お砂糖よりも甘いもの

夏から秋、秋から冬への移り変わりというのは目まぐるしく、秋らしさなんていうものは感じ取れずにいつの間にか冬の訪れを感じることになった11月。
急な気温差のせいか、私は珍しく熱を出した。おそらく風邪だろうと病院から薬を貰い、大人しくベッドに横になっているが、熱が下がる気配は一向にない。
39度を指す体温計を恨めしく眺めながら、私は大学にあがって一人暮らしを始めたことを初めて後悔した。起き上がるのもトイレに行くことすらだるい。ましてやご飯なんて作れるわけもない。買い置きのレトルトやゼリードリンクもなく、ひたすら水を口に運ぶだけ。熱が高いと眠ることすら億劫で、ひたすらベッドで横になっていると、枕元に置いておいた携帯が震えた。
メッセージが1件。差出人は七ツ森実。
『調子どう?大丈夫?』
今日は撮影があると聞いていたので、実に心配かけないように『風邪ひいた』とだけメッセージをしておいたけれど、結局心配をかけたらしい。心配ないよ、と返そうとしたけれど、文字を打つ気力もなくスタンプを1つだけ返すと、少しでも眠ろうと布団に潜り込んだ。

微かなチャイム音が聞こえた気がして、ふと目を覚ます。眠れたおかげか、少しは熱が下がった気もするが、体をゆっくり起こすとふらついた。そんな私を目覚めさせるように今度は確かにチャイム音が鳴り響く。重い鉛のような体を起こし、引きずりながら玄関の扉を開けるとそこには
「……っ、佳音」
Nana姿の実が立っていた。息を切らして切羽詰まったような顔だが、何故かモデル姿のままで立っている。いつもなら七ツ森実の姿で来るはずなのに。どうしてここにいるのか、うまく働かない頭で考えるがよく分からない。
「はっ……よかった」
実はホッとした様子で呟くと勝手知ったる様子で家に上がり込むと「佳音、ちょっと」と怖い顔つきで私を呼ぶ。真剣な目付きに少し怯むと、いきなり実は顔を寄せてきて、こつんとおでこを合わせた。
「はぁ……熱あるじゃん」
「う、うん」
「アンタ、そういうのは早めに言うこと」
強めの口調で言われて「ごめんね」と謝ると、実は慌てたように「いやいや」と手を振る。
「俺の方こそ仕事休んで着いてあげられなくてごめんな」
「ううん、気にしないで。実が忙しいの知ってるし平気だよ」
「アンタは平気かもしれないけど……俺は平気じゃない。アンタからスタンプ送られて以降はいくらメッセージ送っても返ってこないし、既読もつかないから、家で倒れてんのかと思ったんだけど」
「え、うそ、ごめん……寝てて気づかなかったみたい。心配かけてごめんね」
「頼むから心配くらいさせて」
実は深くため息をつくと、私を優しく抱きしめる。
「無事で本当によかった……」
「……もしかして、撮影終わってからそのまま来たの?」
「あー、まあね。ちょっと奥の部屋貸して。俺も着替えてくるから、アンタはベッドで休んでて」
「うん。……えへへ」
「なーに、笑ってんの」
「実が来てくれたの嬉しくて」
「またアンタはそういう……はいはい、とにかく横になっておいで」
実に諭されて大人しく自室に戻るとベッドに横になる。しばらくすると、服を替えた実が部屋に戻ってきた。
「ほら、これ食べれる?ゼリー買ってきたんだけど」
「ありがとう……食べる」
「あと冷えピタ貼っとこうか。食欲はある?」
「うん。大丈夫だと思う」
「よし。じゃあとりあえず水分補給して薬飲もうか」
「うん」
実はてきぱきと私の世話を焼く。それがなんだかくすぐったくて思わず笑みをこぼすと、実は不思議そうな顔をする。
「なに?」
「ううん。なんか、こうしてると新婚さんみたいだなって思って」
「ばか言ってないで早く治して」
実は少し笑いながら、私の額に冷却シートを貼り付けた。ひんやりとして気持ちいい。
「さ、薬飲み終わったらもう一眠りしような」
「うん。あの、ありがとね。わざわざ来てもらって……」
「言ったろ、心配だって。それに、こういう時頼ってくれないと困る。俺、一応彼氏だし」
「……」
「なんでそこで黙り込むかなぁ」
「だ、って、その、恥ずかしいよ」
私の言葉に照れが移ったのか、実は頬を染めて俯く。その姿に胸がきゅんとする。やっぱり好きだな、と思ってしまう。こんな風に風邪を引いたせいだろうか。いつもより弱っているからか、素直に甘えたくなる。
「ねぇ、実」
「なに」
「手握っててくれる?」
「……もちろん」
実は微笑むと、布団の中に手を滑り込ませてぎゅっと手を握る。じんわりと温かさが伝わってきて安心した。私は目を閉じて、再び微睡んだ。

次に目が覚めた時はだいぶ楽になっていた。体は相変わらず重かったけれど、幾分マシになった気がする。熱を測ると37度5分と表示されていた。まだ少し高いようだが、これなら明日になれば下がっているだろう。
隣では実が寝ていた。私が起きたことに気づいていないのか規則正しい呼吸を繰り返している。
「実」
「……ん、あれ、佳音……起きてたの」
「うん。実のおかげで熱下がったかも」
「それは良かった」
実はほっとしたように微笑むと、体を起こして私を抱き寄せる。そしてそのまま背中をさすられる。
「どう?気分悪くない?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか……でも念の為今日は一日ゆっくりしようね」
「うん。……ね、もっとギュッてしてくれる?」
私が言うと実は少し驚いたように目を見開く。それからすぐに破顔して、さらに強く抱きしめられた。
「お安い御用だよ」
「ふふっ……嬉しい」
「……なに、随分可愛いこと言ってくれるじゃん」
「えへへ……あっ」
「なに?」
「あの……今更だけど、私風邪ひいてるからあんまり近寄らないほうがいいかも……」
「はは、なにそれ。気にしなくていいよ」
「で、でも……移っちゃうかもだし……」
「俺は別に構わないけど……もしかして気遣ってんの?」
「えへへ……うん」
「かわいいなぁ……もう」
そう言って実は再び抱きしめてくる。やっぱり彼の体温は心地よくて、離れ難い。
「あの……実」
「んー?」
「えっと……も、もう少しだけこうしてたいな、なんて……」
私が遠慮がちにお願いすると実は嬉しそうにはにかんで、それから私の頭を撫でてくれた。
「いいよ。いくらでもこうしてようか」
「やった」
「その代わり」
「なに?」
「体調良くなったら、俺に佳音のこといっぱい可愛がらせて」
「……」
「だめ?」
首を傾げながら実に問われれば、ダメと言えるはずもなく。私は小さく頷く。
「いい子だ」
実は満足そうに笑うと私の髪を耳にかけた。そして耳元で囁く。
「好きだよ、佳音」
「っ……わ、私も、好き」
思わず吃ってしまったことに顔を赤らめる。そんな私を見て実はまた笑った。
「じゃあ両想いだな」
「うぅ……なんかずるい」
「何が?俺だってちゃんと言ったろ」
「そうだね。……ねぇ、実」
「ん?」
「早く元気になるね」
「ああ。楽しみにしてる」
そうして私たちは笑い合うと、どちらともなくキスをした。