息を止めて


「んぅ…」


ゆるやかに撫でられる感触に意識が浮上する。目と頭、痛い…何でこんなにボーッとするんだろ、というかここ何処…?
目を開けた先に見えたのは天井だけれど、それが何処を指しているのかがわからなくて工藤邸の客室だ、と気がついたのは何度か瞬きを繰り返した後だ。


「円香」
「ん、はい。何ですか秀一…………秀一?」
「ああ。目は覚めたか?」


思考が、止まる。私の目の前にいるのは確かに秀一で、どうして彼が此処にいるのかがさっぱりわからない。これは夢?夢なのか?私が見ている都合のいい、夢…?
会いたい、とずっと思っていたからこんな夢を見ているのかもしれない、だってこの人が目の前にいるわけがない。この人が此処にいるわけがない。この人は―――死んだ、と口にしようとしたのと同時に、意識を失う直前のことを思い出した。そうだ、私、沖矢くんに詰め寄ってそれで…急に意識が遠くなったんだ。

私は沖矢くんが秀一の変装だと、推測していた。義姉さんが朝早くに来ていたのは、変装の状態を見る為だと。それを私に知られないように早朝に来ていたのだと。そう、彼は死んでいないという仮説を立てたんだ。死んだと見せかけ、顔を変え―――沖矢昴として、生きているのではないかと。
…半信半疑だった、そんな仮説を立てておきながら小説の中の世界みたいだと思ったの。だけど、今私が見ている光景が現実だとしたら…仮説は本当だということになる。


「本当、に…秀一?」
「嘘だと思うのならば、触れてみればいい」


そう言いながらも秀一は私の頬に手を伸ばしてきた。優しく撫でる手には、懐かしい温もりがあって…ああ、この人は生きているんだとわかる。嘘でも、夢でも何でもない―――本当に秀一は今、私の目の前にいるんだということを。
ボロボロと涙が溢れてくる。でもそれを止めるつもりなんてない、私の涙を見て心を痛めればいい。私がどれだけ辛い思いをしたのか知ればいいんだ。

優しく名前を呼ばれ、頬に触れていた手が背中に回ろうとした瞬間。私の口から出たのは、「歯ァ食いしばれ」という低い声。秀一の返答なんて待つ気はない、言葉を発するのと同時に拳を握り込んで思いっきり右ストレートを彼の頬に叩きこんだ。
バキッと小気味いい音が響き渡るけど、秀一の体はびくともしない。殴られたというのによろけることもなくて…どうにも悔しい。顔だけは横を向いていたけれど。


「…思いきりやりやがったな、円香」
「あったりまえじゃないですか!私が怒らないとでも思いました?!思わないでしょうバーカ!!」
「泣くか怒るかどっちかにしないか…」
「うるっさいですよ誰のせいだと、思って、……ッぅ、ふ…」
「すまない…触れても、構わないか」


本格的に泣き始めた私にそう問いかけ、頷きだけを返せば思いっきり抱きしめられた。ぎゅうぎゅうと縋りつくようなソレに息が詰まりそうになるけれど、今はこの方がいい。この人が存在しているんだ、って証明になるような気がして安心するから。
服越しに感じる熱、そして鼓動にホッと息を吐いた。


「もうバカだ、ほんっとバカだ!どうせあのボウヤもグルなんでしょ2人で計画、…いや、ボウヤが立てた計画でしょ。絶対。なんっでこんなに頭が切れるんだあの子…!」
「すごいな、大当たりだ」
「………あい、たかったです、秀一…」
「…ああ」


背中に回っていた腕の力が弱まって、そっと体が離れていく。久しぶりに見る気がする彼の目は、相変わらず綺麗な色をしていて…だけど、その目に映る私の顔は笑いそうになってしまうくらいにぐちゃぐちゃ。
眉を極限まで下げて、涙をボロボロ流していて、お世辞にも誰かに見せられるものではないなぁ―――特に目の前にいる人には見せたくないくらい、本当にひどい顔をしている。…本音としては秀一の顔をもっと見ていたいけど、でもこのひっどい顔を見られるのはダメ、嫌だ。上げた顔をもう一度、秀一の胸へ押し付けようとしたけれどそれは彼の手によって阻まれる。
うえ?なに?と口にする間もなく、秀一の整った顔が近づいてきた―――のを、べちんと両手で阻止。ビシッと空気が音を立てて固まったのを肌で感じ取ったけれど、あの、ごめんなさい色々とダメなんです…!
私の気持ちを伝えていないのもあるけど、思わず止めてしまった最大の原因はフラッシュバックしたジンとの、キス。彼に気持ちを告げられる前のことだし、言う必要のないことなのかもしれないけれど、何というか…非常に申し訳ない気持ちがこう、沸々と込み上げてきておりまして!一度してしまってはいるけれど、あの時はいきなりで思い出す隙もなかった。
…けど、思い出してしまった今は、この人に触れてもらう資格がないとさえ思ってしまう。


