きみに伝えたい

「寂雷さん……9日ってお時間あったりしますか?」
電話越しに、勇気を振り絞って尋ねる声が僅かに震えるのを感じる。その震えを悟られまいと、こっそり深呼吸をする。
「9日ですか……ああ、その日は遅くまで仕事ですね。いろいろと立て込んでおりまして」
「そ、そうですよね。お忙しいですよね……」
「何か御用でもありましたか?宜しければ病院の方においでいただければ、」
「い、いえ!大丈夫です!大した用事ではないので!それではまた」
一方的にまくし立てて、慌てて電話を切ってしまった。引き留めるような寂雷さんの声が聞こう得たような気がしたが、気のせいかもしれない。
「お医者さんだもんね、そりゃ忙しいよね」
自室の壁にかけてあるカレンダーには9日に大きく赤丸がつけてある。好きな人の誕生日をお祝いしたいと思って、気合を入れて準備をいろいろと考えていた。
けれど、有名な医者でもあり、あの伝説のill-docが相手となると、当然会える時間もないわけで。そのこと自体に不満はないのだけれど、やはり好きな人が生まれた日を一緒にお祝いしたかったと思ってしまう。我儘だと分かりつつも、彼のことになるとどんどん欲張りになってしまう。
低く落ち着いた声で名前を呼ばれて、細長い指先で頬を擽られ、大きな掌で頭を撫でられるだけで、いつも幸福に蕩けそうになる。そんな私の様子を楽しそうに笑いながら見つめる寂雷さんの眼差しが大好きで。
そうやって寂雷さんからは貰うばかりで、私からは何もあげられない。
だからこそ、きちんとお祝いしたかったのだけれど、電話の様子では9日が何の日かも気づいていないようだった。

毎日慌ただしく過ごしていると、あっという間に当日を迎えてしまった。
寂雷さんとはあの日電話越しで会話して以来、連絡を取れていない。忙しいのかなと私自身も気を遣っているうちに、何となく避けてしまっていた。今日も朝から会議をこなし、客先に訪問したりと仕事をこなしていたら、あっという間に夜になってしまった。帰路につきながら、深くため息をつくと空気に触れて白く染まる。
なんだかんだ私自身も忙しく、お祝いの言葉を伝えることすらできていない。せめてメールだけでも送ろうと、携帯を手に取ると、振動で震えだした。
「わっ」
反射的に通話ボタンを押して電話に出ると、「こんばんは」と大好きな声が聞こえてきた。
「寂雷さん……」
「突然すみません。今、お時間大丈夫ですか?」
「は、はい、大丈夫です」
もしかして外にいるんですか、と尋ねる声に、今帰るところです、と伝えると、タイミングが悪くてすみませんと謝られた。
「いえっ、むしろ――」
ちょうど寂雷さんのことを考えていたのでタイミングがよかったです、とは言えずに口ごもりながら、私は用件を尋ねる。
「もう、お仕事は終わったんですか?」
「いえ、実はまだ仕事中なのですが、少しだけ抜け出してきました。……その、どうしても佳音さんの声が聞きたくなってしまって」
「……っ」
突然の言葉に黙り込んでしまうと、寂雷さんは、変なことを言ってしまってすみません、と再び謝罪の言葉を口にする。
「や、大丈夫、ですけど、寂雷さんがそんなこと言うなんて珍しくて……」
「そうですね。……ですが、今日はちょっと特別な日なのでプレゼントが欲しくなってしまいました」
自惚れではないだろうか。寂雷さんの言葉に逸る気持ちを抑えながら、私は今日一番言いたかった言葉を口にする。
「寂雷さん、お誕生日おめでとうございます。寂雷さんが生まれて来てくれて、私と出会ってくださったことが、私にとって何よりの幸せです」
話ながら胸がいっぱいになってしまい、私は口を閉じる。これ以上、口を開いたらいろんな想いが溢れ出して止まらなくなりそうだ。
しばらく無言が続いた後に、微かに吐息が聞こえた。
「…………すみません、最高のプレゼントで言葉に詰まってしまいました。……ありがとう、私も君に会えてとても幸せだよ」
あまりにも優しい声で告げられる言葉に目頭が熱くなる。好きと告げられるよりも幸せな気持ちで胸がいっぱいになって、私は静かに目を閉じた。