疑念、疑問、不安


―――カタン、

「ん、…?」


物音が聞こえた気がして深く沈んでいたはずの意識が、一気に浮上した。こういう時は私もFBI捜査官なんだなぁ、って思う。昔に比べて大分、人の気配とか音に敏感になってきたもの。…っと、今はしみじみ浸っている場合じゃなかった。さっきの物音、何だろう?
時計を見てみれば、まだ5時前。こんなに早く沖矢くんが起きてくるか…?私より早起きだけど、ここまで早く起きる必要性はないわよね?今日は大学に行かなくてもいい日だって言っていたのは、昨日だもの。

あと考えられるのは泥棒―――

だとしたら、簡単に逃がすわけにもいかない。アメリカのとはいえ、私だって警察官に分類される。犯罪者と名のつくものを逃がすなんて、そんなのFBIの名に懸けて許すはずがないでしょう!
そっとドアを開けて辺りを窺う…耳を澄ませてみると、1階にある洗面所の方から声が聞こえるような気がする。それも1人じゃない…2人、かな。…だけど何で洗面所?

(それともどこから攻めていくか、そこで相談中とかかしら?)

とりあえず下りよう、と階段に足をかけようとした瞬間、洗面所のドアが開く音が聞こえ、さっきまでは薄らとしか聞こえなかった声がハッキリと耳に届いた。声の正体は、…沖矢くんと義姉さん。
ちょ、ちょっと待って…どうして義姉さんが?いや、此処はあの人の家だしいることはおかしくない!おかしいのはそこじゃなくって、こんな朝早くに沖矢さんと2人で洗面所にいたこと。見た感じ、義姉さんしかいない…兄さんは、一緒じゃない?ドクリ、と心臓が嫌な音を立てて、私は慌てて自分の部屋に戻った。

出て行った時と同じようにそっとドアを閉め、ズルズルと座り込む。さっきのは…どういうこと?
どくどくと心臓は鼓動が早いまま、何か…イケないものを見ちゃった気分なんですけど?!いや、待て、落ち着け私…確かに義姉さんはイケメン好きだけど、それでも兄さんにベタ惚れだったはずだ。だから絶対に、浮気なんて兄さんを裏切るようなことしないと思うの。大丈夫、沖矢くんとは何もない………ハズなんだけど、だったらどうしてこんな朝早くに来てるのよぅ…!

聞いてしまえば早いのだろうけど、でも誰に?沖矢くん?それとも義姉さん?だけど、当人達に聞いたってきっとはぐらかされてしまうと思うんだ。それじゃあ意味がない…だとしたら新くん?いやいや、親の浮気を子供が知っているはずがない…それは夫である兄さんも同じこと。
ってことはやっぱり、…当人達に確かめるのが一番いいってことになるんだよねぇ。もしかしたら何か用事があっただけかも、と思い直し、しばらく様子を見てみることにした。私の思い違いであってほしい、とそう願って。

だけど私の予想は、願いは大きく裏切られる。義姉さんは毎週末の早朝、工藤邸に戻ってきているみたい。その度に沖矢くんと一緒に洗面所へ籠って…そして帰っていく。
これはもしかしてもしかしちゃう…?またもや嫌な予感が首をもたげ始めた。一番外れていてほしかった推測が、当たってしまうような予感が。


―――ザッ

「義姉さん…っ」
「え、円香、ちゃん…?!ど、どうしたの?そんなに怖い顔しちゃって」
「嘘だって言って、お願いだから…」
「…どういうこと?」


義姉さんの肩をグッと掴んで、視線を合わせる。
推測は確信に繋がろうとしているのか、それとも外れてくれるのか…だけどここまできたら、外れているとは到底思えない。


「沖矢くんと―――浮気してるの?」
「………え?」
「毎週末帰ってきてるの、彼に会いに来ているからでしょう?兄さんは来ている様子ないし…ねぇ、答えて。義姉さんは兄さんを裏切るようなこと、してるの?!」


