恋の仕方なんて知らなかった。

気が付いたら、無意識のうちに会いたいと、そう願ってしまっていたのだ。

金曜日の朝だけはいつも特別。
だって、唯一彼に会える日なのだから。
壇上で弁を振るう彼を只管見つめる朝9時からの90分は私にとって至福の時間なのだ。

隣の席に座る友人はぐっすりと夢の世界へと旅立ち、周りのクラスメイトたちはあくびを漏らしたり、ノートを真面目にとったり、スマホを弄ったり、思い思いのことをしている。
そんな中、私はただ彼を見つめるだけ。

授業内容なんて正直どうでもいいし、ノートを取るほど真面目でもない。
私は彼さえ見つめられればそれでいいのだ。

「それって恋なの?」

「んーよく分からない」

「気持ち悪いストーカーみたいだよ」

「ええ、酷いなあ」

友達に言うとみんな複雑な表情をして、返答する。そんなただ相手を見つめるだけなんてまるでストーカーじみてると。

「話してみたいとか、思わないの?」

「思うけど……別に行動に移すほどでもないかなあ」

「あんた、本当に好きなの?」

「好きかどうかなんてわからないよ。ただ、」

ただ、私は

「あの人を見つめられればそれでいいの」

別に恋人がいようが、好きな人がいようが、構わない。
壇上にいつものように立って、講義をして、熱心に弁を振るう姿を90分間見つめられればそれで満足なのだから。

「お前がそう言う奥ゆかしい女だとは意外だなあ」

友人の言葉に私はむっと口をとがらせる。

「どういう意味よ、それ」

「俺らには結構ずけずけ来るもんだからさ。見つめるだけで満足とか意外。お前、好きなやつにはもっと積極的なのかと思った」

「……私のって、好きっていうのかなあ?」

「さあ。知らねえよ。でもちょっと変わってるわ。俺なら見つめてるだけで満足とか思わねえし、もっと先のことまでしたいし」

それが正常だと思う。好きな人をただ見つめるだけで満足だなんて、それこそ芸能人を見てるのと同じ感覚だ。本当に好きなら、話だってしたいし、手だってつなぎたいし、もっと先のことだってしたいと思うはずだろう。

じゃあ、私のは芸能人を見てる感覚と一緒なのだろうか。
それとはまた、違うと思う。
画面越しに見詰めるなんて耐えられない。
私は、その時間を生きていて、その時間を私と共有している彼を見つめていたいのだから。
だから、金曜日の朝は私にとって本当に特別な時間なのだ。

その日の金曜日は、たまたま早く起きてしまい、家を早く出た日だった。学校は割と近いので、すぐに教室につき、誰もいない教室で窓の外をぼんやりと眺めながら友人達が来るのを待っていた。
私が入って数分すると、扉が音を立てて開いた。
結構早くに来る人がいるもんだと扉の方をちらりと見やると、そこには――彼がいた。

「おっ、お前だけ?ずいぶん早いな。誰かと思ったよ」

そう言いながら名前を呼ばれて、私の鼓動は音を立てて早く早く鳴り響く。
なに、これ。
おかしいよ、私。どうしちゃったの。

「……ちょっと、早めに来てしまったので」

「そっかそっか。遅刻するよりは全然いいことだよ」

彼はそう言って笑いながら私のもとまで近づく。
なんでだろう。恥ずかしい、だなんて。
いつもいつも見つめている彼の顔がまともに見られないなんて。

「そ、そっちこそ早いですね。授業まだなのに」

「んー?ああ、昨日ここの教室で機材トラブルがあったって話でな。ちょっと早めに来て点検。ちょうどよかった、手伝ってくれないか?」

断る理由もないので一つ頷くと、彼はやったと言ってはにかんだ。
今まで、一度も見たことない笑顔だった。可愛い、なんて年上に言ったら失礼だろうか。

「……ん、どうした?」

私が何も言わずに動かないことが気になったのか声をかけられる。私は黙ってかぶりを振ると、彼を手伝うために席を立った。
手伝いは別段大したこともなく、機材のチェックをするだけであっという間に終わった。そろそろ早い子は教室に来るだろう。彼と二人っきりの時間も終わる。そのことにホッとしつつも残念に思う自分がいて、どうしたらいいか分からなくなる。

「助かったよ、ありがとな」

「いえ……大したことなかったですし」

「いや、授業始まる前に済ませられてよかったよ。お前のおかげだ」

その言葉とともに、ポンと頭の上に手が乗せられる。そしてそのままゆっくりとした手つきで頭を撫でられる。

男の人の、手の感触。
初めてだった。

それまで彼をただ見つめているだけでよかったのに、それで十分だったのに。
彼と言葉を交わして、その手の感触まで知ってしまったら、

「――っ」

もう、後戻りなんてできないじゃないか。

本当は分かっていた。
これ以上近づいたら、きっと私はそれ以上のことを求めてしまうと。だから、自分に嘘をついて、彼を見ているだけで十分などと。

そんなはずはなかった。だって、彼に会えない日はずっと彼のことを考えていたのだから。
無意識のうちに、彼に会える金曜日に焦がれて、早く、早く会いたいと。
そう願ってしまっていたのだ。



だから無防備に恋に落ちた。