記憶の奥底
居候が増えて1ヶ月―――って言っても、私も居候だし、沖矢くんが工藤邸に住むことになった日から私はずっとジョディのマンションにいるのだけれど。別に彼が怪しいからとか、一緒にいたくないから逃げているわけではありません。れっきとした仕事でジョディの家にいるのだ。
近々、奴らがとある会社と取引をするという噂を耳にしたの。その現場を抑えようと思って張り込んでいるものの、なっかなか現れなくてさー…その張り込み先がジョディの家から割と近いから、お邪魔させてもらってるの。その方が色々と便利だし。
「取引の件、デマだったのかしら…」
「その可能性もでてきたから、今ちょっと調べてる。…あ、」
「円香?」
「ジョディ〜…1ヶ月も張り込んだのにデマよ、これ!!」
こんなことなら最初っから調べておけば良かった!何でこの情報は正しいって思い込んでたんだろ…秀一と追っていた時は絶対に―――そこまで考えて、ハッと息を飲んだ。また、…私はあの人のことを思い出して、勝手に落ち込んで…もう吹っ切れたと思っていたのになぁ。
たかだか2ヶ月では足りない、と心が訴えているのだろうか。まぁ、そう簡単に忘れることができたら苦労はしないんだろうけど。
はぁ、と溜息を吐いて、簡単に荷物をまとめる。デマだとわかった以上、私がジョディの家に滞在する理由は1つもない。荷物をまとめたら家に…いや、書類整理に行こうかな。まだ時間はあるし、家でじっとしているよりはその方がずっと気が紛れるもの。
どうにかして脳をフル稼働させていないと、寂しさや消失感でどうにかなってしまいそうだった。…うん、吹っ切れたと思っていたのは完全に私の勘違いでしたね。今、自覚しました。
「さて、私は行くね。お世話になりました」
「いいのよ、提案したのは私だし…でも今日まで泊まっていけば?」
「ううん、帰る。…というか、書類整理に行ってくるわ」
「えっこれから?!ちょっと円香、最近働きすぎじゃない?」
ジョディの言葉に苦笑だけを返し、そそくさとマンションを後にする。うしろからちゃんと休みなさいよー!って声が追いかけてきたけど、聞こえないフリ。
休んでる、休んでるよ…ちゃんと寝ているから心配しないで。きっとそう言ってもジョディは明るく笑ってくれないんだろうな、綺麗な目を吊り上げて、そんなんじゃ足りないわ!って怒るの。頭に浮かんだ光景にそっと笑みを零して、私は車に乗り込んだ。
「ん、…ん〜〜〜〜〜っ…!」
ぐーっと伸びをする。ふっと上げた視線の先には時計、それはもうすぐ23時を指そうとしていた。うーわ、集中していたとはいえこんな時間になるまで気がつかなかったとは。
どうりでお腹が空くはずよね、ジョディのマンションから真っ直ぐ此処に来てそのまま書類整理に没頭してたから…お昼にサンドイッチを食べたっきり、何も食べてないことを思い出した。帰りにコンビニでも寄って何か買って帰ろうかな、今から材料買って作る気力なんてないし?そもそもこんな時間じゃあスーパーも閉まってるし。
とりあえず帰ろう。書類をまとめ、ガタンと立ち上がった時―――そういえば、沖矢くんって食事とかどうしてるのだろうと疑問が浮かぶ。
今の今まで全く気にしていなかったはずの同居人を、何故に今思い出したのかは非常に謎ではありますが。いや、本当に何で今?…まぁ、いいや。ご飯食べたか電話で………あ、私、彼と連絡先の交換なんてしてなかったわ。
「ダメだ、帰ろう。お腹空いて脳が機能してないや…」
フラフラと車に乗り込み、気がつくと工藤邸の車庫にいました。あれ?瞬間移動した?わー、そんな能力身につけちゃったのかー私ーラッキー!…なんて思うか!!本当にいつ戻ってきたの?記憶が車に乗り込んだ所までしか存在してないんですけど?!
