全ては靄の中


本当にバーボンの能力というのは恐ろしい。事前に博士の発明品のひとつであるチョーカー型変声機にまで、辿り着いていたんだから。
あれは首に巻けば喉の振動を利用して、自在に声が変えられるという優れもの。新くんが持っている蝶ネクタイ型と違って、ハイネックで隠すこともできるから、変装時にも使うことができるってわけ。そんな商品があると知れば、更にその商品がもう販売していないと知れば、疑惑は確証へとまた一歩近づくこととなる。

―――だけど、そう簡単にいくかしら?

ガッと沖矢くんのハイネックを掴んだバーボンの姿を見て、私はほくそ笑む。その自信満々の顔が歪むこの時を、私はずっと待っていたのよ。
ハイネックを捲った下に変声機がないことを認めた彼の表情は、案の定、自信満々のものから驚愕へと変化した。それと同時に、テーブルの上に置かれていた携帯が震え始める。おや、どうやらあっちも無事に事が進んでいるようね。


「あ…赤井が?!」


電話に出たバーボンの口から発せられた名前に、私と沖矢くんはそっと視線だけを交わし、お互いに笑みを浮かべた。きっと焦っている彼には私達の表情は見えていない…というより、目に入らないというのが正しいかな。
…ふう、一時はどうなることかと思っていたけれど…さすが秀一と新くんの立てた計画ね、今の所は上手くいっているようで安心したわ。失敗などしないとわかっていても、やっぱり心配なものは心配なのだ。
焦った様子で電話を続けているバーボンを見ながら、ホッと息を吐いてソファに体を沈みこませる。その時、付けっぱなしにしていたテレビから歓声が聞こえてきた。
あ、すっかり忘れていたけどマカデミー賞を見てたんだっけ…ちょうど、兄さんが賞を受賞したみたいで今からスピーチをする、って瞬間が映し出されている。

(…これ、義姉さんが変装しているのよね?スピーチって、大丈夫なのだろうか)

心配なのはそこだけだ。バレたら大変なことになるから変なことは口走らないだろうと思うけど、


『イケメンで礼儀正しく、クールでダンディーで…もォFBIに置いとくのはもったいないくらーい!』


前言撤回。上手く誤魔化してるし、会場は大ウケしてるけど、これ完全に義姉さんの本音だよね?!
隣で見ていた沖矢くん―――もとい兄さんも、苦笑して頭を抱えていらっしゃいます。うん、そうなるよねぇ…まさか本音が零れ出るとは思わなかったもんね、本当に。


「まさかお前、俺の正体を?!」


ああ、秀一と電話しているのか。どうやら出掛けに渡しておいた報告書は、バーボンを揺さぶるいい材料になってくれたみたいね。すると、驚愕の瞳が一瞬だけ私を映した…なんだ?と思ったけど、すぐに彼の正体を調べ上げたのが私だとバレたことを悟る。
バレたというか、見当をつけたという方が正しそうだけどね。あの人がわざわざ私の名前を出すとも思えないし。

(降谷零―――本来は公安の人間…つまり、彼もノックだということ)

それを知ってからは、何となく秀一を追っている理由がわかった気がする。1つは私怨によるものだけど、もう1つは…恐らく、ノックであった裏切り者のライを捕まえ奴らに引き渡すことで、組織の中心近くに食い込む算段だったのだろう。
中心近くに食い込めば、もっと情報が入ってくるだろうし、組織を瓦解させる未来へまた一歩近づけるということなのだから。…だけど、彼は見えていないんだ。本当に狩るべき相手が。いや、見えていないというのは語弊があるのかな…目先のことに囚われすぎている、といったところだろうか。
フッと笑みを浮かべ、いまだ続いているスピーチへ視線を戻せば、バーボンが帰ります、とドアを開けているのが気配でわかった。ようやく終わったか…これでマカデミー賞を集中して見れると思ったのだけれど、沖矢くんにとんとんと肩を叩かれた。
予想してたけど、やっぱり見送って来いってこと…?余計なことはするな、って言われているのに、見送りに行かせるってどういうことよ。立ち上がって玄関まで行けば、バーボンが振り返った。


「今回は完全に僕の負けですよ。まさか、正体を知られていたとは…」
「貴方を驚かせることができたなんて、光栄ね?降谷零」
「…やっぱり貴方だったんですね、工藤。その能力はFBIより、公安の方がより役立てることができそうなものだが…」
「あら、引き抜くつもり?」
「今はその話はしないでおきましょう。…今日は大人しく引くとするさ」


