氷の瞳


忘れたつもりだった。忘れられたと思った。…でもそれはただの思い過ごしだった。あんな濃い記憶をそう簡単に忘れられるわけがないのに。
慣れ親しんだあの香りに出会うたびに、貴方によく似た姿を見かけるたびにいつだってこの胸は痛みを訴えていたんだ。ただそれを見て見ないフリをしていただけ。





「う、…」
「時任、目ェ覚めた?」
「くぼちゃ…?」


 side:時任


うー…あったまいてぇ。俺、どうしたんだっけ?
痛む頭に触れようと思ったら、腕が動かないことに気が付いた。何だ?と思ったら、何か知んねーけどロープでぐるぐる巻きにされてた。隣にいた久保ちゃんも同じで、アイツの額からは血が流れた跡まである。きっとこうなっちまう前に殴られたんだろう。俺も頭いてぇし、その理由は久保ちゃんと一緒のような気がする。あんまりそん時の記憶はねーけど。
首だけは動くから辺りを見回してみるけど、人の姿は一切ない。あるのはドラム缶とか何かそんなんばっかで、久保ちゃん曰くどっかの廃工場じゃねーかって。


「にしてもドジッたねぇ。まさか捕まるとは」
「いきなり背後から殴るとかヒキョーだろ!」
「相手はヤクザよ?卑怯も何もないデショ。さすがにこれは痛いけど」


いや、さすがにーとか言ってる場合じゃねーだろ久保ちゃん!ピリピリした雰囲気纏ってるクセに、口調だけは妙にのほほんとしてっから余計に変な感じすんだけど。…ん?何で久保ちゃんは俺達を襲ったのがヤクザだってわかったんだ?あん時、一瞬だったから殴ってきた奴らの顔見てねぇのに。それとも久保ちゃんは俺と違って相手の顔見てた、とか?
どーにも気になって仕方ねぇから聞いてみれば、顔は見てないよ?とこれまたのほーんとした口調で返された。じゃあ何で、と思うじゃん?そしたらアークロイヤルの香りがしたから、顔を見なくてもわかったんだって。アークロイヤルって、…何だ?香りってことは煙草とか香水とか、そーいうもんだよな?そう聞き返せば煙草、と一言だけ返ってきた。
…ってことは、そいつ―――久保ちゃんの知り合いってことだよな?

そういや、一度だけ出雲会ってとこに身を置いてたって聞いたことあったっけ。香りを知ってるってことはそん時の、ってことか。どういう理由でそこを抜いたのかは聞いてねぇから知らねぇけど、いきなり殴られて捕まえられるってことはめっちゃ恨まれてんじゃね?久保ちゃんてば。


「ん〜否定は出来ないけど、恨まれてんならこんな回りくどいことしないでその場で殺すんじゃないのかなぁ、と」
「じゃあ、何でわざわざ俺達を捕まえたんだ?」
「何か聞きだしたい情報がある、とか、または…おびき出したい人物がいるとか、ね」


ま、あくまで俺の推測だからわかんないけど。
そう言う久保ちゃんの口調は相変わらずのんびりとしてるけど、肌で感じる雰囲気はさっきよりもピリピリしてる気がする。あーもー、こういう時のコイツって笑顔で圧力かけてくっからめっちゃ怖ぇんだよ!こういう時、ほたるがいれば和むんだけどな〜…って、ずっと帰ってこなくて連絡すらとれてない奴のこと思い出しても仕方ないか。…ほんと、アイツ何処に行っちまったんだろう。
オッサンにも捜してもらえるよう頼んではいるけど、見つかったーっつー連絡は今の所ねぇし。モグリんとこに時々、顔出してんのは確かだけど俺達が行く時に限っていねぇときた。モグリに聞いてみても、居場所は知らないんですとしか返ってこなかったしなー。あん時のモグリの態度、なーんか知ってるように見えたんだけどきっと聞いても教えてくれねぇんだろ。ほたるのことだから、話してたとしても誰にも言うなって釘刺してる気ィするし。だから久保ちゃんも深くは突っ込まなかったんだと思う。ほたるの居場所。
それにしてもこのロープ、力入れたら引きちぎれっかな。引きちぎれれば此処から脱出するのは簡単そうだし、と腕に力を入れようとしたら、1つしかないであろうでっかい扉が開いて誰かが入ってきた。…煙草の、香り?あ、これ殴られた時に香ってたような気もする!ってことは、この香りが久保ちゃんの言ってたアークロイヤルってやつか。


