いなくなると錯覚した


時間が過ぎるのは早いもので、あっという間に旅行前日―――つまり、お見合い当日です。いや、私は断じてお見合いだと認めたくはないのだけれど…!とはいえ、傍から見れば立派なお見合いなのでもう訂正するのさえ面倒な感じではあるのだけれどね。
誰に訂正するの、っていう言葉は飲み込んでください。むしろ、触れるな。そんなわけで、同席してくれる兄夫婦が朝から工藤邸に来ています。


「気が乗らないとはいえ、オシャレをしない理由にはならないわ」
「できればとんでもない格好して、即座に相手を帰らせたいんですけども」
「うーん…円香ちゃんの気持ちはよーくわかるんだけど、私が許せないからダメよ」
「えー…」
「円香ちゃんを着飾るのは、私の楽しみでもあるの。わがままにつき合ってちょうだい。…ね?」


もう…義姉さんにそんな顔をしてお願いされたら、断るに断れないじゃないか。義姉さんにのみ聞こえる大きさでわかった、と返せば、彼女はとても綺麗な笑顔を浮かべて化粧を再開させた。
兄さんと昴くんはリビングでコーヒーを飲みながら、きっと談笑中。まともに会うのはほぼ初めてのはずなのに、意外と気が合うみたいなのよね。あの2人。秀一に気が許せる知り合いが増えてくれるのは、相棒としても恋人としても嬉しいことだけどさ。
今日、お見合いの会場として指定されているのは米花町の中で最も高級だと言われているホテル。そこの最上階にあるレストランの個室を取った、とさっき兄さん達に聞いた。とはいえ、場所なんて正直何処でもいいんだよねぇ私からしてみれば。だって答えなんてすでに決まっているんだもの、挨拶もそこそこにお断りを入れてさっさと帰ろうと目論んでいるくらい。
さすがに相手側に失礼かな、と思ってはいるんだけど、それが最善策だと私は思っているので。てか、早々にこっちから手を打たないと捕まってしまいそうな気がしてるだけなんだけども。

(秀一以外の人に捕まる気なんて、これっぽっちもないんだけど…)

如何せん、お見合いの相手である兄さんの知人は一筋縄でいくような感じではない。つき合ってる人がいる、婚約者がいるって何度話をしても諦めなかったくらいだからね。グダグダ引き延ばしてしまったらきっと、あちらに手綱を握られてしまうと思うの。それを踏まえて、さっさと断って帰ろう作戦なのです。作戦名はともかく、割と理にかなっていると思うのです。


「…義姉さん」
「ん?どうしたの円香ちゃん。あ、シャドーを塗るから目をつぶってちょうだいね」
「あ、うん。…あのさ、2人共、最後まで一緒にいてくれるの?」
「もちろんよ。私は貴方の付き添いとして、優作は相手の付き添いも兼ねているんだから」
「そうなの?」


それは初耳だ。てっきり、あちらはお母様を連れて来られるものだと思っていたから。


「何でもご家族を小さい頃に亡くしているそうよ」
「ああ…だから兄さんが」
「そういうこと。…さ、これで終わりよ」


そっと目を開けて鏡を見れば、何度見ても見慣れない姿がそこには映っている。義姉さんのヘアメイク技術はいつ見ても素晴らしいけれど…それが自分に施されると、何だか自分じゃないような錯覚に陥るのよねぇ。化粧は化けると書く、とよく聞くけれど、正にその通りだと思う。違う誰かに化けている気分だわ。
じーっと鏡の中の自分と見つめ合っていると、化粧道具を片づけながら義姉さんがクスクスと笑っていた。なぁに?と振り向いてみると、どうやら彼女は鏡とにらめっこしている私が面白くて笑ってしまったらしい。…そんなにおかしかったかなぁ、私。


「ふふっ円香ちゃんって私がお化粧してあげると、いつも興味深そうに鏡を見ているのよ?」


気がつかなかった?と義姉さんが言ったけれど、そんなの気がついているわけがない…!
あ、でも思い返してみるとそうだったかもしれない。自分じゃないように見えて不思議で、でもメイク技術がすごくて、気がつけばまじまじと鏡を見ていたような…見ていなかったような。


「仕事の時とか、自分で化粧くらいするけど…義姉さんにやってもらうと何だか違うんだもの」
「あら、それは当然よ。私と円香ちゃん、お化粧のやり方とか色々違うでしょう?」
「…まぁね」
「貴方は素材がいいからナチュラルでも全然大丈夫だけれど、今回みたいな場やパーティーの時はこのくらいの方が映えるのよ」


まだ鏡の前に座ったままだった私の後ろに立ち、肩に手を置いたまま義姉さんはとても綺麗な笑みを浮かべた。


「そろそろリビングに行きましょうか。昴くんに見せてあげましょ?」
「…今回はちょっと気乗りしない…」


だって言うなれば、『別の男に会う為に着飾った』状態でしょ?今の私って。私が彼の立場だったら、絶対に見たくない。見たいけど見たくないという、とっても複雑な感情になると思います。
だけど、リビングに顔を出さないまま行かないわけにもいかないので…大人しく行きますけども。そっとリビングに顔を出すと、すぐに昴くんが気がついてくれてにっこりと笑みを浮かべている。


「着替えとヘアメイクは終わったんですか?」
「うん、この通り」
「ホー…今回は暗めの色なんですね」


貴方は赤いドレスを着ることが多かったでしょう?
昴くんの言葉に一瞬、きょとんとしたけれど、すぐにパーティーに潜入捜査した時のことを言っているんだと理解する。ああ、確かに彼の言う通り赤いドレスを着ることの方が多かったかも。
個人的には青の方が好きだし、ドレスを着るならあまり派手な色は避けておきたいと思っているから。けれど、一緒にドレスを買いに行ったジョディに円香は赤が似合うわよ!ってゴリ押しされまして…だから私のクローゼットには赤系のドレスが3着ほど眠っているわけだ。…いや、赤だってもちろん好きだけれども。


「このドレス、義姉さんのなの。色を選んでくれたのもそうよ」
「円香ちゃんに似合うのはやっぱりワインレッドなんだけど、たまにはこういう色も素敵でしょ?」
「ええ、とっても」
「ふむ。円香にはワインレッド、スカイブルーが似合うと思っていたが…インディゴブルーもなかなか似合うじゃないか」


方々から褒められて、顔には熱が集まる一方なんですが!!もういや、この人達…赤くなっているであろう顔を両手で隠すように覆うと、3人揃ってクスクス笑みを零していらっしゃる。こうなったのは貴方達のせいですからね!…と、心の中でとりあえず叫んでみる。


「それではそろそろ行くとしようか。私は見合い相手でもある知人を迎えに行くから、有希子と円香は先にホテルへ行ってくれるかい?」
「わかったわ、大通りでタクシーを拾いましょう。円香ちゃん」
「え?それだったら私の車…」
「今日は貴方が主役なのよ?だーめ」


だったら昴くんに送ってもらうのは、と一瞬、脳裏をよぎったけれど、さすがにそれをさせるのはアウトだわと頭を振った。ただでさえお見合いをする、ということで傷つけてしまっているんだもの、これ以上はダメ。絶対ダメ。


「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
「うん。…あの、遅くならないうちに帰るから…」
「待ってます。だから、心配しないでいいですよ」


頭を撫でる彼の体温を名残惜しく思いながら、私は工藤邸のドアを閉めた。
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