壁に寄り掛かり、笑みを浮かべ、私は口を開いた。


「『目先のことに囚われて、狩るべき相手を見誤らないで頂きたい』」
「?!」
「その顔、同じことを言われたようね?―――私の愛しい相棒に」
「……ええ」
「立場は違うけれど、貴方は私達と本質は同じはず。奴らに噛みつこうとしている狼なのだから」


別に協力しろ、とは言わない。手を組みたくないだろう、というのは、バシバシ感じてるしね。
…だけど、敵を見誤ることだけは許しはしない。警告しても尚、あの人へ危害を加えるようなら今度こそ。


「私は君を、許しはしないよ。降谷」
「それは怖い…肝に銘じておきますよ、一応ね」


バタン、とドアが閉まり、はぁーっと大きく息を吐いた。念の為に鍵をしめて、っと…さて、一応片付いたことだし新くんの所に行こうか。
彼が忍んで指示を出していた部屋へ入ると、ぐったりデスクに突っ伏している新くんと、すでに変装を解いていた兄さんの姿があった。


「おっつかれー、新くん!」
「じゃねーよ!父さんも円香さんも打ち合わせ無視しやがって…!」
「あはは、でも怪しまれた様子はなかったわよ?ひと泡吹かせられたみたいだし、焦った表情も見られて私は大満足!」
「いい表情だね、円香。…それで?私がわざわざ身代わりになったFBIの彼は、また此処に戻ってくるのか?」
「戻ってこないわけがないよ。ね?新くん」
「ああ。守んなきゃいけねぇ奴が…いるからな」


哀ちゃん―――いや、志保ちゃん。彼がかつて愛した女性、明美の妹。
彼女を守る為に秀一は今、この家に居候しているようなものだもの…私だってそう。遺言というわけではないけれど、志保ちゃんのことをよろしくね、と言われているから…だから絶対に、あの子を守ってみせると決めたの。何があっても、ね。
それを秀一は知らないし、これからも言うつもりはないけど、同じ決意を持って私達はこの場所に留まっているのだ。

新くんの隣に立って博士の家をじっと見つめていると、ポケットに入れていた携帯が震えていることに気がついた。恐らくは秀一か、もしくはジョディだろうと当たりをつけて通話に切り替えれば、予想通り秀一の声が鼓膜を揺らした。


『そっちは片付いたのか?』
「ええ、滞りなく。そちらも無事なようですね」
『ああ。…それですまないが、迎えを頼めないだろうか』


秀一のお願いにきょとんとしてしまった。何で迎え…?だって、計画が上手くいったのであれば今はキャメルくんとジョディと一緒にいるはずよね?工藤邸まで、とはいかないだろうけど、どこかに乗っていった車を隠しているんだろうから、そこまで送ってもらえば帰ってくることができるはずなのにどうしたんだろうか。
何かトラブルが?と聞いてみれば、公安とカーチェイスをした結果、キャメルくんの車はタイヤが1つエア漏れを起こしちゃってるんですって…それで修理に出さない限り無理そうだから、迎えに来てほしいってことみたい。タクシーって手もあるけど、秀一はあまり目立たない方がいいだろうしなぁ。特に今の姿では。

今いる場所を聞いてみれば、来葉峠の近くにいるそうな。少し時間はかかるけどそれでもいいなら、と前置きしてから、私は電話を切った。
ええっと、変装道具を持っていくわけにいかないから…とりあえずキャップと秀一が着るイメージのない服を持っていっておけば大丈夫かしら。全身真っ黒のニット帽の男性なんて、知っている人が見たら完全にバレてしまうからね。少しでもわかりにくいようにしておかないと…!


「例の彼か?」
「うん。ちょっとトラブルがあって立ち往生しているみたいだから、迎えに行ってくる」
「えっ大丈夫なのか?」
「タイヤがエア漏れ起こしているだけだから、3人共、無事ではあるわよ」
「気を付けて行っておいで。焦って事故など起こさないように」


わかってる、と答えてから、私は準備をする為に秀一が使っている客室へと向かった。





「赤井さん、円香さんあの人に引き抜かれそうになってるから気を付けてね」
『ホー…わかった、気を付けよう』


そんな会話が秀一と新くんの間でされていたとは、全く知る由もない。
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