というか、コンビニに寄るつもりだったのに寄り忘れてるし…どうしよう、私の夕飯。このままシャワーだけ浴びて、ベッドにダイブ?時間的にはその方が太らなくて済むけど、…お腹が鳴るほど空腹なのに眠れる?いや、眠れるはずがない!でも今からコンビニ行く気力はゼロだな…冷蔵庫に何かあるか見て、なかったら頑張ってコンビニに行こう。歩いて行ける距離にあるし。
一旦、荷物を置きに中に入ろう。重い足取りで鍵を開けて、体をドアの隙間から滑り込ませる。もう深夜に近い時間帯だし、沖矢くんも寝てるかも…なるべく静かに、とドアを閉めた。だけどそれは杞憂だったのだ、と振り向いた瞬間に悟る。
だってリビングの明かり、ついてるんだもん。それって沖矢くんがまだ起きてるって証拠でしょう?
「おかえりなさい。それとお久しぶりです」
「ああ…確かに久しぶりだ。ただいまです、沖矢くん」
「今日、シチューを作ったんですが…夕飯は?」
「えっ…………食べます。ご飯付きでお願いします」
「わかりました。準備をしておくので、先にお風呂でもどうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
もういいや。太るかもって心配より、空腹で眠れないっていう方が大変だもの!見事に正当化して、私はるんるん気分でお風呂へと足を向けた。
のーんびり湯船に浸かって、寂しさと消失感でいっぱいだった心は少しだけ浮上した気がします。気がするだけなので、部屋に戻れば一気に急降下すると思うけどね。濡れている髪をクリップで止めて再びリビングへ顔を出すと、テーブルの上にはほかほかと湯気を上げているシチューとご飯が用意されていた。
「わ、美味しそう…!」
「おかわりもありますから、食べれるなら言ってくださいね」
「はーい。いただきまーす」
あ、普通に美味しい。もそもそとシチューとご飯に舌鼓を打っていると、不思議そうな顔をしている沖矢くんと目が合った。うん?
「あ、すみません…どうしてシチューにご飯なのかなぁ、と」
「…もしかして変?」
「変というか、普通はパンのような気がするのですが」
「言われてみればそうかも、…でもそれだと足りないんだよ、私」
会話をしながらも食べる手は止めず、着々とお皿の中のシチュー達は減っていく。今思えば、知りあって間もない人の手料理を食べてるとか…意外と私はチャレンジャーなのかもしれないと思う。いや、疑うわけではないけどさ…何か仕込まれてるってこともなきにしもあらずでしょ?ひとつ屋根の下に男女が住むってなると。
……もんのすごく今更だけど、私の決断は傍から見れば危険極まりないものだよね。普通だったらOKしないもんなぁ、同居人が男とか。新くんが疑うこともせず、すんなり受け入れたことが気になってうっかり頷いてしまったけれど。よくよく考えれば色んな方面からお説教を受けるレベル。
ごくん、と最後の一口を飲み込んで、ごちそうさまと両手を合わせた。本当はもう少し食べたい所だけれど、時間を考えるとこれで止めておいた方が賢明だと判断。残った分は小分けにして、冷蔵庫にいれておこうかな。
それで明日の朝ご飯にして、それでも残った分はー…グラタンにでもしよう、チーズとマカロニを買ってくればそれっぽくなるでしょうし。
(何で、…私は沖矢くんに警戒心を然程、抱いていないのだろう?)
哀ちゃんの怯えっぷり、慌てっぷりを見れば警戒心を抱いてもおかしくない相手だ。いくら頭の切れる新くんが疑っていなかったとしても、だ。仮に組織とは何も関係のない人物だったとしても、こうもすんなり同居を許してしまった私の心にツッコミを入れたい。さっき言った通り今更だが。
もちろん違和感は感じてるの、でもその違和感の正体が…浮かんでこない、見えてこないのよね。考えてみても、あの日感じた違和感はいまだにわからないのです。
「工藤さん?眠いのなら、髪を乾かして部屋に行った方がいいですよ」
「ああ…うん、そうする」
沖矢くんが横を通り過ぎた瞬間、嗅ぎ慣れた煙草の香りが鼻を掠めたような気がした。