「お目覚めかな、久保田くん、時任くん」
「……ドーモ」
「アンタ、誰?」
「出雲会代行の真田だ。手荒い真似をしてすまなかったね、2人共」


物腰はすげー柔らかそうに見えっけど、何か…コイツ、雰囲気が気持ち悪ィ。ヤクザって皆、こんな感じなのか?
お互いに何も話さねぇでいると、少しだけ開いていた扉の外から車が止まる音がした。そんで複数の気配と足音、あと車の扉が閉まる音だ…この真田って奴の仲間、だよな?このタイミングで来るってことは。けど、ソイツの顔に笑みが浮かんだ。待ち望んでたものが来た時みたいな、そんな顔。仲間が来ただけでそんな顔しねぇよな?普通。だって俺達は相変わらずロープでぐるぐる巻きにされてて、逃げようもなければ抵抗のしようもねぇ。どう見たってアッチの優勢だっつーことは俺にだってわかるもんよ。


「代行、お連れしました」
「ああ、ご苦労。…さて、久しぶりだね?ほたる」
「……」


黒服の男に連れてこられたのは、2週間前に突然いなくなったほたるだった。キャップを深くかぶってて顔は見えねぇけど、でもすげー機嫌悪そう。ようやく会えたのはすげー嬉しいけどな、こんな状況じゃなきゃ。

てか、ほたるの奴はこの男と知り合いなのか?

ふと湧き上がった疑問に、俺は…ほたるのことを何も知らないことに気が付いた。今は何をしてるか知ってるけど、アイツが昔何をしてたのかとか、何処で暮らしてたのかとか、そんなもんは何一つ知らない。俺の、俺達の知らないアイツが…少しずつ出てきてる気がした。
だって現に、今、俺達の目の前にいるほたるが纏ってるのは今までに感じたことないくらいに冷たい雰囲気だ。俺達が知ってるアイツはいつだって温かくて、笑ってて、時々怒って、…こんな暗くて重い雰囲気、纏ってたことなんて一度もなかったんだよ。こんな冷たい色をした瞳だって、見たことない。


「―――…ご用件は?」
「ふふ、ずいぶんとツレなくなってしまったね。昔はあんなに愛らしかったのに」
「そうでしたか?…というか、私に用があるのなら直接来れば良かったでしょう、関係ない2人まで巻き込んで…趣味が悪いわね、真田サン」
「君がそんなに感情を露わにするのは珍しい。そんなに、この2人が大事かな?」
「……さあ?」


顔を上げたほたるの表情は、まるで別人で…無に近い気がした。
ただ何の感情も宿していない瞳で、目の前に立つ真田って男を見つめているだけ。反対に男の方は楽しそうに笑っててめっちゃムカつくけど。


「ほたる、1つ取引をしよう。彼らを取り返したいのならば、…私の元へ戻っておいで」
「…断ったら?」
「その時は―――…どうなるのかなんて、君が一番わかってるんじゃないか?」


こんなん俺にだって理解できる。これを断ったら確実にほたるの命はなくなるってことだ。条件を飲もうが何だろうが、コイツはほたるを自由にさせる気なんてこれっぽっちもないってことだろ?
こんな所で死にたいわけじゃないけど、ほたるの自由を奪ってまで助かりたいとは思わねぇ。此処から逃げ出す時はほたるも一緒で、久保ちゃんとほたると俺の3人で揃って家に帰る!そうじゃなきゃ、何の意味もねぇんだ。誰か1人が欠けるのだって俺は嫌だ。ぜってー嫌だ。

チラリ、とほたるの視線がコッチに…俺と久保ちゃんの方へ向いた。何か言いてぇのに何も言葉が浮かんでこねぇ…グッと唇を噛みしめれば、ほたるの顔が痛そうに歪んで口元が小さく動いたように見えたんだ。俺には何を言ったのかわかんなかったけど、隣にいた久保ちゃんは読み取れたみたいで珍しく低い声で「…バカ。」って言ってるのが耳に届く。だからきっと、アイツは俺達に謝ったんだろーなって予想がつく。
そうだな、久保ちゃん。ほたるはバカだ、大バカだ。何で謝る必要があんの?俺達を巻き込んだから?…それが理由だったら謝んなくていーだろ、だってほたるも前に俺が謝ったらそんなのいい、って言ったじゃねぇか。乗りかけた舟なんだから、って。そん時と状況は違うけど、でも同じようなもんだろ?


