電車を待つ話

原題:五条悟と一緒に電車を待つ話


「……電車、来ないね」

 吐き出す息が空気を白くする寒空の中、もうじき暗くなるであろう空を見つめながら呟く。

 山奥の小さな駅。
 辺りに人気はなく、時折聞こえるパキという音はどこかの氷がひび割れる音か、積もった雪の重さで折れた枝の音か、はたまた小動物の動く音か。

 とにかく、そんなわずかな自然の音も鮮明に耳に届くほど静かな中で紡がれた私の言葉は、何も虚空に向かって投げかけたわけではない。
 私の隣で同じように空を眺めていた男、五条悟の横顔を返事を促すかのように見れば、彼は目線を空から動かすことなく「……そうだねぇ」とようやく口にした。

「……ねぇ」
「ん?」

 何を考えているのかよく分からないその顔に語り掛ければ、今度はこちらに顔を向けて返事をされる。
 その目元は布に覆われており視線が交わることはないが、長く一緒に過ごしていれば彼が私の目をまっすぐに見つめているのだろうということは容易に想像できる。

「今日、どうしてわざわざついてきたの? 私一人でも十分な相手だったでしょ」

 数日前から、天気予報のキャスターは今日の大雪を報せていた。だから任務が入らなければいいな、なんて思っていたが、そういうときに限って事件は舞い込むものだ。
 仕方なく現場へ向かおうとする私に、「僕も行くよ」と自分が一番忙しいのに、そしてそんな中の久しぶりの休みだった悟が声をかけた。

「うーん……まぁ、こういう日はさ。突然別の呪いが湧いてきたりもするだろ?」
「……私だけだと不安だった?」
「お前の実力を信じてないわけじゃないよ。ただ万が一もあるし、単純に僕が心配だっただけ」

 呪術師からは呪霊が生まれない。ただ、一般人が負の感情を抱き呪いを生んでしまうのを、私はなんとなく理解できる。
 特にこんな人肌恋しくなるような日は、孤独に居れば情緒が不安定になりやすい。そうすると必然的に呪いも発生しやすくなる。悟が危惧していたのはそこなのだろう。「休みだったのにごめんね」と謝罪を口にすれば少しムッとした表情をするので、今度は感謝を伝えるとその口角が満足そうに上がった。

「にしても、伊地知遅いなぁ」
「こんな天気だからかなり渋滞してるって言ってたし、電車が先に来るならそっちに乗る方が確実だよ」
「……でもその電車もぜーんぜん来ない……っと」

 無人駅とはいえ幸い小さな駅舎がある。外の長椅子に並んで座っていた私たちは、悟が立ち上がりぐっと伸びをしたのを合図に駅舎の中へ移動することにした。

「まぁ僕はさ」

 さっきより全然あったかいなあとほっとしていると、悟が突然そう切り出して、私の顔を覗き込むように身を屈ませた。

「電車も伊地知も、もうしばらく来なくていいと思ってるよ」
「……何を急に」

 楽しそうな顔で私の反応を見ている悟に少し腹を立てながらも素っ気なく返してみれば、今度は悟が真面目な顔になって言葉を続ける。

「だって最近忙しくて、全然お前とこうして二人きりになれてなかったんだもん。僕、結構参ってたんだよ?」

 そう言いながら私の頬に伸ばされた手は、さっきまで外にいたせいかひんやりとしていた。私の手も冷たいけれど、少しでも温まればとその手に自分のものを重ねる。

「……うん、そうだね。私もこうやって久しぶりに悟と二人で話せてなんか落ち着くよ」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん? ……でも僕は話すだけじゃちょっと物足りないかな〜」
「え?」

 聞き返す言葉を言い終える前に、目の前は真っ暗になり悟の香りに包まれた。抱きしめられているのだということはすぐ分かったが、どうにも心地よくて抵抗はしなかった。
 トク、トク、と一定のリズムで刻まれる悟の心音が伝わり、あぁこの人は今生きているんだなぁと漠然と感じて目を閉じる。

「……この前恵に聞かれたよ」
「ん、何を?」
「なんでお前と付き合わないのかって」

 お互い離すことも離れることもなく体を寄せあったまま、悟の話に耳を傾ける。

「僕の恋人になったら僕を邪魔だと思ってる奴らに狙われるかもしれないから、必ず傍で守ってやれる保障がない今は公に交際はできないって言った」
「……そしたらなんて?」
「��俺だったらそれでも自分だけのものにしたいって考えるかもしれません、他の男に渡したくないんで�≠セってさ」
「ふふ、若いね」
「若いよねぇ。でもこれから先、恵のようなフレッシュな考えを持った子たちが呪術界を引っ張って行ってくれると思ったらなんか安心しちゃったよ僕」

