真実のひとかけら


ぐっすりと眠る円香の頬にそっと触れる。彼女の頬には涙の跡が残っていて、夢の中にいる今でもそれは零れ続けていた。
目元も微かに赤くなっていて、…心臓を鷲掴みにされているような気分になる。


「これ以上はもう…限界なのかもしれんな」


先程の彼女の姿を思い出すと、もう黙っていることはできない―――いや、『俺』が彼女の傍にいたいというのが、正しいのかもしれん。


 side:―――


来客を告げるチャイムが鳴った。対応をしなければ、と立ち上がった私の動きを止めたのは工藤さんだった。服の裾を掴んで、何かに驚いたかのように元々大きな目を見開き―――「秀一」と、誰かの名前を呼ぶ。
それが誰のことを指しているのか、十分わかっていますが…敢えて知らないフリをする。誰ですか?と笑顔を浮かべながら口にして、いまだに裾を掴んだままの手を離そうと試みるが更にぎゅうっと強く掴まれてしまった。
私を見上げてくる彼女の瞳は、今にも泣いてしまいそうなくらいにゆらゆらと揺れていて。ぐらり、と理性が崩れてしまいそうな予感がした。


「工藤さん?来客ですので、この手を…」
「嫌、嫌です…離しません、絶対に離したりしません……!」


いつも砕けた口調で話してくれていた彼女が、敬語になった。


「…死んだと思っていました。状況を聞いて、細工ができるはずがないと思っていました」


そして静かに紡がれていく、彼女の中に芽生えていた疑問。彼女自身、こんな推測は有り得ないと思っていたようですが、確信を得てしまったんだと。それはそれはとても辛そうな声で、泣きそうな顔で訴えてくる。
これ以上は何も言わないでくれ―――そう思ってしまうのは、仕方のないことだろう?抱きしめたい衝動を必死に堪え、聞きたくはないけれど工藤さんの声に耳を傾ける。


「知っていると思ったの…あの撫で方も、優しさも、温もりも。知っていて当然ですよね、だって貴方は…」


綺麗な瞳から、涙が零れた。それは酔いながらも彼に会いたいんだ、と呟いた時と同じ光景。


「秀一、…貴方、秀一なんでしょう?どうして私達に黙ってたの?!ねぇ、お願いだから答えてよっ!」
「工藤さん、落ち着いてください!」
「落ち着いてなんかいられないわよっどうして、―――」
「ちょ、…っ?!」


がくん、と彼女の体が崩れ落ちた。床に倒れ込む寸前で抱きかかえることができたが、一体、何故…?答えはふっと上げた視線の先にあった。

視線の先にいたのは、コナンくん―――

ああ成程、彼女に麻酔針を打ち込んだんですね。だから急に体の力が抜けてしまったのか。
そっと口元に手を近づけてみれば、しっかりと呼吸をしているのがわかった。胸も上下に動いているし、本当にただ眠っているだけのようですね…良かった。まぁ、コナンくんが彼女を危険な目に遭わせるとは思ってもいないんですが。


「…ごめんね、勝手なことして。でもこれ以上は、見ていられなかったから…」
「そう、ですね…助かりました」
「でもどうするの?このまま知らないフリをするのは簡単だと思うし、昴さんならできるとは思うけど」
「―――すまない、ボウヤ」


流れ落ちた涙を拭いながら、俺はそう口にした。ボウヤは一瞬だけ驚いた顔になったが、でも次の瞬間には「仕方ないよね」と笑っている。まるでこうなることをわかっていたかのように。…本当にボウヤには驚かされることばかりだ。あの時から、ずっと―――な。
本当ならばずっと隠し通していかなければならないことだ。そうすることで全てが上手くいくのだ、と思っていたんだが…こんなにも彼女が…円香が思い詰めているとは思わなかったし、こんなにも早く真相に辿り着かれてしまうとも思っていなかった。もしかして、と思った瞬間があったのは確かだが、気がつかれているとは予想していなかったな。

(こんなにも、…想われているとは)

不謹慎だとは思う。けれど、垣間見える彼女の想いに体が震えているのがわかった。今すぐにでも彼女を抱きしめたいと、柄にもなく思ってしまったんだ。
誰にも渡したくないと、コイツの隣に立つのは―――この俺だけなのだ、と。『沖矢昴』にだって、渡しやしないと。


「我ながらバカだと思うよ。だが、これ以上はもう…限界なのかもしれんな」
「それは―――『誰』が?」


ボウヤの意地悪な問いには答えず、口の端を上げるだけに止めた。
何か用事があって来たのかもしれないが、今は用件を聞いてやる余裕はない。質問に答える代わりにそう言葉を紡げば、誰よりも頭の切れる少年は笑みを浮かべて「また出直すよ」と踵を返していった。

ふう、と息をついて、眠っている円香の体を横抱きにする。流れ落ちる涙を拭うように目尻にそっとキスを落とせば、くすぐったいのか身を捩る姿にまた、愛おしさが増したような気さえした。
…どうして俺は、コイツを手離せると思ったのだろう。どうして『沖矢昴』に手渡せると思ったのだろう。こんなにも愛しいと、好きだと思っているのに。割り切れると思っていたんだが、…それはやはり不可能なようだ。


「こんなにもお前に乱されるとはな…円香」


ずっと忘れられずにいたんだ。お前が俺を求めてくれるのならば、二度と離しはしないぞ。
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