早朝に私の悲痛な叫びだけが木霊する。義姉さんは黙ったまま、だけど最初見せたような慌てた表情は一切浮かべていなくて…むしろ、凛とした表情になっていた。まだ女優をしていた頃の、真剣な眼差しを。

それを見た瞬間―――悟ってしまったんだ、私の推測は外れていなかったことを。愛しているはずの夫を裏切っていることを。
即ち、私の同居人である沖矢くんとそういう間柄だということを。

どうして、と唇を噛む。あれだけ愛し合っていたはずなのに、どうしてそんな裏切るようなことをするの。そんな私の言葉を遮ったのは、沖矢くんの声だった。


「違いますよ、工藤さん―――有希子さんには、料理を教わっているんです」


そして彼の口から紡がれたのは、にわかには信じがたい真実。…え?ちょっと待って、料理を教わっている?義姉さんに?わざわざロスから来てもらって?こんな早朝に?!はぁ?!いくら何でもそんなバカな話がある…?嘘をつくのならもうちょっとマシな嘘を言ってくれてもいいんじゃないの?


「彼の言う通りなのよ、円香ちゃん。その…昴くんがね?料理を教わっているのを知られたくないって言うもんだから」
「は?」
「さすがに恥ずかしいじゃないですか、男が料理を教わっているというのは…」
「え?」
「だからこの時間にこっそり教えてたのよ。早朝だったら円香ちゃんもまだ寝ているでしょう?」
「いや、あの、うん、寝てるけど…」


じゃあ洗面所にいたのは?ムスッとした顔で問いかければ、あまりキッチンやリビングでガタガタ音を立てると私が起きちゃうから、洗面所でレシピを教えてたんだって!
正直、まだ半信半疑だけど…筋は通ってるし、おかしな部分もない。いや、早朝に料理レッスンって所でおかしいんだけど。


「じゃあ…兄さんを裏切ったりは」
「してないわよぉ!だって私は優作にベタ惚れですもの」
「そ、か…」


義姉さんは元女優だから演技には自信があると思う。だけど、頬を染めて兄さんのことを惚気ている姿を見たら…本当なのかな、って思っちゃう。多分、嘘はついてないんだと思うんです。
私がそう思いたいだけかもしれないけれど―――これ以上、兄さんの奥さんを疑うのも嫌だな。というか、一瞬でも疑った時点で私は怒られるレベルのことをしているに違いないのだが。
だけど、義姉さんは一切その素振りを見せない。私の視線に気がついてもにっこりと微笑むだけで、怒っている感じも…一切なかった。それが逆に申し訳ないって気持ちを助長させるのだけれど。

ごめんなさい、と呟けば、いつもの調子の義姉さんが「いいのよ〜!」ってギュウッと抱きついてきた。いくら家主の妻でも、早朝に男の人に会いに来てたら疑って当然よって笑って。
ああ、なんだ…一応、義姉さんにもその自覚はあったのね。でも沖矢くんのお願いでもあったから、早朝に来てたのか。別に私は男性が料理を習ってても恥ずかしくないと思うけどなぁ…バカにする気もないし、むしろすごいなぁって思っちゃうけど。

(沖矢くん、わざわざ習ったりしなくても十分上手なのに…料理)

彼が作ってくれた料理の数々を思い出しながら、ふと思った。
そう、沖矢くんは習わずとも美味しい料理をたくさん作ってくれているのです。それとも私がジョディの所へ行っていた1ヶ月の間に習得した、とか?元々、料理ができなかったんだとしたら、それは十分有り得るかも。


「じゃあ誤解は解けたみたいだし、私はそろそろ帰るわね。またね、昴くん、円香ちゃん」
「いつもありがとうございます」
「またね、義姉さん。兄さんにもよろしく」


ひらひらと手を振って出て行った義姉さん。2人の関係を疑うのはもうやめるけど、…でもまだ何か引っかかっている。本当に料理を教える為に来ているのだろうか?それが本当だとしたらどうして、義姉さんはあんな大荷物で工藤邸にやって来ているのだろう。

『アイツがあんなにも簡単に殺されるとは到底思えないんですよ…有り得ない』

新たな疑念が今にも確信に変わろうとしていた。
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