愛してる、とは言えなくて
「……へ?」
「わぁお、マヌケな顔になってるよ。ほたる」
うん、そうだろうなって気はしてるけど…でも私は、相変わらずあんぐり口を開けたままのマヌケ面を晒している。
何故、私がそんな顔をしているのかと言いますと、いつもの代打ちのバイトを終えて帰ってきた久保くんが「デートしようか」って言ってきたから。ね?マヌケ面にもなるでしょ?
「なに、俺とデートするのそんなに嫌?」
「嫌なワケないでしょ。…えっと、2人で?」
「そうじゃなきゃ、わざわざデートって言わないよ」
え、じゃあ時くんを置いて2人で?わ、久保くんと2人で出かけるのなんてすっごい久しぶり!恋人になってからは初めてだわ、デートなんて多分、一度もしたことなかったから。
何処かへ行く時は3人揃ってるのが普通だったし、何より時くんが置いていかれるのを極端に嫌がるんだよね。だから、自然と2人で出かけようって話には一度もなったことがないの。
…でも、時くんにはちゃんと話をしてOKもらってるのかしら?こっそり出て行って後で怒られるのは、さすがに嫌なんだけど。私。どうせ行くならちゃんと許可をもらって行きたいわ。
大丈夫なの、って聞いてみれば、時くんは滝くんの仕事を手伝う為に今日・明日は向こうに泊まり、明後日の夕方に帰ってくる予定なんだってさ。だから問題ない、ってことみたいね。それなら安心だけど。
「嬉しいお誘いなんだけどさ?明日、私バイトなんだけど」
「いつもの店番っしょ?終わる頃に迎えに行く」
「…夕方よ?終わるの」
「時任が帰ってくるのは明後日なんだし、大丈夫」
「そ?久保くんがいいならいいんだけど…」
バイト先にお迎え、とか…何か本当につき合ってるっぽい感じだなぁ。いや、本当につき合ってるんですけど。あ、でもせっかくなら待ち合わせとかしてみたかったなー。
「最初はそれも考えたけど、迎えに行った方が早く会えるじゃん」
「!……サラッと恥ずかしいこと言わないでよバカ…」
「心外だなぁ。―――本心なのに」
「わかってるわよ。…嬉しいに決まってんでしょ」
デートで浮かれる、なーんて歳でもないんだけど、久保くんに恋をしてからは私も普通の女だったんだなぁって気づかされることが多い。真田サンに恋をしていた、と思っていた時だって、こんなに楽しみだって思ったこと…あったかなぁ。あったのかもしれないけど、今となっては思い出せない。
(それだけ久保くんに惚れてる、ってことなのかも)
あの時とは何もかもが違う、と思ったけど、本当にそうだ。胸の奥が痛いくらいにぎゅうって締め付けられる感覚も、彼のことを想うだけで心が温かくなるのも、…触れたいって思うのも、きっと後にも先にも―――彼だけ、なんだと思うんだ。
「…本当に来た」
「お化けを見るような目で見るのやめてもらえる?鵠さーん、ほたる連れて行っても大丈夫?」
「ええ、今日はもう店仕舞いですので構いませんよ。…デートですか?」
「ッ、」
「ま、そんなとこ。じゃあ、また」
気を付けて、と後ろから鵠さんの声がする。でも今の私には応対する余裕なんてなくて、ただ久保くんに手を引かれて、クソ寒いのに顔だけを真っ赤にして歩くしかできない。
自分でデートって口にするのも、久保くんにデートって言われるのも恥ずかしかったけど、それ以上に鵠さん―――というか、第三者に言われたことがこんなにも恥ずかしいだなんて思わなかったよ!本当に!!
