こねこが見るユメ
晴れ渡ったとある日。珍しく私はバイトが休みで、久保くんと時くんが出かけて家にいない。
2人がいないうちに、と朝から洗濯機を2回まわしてシーツやら枕カバーやらを洗濯、それから久保くんと私の部屋と時くんの部屋とお風呂場、更にはキッチンとリビングを徹底的に掃除。全てが終わる頃には時計の針は長針も短針もてっぺんを指していた。うわ、もうお昼?全っ然気が付かなかった。
お昼だと認識した途端に空腹を訴える私のお腹は、至極単純だと思う。我ながら。でも1人分のご飯って作るのめちゃくちゃ面倒なんだよねぇ…いっつも3人分作ってるから、尚更1人分なんて分量がわからない。何かレトルト商品とかあったかなぁ。
キッチンの戸棚を漁ろうと立ち上がった時、電話の上に貼ってあるカレンダーが目に入った。今日の日付を見て、もうあれから4年も経ったことに気が付いたんだ。
「―――今日は、…私が久保くんに拾われた日」
そこら中が痛くて、痛くて仕方ない。あらゆる所が痛いから、もうどこをどう怪我しているのかもわからないくらいだ。瞼も重いし、体も雨に濡れちゃってるし…血も流しすぎているからか、いやに体温が低い気がする。このまま目をつぶったら、…私は死ねるのかな。
―――…いいや、もう。生きてる理由も、意味も何にも残ってない。それならいっそ、死んだ方がマシ。
襲いくる眠気に抗う必要なんてない。そっと目を閉じれば、何かに吸い込まれるように私の意識は闇の底へと沈んでいった。
「ん、……」
ふわふわとした柔らかい感触を感じて目を覚ませば、そこはとても温かい場所だった。
…なに、ここ。地獄にしては温かすぎじゃない?
「葛西さん、起きたみたい」
「おお、嬢ちゃん目が覚めたか?」
「……、だれ」
声がした方へ視線だけ向けてみると、そこにいたのは眼鏡をかけた糸目の少年?と渋いオジサマ。此処が天国か地獄かは知らないけど、何か私が想像してたのと違う気がする。
地獄はおどろおどろしくて殺風景なイメージだし、天国はその逆でもっと温かくて綺麗なイメージだ。でも此処はその両方のイメージと全く違う。殺風景ではないけど、でも綺麗でもない…何て言うか、ものすごく生活感溢れる所だなー、とぼんやりとした頭で考えていた。
ひとまず体を起こそう、としたら至る所に激痛が走り、声にならない声を上げそのまま布団へ逆戻り。うっそ、死ぬ前に負った怪我って死んでからも残るものなの?それともこれが誇れない人生を歩いた私への業、とかいうやつなのだろうか。
「おいおい大丈夫か?あんまり無理すんな、腹は深く切れてるし足と腕はひどい打撲を負ってるんだから」
「っ、…いき、てる…?」
「生きてるよ」
激痛に耐えながらも顔を上げれば、枕元にしゃがみ込んでいた少年がポツリと呟いた。薄らと開かれた瞳は何を見つめ、何を思っているのか一向に読み取れない。無、ってわけではなさそうだけど…この子くらいの歳の子がするような瞳ではないのは確かだ。なんて、私もきっと人のこと言えないんだろうけど。
乱れた呼吸を必死に整え、仰向けで布団に転がれば。少しずつ痛みも引いてきたようで、さっきよりは幾分マシになった。どうしよう、これ。こんな状態じゃしばらく動けないじゃん…。
「…わたし、死んだかと思ったのに」
「なぁに?オネーサン、死にたかったんだ?」
「死にたかった、のかな…もう、わかんないや」
少年の問いかけにそっけなく答えれば、そっちから聞いてきたくせにさして興味もなさそうな声音でふぅん、と返答が返ってきた。いいけどね、私だって会話したいわけじゃないし…人と関わりを持つのも、もう面倒。誰にも関わらずに済むんならそれでいい、その方がずぅっと楽だ。
痛みが走らないようにそっと寝返りを打った先に、壁に寄りかかって本を読む少年がいた。その奥ではオジサマが何かを作ってる後ろ姿が見える。何を作ってるんだろ、何か甘い香りがしてきてるけど。
「嬢ちゃん、手ェ貸してやっからちょっと起きな」
オジサマに体を支えてもらいながら起き上れば、目の前に湯気が立ったマグカップが差し出された。反射的にそれを受け取るとふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。甘い香りの正体は、ココア。どこかホッとする香りに絆されてしまったのか、うっかり何も疑わずにそのココアに口をつけてしまった。今までだったら全てを疑って、自分で用意したもの以外は口をつけないようにしてきたはずだったのに。
「…美味しい…」
「そりゃ良かった。…嬢ちゃん名前は?俺は葛西、コイツは久保田誠人だ」
「瀬上、…瀬上ほたる」
「ほたるちゃんな、可愛い名前じゃねーか」
豪快に笑って私の頭を撫でるオジサマ―――もとい、葛西さんに面食らってしまう。だって知ってるのは名前だけ、それ以外は何もわからないし警戒したっておかしくないはずなのに、この人にはそれが一切ないってどういうこと?何も聞こうとしないし…それどころか、見知らぬ私を家にまで連れ込んじゃうなんて…呆れるくらい変わってる。
この日から渋いオジサマ葛西さんと、糸目少年久保田くんと、私の奇妙な同居生活が幕を開けた。