羨望


いつも通り鵠さんのお店でバイトに励んでいたら、珍しく携帯が着信を告げた。こんな時間に電話かかってくることなんてないのに…何気なく名前を確認すれば、これまたまさかの久保くん。今日、バイトなの知ってるのにかけてきたってことは、何か起きたってこと?
バイト、と言っても割と緩いので仕事中に電話に出ても何も言われないんです。まぁ、一応お客様が来た時の為に裏に行きますけどね。


「はい、もしもし」
『ほたる?今、ヘーキ?』
「大丈夫よ。何かあったの?」
『ちょっち厄介なことになったかも。…抜けらんない?』


詳しく事情を聞いてみれば、沙織ちゃんの彼氏さんの部屋が荒らされた形跡があるんだって。遺体が死後に動かされてたらしいし、所持していたと思われる薬物も明らかに量が減ってる。…更に、手帳や携帯電話が盗られてる可能性が大きいみたいね。どういう人が荒らしたのかはわかんないけど、これはもしかしなくても彼女である沙織ちゃんに危険が及ぶ可能性が高い…気がする。
そうポツリ、と零せば「俺もドーカン」だって。葛西さんが病院まで迎えに行くって言ってたらしいけど、時くんがお見舞いに行ってるから久保くんも心配らしくて今から向かうつもりなんだってさ。それで出来れば私も、ってことでく連絡してきてくれたみたいよ?そんなこと聞いたら、来るなって言われても行くしかなくなるでしょ。
落ち合う場所だけ決めて、ひとまず電話を切った。さってと、…鵠さんに事情説明してバイト抜けさせてもらわなくちゃ。きっとあの人のことだ、いつものように穏やかに微笑んで「いってらっしゃい」って言ってくれるような気がしてるんだけどな。





案の定、にこやかに「いってらっしゃい」と言われて、私は横浜の街を疾走中。仕事用の服の上にジャンパー羽織ってるだけだから、すれ違う人達みんなぎょっとした顔で振り向くのはこの際、見ないフリ。振り向きたくなるのはわからんでもないんだけどねー、格好が格好だからさ。


「ほたる!」
「あっいた久保くん!…此処?」
「多分ねー。イヤーな音が聞こえてくるから、間違いないと思うよ」


そっと陰から顔を覗かせれば、見張りらしい男が2人。沙織ちゃんを抑え込んでる男が2人。頭っぽい変な男が1人。…そして、時くんを抑え込んでる男が1人…ね。というか、彼殴られちゃったのね、額は切れてるし口の端も切れて血が出てる。

―――ドクン、

ああこれは、思っていた以上に血液が沸騰してしまいそう。けど、このまま突っ込んでいったら危ういことになりそうだわ。ある程度、気持ちを落ち着けていかないと久保くんにも迷惑をかけちゃうものね。大きく深呼吸を繰り返し、そっと目を閉じる。久保くんの手を握ることも忘れずに、ね。


「…よし、行こう」
「リョーカイ。先にあの2人のしちゃおうか、左側よろしくね」
「任せて」


ビルの陰から飛び出して一発、回し蹴りをかませばあっという間に男は地に伏した。


「申し訳ないんだけど、その猫」
「ウチの子なんで返してもらえます?」
「―――久保ちゃん!ほたる!!」


良かった、まだ叫ぶくらいの元気はあるみたいね。
時くんの姿にホッと胸を撫で下ろしていると、頭らしき男が動いた。コートの胸ポケットから取り出したのは鈍い光を放つ―――拳銃。その動きを見ていなかった私達じゃない、同じように銃を構えれば視界の端で驚いた表情を浮かべている沙織ちゃんの姿が目に入った。…ああ、そうよね。いくら何でも本物の銃なんて、見る機会はそうそうないわよね?びっくりするのも当然だわ…でもごめんね、きっともっと…怖い思いをさせる。

久保くんが出雲会にいた頃のことを口にしているのは、現在、東条組代行をしている男らしい。口調から察するにオカマ、なのかしらね?ま、そんなことどーでもいい話だけど。
どうやら飄々とした態度の久保くんにキレたらしい下っ端の男が、ついに彼に銃を向けてしまった。あーあ、残念ねぇ…もう少し大人しくしていてくれたら、


―――ドンッドンッ

「あと少し、生きてることが出来たのに。馬鹿な男」
「…ほたる、お前はあんまり銃を撃つなって言ったっしょ」
「こんな状況でそれ、言ってる場合じゃないでしょ。…ま、銃がなくても勝てるのは否定しないけど」
「俺も否定はしないよ。でもま、…時任、帰るよ」


そしてあと一人、時くんを忘れることなかれ。彼だって強いのよ?その証拠にほぉら、抑え込んでいた男の銃を折っちゃうくらいですもの。ただのガキだと思って油断してると、あっという間に行きつく先は地獄かもしれないわね。
久保くんと時くんがドンパチやっている間に、私は沙織ちゃんの元へ。…うん、びっくりはしてるみたいだけど、彼女に怪我は一切なさそうだ。そっと声をかけてみれば、一瞬ビクッと肩を震わせたけどすぐにホッとした表情に変わる。あら意外、私だって人を殺したのに…怯えない、とはこれっぽっちも想像していなかった。でも下手に騒がれるよりこっちのが楽かも。
沙織ちゃんを立たせて服についた埃を払っていると、いつの間にか東条組代行が時くんの首元にナイフを当てていた。
その光景を見て、一度は落ち着いたはずの血液がもう一度沸騰しかけているのがわかる。握ったままだった銃をイラつく表情しか浮かべない男に向ければ、コッチを見てニヤリと笑った気がした。それが心底、腹が立つし気持ち悪いんだけど。


「アタシ、女には毛の程の興味もないんだけど…アンタはちょっとだけ興味あるわ。お嬢さん、お名前は?」
「……瀬上、ほたる」
「そう。アタシは関谷純、覚えておいてね久保田くん、瀬上ちゃん」
「やなこった」
「必要ないっしょ」


その言葉を最後に関谷と名乗った男は窓から姿を消した。でも沸々と湧き立つような怒りは収まるはずもなく、衝動のままに足を動かせばグイッと誰かに引っ張られた。我に返って振り向くと、ボロボロになった時くんが私と久保くんの腕を掴んでいるのが見える。


「もういい、もうやめとけ。ほたるも、な?」
「……うん」
「時くんが、そう言うなら…。沙織ちゃん、大丈夫?」
「…アタシ、貴方達に初めて会った時からずっと時任のこと変だと思ってた―――何で、何でこんなに久保田さんに依存してるんだろうって。でも本当は」


そうよ、沙織ちゃん。時くんも久保くんに依存してるけど、それ以上に依存して執着してるのは―――きっと久保くんの方。
でもだから、何だって言うの?


「ほたる、帰るよ」
「うん。…じゃあ葛西さん、沙織ちゃんお願いします」
「ああ、任せとけ」


バイバイ、と手を振って私は2人の背中を追って駆け出した。
薄い仕事用の服にジャンパーを羽織っただけの体は、吹きすさぶ風にひどく震える。
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