐってほしい手は、知らない女の手を取っている。

はやく、はやく、いえにかえりたい。
大好きな薔薇の香りに溺れて、こんな気持ちも、熱い思いも全て消えてしまえばいいのに。





※イメージソング「ThE RoSe fraGranCe」