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、今日の久保くんはとってもご機嫌だ。他人からすればいつもと変わらない糸目で、感情の読み取れない顔をしているんだろうけど、微かに聞こえるのは彼の鼻歌。
…うん、やっぱりご機嫌だよね。こんな風に楽しそうに見える久保くんを見るのは、初めてかも。とは言え、私も昨日から浮かれているのだけれどね。
「ほたる、お腹空いてる?」
「え?うん、空いてるけど…」
「あんまり高いレストランは無理だけど、ちょっとだけ奮発しよ」
時任には内緒でね。
振り返った久保くんが、楽しそうな笑みを浮かべてそう告げた。どこにそんなお金が、と言いかけて口を噤む。せっかくのデート、なんだし…そんなことを聞いてしまうのは、きっと野暮よね。黙ってそうだね、って答えて、一緒に笑って、それで楽しむのが一番だと思うの。
どこのレストランにしようか、と話しながら、街中に目をやる。そこには綺麗なイルミネーションがあって、思わず足を止めそうになる。
…ああそうか、すっかり忘れてたけど今日はクリスマスイブだ。もしかして久保くんがデートしよう、って言ってきたのは、そういうことだったのかな?世間一般ではクリスマスは恋人の日、ってイメージが強いから。
「ね、少しイルミネーション見ていこうよ」
「いいけど、…」
「どうせ予約してないんだもの、寄り道したって問題ないでしょ?」
「…仕方ないね、お前は」
ふふっだって今まで、イルミネーションをじっくり見ることってなかったんだもの。クリスマスを意識したことだってなかったし、彼も興味があるように見えなかったからパーティーもしたことなかったしね。
葛西さんの家に居候してた頃は、あの人が安売りしてたケーキを買ってきて食べたこともあったけど…料理はいつも通り、だったなぁ。今思えば。
たくさんの人(大半がカップルだけど)に紛れて、大きなクリスマスツリーを見上げる。周りも綺麗に飾りつけされていて、いつも以上に賑わっている気がするわね。さすがクリスマスイブ、ってやつかしら。わざわざ寒い中…って思ってたけど、うん、誰かと一緒に見るとこんなにも綺麗だって思えるんだなぁ。
「―――ほたる」
「ん?なぁに、……ん、」
触れるだけのキス。すぐに離れていってしまったけれど、顔を赤くするには十分すぎる程。ほんっと、コイツは何を考えてるのかわかんないことが多すぎる…!最近は大分わかるようになってきたかな、と思ってたけど、前言撤回!そんなことなかったわ!!
キスするのはいいけど、何もこんなたくさん人がいる所でしなくたっていいじゃない。そりゃあ、皆イルミネーションに夢中で他人のことなんて気にもしてないかもしれないけど、それでも私にだって羞恥心っていうものは存在しているし、絶対に見られてないって保証もないっつーのに。
バカじゃないの、と悪態をつくけれど、顔はきっと真っ赤だしニヤけてる。説得力なんてないと思う。…それでも、言いたくなってしまうんだ。バカじゃないの、って。
「ほんと、バカ」
「そう言うけど、顔はニヤけてるよ。正直だね、ほたるは」
「……帰ろ」
「まだご飯も食べてないけど?というか、家に何もなかったっしょ」
「コンビニでも、デリバリーでもいい。早く帰ろ、…誠人くん」
ダメだ。ちょっと触れただけ、それだけのはずなのにもっと―――もっと触れてほしい、って思っちゃう。ほんの少しでもそう考えてしまったら、そこからはズルズルと堕ちていくだけ。
きょとん、とした表情を浮かべてる久保くんの手を引っ張って、今来た道を引き返していく。
「ちょっとほたる、」
「―――君が、…君が悪いんだから」
「何のこと?」
「あんなとこでキスとか、してくるから…もう、無理」
―――グイッ
薄暗い路地裏に引き込んで、今度は私からキスをした。軽く触れるだけのキスじゃなくて、もっと深くて甘いもの。
首に腕を回して、久保くんの唇を割って舌を絡めれば車の音に混じって、小さく水音がする。さっきは羞恥心が、とか何とか言っていたくせに、スイッチが入ってしまったみたいにどうでも良くなってきた。…今はそれよりも、彼に触れて、触れられたくて仕方ない。
どれくらいそうしていただろう。チュッとリップ音をさせて、離れていく唇。月明かりに照らされた銀の糸がひどく幻想的で、でも卑猥にも感じられた。
「は、……誠人、」
「ッ―――今、その名前を呼ぶのは反則でない?」
だって、と言葉を紡ぐ前に、今度は久保くんが私の手を引いて何処かへ歩き始めた。家へ帰る道じゃない、何処へ行くのって聞いても彼は黙ったまま、ただひたすらに歩き続けて。そしてようやく辿り着いたのは、所謂そういうホテルだ。
あっという間に部屋を選んだかと思えば、そのまま抱き上げられてエレベーターに乗るハメになりましたとさ…意外にも力があるんだな、この子。
変に感心していると部屋に着いたらしい。器用に片手でドアを開け、部屋に入った途端―――深く、唇が重なった。
「…ごめん。今日は加減できないかも」
「―――いいよ」
ちょうだい。君の全部を。
力任せにベッドに押し倒されて、足が絡み合う。服を脱ぐ時間すら惜しくて、コートだけを脱いだ状態でお互いを求め合った。それこそがむしゃらに、本能のままに、…欲しいだけ貪りあう、獣のようなセックスだと思う。でも今はそれさえも心地良くて、十分なんだ。
「ん、あっ…ま、ことく…っ!」
「うん、此処にいるよ。ほたる」
「す、き、君が、大好きよ―――」
するり、と零れ落ちた言葉は、今までに曖昧にしてきていて多分、初めて口にしたと思う。別にお互いにわかっていたから、敢えて言葉にしなくてもいいやって思っていたんだけど…愛しくて愛しくて仕方なくて、急に伝えたくなったの。好きなのよ、って。
同じように言葉で返してほしいわけじゃない。ただ、私が伝えたかっただけ。
「俺も―――お前が好きだよ、ほたる」