何も気にせず


ホテルの予約などは全て、昴くんに任せていた。どんな所にしたの?と聞いてはみたものの、楽しそうな笑みを浮かべて「当日までのお楽しみですよ」と言われてしまったら、それ以上深くは問い質せないじゃない。だからそのままにしていたのだけれど、…すっごい綺麗なホテルでした。
地図で確認した通り、海まで徒歩で行けちゃうし、私達が泊まる部屋は所謂オーシャンビュー。窓の外には綺麗な海が広がっている。旅行の時期じゃないにしろ、よくこんな素敵な部屋を押さえることができたなぁ。突発的な旅行なのに。


「このホテルはオーシャンビューと温泉が有名なんだそうですよ」
「そうなの?」
「ええ。ゆっくり温泉に入りたい、と言っていたでしょう」


喜んでほしくて、少し頑張ってみました。
語尾にハートマークがつきそうな感じで言われて、ぶわっと顔に熱が集まってきた気がする。これ、昴くんだからあまり違和感がないけど、秀一の姿で想像すると何て言うか…すっごく失礼なんだけどさ、似合わないよね。ハートマークとか。

(楽しんで演じてるんだなぁ、この人…)

別人になりきらなくちゃいけないから、クールな人より愛想のいい人になりきった方が断然怪しまれなくはなるだろうけど。ただでさえ『沖矢昴』という人物は、正体が掴みきれないゴーストのような人なんだもの。
…まぁ、今はそんなことを考えたり、心配しなくてもいいんだけどさ。いや、しなくていいわけではないけど、旅行の間くらいは忘れて過ごしたいものなのです。


「ありがとね、昴くん」
「いいえ。夕食は19時にお願いしてありますから、少し休んだら散歩に行きましょう」
「そうだね。それから温泉かなぁ…大浴場とか露天風呂があるんでしょ?」
「確か屋上露天風呂があったはずです。大浴場もそこですね」
「屋上?!わぁ、それは見晴らし良さそう…!」


ほら、と彼が見せてくれたホテルの案内図を見ると、確かに大浴場と露天風呂は男女共に屋上となっている。これは朝と夜、両方入ってみたくなるなぁ。露天風呂に行けば綺麗な星空が見えそうだもん。
ふふっ今から楽しみだなぁ…ん?さっきは海ばっかり見てて気がつかなかったけど、ベランダに何かある―――これって、…お風呂?


「そうだ、円香さん。この部屋はベランダにお風呂が…ああ、見つけていましたか」
「えっちょっ…お風呂付なの?!」
「正しくは露天風呂付、ですかね。ホー、なかなかの広さですね」


あ、そうだね。客室に付いているものの割には、結構広いかも……じゃないよ!露天風呂付の部屋だったなんて初めて聞いたよ!!何かもう、さっきから驚いてばっかりの気がする。嬉しい驚きだからいいんだけど、別に。


「はー…本当にすごいホテル予約してたのね、昴くん」
「言ったでしょう?貴女に喜んでほしくて、と」
「聞いたけど、ここまでとは思わなかった」


とりあえず、陽が完全に沈んでしまう前に散歩に行こう。貴重品だけを持ち向かった海は、時間帯のせいか、はたまた時期のせいか人はまばら。ほぼ貸し切り状態に近かった。ポツリポツリと人の姿は見えるけれど、いないに等しいだろう。
時折吹く風が少し冷たくはあるものの、でもやっぱり気持ちいいです。散歩しに来て大正解…!気分はリフレッシュできるし、水平線に沈んでいく太陽は綺麗だし、オレンジ色に染まる海も綺麗。うん、文句なしの景色だなぁ。


「寒くないですか?」
「うん、平気。風はちょっと冷たいけど」
「海の傍ですからね。あまり長居はしない方がいいかもしれません」
「んー…でももうちょっといたいかな。冷えたらお風呂入ればいいし」


それは何気なく言っただけだった。深い意味とか、邪な気持ちとか、そんなものは一切なくて本当にただ冷えたら温まればいいだけの話だ、と思って言っただけだったんだけど…どうやら昴くんは私の言葉を深読みしてくれたらしく、一瞬だけ固まった。
私は何故、彼が固まったのか最初はわからなくて。だけど、自分が言った言葉を反芻してみると…意味深な言葉にも、思えなくはない?


