哀れ少女
寝不足で頭は痛いし、案の定手加減もクソもなかったあの糸目野郎のおかげで腰も痛いんですけど。いい加減、私はアイツに文句を言ってもいい頃だと思うのよね。…とか何とか言いながら、本気で拒否をしない私も私なんだけど。翌日、体が辛いのは本当なんだけど…カラダの相性は抜群に良いらしくて、別にいいかーと思ってしまってるのも本音なのです。
これで久保くんが下手、だったら。それはもう烈火の如く怒るだろうし、全身で拒否します。それはトーゼンでしょ?
「ふあ、…」
「いーの?店員さんが店先で欠伸なんかして」
「…誰のせいだと思ってんのよ」
「もしかしなくても、俺?」
「当たり前でしょ。鵠さーん、久保くん来ましたよー」
本に集中していた鵠さんに一声かければ、すぐさま久保くんとオシゴトの話。彼はいつも鵠さんからバイトを斡旋してもらって、お金を稼いでるのです。もちろんそれは生活資源の一部で、他にも色々やってるみたいだけどねー。詳しくは聞いてないから私もわからない。
かくいう私も鵠さんのお店でバイトさせてもらってる身なのデス。朝から夕方までお店番だったり、在庫の整理だったり、接客だったり、お掃除だったり。まぁ、ほぼ暇なお店なのは間違いないんだけど…実はこっそり裏のお仕事もさせてもらってるんだ。久保くんと同じように運びの仕事が多いかなー。彼の都合が悪い時に頼まれることがほとんどだけど、たまーに直接私に頼んでくることもあるの。理由なんて知らないけど。
…ところで、
「時くんや、何で中に入らないの?コッチ寒いでしょ」
「いーんだよ。…俺、苦手」
「知ってるけど…いいの?鵠さん、知り合いの獣医も動物に嫌われて哀しがって〜とか何とか言ってますけど」
―――ガラッ
「俺を犬猫と一緒にすんなっ!!」
うーん、相変わらずだねー。見てて面白いし、時くんの反応はとても可愛いから好きだけどね。
…そういえば、すぐに鵠さんと話をし始めちゃってたから聞くの忘れちゃってた。昨日、…というか、今日の夜中に久保くんが拾ってきたという沙織ちゃんはどうしたんだろ?まぁ、オシゴトを貰いに来たんだから連れてくるはずもないだろうけどさ。家出少女だって聞いた記憶があるけど、2人して此処に来たってことはちゃんと家に帰ったのかも。身重なんだし、その方がいいわよね。どう考えたって。
そんなことを考えながら棚の掃除をしていたら鵠さんに呼ばれて、情報を提供するように言われた。…ああ、あの情報ね。
「実は今日の昼過ぎ、市内で獣人化した遺体が発見されたの。判明してるだけでこれで九体目、かな?」
「だぁね。…場所は?」
「この住所。葛西さんの管轄だよ。行けば事情聞くことできるんじゃない?」
それにしても…遺体はこうやって表に出てくるのに、『W・A』の情報は一切出てこないわね、相変わらず。流出先も、薬自体の成分も何もわからないっていう謎の薬。
だけど、獣人化したカレらは一様にその薬を使用していた…らしい。どんなに調べても出てくるのは毎度、同じことばかりで進展なんてありゃしないんだ。最初にあの奇妙な遺体が出てから1年以上経つのにねぇ。本当に何が起こってるんだか。
「行こう、久保ちゃん。ほたるも」
「私も?」
「どーせ個人で調べてるっしょ?一緒に行ったって同じ、同じ」
「いってらっしゃい。そのまま今日は上がってしまって大丈夫ですよ、ほたるさん」
「んー…鵠さんがそう言うなら、いってきます」
荷物を持って、久保くんと時くんと一緒に遺体が出た場所へと赴いた。
ちょうど現場であろうアパートから出てきた葛西さんに声をかければ、早速時くんが絡まれてます。ま、彼のことを相談した相手だし色々心配してくれてるみたいだものね。ふふ、葛西さんってば嬉しそうな顔しちゃってぇ。まるで孫を可愛がるおじいちゃんみたい。こんなこと言ったら怒られるから、心の内に留めておくけど。
「お、何だほたるも一緒だったのか」
「はい。お久しぶり、葛西さん。…あの死体、出たんでしょう?」
「耳が早えな。今運び出されてくるよ、一応鑑識に回すがまぁ、進展はねぇだろうなぁ」
念の為、身元を聞いてみたけれど状態が状態だから確認のしようがなかったみたい。まぁ、見た目からじゃあわからなくなってしまってるでしょうし…どうしようもないのは仕方ない、か。けどきっと、部屋の住人であることには間違いないかなぁ。
葛西さんもそう睨んでるらしく、住人の名前を口にした時、聞き覚えのある声が聞こえた。その方へ視線を向ければ、そこにいたのは沙織ちゃん。身重だというのに走ってきてしまったのか、息を切らせて呆然と立ち尽くしている。彼女の顔に浮かんでいるのは、焦燥。不安。…そして、僅かな恐怖。
…そういえば彼女にはダメな彼氏がいる、とか何とか言ってたっけ。彼女が口にした彼氏であろう名前と、さっき葛西さんが口にした遺体があった部屋の住人の下の名前が一致している。ということは、まさか遺体は沙織ちゃんの彼氏かもしれないってこと?
