冬の、とある夜
久保くんも時くんも私も、そこそこに体が丈夫なのが取り柄だと思ってました。…つい最近までは。
はい、と渡された体温計に記されていたのは、39.5℃の文字。明らかに高すぎる体温に思わず溜息が漏れたけど、でも当の本人はいつも以上にぼんやりとした顔をしていて何を考えているんだか。というか、この体温の高さでよく動いていられたわね、と零せば、お前に言われたくないって一刀両断された。
あれか、前に熱出して寝込んだ時のことを言っているのか、久保くんは。
「今日、バイトは?」
「ええっと…あ、代打ちが1件入ってたかな」
「何時から?」
「21時からだけど…あの、ほたる?」
「ん?なに。…ああ、21時からならご飯作ってから出て行っても間に合うわね」
食欲ある?と問いかければ、少しなら―――という控えめな答えが返ってくる。んー…そしたらうどんかな、冷凍のがまだ余ってたはずだし。
お粥でもいいんだけど、今からじゃちょっと時間かかっちゃうからなぁ。明日も熱が下がっていなかったら、お粥を作ってあげようかしら。
「ゲホッ…ちょ、ほたる、まさかお前…」
「代打ちのバイト行くつもりよ?断ってもいいんだけど、収入が多いに越したことはないでしょ」
「えー…あそこにお前1人で行かせるとか、嫌で仕方ないんだけど」
「そう思うなら早く風邪を治すこと。なるべく早く帰るようにするし、連絡くれれば切り上げてくるからね」
「―――なら、行くなよ」
「…珍しいわね、誠人くんがそんなこと言うなんて」
基本的には放置主義である彼は、よっぽどのことがない限りこういうことを言わない。私のバイトも、別口のオシゴトも、ある程度は好きなようにさせてくれていると思う。人並みに嫉妬はするみたいだけど、それをうまーく隠しているようにさえ感じて、縛るようなことはしないんだよね。
昔の私だったらその関係性が心地いい、と感じていたとは思うんだけどー…今は、少しくらい縛ってくれてもいいのに、と思えるようになってる。自分でもびっくりしちゃったんだけどね、その変わりように。
苦しそうに呼吸をする久保くんの頭を梳くように撫でると、気持ち良さそうに目を閉じる。あやすようにもう一度、誠人くんと下の名前を呼べば、今そっちで呼ぶのはズルイ、と言われちゃいましたとさ。
「大丈夫。君が心配するようなことには、絶対にならないよ。というか、ならないように気を付けるから。…ね?」
「…わかったよ。お前は一回言い出すと聞かないし」
チュ、と額に口づけ1つ落として、私は病人食を作る為にキッチンへ。10分ちょっとで作り上げたそれを時くんに託し、私は足早にマンションを後にした。久保くんに声かけないのか、って聞かれたけど、でもきっと今顔を見ちゃうと行くの嫌になりそうだなぁって思っちゃって、曖昧な返事だけを返したの。
…何と言うか。私も彼も、ずいぶんとお互いにのめり込んじゃった感じね。あれだけ他人には入れ込まない、と決めていたはずだったのに…気がつけば、二度と手離せない所まできているときた。これはもう末期症状に近い。
いつの間にこんな所まで、と思わないわけでもないけど、
「(―――好きだと思ったら、どうしようもないんだよなぁ…)」
ふと見上げた先にあるマンション。その4階に私達の城がある。煌々と電気がついている部屋には、うどんを頬張っているであろう久保くんと、彼の世話を焼く時くんがいて―――そこにはずっと、温かい空間が広がっているのは間違いがなくて。
はあ、と息を吐けば、そこだけを真っ白に染め上げ消えていく。ずいぶんと気温が下がったみたい、そりゃあ久保くんも風邪をひくわけだ。脳裏に浮かぶのは苦しそうに呼吸を繰り返す、彼。だけどそれでも愛しさというのはこみ上げてくるものらしく、胸の辺りがきゅうっと締め付けるように痛んだ。
早く行こう。それでさっさとバイトを終わらせて、それで―――帰ってこよう、2人が待っている温かい我が家に。
―――ガチャッ
「ただいま〜時くーん、起きてるー?」
「えっほたる?!お前、帰ってくんの早くね?」
「ちょっぱやで終わらせてきたの。でも安心して?バッチリ勝ってきたから!」
「いや、そこは心配してねぇけど」
「ふふ、そっか。ねぇ、久保くんは?」
「うどん食わせて、薬も飲ませた。多分、今は寝てると思うぜ」
時くんの言葉にそう、と返して、私は自分の部屋に向かった。そっとドアを開けてみれば、真っ暗な部屋の中に響く静かな寝息。うん、どうやら時くんの言う通り眠ってるみたいね。出かける前より呼吸が楽そうになってるかな…薬が効いてるのかも。
近寄っても起きる気配のない久保くんは、本当に熟睡しているらしい。相変わらず、寝顔だけは年相応よねぇ…こういう時の顔はすごく可愛らしいと思うんだけど。
ちょっとでもスイッチが入れば男―――いや、雄とでも言えばいいのかしら?…とにかく途端に普段と違う顔になるもんだから、こっちは心臓がもたないっての。
「ン、…ほたる……?」
「ああごめん、起こしちゃった?」
「だいじょーぶ―――何もされてない?」
「平気。ちゃんと勝ってきたから、臨時収入が少し多めに入ったわよ」
風邪が治ったら美味しいものを食べに行くか、何処かに遊びに行こう。
「…3人で?」
「そうね、3人がいいかな。もしくは葛西さんも誘って4人でもいいわよ?」
「―――…うん」
「君が望むなら2人でもいいけど、…時くんが拗ねちゃうから」
「ヤキモチ焼きだからね、アイツ」
さ、もう一眠りしなさい、と頭を撫でれば、もぞもぞと布団に潜りこんで、素直に目を瞑った。恐らく、薬が効いていて眠気が勝っているのだろう。
そのまま久保くんは再び、夢の世界へと旅立っていった。