 はは、と笑う悟の声色は柔らかくて、どうやら本当に安心したといった様子だ。「こういうなんてことない話をお前としてるときが一番落ち着くな」という言葉に胸の奥がきゅっとして、その背中に両手を回して強く抱きしめ返すと悟の体が小さくぴくりと反応したのが分かった。

「……あー、こんな状況だし一応今日はくっつくだけにするつもりだったんだけどね」

 言うが早いか背中に回したはずの私の腕はあっさりと悟に掴まれてしまって、抵抗させないとでもいうように壁に彼自身の手で縫い付けられた。

「ね、キスしていーい?」
「……断らせる気なんてないくせに」
「ん、正解」

 言い終わるのと同時に悟の唇が私のそれに重なって、ちゅ、と軽くリップ音を立ててすぐに離れる。
 そのまま手が解放されたと思うと悟は自身の目隠しを外しどこかへ放って、その青い目で今度こそ私をまっすぐ見つめた。

「なぁ、好きだよ」
「うん、知ってるよ。……私も好き」

 私の返事がお気に召したようで、目の前の最強といわれる男は嬉しそうに目元を細めると、再び私へキスを落とした。さっきとは違い、啄むようなキスを何度も何度も雨のように降らせ、いつの間にか両手で私の後頭部をしっかりと押さえ込む。
 徐々に深くなるそれに力が抜けてなだれ落ちそうになる私を支え、呼吸が苦しくなるほどに長かった口づけがようやく終わると、呼吸を荒くする私を見て悟は「色っぽい顔」と少しだけ余裕なさげに呟いた。

「僕だってお前のこと誰にも渡したくないよ」

 そう耳元で囁かれ、少しずつ降下して私の首筋に這わされた悟の唇を、手のひらで軽く押し返す。なぜか分からないといった表情で私の目を見る悟にこれ以上はだめだと伝えれば、「この様子じゃまだ誰も来ないだろ」と行為を続行しようとするので、今度はその頭をぺしんと軽く叩いた。

「……何、嫌なの?」
「こんなところでは嫌。それにもう結構経つからどっちかは来ても良い頃だよ」
「つれないなあ」

 口を尖らせた悟が渋々といった様子で離れると、まさに呼ばれましたと言わんばかりに遠くから微かに車のエンジン音が聞こえた。ほら見たことか。危ない。悟を止めていなかったら数分後には最悪なタイミングで伊地知さんと遭遇してしまうところだった。まぁ最悪だと感じるのは主に伊地知さんの方だと思うが。

 やがてすぐ近くで車が停車する音が聞こえ、続けて私たちを呼ぶ声が聞こえた。

「せんせーい、迎えに来たよー!」

 聞こえた声は虎杖くんのもの。駅舎の扉が開き、ひょこっと顔を出したのもやはり彼だ。

「あれ、なんで悠仁が?」
「いや、こんな天気だしさ。なんとなく先生たちのこと心配になって伊地知さんに乗せてもらった!」

 不思議そうに問うた悟に、虎杖くんは眩しいという表現がぴったりな笑顔でそう答える。一瞬きょとんとした顔をした悟は、すぐに「そうかそうか、可愛い生徒だな〜!」と虎杖くんの頭をわしゃわしゃと撫で、すぐ行くから先に車乗っててよ、と伊地知さんの待つ車へ彼を向かわせた。

「考えることは同じだね」

 思わず笑いながらそう言うと、悟は嬉しそうな顔で自分の教え子の背中を見送りながら、頷いた。
 そしてそのまま床に放られていた目隠しを手に取ると私へ向き合い、まるで今日の夕飯の話をするかのように、極めて脈絡もなくこう言い放った。

「ねぇ、僕たちやっぱり結婚しない?」

 数秒の間。今目の前の男から放たれた言葉を何度か反芻し、必死に頭を回転させ、私はようやく一言。

「…………は?」
「考えといてね。まあ断らせる気なんてないけどさ」

 ほら、二人が待ってるから行こう。と先に歩き出す背中を呆然と見つめ、ハッとしてとりあえず小走りで追いかける。

 今日一番火照った体にぽつりと雪が降り、そして一瞬で溶けた。


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