「くっだらない取引ね」
「貴様!代行を侮辱する気か!」
「さあ、どうかしら?でも、アンタの元へ戻る気持ちなんてこれっぽっちもないわ」
「…そうか、それはとても残念だ。ならば、力ずくで奪っていくとしようか」


その言葉を合図にほたるの周りを、俺達の周りを黒服の野郎共が取り囲んできた。


「げ。」
「あらら」
「ちょっ、どーすんだよ―――」


久保ちゃん、と続くはずだった言葉は、銃撃音によってかき消された。誰が撃ったんだ、と思ってたら俺達を周りを取り囲んでいた奴らが1人残らずぶっ倒れてた。俺達は何にもしてない、っつーか出来ねぇし…ってことは、やったのはほたる?バッと視線をそっちに向ければ銃片手に大勢の男をバッタバッタと蹴り倒してるほたるの姿が見えた。すっげ、アイツあんなにつえぇのか?!
思いもよらぬ光景を目にしてポカーンとしてれば、ロープが解けた感覚。あれ、いつの間に?と思ってたら、本当にいつの間にかほたるが後ろにいた。久保ちゃんのロープも持ってたらしいナイフで切ってて、ようやく俺達は自由の身となった。バキバキいう体で立ち上がると、まーた黒服の男達が増えていた。うーわ、何人連れてきてるんだよコイツ。


「…久保くん、動ける?」
「ん〜?うん、まぁ何とか」
「じゃコレ、貸したげる。逃げ出すの手伝って」


なぁ、ほたる。お前っていくつ銃持ってんの?久保ちゃんですら一丁しか持ってねぇはずなのに。
2人のやり取りをボーッと見てたら、グイッと引き寄せられて耳元で何かを囁かれた。ちゃんと聞き取れたけど、どういう意味か理解出来なくて聞き直そうとしたのに、そんな暇もなく銃撃戦が開始されちまった。丸腰の俺は久保ちゃんとほたるの背に隠されたんだけど、何だこれ、俺ってば囚われたオヒメサマみたいになってね?…つーか、守られてばっかりはごめんなんだけど!!


―――バキィッ!!

「時任?!」
「俺様だってやりゃあ出来んだよ!守られてばっかだと思うなよっ」
「ふはっ…さっすが時くんだね」


3人で応戦すりゃあ、どれだけいたってあっという間に片づけられる。そこら中に転がる黒服の男。でも奇跡的、なのか…誰も死んでない。いや、久保ちゃんが撃った奴らは知んねーけど、ほたるが撃った奴らは全員生きてるみてぇだった。だって、狙ってたのは肩や足の付け根だったから。動けなくしてっけど、命までは奪ってなかった。…あんなに、冷たい瞳をしてたのに。
残るは代行、とか言ってた奴と、そいつを守ろうとしている数人だけだ。もう少し踏ん張れば、とか考えてたら工場がグラグラと揺れ始めた。それに色んな所から爆発音?みてぇのが聞こえるような気がする。


「なっ何だ?!」
「さっき言ったでしょう?時くん。―――合図が聞こえたら、」


走りなさい、って。
その言葉が耳に届いた瞬間、俺は誰かに引っ張られていた。俺の腕を引っ掴んでたのは久保ちゃんで、その隣をほたるが走ってる。でっかい扉を開けて外に出た瞬間、一際大きな音が聞こえてガラガラと建物が崩れていった。瓦礫とか色んな物が飛んできたり、落ちてきたりしたけど、何とかギリギリ大ケガすることはなかった。掠ったりはしたけどな。


―――キキィッ

「おいお前ら!早く乗れっ!!」


何故かいたオッサンの車に乗り込んで、俺達はその場を後にした。
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