「いやっあの、単純な意味でしてね…?!」
「くっ…ふふっええ、わかってますよ。大丈夫」
「でも昴くん、一瞬だけだけど固まったじゃない〜!」
「深読みしたというより、一緒に入ってくれるのかなと思ったといいますか」
「うっ…」
「私としてはせっかくの旅行ですし、それもいいかなぁと思っているんですがね」


薄らと開かれた翡翠の瞳。そして綺麗な唇が、ニヤリと弧を描く。普段の愛想のいい昴くんは鳴りを潜め、僅かに秀一が顔を出した。昴くんを演じている時にはあまり出していないはずなのに、秀一に戻ると途端に色気を出すのやめてくれないかな…!
今だって心臓バクバクで、思わず視線を逸らしてしまった。変に思われて、…って、あの人のことだから何で逸らしたのか、わかっているような気もする。こういう時だけはあの勘の良さが恨めしいです、本当。


「…一緒に入ってくれないのか?」
「ッ…!屋上の露天風呂行ってから!!」


人が少ない時で良かった。本気で、心の底からそう思う。だってそうじゃなきゃ、急に何を叫んでるんだって見られること間違いないでしょう?誰にも見られていなくても、聞かれていなくても、急に何を叫んでるんだっていう状態に変わりはないんだけど。
…そして、私の一言がツボに入ったのか何なのか知りませんけどね?昴くん―――というより、秀一かしら?―――が肩を震わせて笑ってるんだけど。何なのよこの人はもう!


「〜〜〜もう昴くんなんか知らない!先にホテル戻る!!」
「ははっすみません、円香さん。謝りますから、一緒に戻りましょう」


我ながら子供みたいだ、と思うけれど、素直に頷くのも癪でザクザクと砂浜を大股で歩く。けれど今日履いているのはサンダルでもスニーカーでもなく、少し高めのヒール。どう考えたって砂浜を歩くのは適していない。それなのに早足の大股で歩いたら、どうなるかなんて目に見えているはずなのに。
案の定、砂に足を取られよろけました。間一髪の所で昴くんが抱えてくれましたけどね。そのままぎゅうっと抱きしめられ、ドクンと心臓が跳ねる。いや、あの、何でこんな所で抱きしめられてるのかな?!助けてくれたことには感謝するけど、外でこれはちょっと…!そう思いつつも背中から伝わってくる彼の体温にホッとしている自分がいるのも本当で、離してと言えないでいるのだが。

(うう、でも全く人がいないわけじゃないから恥ずかしい…!)

もう大分陽は落ちているし、人がいることはわかっても何をしているかまでは見えないだろう。それに他人の行動を気にしたり、じっくり観察するような人もいないとは思う。思うんだけど…だからといって、恥ずかしくないかと言われたら即座にNO!と答えるよ。恥ずかしくないわけないじゃないか、いまだにこの人に抱きしめられたりすると心臓バクバクになるんですよ私。
というか、恋人モードに慣れてないせいもあるんだと思うんだよね。そりゃあ、恋人にならないとできないイケナイことは、経験アリだけどっ…こう、甘い雰囲気になるのは少なかったと言いますかね?!とっとにかく、昔も今も慣れてないんです!こういうのには!


「あ、あの昴くんっ…!」
「―――すみません、ちょっと調子に乗りましたね。戻りましょうか」


腰に回されていた腕がスルリ、と離れていく。そっと見上げた彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいて、特に怒っているとか…そういうのはなさそう。
いや、怒ってるのはこっちだった!昴くんが怒るようなこと、私はまだしていないはずだから。


「夕食の時間までまだ少し余裕がありますし、先にお風呂行きましょうか」
「うん」
「それで夕食を食べてゆっくりして、…そうしたら一緒に入ってくれます?」
「ぅえ?!」
「屋上の露天風呂に入った後なら、いいんでしょう?」


言った。確かにさっき、間違いなく言ったけれども!だけど、改めてそうして言葉にされると羞恥心がこう…込み上げてくるからやめてください!!


「…ね、円香さん」


昴くんの顔で、色っぽい声音出さないで。身がもたない!
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