「おい円香、何をする」
「いや、あの、…えっと」
「―――…?その顔は、何かあったな?」


秀一の問い掛けに肩がビクリ、と跳ねた。射抜くような視線から逃げるように顔を背けるけど、逃がさないと言わんばかりに温かな手が頬を包み込む。そして再び、鋭い視線が私を射抜く。
声が、息が、喉の奥に引っ掛かる。言わなくちゃ、と焦る自分と、言いたくない、と拒否する自分がせめぎ合って、止まりかけていた涙がまた溢れ出しそう。だってほら、視界が歪んでいくもの。
会えた嬉しさで泣くのはいいけど、こんな…ジンのせいで泣くなんて嫌だ、グッと唇を噛んで耐えようとしたものの、目ざとく気がついてしまった秀一に噛むな、と無理矢理口を開けさせられた。…これはこれで、あの、すごい光景になっているような気がします。

そのままの状態でどれだけの時間を過ごしただろうか。秀一との間に流れる静かな空間とか、沈黙とかが苦手なタイプではない。…でも今この空間は、この沈黙だけは非常に気まずいと思ってしまう。それはきっと、目の前の人物が何とも言えないプレッシャーを与えてくるからだと思うのですが。きっとというか、絶対。
これはもう言うしか、ないというやつかな…ああもう、あのタイミングでフラッシュバックなんてしなければこんなことにはならなかったのに!数分前の自分を呪いたくなったけど、さっき思い出さなかったとしてもいつかは思い出してしまうのだろう、と思うと…何とも言えない気持ちになる。


「あ、の」
「ああ、ゆっくりでいい。…なんだ?」
「あの日、…ジンに、呼び出された日―――」


キス、されました。舌を噛んでやりましたけど。やっぱり真っ直ぐに目を見ることはできなくて、視線を逸らしてポツリと呟いた。
頬に触れていた秀一の手が、ピクリと動く。私はそのまま黙り込んで、彼が何か言ってくれるのをひたすら待っていると、グッと引き寄せられて噛みつくようなキスをひとつ。抵抗する間なんて与えてくれない、無理矢理にこじ開けられた唇の隙間から舌まで入り込んできて、反射的に体を引こうとした。

だけど、それすら許されないらしい―――

いつの間にか後頭部と腰回りに回っていた手が、ガッチリと私の体を押さえ込んでいるから。
逃げようとする舌は絡めとられ、ちゅく、と水音が響く。吐息と、微かな衣擦れの音と、水音…それ以外に何の音もしない部屋、そして繰り返されるキスに体温がどんどん上がっていくのがわかった。
ゾクゾクと背中を駆け上がっていくこの妙な感覚は、確実に快感だ。時折漏れる自分自身の声だけは、耳を塞ぎたくなるけど!


「ん、っあ、…ね、しゅう、ちょっと待っ…」
「されたのはキスだけか」
「そう、ですよ、それ以上は何も…んっ」


最後にチュッとリップ音をさせて、ようやく解放された。涙は止まったけど、息は情けないくらいに上がっているし心臓は有り得ないくらいにバクバクいってるし絶対腰抜けてるコレ…!今立ち上がったらそのままへたり込む自信ある、体に力入っていないもん。
あまりに恥ずかしくてぼすん、と秀一の胸に顔を埋めた。髪を梳くように撫でる手の感触が気持ち良くて、うっとりと目を閉じる。本当に、生きていたんだ…この人は。


「もう、何処にも行かないでください。…置いて、いかないで」


伝えたい言葉はたくさんある。だけど今は、貴方の体温だけを感じさせて。
- 31 -
prevbacknext
TOP