その時だった。アパートから運び出されたタンカに沙織ちゃんが手を伸ばし、掛けられた布を剥ぎ取ってしまったのは。タンカにのせられていたのは、言葉通り―――獣人化した、かつて人間だったモノ。それも上半身だけ、という更に奇妙なもので。
それをまともに目にしてしまった沙織ちゃんは、その場で倒れ込んでしまったんだ。
「…時くん、魘されてる」
「うん。イヤな夢、見てんのかもね」
倒れた沙織ちゃんに付き添って私達は今、病院にいる。もちろん葛西さんも一緒に。
いつ目を覚ますかわからない彼女を待って待合室にいるのだけど、疲れてしまったのか眠り込んでしまった時くんはさっきから少しだけ魘されてるみたい。久保くんが拾った時から、時々、こうやって眠ってる間に魘されることがある。その時に見る夢は今まで見たことない人や声がする、って言ってたから、きっと抜け落ちてしまってる彼自身の記憶なんだと思う。迂闊に触れてしまうとパニックになって暴れ出しちゃうから、私と久保くんの間ではそのことには絶対に触れない、っていうのが暗黙のルール。
…けど、久保くんは…時くんの正体なんて何でもいいって思ってそうなのよね。『W・A』の事件に首を突っ込んではいるものの。何て言うか、…時くん自身が此処にいればそれでーって思ってるように見えるの。見える、っていうか、実際にそうだと思うし。時くんを拾ってから久保くんは変わった気がするんだ、もちろん良い意味でね。
「―――飲むか?」
「オッサン」
「お前らまだここにいるつもりか。あの沙織って子…いつ目ェ覚ますかわかんねぇぞ」
「うん、それはわかってるんだけど…」
「俺らも関係なくはないし。葛西さんだって事情聴取しなきゃなんないんでしょ?」
「まぁな」
沙織ちゃん、ご家族は健在で連絡もしたみたいなんだけど…葛西さんが警察だ、と名乗った途端に「またですか」って言われちゃったみたい。彼女のことはお任せします、ってオマケつき。彼女の普段の行動にも問題はあるのかもしれないけど、少しの心配もないのかな…実の親なのに。愛して、ないのかなぁ。
ショックで倒れたものの、お腹の子は無事だったみたい。それはとても喜ばしいことなんだと思う、私にはその感覚がよくわからないけどさ。…だけど、その事実は彼女の背にどんな風に乗り掛かるのだろうか。救いとなるのか、それとも禍としかならないのか。葛西さんの言う通り、何もないよりは「マシ」なのかもしれないけどね。
話をしている間に沙織ちゃんは意識を取り戻したみたいだけど、表情は暗いまま。仕方ないことなんだろうとは思うけど、それでもご飯はしっかり食べないと倒れちゃうわ。お腹の中には赤ちゃんがいるから点滴は打つことが出来ないし、食欲がなくてもご飯から栄養を摂ってもらわなくちゃ。
看護婦さんから預かってきたお膳を時くんが渡そうとしたんだけど、突っぱねられちゃったみたいで食器が床を転がっていった。その拍子に彼の右手を覆っている黒い手袋が外れてしまったみたい。咄嗟に拾って隠そうとしたけど、時はすでに遅し。沙織ちゃんの瞳はしっかりと獣化してしまっている彼の右手を映していた。それが彼女の目にはどう映ったのだろう、それはわからないけどパニックを起こしたってことだけは確か。
「大丈夫、大丈夫だよ沙織ちゃん。ゆっくり吸って、吐いて…そう、」
「は…ぁ、は」
「ん、もう大丈夫そうだね」
「あ…貴方達…一体、なんなのよ…?!」
沙織ちゃんも無関係ではない、と私達は一通り説明をすることにした。
一年程前から出廻っている新種のドラッグ『W・A』。出所、効能、サンプルさえ警察の手に入らないモノ。そんな中でわかっているのは、それを常用した人間は何故か体毛が伸び、牙や爪が発達…簡単に言えば、獣化してしまうってこと。でもそれだけじゃない、内臓破裂による死亡―――ここ最近見つかっている獣人化の遺体は、全て死因はそうなっているのだ。
だけどね、そのドラッグを使った全ての人が死ぬのかどうかはわからない。だって遺体しかサンプルがないんだもの…調べようもないわよね。生きて、『W・A』を常用し続けている人がこの世に存在しているのかも不確かなものだけど。
「…俺は一年前、久保ちゃんとほたるに逢った。その前の記憶がねぇんだ。なんで右手だけこんななのかとか、俺が何処で何してた奴で…なんで横浜の裏路地でブッ倒れてたのかとか、全然わかんね。思い出そうとしてもヤな感じするし、ロクなことじゃねーんだろうなきっと。だけどよ、なんかムカつくじゃん?逃げるみてーでさ。俺が一体何者なのか、知りてぇんだ」
「時くんの右手が本当にその薬と関係あるのかわかんないけど、…でもそれしか手がかりがないの。だから沙織ちゃん、『W・A』について知ってることがあったら教えてくれないかな?」
「…そ、そんなの知らない。そんな話されたって…私、私に何しろって言うのよ?!」
出てって、と言われてしまったら出ていくしかない。色々あったからね、精神は興奮しているだろうし、彼女が受けたショックを考えればそれが妥当だと思う。私と久保くんの連絡先を書いたメモを置いて、私達は病室を後にした。…微かに聞こえる嗚咽を背に。